相棒と空腹
街の西門に着くと、すでに十名ほどの私兵たちが集まっていた。
皆、革鎧に身を包み、槍や弓を携え、出発前の最終確認をしている。朝の空気はひんやりとしているのに、どこか張り詰めた熱がこもっていた。
その中心に、一人の青年が立っていた。二十代後半くらいだろうか。短く整えられた黒髪に、鋭い目つき。背中には大きな剣。場を仕切っている雰囲気から、どうやら彼がリーダー格らしい。
「すまない。狩猟隊に合流したいのだが」
声をかけると、青年は眉をひそめた。
正体不明の女が単身で現れたのだから、怪訝に思うのも無理はない。
「……あんた、誰だ?」
周囲の私兵たちも、ちらちらとこちらを見ている。
それはそうだ。ただでさえ珍しいムチ使いが突然来たら、驚かれて当然だ。
「ムチーノだ。これを見てもらえれば分かる」
私は店主から投げ渡された推薦状を取り出し、青年に手渡した。
青年は受け取り、ざっと目を通す。
「……は? “店主殿の推薦”だと? あの人が推薦状を書くとはな……いや、失礼」
青年の顔が一瞬だけ驚きに揺れ、その後すぐ真剣味を帯びた。
私兵たちも『え、あの人の……?』『なら実力者だろ』とざわつく。
「分かった。信頼できる筋からの推薦なら、こちらも文句はない。俺は隊長のラキムだ。狩猟士として街から依頼を受けている。よろしく頼む、ムチーノ殿」
「こちらこそ」
私が軽く会釈すると、ラキムも短く頷いた。
「では全員、そろそろ行くぞ。森の手前までは行軍、そこからは警戒態勢だ」
号令とともに隊が動き始める。
私は列の最後尾につき、歩き出した。
西門をくぐった瞬間、街の喧騒がふっと遠ざかり、代わりに風の音と鳥の声が耳に届き始める。
視界の先、街から草原を挟んだ先には、深く広がる森の影。
木々が重なり合い、朝日を受けながらもどこか薄暗い。
あの奥に、獅子王がいるのか。
胸の奥で、緊張と高揚が同時に弾ける。
食べたことがないはずのバーガーの味を思い出し、さらに気合が入った。
「絶対に食べてやる……!」
小さな決意を胸に、私は森へ向かって歩みを進めた。
西門から離れ、草原を超え、森へ一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
街の喧騒とは無縁の、しんと張りつめた静けさ。不気味さはなく、むしろ、耳をすませばすぐ近くで生命が脈打っているのがわかる。
頭上を覆う巨木の枝葉は、まるで空を隠す結界のように濃い緑を広げていた。木漏れ日は細い束になって降り注ぎ、地面のコケを宝石のように照らす。
遠くで鳥が短く鳴き、すぐにその音が森の奥へ吸い込まれていく。
足元には深緑の草が揺れ、ところどころに赤紫のキノコが顔を出していた。軽く触れただけで粉が舞いそうなほど繊細なやつだ。食べられは……なさそうだ。
鼻をくすぐるのは湿った土の匂いと、草木が持つわずかな甘さ。
空腹により私の五感は研ぎ澄まされている。
「本当に森ってやつは、どこも独特だな」
思わず小声でつぶやく。
街の西門から同行している私兵たち――そしてリーダー格の青年――は、すでに警戒態勢に入っていた。さすが狩り慣れているだけあって、足音がほとんどしない。
私はムチを軽く握り、気合を入れ直す。
ここは人の生活圏からわずか数十分の距離だというのに、完全に“異界”の空気をまとっていた。
野生の気配が満ちている。
どこかに、私のバーガ……獅子王がいる。
「ここでいいか。火を焚くぞ」
リーダーのラキムが、木々の切れ間にできた開けた場所で足を止めた。
私兵たちは何も言わず、慣れた手つきで焚き火の準備を始める。
「倒しに行かないのか?」
私はその様子が気になり、ラキムに声をかけた。
「最初は追い払うんだよ。こっちに害をなさず帰ってくれれば十分だ」
「なるほど……」
無駄な衝突は避けたいのだろう。
自然との距離感を大事にするその姿勢は好ましい……が、私の腹はそうも言っていない。
ぐう、と情けない音が鳴った。
私は腰の袋から、紙に包んだ黒々とした棒状の“相棒”を取り出した。
表面は艶めき、堂々たる存在感を放っている。
「なんだ、それは……」
ラキムが、珍妙な獲物でも見たような目をしてきた。
よくぞ聞いてくれた、と私は胸を張る。
「私の最高傑作──“タンパ君”だ!」
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◆ タンパ君とは?
【材料】
・砂糖……たっぷり
・甘くてポリポリする木の実……ひとつかみ
・焚き火で溶ける白いふにゃふにゃのお菓子……適量
・どこかで買った固めのカリカリしたやつ……好きなだけ
・軽く炙ると香りが立つ小さい実……少々
・よくわからない黒い粉(ちょっと苦い)……ほんの少し
【作り方】
①鍋を焚き火に置く。熱ければ距離を調整。
②砂糖をドボッと入れて温める。ぼーっと見守る。
③湯気が出てきたら白いふにゃふにゃを投入。溶けるまで気長に混ぜる。
④とろりとしてきたら木の実を砕いて入れる。
⑤カリカリしたやつも勢いで投入。
⑥香りが欲しくなったら、小さい実をパラパラ。
⑦健康に配慮して、黒い粉をちょっとだけ。
⑧火から下ろし、器に流して放置。
⑨冷えたら表面に溶かした砂糖を纏わせ、再び冷やす。
⑩旅先でむしゃむしゃどうぞ。
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「これがレシピだ。特別に教えてあげよう」
私はどこか誇らしげに言った。
黒い粉のおかげで見た目は黒く染まり、いかにも“力がつきそう”な風貌。
仕上げに砂糖でコーティングしたことで、きらりと光を放つ一本になっている。
栄養面は、木の実と黒い粉で補填済み。苦いものは健康に良いと相場が決まっているからな。
「……ほとんど砂糖じゃねーか」
ラキムの顔がひきつった。
「とりあえず食べてみてくれ。体の隅々まで血が巡る感じが分かるはずだ」
それは身体が喜んでいる証拠だと、私は本気で思っている。
だが、ラキムは丁寧に断ってきた。
他の私兵たちにも試しに差し出したが、全員から遠慮されてしまった。
どうしてだ?
「お腹が空いていないのか……? 私は食べるぞ」
私は大きく口を開け、タンパ君にかぶりつく。
うまい。安定の味だ。
脳に直接響くような甘さが、心の奥まで満たしてくれる。
周囲から視線を感じるが、いまさら『一口ちょうだい』と言われても、もう遅い。
「……いや、まあ、うん。色々と気をつけろよ」
ラキムの言葉の意味は、最後までよく分からなかった。
少量のタンパ君ではさすがに腹は膨れなかったが、それでも、体の内側からじわじわと血が巡っていくのが分かる。
私は両手をにぎにぎと開閉し、腕に湧き上がる力を確かめる。そのとき、ラキムが真剣な声で全員に指示を出した。
「獅子は引く気がないらしい。よって、これより狩りを開始する。俺以外は、獅子が街へ向かわないように足止めしてくれればいい。王は、俺が倒す」
なんとも頼もしい宣言だ。
そこで私は、ふと店主から聞いた話を思い出し、ラキムへ声をかけた。
「店主から聞いたんだが……甲種でも手に負えなかったんだろう?」
「ん、知ってたのか。ああ、確かに手こずったらしいな。でも安心しろ。俺も甲種狩猟士だ。それも、まあ……そこらの甲種とは一緒にしないでほしい」
ラキムは胸元から免許証を取り出し、誇らしげに親指を立てる。
信用するしかないが、それでも不安が完全に消えたわけではない。
ただ、今はリーダーである彼に疑念をぶつけても仕方がないし、隊の士気にも関わる。
私は軽く息を整え、コクリと頷いた。
そして周囲の私兵たちと同じく、指定された配置へと静かに位置についた。
静かな森の中で、私は嫌な予感を拭えずにいる。
私は武芸者だった。常に死と隣り合わせだった。
だからこそ、死には敏感だ。
あれは、死相だ。
ラキムの背に漂っていたのは、かつて私自身が持っていた無鉄砲な自信。勢い任せに踏み抜けば、簡単に死へ転がり落ちる危うい線だ。
やはり心配だ。
私はラキムを追い、森の奥へと走った。
ほどなくして、木々の合間から荒々しい咆哮が響いた。
続けて、地面を抉るような衝撃音が森を震わせる。
私は足を止め、身を低くして前方をうかがった。
そこには、巨大な影。
硬質な鬣を持つ獅子の姿をしているが、普通の獅子とはまったく別物だ。
全身を覆う黒鉄色の毛並みは刃を弾く鎧のようで、肩から背にかけて盛り上がった筋肉は岩の塊そのもの。
金色の双眸は、獲物を追い詰める猛禽を思わせる鋭い光を宿している。
あれが獅子王。少なくとも……おいしそうには見えない。
いや、今は味の話をしている場合ではなかった。
獅子王の目前で踏ん張っているのはラキムだ。
巨大な大剣を振るい、突進を真正面から受け止めている。
だが、押されていた。
大地がラキムの足元だけ沈み込んだように歪み、彼の額には苦い汗が流れている。
私は腰のムチを外し、息を整えて一気に距離を詰めた。
柄を握り込むと、体が昔を思い出したように軽くなる。
「ラキム、右に跳べ」
声が届いた瞬間、ラキムは驚きつつも反射的に跳んだ。
私はムチを振り抜いた。
空気が裂け、鋭い音が森にこだまする。
ムチ先がしなる軌道を描き、獅子王の前脚へ絡みつき、突進の勢いを殺した。
獅子王が初めて苦鳴を漏らす。
分厚い筋肉をかすめただけだが、その一瞬の崩れで十分だった。
「ムチーノ殿……来てくれたのか……!」
「店主と約束したからな」
任せろと言った以上、きっちり果たすだけだ。
あの店主なら、きっとこの獣もおいしく調理してくれるだろう。
私は再びムチを振るう。
獅子王は速い。だが、ムチのほうが速い。
光を引くような軌跡が後脚を打ち据えた。
パァン、と乾いた衝撃。
硬い毛並みに弾かれ手の中が痺れたが、怯ませるには十分だった。
「ラキム、今だ」
「任せろ!」
ラキムが大剣を掲げ、体勢を立て直す。
私はムチを獅子王の目元へ叩きつける。
先端が音より早く走り、獅子王の視線が一瞬そちらに向いた。
その刹那。
死角へ回り込んだラキムの大剣が、獅子王の首を断ち切った。
「なかなかやるじゃないか」
私は息をつきながら言う。
「助かった。さすがは店主殿のお墨付きってわけだな」
ラキムは笑った。
店主とは一言二言しか話していないのだが……
何はともあれ、ひと段落だ。
達人同士の戦いが往々にしてそうであるように、決着は思った以上に早かった。
「他に獅子はいないようだな……はぐれ個体か。なら、あとは狩猟士の仕事だ」
ラキムは息を整える間もなく、獅子王だったものの処理に取りかかった。
手際は迷いがなく、血抜きから内臓の処理まで動きは流れるようだ。
私は静かに両手を組み、感謝の祈りを捧げた。
戦い抜いたラキムにも、命を与えてくれる獅子王にも。
「目を背けないのはいいことだ」
ラキムは私の様子に気づき、どこか嬉しそうに目を細めた。
そのまま手を動かしながら、口を開く。
「乙種なら受かると思うぞ?」
「勉強は嫌いだ」
「そうか……まあ、俺はムチーノ殿を名のある武芸者とみた。あのムチ捌き、ただ者じゃない」
「昔の話さ」
「ムチ使いといえば、今どき珍しい、道場破りばかりしている武芸者がいるとか」
「昔の話さ」
「……え?」
ラキムの手が止まった。
彼はぽかんとした顔で、こちらをまじまじと見る。
「ムチーノ殿、まさか……」
「大丈夫か? 私が言うのもなんだが、鮮度が命だろ?」
「あ、ああ……ありえないよな。うん。そのムチ使いは男だって聞いたし、うん」
ラキムはごまかすように咳払いし、作業に戻った。
私はといえば、初めて間近で見る“食材になるまでの過程”に目を奪われていた。
手際よく処理を終えたラキムは、立ち上がる。
「あとは俺に任せてくれ。書類をまとめたら、店主殿の店に届けておく。夕方には肉が食えると思うが……」
「夕方だと!?」
思わず今日一番の声が出た。
今はまだ昼過ぎだ。
今の私は、獅子肉のバーガー以外を口にする気になれない。
持ってくれよ、私のお腹──




