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星屑フラン

 白い軌跡は、その終点でほどけた。


 砕け散るように光が分かれ、無数の微細な輝きが、ゆっくりと落ちてくる。

 雨ではない。雪でもない。

 それはまるで、意志を持ったかのように進路を定めていた。


 アルコルは、向かってくる光を見て息を呑む。


 星屑は弧を描き、迷いなく、私の方へと集まってくる。


 避けようとする間もなく、光は静かに、私の胸元へ降り注いだ。


 そのまま、胸の奥へ進み、吸収され――ない。


 胸に当たり、必死に奥へ進もうとしたのだろうが、厚い脂肪の壁に阻まれ、弾んだ。


 揺れる私の胸。

 地面を転がる星屑。


「申し訳ない……」


 私は星屑に謝った。

 たぶん、これはあれだ。

 本来ならば、光として私の心に吸収され、色々と幻想的な何かが起きたのだ。


「これ、大丈夫なのか?」


 星屑は、確かに“物”として存在していた。

 砂糖菓子の欠片のような、半透明の結晶。


 私は反射的に、それを摘まみ上げた。


 指先に、確かな重み。


「……食べられそうだな」


「えっ」


 アルコルが声を裏返す。


「ま、待ってください!? それ、星屑ですよ!? 魔術的に危険かもしれません!」


「そうか……さすがに生は危険だな。ちゃんと料理して食べよう」


「そういう理屈なんですかね……」


 そう言いながらも、彼女はそれ以上の言及を止めた。

 諦めたように微笑んでいる。


 私は欠片を袋に入れる。


 アルコルが、静かに言った。


「伝説通りですね……『境が曖昧な者にしか、導きは現れない』」


「曖昧、か……」


 私は空を見上げる。


 もう流れ星の姿はない。

 だが、夜空は先ほどよりも、少しだけ近く感じられた。


 胸元に残る、かすかな余韻とともに、山を下りることにした。




 夜の山を下り、街へ戻るころには、空の端が白み始めていた。

 雲海の向こうから昇る朝日は、夜の名残を一つずつ溶かしていく。


 マギの街は、眠りから覚める途中だった。

 夜通し灯っていた魔術灯が次々と消え、代わりに窓という窓から朝の光が差し込む。

 パンを焼く匂い、湯を沸かす音、学生たちの足音。

 魔術の街も、朝だけは普通の街と変わらない。


 私とアルコルは、そのまま魔術学校へ向かった。


 正門をくぐるころには、私はさすがに眠気を感じていたが、アルコルは相変わらず元気だった。

 むしろ、少しそわそわしている。


「校長、きっと喜びますよ」


「そうか……喜ぶ方向性が、同じだといいな」


 予感は当たった。


 校長室で星屑の袋を差し出した瞬間、老魔術師の目が、年甲斐もなく輝いたのだ。


「ほう……これは見事だ」


 校長は袋の中身を覗き込み、顎に手を当てる。


「魔力の純度、結晶構造、どれも申し分ない」


 彼は顔を上げ、にやりと笑った。


「分析は後回しだな。まずは、食べよう」


「……やっぱり、そうなります?」


「なぜも何も、希少素材は味を確かめねば始まらんだろう?」


 アルコルは一瞬ぽかんとしたが、よだれを拭う私を見て、諦めた表情に戻った。


「校長、もう止められませんね」


「うむ。朝食には、少々重いかもしれんが」


 そう言いながら、校長はすでに棚から器具と材料を取り出している。

 手つきは無駄がなく、明らかに慣れていた。


 いつの間にか校長室は、簡易的な厨房と化していた。


 並べられた器具は、どれも見たこともないものだ。

 おそらくだが、魔術の実験用だろう。


 卵を割る音。

 牛乳を温める気配。

 星屑は細かく砕かれ、砂糖のように混ぜ込まれていく。


 小さな炉で生地が焼かれ、部屋の温度が少し上がる。


 やがて、甘くやさしい香りが部屋を満たす。

 魔術的な気配はあるが、嫌なものではない。

 むしろ、腹が鳴る。


 校長は満足げに頷き、紅茶の準備を始めた。


 窓から差し込む朝日が、テーブルを照らす。

 白い皿に盛られたデザート。

 湯気の立つ紅茶。


 奇妙で、優雅で、どこか可笑しい朝食が、今まさに始まろうとしていた。


 ------


 【本日のメニュー】

 ・星屑フラン


 ------


「感謝を」


 味は――ない。

 だが、喉を通った瞬間、身体の奥で何かがほどける感覚がした。


「……不思議だな」


 しっかりと甘い。

 舌ではなく、脳が記憶を書き換えるように、感覚が曖昧になっていく。


 校長とアルコルもまた、この不思議を黙って味わっていた。


 腹を空かせていた私は、浮遊する思考を抑えることなく、黙々と食べ進める。


 量ではない。気持ちだ。

 疲労と空腹は、あの感覚を呼び起こすには十分すぎた。


 すべてを食べきり、校長が棚に置いていた他の菓子にまで手を伸ばし、砂糖たっぷりの紅茶を飲む。


「正直に言って、味は分からなかった」


 遠い過去を思い出すように、私は呟いた。


「それが星屑だ。私でさえ、それがどこから来たのか、そしてなぜ存在するのか、すべてが謎だよ」


 校長は窓の外に目を向けたまま、静かに返す。


「でも、おいしかったですよ」


 アルコルが紅茶に謎の液体を垂らしながら言った。

 よく見ると、彼女の手はわずかに震えている。


「そうだな。それで十分だ」


 私はそう言って立ち上がった。

 宿に向かおう。


 いや、宿はこれから探さなければならない。


 面倒だ。

 いっそ、どこかの地面で寝てしまおうか。


「メイスを持った少年の行き先だね」


 校長の声に、足が止まる。


「あまり期待していなかったが……分かるのか?」


「そうだね。アルコル、頼むよ」


 校長は、誰かの髪の毛を一本、アルコルに手渡した。


「少々お待ちを」


 アルコルは真剣な表情で魔術を起動させる。


 ぶつぶつと唱えられる未知の言語。

 空中に描かれる、意味を拒むような文字列。


「……島です。極東にある、小さな島……」


 答えはすぐに出た。

 アルコルは地図を広げ、海の上に指を差す。


「感謝する」


 私は深く頭を下げ、校長室を後にしようとする。

 このまま向かおう。彼のいる場所へ。


「ムチーノさん!」


 アルコルが呼び止めた。


「とりあえず、今日は休みましょう。部屋はあります。ムチーノさんは、客人ですから」


 縋るような声だった。


「……それもそうだな」


 私はいつもと変わらない表情で、頷いた。


 私は、次の旅路へ向かう前に、ほんの少しだけ、眠ることにした。



 ------



 【星屑フラン~魔力を添えて?~】

 よく分からなかったが、おいしいということは分かった?


 不思議な菓子だった。

 口に入れても、これといった味は思い出せない。甘かった気もするし、そうでなかった気もする。ただ、喉を通った瞬間に、身体の奥がゆるやかにほどけていく感覚だけは確かに残っている。

 理解しようとすると、するりと逃げる。

 だが、食べ終えたあとに浮かんだのは、はっきりとした満足感だった。

 理屈は分からない。

 それでもおいしかった。それで十分だ。

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