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TS無知ムチ使いの異世界ドカ食い気絶旅~脂肪と糖を添えて~  作者: Seabird(シエドリ)
5回目 虹苔パンケーキ〜蜂蜜を添えて〜
14/24

樹登りとムチの使い方

 次の日。

 私はとりあえず情報集めから始めることにした。

 この森には絶対に何かある。そんな確信だけはあった。


「苔ばっかりだな……」


 村を歩き回りながら、昨日から気になっていた光景を眺める。

 どこもかしこも苔、苔、苔。

 村そのものが苔に飲み込まれつつある、そんな印象すらあった。


 しゃがみ込んで苔を眺めていると、大きな籠を背負った男が声をかけてきた。


「それ、食えるぞ」


「何味だ?」


 即答する私。


「自然の味だな」


「そっか……」


 今の気分じゃない。

 もっとこう、味の主張が強いやつが欲しい。


「甘かったら最高なのにな……」


 そういえば最近、甘いものをとんと見ていなかった。

 常備していたタンパ君も、すでに空っぽだ。


「あんた、狩猟士だろ?」


 男がじっと私を見てくる。


「まあ、そうだが?」


 立ち上がり、胸元から狩猟士の証を取り出す。

 取り出そうとしたら、服と胸がやたらきつくて手間取った。


「疑ってたわけじゃねぇよ。この村に来る外の人なんて、狩猟士ぐらいだからな」


「ひとつ聞きたかった。どうしてこんな場所にキケ管の支部が?」


「この村、危険区域の境にあるからよ。とはいっても危険なのは獣じゃなくて植物の方だ。だから村自体は安全なんだ」


「なるほど……」


 私は合点がいった。

 カーボみたいに私兵のいる街じゃないのに境界に建っている理由。

 植物は動かない。

 だから、人間はここに暮らせる。


「苔に興味津々って顔してるな」


 男はどこか得意げだ。


「この時期になると、虹苔ってのが発生してな。その影響で村中が苔まみれになるんだ」


「虹苔? なんだそれ」


「世界樹に生えるって噂の苔だよ。俺も見たことねぇけどな。まあ、伝説級の代物だ」


「うまいのか?」


「一度だけ食ったが……あれはヤバい。味が変わるんだよ。デザートなら甘く、主菜ならしょっぱく。どれも味に深みがあってな。どうだ? 食ってみたくなったろ?」


 妙に誇らしげな言い方だ。

 私は垂れかけていた涎を慌てて拭いた。


「ど、どこにあるんだそれは!?」


 反射で男に詰め寄ってしまう。


「知らん。でも、苔が導いてくれるさ」


 男はそれだけ言い残し、足早に去っていった。


 嘘とも本当とも言えない。

 しかしあの男の横顔は、まるで何か強烈な思い出を見つめているようだった。


 つまり、虹苔は“ある”。


「苔の導き、か。面白いじゃない」


 私は宿へ戻り、旅支度を整える。

 向かう先はひとつ。危険区域だ。




 準備を終え、最低限の荷物を肩にかけた私は、村をあとにした。

 とはいえ、入ってきた方角ではない。世界樹を探すなら、もっと奥へ踏み込む必要がある。私は森のさらに深くへと足を向けた。


 道は細く、すぐにでも見失いそうだった。

 だが、不思議と足取りは軽い。


「冷静に考えたら、苔の導きとは何なのだろうな」


 歩きながら、ようやく疑問が追いついてくる。

 勢いよく出発したのはいいが、事前調査はあまりにも不足していた。あの職員に、もう少し情報を聞いておくべきだった。


 私は方角だけは間違えないよう、北へ向かう。

 陽の位置と時刻さえ分かれば、大まかな方向は割り出せる。資格試験で叩き込まれた知識の賜物だった。


 しかし、それだけでは辿り着けない。


 世界樹は、もっと巨大で、もっと目立つはずだ。

 伝説から名前を取ったということは、それなりの見た目をしているはず。


 だが、どれだけ歩いても、視界には現れなかった。

 森そのものが、何かを覆い隠しているような、妙な圧を感じる。


「普通なら、あれだけ大きなものを見失うわけがないのだが」


 私は足を止め、周囲を見回す。

 ひたすらに同じ景色が続いている。茶と緑の壁が、視界を均一に塗り潰している。


 昨日からずっとこれだ。

 場所、時間、目的まで忘れてしまいそうだ。


 その時だった。


 ぐう、と腹が鳴る。

 昼の出発前に軽く食事をとったのはいいが、森の探索は思った以上に体力を奪う。


「……腹が減った」


 あの村の食事に文句を言うわけではない。

 なんというか……自然派なのだ、あそこの食事は。


「め、めし……」


 つぶやきと同時に、ランタンのオイルが切れたように辺りは暗くなる。


 足元がふわりと明るくなった。


 淡く滲む光。

 苔が、まるで息をするように輝いている。


 最初は気のせいかと思った。

 だが、数歩進むごとに光は連なり、道のように形を成し始める。


「なるほど。空腹で気が散ったと思ったが……そういうことか」


 光は北でも南でもなく、森の奥、まったく未知の方向へ伸びていた。

 まるで、私を呼ぶように。


 これが導きだというのなら、私は従うまでだ。

 最初は本当にそんなものがあるのかと疑っていたが、この光を前にすれば、否定する方が難しい。


 私は静かに息を吸い、光の道へと一歩踏み出した。


「案内してもらおうか」


 そう呟くと、苔の光がゆるやかに揺れた。

 まるで返事をするかのように。


 ……呟きではない。私の腹の音に反応していた。


 今思えば、村に入った時から”今”は決まっていた気がする。


 森の奥、見えない世界樹へ。

 あの感覚が、微かに胸の内側を撫でる。


 私は腹の虫と共に、光の道を進んだ。




 苔の道はゆっくりとカーブし、斜面を登っては下り、さらに深くへと導いていく。

 やがて、森の木々の密度が急に薄くなった。


 そして、視界がひらける。


 そこには、天へ突き刺さるような一本の巨木があった。

 森の巨木とは明らかに違う。

 幹は山のように太く、枝は空に浮かぶ雲をかすめるほど高く……見える。

 実際は巨木より少し高いぐらいだ。遠くから見ても不自然はない。


「……なるほど。これなら、隠れるのも納得だ」


 森の景色に完全に溶け込んでいる。

 それでも、それが世界樹だと、心が認識している。淡く虹色の光が表皮のどこかから漏れるその荘厳さは、大きさなど些細な情報だということを示している。

 自然という世界の中に、液体として、空気として流れているような存在だ。


 私の足元で、苔がまた光った。

 虹色に揺れながら、根の方を示している。


 腹が減ったと感じた瞬間に、足元の苔が光り、その光はまっすぐ世界樹へ向かう。

 あまりにも出来すぎた話だが、疑うより先に体が動いた。


「お腹が空いて導かれるとは、食い意地の証明か……」


 自嘲気味に笑いながら、私は世界樹の根元へと歩み寄る。


 目の前には巨大な幹。


 見上げると、木の頂上付近、淡く虹色に光る苔が枝と枝の間から顔を出している。

 あれが目的の“虹苔”だ。


「木登りとは、何十年ぶりだろうか」


 私は少し楽しくなっていた。


 腰に巻いた愛用のムチを外す。

 細長く、しなやかで、必要以上に言うことを聞く相棒だ。


 幹の中腹、少し突起が出ている箇所に向かってムチを投げる。

 鋭い音を立てて先端が突起に絡みつく。


 軽く引く。

 確かな手応えが返る。


 そのままムチを引きながら、私は歩き始める。

 今の私にとっての地面は、この直立した幹だ。


 腕力、脚力、体幹、全てを総動員して、木を登る。


 途中、突起を手で掴み、再度ムチを高い位置へ投げる。

 引き寄せ、身体を持ち上げる。


 昔の私なら苦戦したかもしれないが、今の私にはムチがある。

 まるで空中に階段を作るように、私は順調に高度を上げていく。


 途中、風がひゅうと吹いて体が揺れた。

 だが、ムチが勝手に振動を吸収し、私を安定させる。

 相変わらず優秀だ。


「……あと少しだな」


 虹苔が近づく。

 淡く、優しく光り、夜の闇に漂う霧のようだ。


 最後にムチを高所へ絡ませ、私は身を引き上げた。


 枝と枝の間に立ち、手を伸ばす。


「食べてもいいか?」


 鳴る腹の音を気にせず、私は世界樹に向かって聞いた。


 ほんの少しだけ、夜の森がざわめく。

 世界樹が大きく呼吸するように、風が吹く。

 虹苔が、七色に輝いた。


「感謝を」


 苔は温かかった。


 摘み取った瞬間、虹色の光が指先から腕へと微かに流れ込む。

 ふかふかの布団に包まったときのような温かさだ。


 私は採取用の瓶に苔を入れ、きっちりと蓋を閉めた。


 そしてムチを振り、滑るように下降を始めた。


 微かな光のぬくもりは、まだ指先に残っている。

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