星の欠片と無二の友人
校舎の奥、一般の学生が立ち入らない区画へと、私は案内された。
通路は広く、天井は高い。壁面には年代の異なる魔術式が刻まれ、今なお微かに光を放っている。
「この先が校長室です」
アルコルが扉の前で足を止めた。
分厚い木扉には、複雑な封印術式が何重にも重ねられている。内容は分からないが、危険な香りがした。
アルコルは一歩前に出て、軽く指を鳴らす。
次の瞬間、術式が一斉に反応した。
だが、暴走する気配はない。むしろ、水面に石を落としたように波紋を描き、静かに収束していく。
「前回より、難しくなっていますね……」
彼女はそう言うが、封印は素直に道を開いた。
「今のは?」
「校内の基幹術式と同期しただけです。失敗すると、半日は足が痺れますけど」
さらりと言われたが、意味が分からない。
私は難しいことを考えないようにした。
扉の向こうは、驚くほど質素だった。
広い机、本棚、窓。装飾はほとんどない。
窓際に立っていた老魔術師が、ゆっくりと振り返る。
白髪は無造作に束ねられ、ローブもところどころ擦り切れている。だが、その眼だけは異様なほど澄んでいた。
「アルコル、また腕を上げたようだな」
第一声からして、挨拶というより観察結果の報告だった。
「いえいえ、今回はギリギリでしたよ」
アルコルは無邪気に笑うが、校長は信じていないらしく、片眉だけを上げる。
「そう言う者ほど、余裕を残しているものだ。実に信用ならん」
そう言ってから、楽しそうに口の端を歪めた。
校長は私へと視線を移す。
「……ほう。君が例のムチ使いか。噂より静かだな。もっと血の匂いがすると思っていた」
「それは失礼だな」
「褒めているんだよ。血の匂いがしない武芸者ほど、厄介なものはない」
校長は椅子に腰を下ろし、指を組む。その仕草一つで、空気が締まる。
「アルコルはな、この学校でも五本の指に入る実力者だ。もっとも、本人がそれを自覚していない点が、一番恐ろしいがね」
アルコルが、少し居心地悪そうに視線を逸らした。
「謙虚と無自覚は違う。だがまあ、それも含めて才能だ」
校長が私の目を見る。
「だから、彼女が『大丈夫』と言うなら、大丈夫だ。理屈ではなく、結果としてな。私は結果主義者でね」
どこか楽しげに、しかし冷静に言い切った。
「感謝を」
私は素直に頭を下げた。
校長は満足そうに頷き、話を続ける。
「それで、探しているのはメイス使いだな?」
「すごいな」
「簡単な分析だ。それで、彼女、いや、彼がこの街に滞在していたのは確かだ。だが、長くは居なかった。ここでは目的を果たせそうになかったらしい」
「そうか……」
私は肩を落とした。
これでまた、足跡が消えてしまった。
「彼の行き先を教えてあげようか?」
「できるのか?」
私は期待せずに聞いた。
「私と、アルコルの力があればな。ただし、一つ頼みがある」
「なんだ。金ならないぞ。こう見えて貧相だからな」
私は胸を張った。
校長は呆れたように息をつく。
「……凄腕の武芸者。今は狩猟士だったかな。そんな君にだから頼めることだよ」
「獣でも狩ればいいのか?」
「なにも危険なことではない。君には今夜、この街から北に見える山の頂へ向かい、そこで流れ星を捕まえてほしい」
「それはまた、メルヘンな依頼だな」
「そうだね。行ってみてからのお楽しみさ。詳しくはアルコルに聞きな。さあ、時間は待ってくれない」
校長は、私たちを急かすように部屋を出した。
校長室前の廊下で、私はアルコルに尋ねる。
「知っていたのか?」
彼女は、首を横に振った。
「そうか。まあ、いい」
深くは考えていられない。
時刻は昼過ぎ。
今できることは、山へ向かうことだけだ。
魔術学校を出ると、雲の上の空気が一段と冷たく感じられた。
石畳を抜け、街を離れるにつれ、魔術の気配は薄れ、代わりに山の静けさが支配していく。
マギの街を見下ろす山道は細く、足元には雲が流れている。
遠くには、北の峰がそびえ立っていた。
アルコルは慣れた足取りで先を行き、私は黙ってその背を追う。
目的は分からない。だが、校長の依頼とあれば、無駄足ではないだろう。
「流れ星については、何か知っているのか?」
歩きながら、私はアルコルに聞いた。
「古い文献で読んだことがあります。『星が流れた後、少しばかりの屑が地上へと捨てられる。それは魔術にとって至高の材料となるだろう』──そんな、不確かな記述です。今まで何人もの魔術師が採取に向かいましたが、結局は誰も……」
アルコルでも、今回ばかりは自信がなさそうだった。
「でも、校長は“できる”ことしか言いません。ですから、ムチーノさんが鍵になるのだと思います……」
そう言われても、私は困ってしまう。
魔力が何なのかすら分からない私だ。何をどうすればいいのか、見当もつかない。
色々と考えながら、ただ歩を進めた。
途中、何度か休憩を挟みつつ、山頂を目指す。
高所で長く歩き続けている。
私は問題ないが、アルコルまで余裕そうなのは意外だった。
「体力があるんだな」
「この土地のおかげですよ。魔力の濃いここでは、常に魔術を使えますから」
「だから、魔術師たちは山を下りようとしないのか……」
魔術師という存在が珍しい理由が、少し分かった気がした。
そんなふうに時は過ぎ、やがて辺りは暗くなる。
アルコルが灯した魔術の光を頼りに、私たちは岩肌を登っていった。
山頂に辿り着いたころには、夜はすっかり深まっていた。
風が変わる。澄んだ流れが肌を撫でた。
足元の岩は白く月光を反射し、影は濃く、輪郭を失って溶け合っている。
生き物の気配は遠く、聞こえるのは風と、自分たちの呼吸だけだ。
私は岩の端に立ち、街の方を見下ろした。
雲海の向こう、マギの街には無数の灯りが浮かんでいる。
星を地上に散りばめたような光景だった。
『魔術の街は眠らない』と言わんばかりに、淡い光が規則正しく瞬いている。
「……きれいですね」
アルコルが、ぽつりと言った。
「雲の上から見ると、街も星みたいだな」
「はい。流れ星を待つ場所としては、ここが一番なんです」
彼女はそう言って、少しだけ笑った。
その横顔は、魔術師というより、ただの少女のものだった。
私は腰を下ろし、空を見上げる。
「なあ、アルコル」
「はい?」
「私は、アルコルのことをよく知らない。それでも、不思議と信頼している」
一瞬の沈黙。
風が吹き、彼女の三つ編みが揺れる。
「ありがとうございます!」
きっぱりとした声だった。
彼女の笑顔も、また星のようだった。
それ以上、言葉は続かなかった。
だが、それで十分だった。
夜空は澄み切っている。
雲は下にあり、ここには星しかない。
無数の光が、静かに、しかし確かに瞬いていた。
時間がゆっくりと伸びる。
会話もなく、ただ待つだけの時間。
風が止み、音が消える。
世界が一瞬、息を潜めた。
「……来ます」
アルコルの声が、低く響く。
その瞬間だった。
空の奥で、何かが弾けるように光った。
星々の中を、一筋の白い線が切り裂く。
流れ星だ。
音はない。
だが、確かに“落ちてきている”と分かる存在感。
一閃の軌跡が、闇を切り開く。
二人とも立ち上がり、言葉を失って夜空を見つめていた。




