魔術の街と学校見学
競売の街“オーク”で情報を仕入れた私は、遠路はるばる魔術の街へと向かった。
魔術学校を擁するこの街は、大陸の隅も隅、僻地と呼ぶほかない場所に存在している。
山脈の中心。
切り立った岩壁と幾重にも連なる峰々の、その中腹……いや、正確には雲の上だ。
街へ続く道を進むにつれ、足元から霧が薄くなっていく。
やがて雲海を突き抜けた瞬間、視界が一気に開けた。
空は近い。
雲は下にある。
山肌を削るように築かれた石畳の街並みが、空中に浮かんでいるかのように広がっていた。
建物はどれも奇妙な形をしている。直線が少なく、塔は傾き、階段は途中で途切れている。
それでも崩れないのは、見えない力が支えているからだろう。
街全体が、巨大な魔法陣の上に置かれている。
そう言われても、納得できる光景だった。
通りを歩く人々もまた独特だ。
杖を背負った学生、宙に浮く書物を抱えた研究者、使い魔と思しき小動物を連れた市民。
誰もが魔術を前提に生きている。
空気が違う。
潮の匂いも、森の湿り気もない。
代わりに感じるのは、乾いた石と、微かな薬草、そして、甘い何かの気配だ。
「まるで異世界だな……」
思わず、そんな声が漏れた。
魔術の街。
理屈と理屈がぶつかり合い、奇跡が日常に溶け込んだ場所。
ここでは何が食べられているのだろう?
魔術師たちの“食”に、私の興味は引き寄せられる。
私は期待を胸に、雲の上の街“マギ”へと足を踏み入れた。
山の中腹に築かれた街は、常に薄い霧に包まれていた。
歩いているだけで魔力の余韻が肌にまとわりつく、と言いたいところだが、私に魔力を感じ取ることはできない。残念だ。
私は宿に荷物を預け、街を一巡することにした。
マギは一応”街”であり、人通りも多いのだが、不思議とこじんまりしている。
「……腹が減った」
高地のせいか、妙に空腹になる。
魔術学校の門前通りを歩いていると、小さな飯屋が目に入った。看板には、浮遊文字で『本日のおすすめ』とだけ書かれている。ここの店主も魔術師なのだろうか。
嫌な予感はしない。
私は扉を押した。
中は静かだった。
学生らしき若者が数人、奥で低い声で談笑している。
香りは素朴で、温かい。魔術料理は派手だと思ったが、漂うのは日常の延長のような匂いだ。
私は小さなテーブル席に腰を下ろした。
「何か、腹に溜まるものを」
そう告げた、その瞬間だった。
「……ムチーノさん?」
背後から、聞き覚えのある声がする。
私はゆっくりと振り返った。
そこにいたのは、ローブのような学生服を身にまとった少女だった。大きな丸眼鏡に、黒い三つ編み。見間違えるはずがない。
「アルコルか」
私は確かに覚えていた。
「やっぱり! もう来てくれたんですね!」
アルコルは嬉しそうに、私の向かいの席へと腰を下ろす。以前会ったときより、どこか大人びた印象を受けた。
「用があって来た。だが、まさかここで会うとはな……」
「運命ですよ。それで、用ってなんですか? 私に会いに来た……というわけではなさそうですね……」
「それも“用”だ。安心しろ」
「そう言われると……嬉しいですね。へへ」
アルコルは小さく笑った。
私はなぜか、胸の奥が少しだけ緩むのを感じた。
変わらない友人と再会することが、これほど心を落ち着かせるとは思わなかった。
店主が無言で、湯気の立つ皿をテーブルに置いた。
香草と穀物を使った、スープのような料理だ。
「感謝を」
私はスプーンを取り、静かに口に運ぶ。
「ここ、学生向けの店ですけど、味は悪くないですよ」
「十分だ」
雲の上にある魔術の街。
やさしい食事と、思いがけない再会。
マギでの物語は、私の想像よりも、ずっと穏やかな始まり方をした。
食事を終え、私は砂糖たっぷりの紅茶、アルコルは黒いコーヒーを飲みながら談笑する。
彼女には私の目的を手伝ってもらおうと思い、これまでの経緯を一通り話す。
「ムチーノさんって、元は男性だったのですね」
思ったほど驚かれなかった。
「いや、その……なんというか、だからカッコいいというか、なんというか……」
少しもじもじとするアルコル。
やはり内心では動揺しているのだろう。
私は話を先へ進める。
「それで、メスートという男、いや、少年を見なかったか。身長はアルコルより低く、人を小馬鹿にしたような話し方をするメイス使いだ」
「メイス……メイスですね……それって、棍棒のことですよね」
「まあ、そうだな。本人はメイス呼びにこだわっていたが」
「棍棒、メイス、棍棒、メイス……」
アルコルは考え込むように視線を彷徨わせ、頭のアホ毛を疑問符の形に揺らした。
そして、左手のひらに右拳をぽんと当てる。
「あ、思い出しました。長期休暇に入って山を下りるとき、道中で小さな棍棒を背中に背負った少女とすれ違いました」
「少女か……まあ、あいつのことだ。見間違えられても不思議ではないな。感謝する、アルコル」
これで確定した。
この街に、メスートがいる。あるいは、少なくとも、いた。
「校長先生なら何か知っているかもしれません。あの人、この街のことは全部把握していますから。ついでですし、学校を案内しましょうか?」
思いがけない提案だった。
魔術学校に、一般人が入ってもいいものだろうか。
「ぜひお願いしたい……が、大丈夫なのか?」
「ムチーノさんは、その……私の、友人ですから」
アルコルは顔を赤く染め、俯いてしまった。
「なら、頼むとしよう。感謝する、友よ」
私は立ち上がり、右手を差し出す。
アルコルはさらに顔を真っ赤にしながら、その手をぎゅっと握ってくれた。
店を出て、魔術学校の正門へ向かう。
白い石で組まれた門柱には、簡素な紋章が刻まれているだけだ。
だが、その内側へ一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
地面には整然と敷かれた石畳。その隙間から、淡い光を放つ魔術陣が脈打つように浮かび上がっている。意識して見なければ気づかないほど自然だが、確実に街とは異なる理が流れていた。
空中を滑るように移動する書物、宙に浮かぶ灯り、静かに詠唱を練習する学生たち。どれも日常の一部らしく、誰一人として驚いてはいない。
門番の魔術師が私を一瞥し、アルコルと短く言葉を交わす。やがて納得したように、道を空けた。
「大丈夫ですよ。客人扱いにしてありますから」
アルコルはそう言って、少しだけ胸を張る。
彼女の足取りには迷いがなく、周囲の教師や上級生らしき者たちも、彼女を見ると自然に距離を取った。そこにあるのは、畏敬と信頼が入り混じった視線だった。
蔦に覆われた校舎の中は、さらに静かだ。
厚い扉の向こうでは高位魔術の実験が行われているらしく、低く唸るような振動が床を伝ってくる。
「危険はないはず、です?」
「心配はしていない」
私は素直に頷いた。
ここは、知と術を積み上げる場所だ。
雲の上に築かれたこの学び舎で、私の探しているメイス使いの足跡も、きっと理詰めで見つかる。
そう思わせるだけの説得力が、この魔術学校にはあった。




