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TS無知ムチ使いの異世界ドカ食い気絶旅~脂肪と糖を添えて~  作者: Seabird(シエドリ)
4回目 牙えびパエリア~フォカッチャを添えて~
12/24

牙えびパエリア

 巨大な鋏が月光を弾き、狂気じみた光を放つ。

 甲板には海水が流れ込み、足元がずるりと滑った。私は反射的に後退(あとずさ)る。


「脚があるとは……驚きだな」


 四本脚で甲板を踏み荒らすその姿に、背筋が震えた。海の怪物が、人間の領域に侵入してくるというだけで、こんなにも恐ろしいとは。


「ここは私に任せてくれ!」


 叫んだ勢いのままムチを構え、触角へ牽制の一打を飛ばす。注意を引くには十分だ。


 私が相手だ、と意思表示をする一撃。


 恐怖か興奮か分からない熱が、心の奥で跳ねていた。えびと同じだ。


 私は踏み込み、空気を裂く勢いでムチを振る。

 しかし鋭い音のあと、手応えは弾かれるように軽かった。


 その瞬間、牙えびが跳んだ。異常な跳躍力で目の前に迫る。


 鋏が甲板をえぐり、木片が飛び散った。あと半歩遅ければ真っ二つだ。

 だが同時に、私は思い出す。


 ──ムチは、傷をつけるだけじゃない。動きを“止める”道具だ。


 牙えびが再び飛びかかる瞬間、私は低く身をひねり、ムチを地を這うように走らせる。


 乾いた爆ぜる音。


 狙ったのは外殻ではない。関節。動きの要だ。

 牙えびの脚が揺らぎ、巨体がグラリと傾く。


 その隙に、フーバーが滑り込んでいた。海水で濡れた甲板を、まるで自分の部屋の床みたいに静かに、速く。


 彼は背中の短剣を抜き、片手で網をひょいと投げた。

 迷いのない鋭い動作。網は牙えびの鋏を絡め取り、動けば動くほど締まっていく。


「ムチーノ、決めろ!」


 私は息を吸い、腕の力を抜き、しなりに任せてムチを走らせた。

 狙いは触角の根元。最大の弱点。


 ムチが吸い込まれるように打ち込まれた瞬間、牙えびの巨体がビクリと震え、力が抜けていく。

 鋏が下り、動きが止まった。


 風が吹き抜け、静寂が留まる。


 私は大きく息を吐き、笑ってしまった。


「戦えるのか……」


「盗賊は嘘つきだからな」


 フーバーは伸びをしながら笑う。


「じゃ、いただくぜ」


 殻の隙間に短剣を差し込み、仕留めの一突き。牙えびは月光の下で巨大な影を落とした。しばらく誰も動かず、その影を見つめた。


 胸の奥に、確かな達成感だけがあった。


 海は荒く、獲物は気まぐれ。

 だが今だけは、海が私たちに味方した気がした。


 そして、私は記録を取る。狩猟士になったからには、ここからも大切だ。

 この牙えび、どうやら四足歩行なので“獣”扱いらしい。


「あんた、ちゃんと仕事すんのな」


 フーバーが怪訝そうに覗き込む。


「当たり前だ」


 私はじとっと睨み返す。


「フーバー、解体は任せていいか? 知識が足りなくてな」


「任せとけって。こういうのは得意分野だ」


 彼が笑った瞬間、戦いよりも頼もしさを覚えた。


 牙えびを仕留めた後、甲板の空気が変わった。

 甲板だけではない、海の空気も確かに変わった。


「……来たぞ」


 誰かが呟いた瞬間、海面がざわりと隆起した。

 闇の奥から光が散り、無数の影がうねる。


 えびだ。だが普通のえびではない。

 牙えびに付き従うように群れで動く、大ぶりな野生のえびたち。

 その触角はどれも淡く光っていた。


「綺麗だな」


 私は思わずその光景を眺めてしまう。


 しかし、漁師たちはそうも言っていられないようで、網を投げ、(かぎ)を操り、海に手を伸ばす。

 次々に甲板へ放り上げられるエビの山。音が絶えない。


「手伝おう」


 ムチで海面を打つと、衝撃に反応したエビの群れがわずかに散り、その隙を狙って網が入る。

 ただ殴るのではなく、誘導する。狙った線を通すように水面を切る。

 ムチのしなりが海図のように獲物を動かした。


 夜明けまでに甲板は山のようなエビで埋まり、船がわずかに傾くほどだった。

 半日で何もとれず焦っていたのが嘘のようだ。


 五日ぶりの快晴の中、帆が張られ、船は町へ向かう。

 潮風は軽く、甲板にはかすかに甘いエビの匂いが立ちこめていた。


「今年は最高だ」


 フーバーは牙えびの殻を乾かしながら笑う。


 解体は綺麗に終わったようで、切り分けられた牙えびの身は、船内の氷蔵(ひょうぞう)に保管されている。

 殻も工芸品か何かに使えるらしく、陽の力を借りて下処理をしているようだ。


「えびは食えるんだよな?」


 私は真面目に聞いた。

 これが一番大切なことだ。


「結局はそれか」


「そのために居る」


 フーバーは呆れたように肩をすくめ、私に干しえびを投げてよこした。

 それを受け取り、かじる。

 海の味が強い。凝縮されている。健康だ……


 町の影が水平線に見え始めるころ、船上では誰もが疲れていたが、空気は軽かった。

 勝利と大漁のあとに流れる、静かな満足の匂いがあった。


「ムチーノ、帰ったらどうするんだ」


「書類をまとめる」


「真面目だな」


「たぶん、食べたら、寝てしまう……」


 フーバーは笑い、私も小さく息をついた。


 海は相変わらず荒々しい。

 だが、この帰路だけは穏やかに見えた。


「なあ、ムチ使い。ひとつ聞いていいか?」


 急に声を低くしたフーバー。

 漁師ではなく、盗賊としての目だ。


「この町に来る前、俺はある武芸者に薬を売ったんだ。遥か昔に存在したと言われる黒魔術師が作った薬らしくな……」


 私は”武芸者”という単語に眉を動かす。


「おっと、誤解するなよ。俺は悪人からしか盗みはしなかった。それも地下競売からくすねたものだぜ」


 フーバーは少し焦ったのか、両手を上げる仕草をした。


「それで、その武芸者は確か、『あの憎きムチ使いに飲ませてやる』とか言っていた……まさかだが、あんたがそうか?」


「質問に質問で返して悪いが、彼はどんな見た目だった?」


「はっ、クソガキだったよ。一応言っておくが、オークって場所だ。珍しい食い物も結構出品されていたぜ。なにせ競売の街だったからな」


「食い物!?」


 これは良い情報を得た。


 私の様子を見て、フーバーはこれ以上の追及を止めた。

 漁師に戻り、ただ笑う。


 牙えびの巨大な殻が、船尾で朝日の光を受けていた。

 それは戦いの証であり、五日間の答えでもあった。




 町に戻ると、荷揚げの手伝いを終えた私は、そのまま宿屋へ向かった。

 牙えびとの遭遇、その生態、そして処理。

 机に向かうと、身体の疲労がじんわりと蘇る。


 今やらないと、もうやらない気がする。

 頑張れ、私。


 筆を動かしていると、指が少し震えているのに気づいた。戦いの余韻か、空腹か。

 おそらく後者だ。


 気がつけば、窓の外は真っ暗になっていた。書類をまとめ終えた瞬間、私は椅子に沈み込む。

 胃がきゅうっと鳴った。

 腹が限界だった。五日間の航海で食べた漁師飯の記憶がじわじわ蘇る。胃袋が抗議している。


「……食べよう」


 私は立ち上がり、灯りの少ない路地へ出た。この時間に開いている店はほとんどない。だが、一軒だけ、橙色の灯りが薄く揺れていた。


 古びた酒場だった。木の看板は欠け、扉も少し傾いている。どう見ても、素朴なつまみと安酒だけが出てくる場所だ。


「おう、あんたがムチーノか。噂は聞いてるぞ」


 中に入るなり、陽気な店主が声をかけてきた。まるで待ち構えていたかのようだ。


「私がムチーノだ。えびは……えびはあるか」


 我ながら情けないほど切実な声だった。


「あいよ。牙えびなら入ってるぜ」


「なぜそこまで……」


「フーバーの野郎がな。むちむちの嬢ちゃんが絶対に来るからって、強引に置いてったんだよ」


 フーバー……仕事ができる男だ。


 私は小さく笑い、空いていたテーブル席に腰を下ろした。


 酒場の中は妙に静かだった。

 客は何人かいるが、皆ゆっくりと酒を飲んでいる。

 仕事終わりに一杯、という人が多いかと思ったが、この町では夜に漁へ出ることが多い。

 私が乗っていた漁船の船員たちは、もう飲み終わったのか、きっと疲れて寝ているのだろう。


 ほどなくして、店主が大皿を運んできた。


「お待ちどうさん。牙えびのパエリアだ」


 私は固まった。


 パエリアだった。酒場に似つかわしくない。

 ……パエリアってなに?


「パエリアとはなんだ……」


「昔ちょっと異国を旅したことがあってな。趣味で作ってるんだよ。味は保証するぜ」


 結局パエリアについては分からなかったが、今はそれどころではない。

 これは絶対においしい。それだけは分かる。それで十分。


 皿の上には黄金色のライス? がぎっしり詰まり、その上に牙えびの身が豪快にのっている。他の海鮮の類も芸術作品のように並べられ、湯気が立ち、香ばしい匂いが鼻を突いた。汁気はなく、ライスは粒がしっかり立っている。


 ------


 【今日のメニュー】

 ・牙えびパエリア


 ------


「感謝を」


 私はスプーンを入れた。


 一口目で、私は海に戻っていた。


 えびの旨味がライスに染みている。噛むほどに海の甘さが広がり、香草の香りが後を追った。牙えびの身は驚くほど弾力があり、口の中で跳ね返るようだった。火がしっかり通されているのに、まるで生を食べているかの感覚だ。


 私は気付けば夢中で食べていた。


 大皿は一人前とは思えない量だったが、数分後にはすっかり空になっていた。


「すごい勢いだな。フォカッチャもあるぜ。食べ放題だ」


「フォカッチャ……?」


 また分からない料理がきた。聞いた感じはおしゃれだ。


 私は差し出されたフォカッチャを手に取り、ちぎって口に放り込む。香ばしい香りとほのかな塩気。外はカリッと、中はふわふわだった。


 一枚目を食べ終えると、体が自然と次に手を伸ばしていた。


 なんとなく、卓上にあった緑色の油をつけて食べる。脂肪と糖の相性は最高だ。


 結局、私は三枚食べた。


 腹が落ち着くと、ようやく人心地ついた。書類仕事で日付が変わるまで机に張り付いていた疲労が、一気に溶けるようだった。


 店主は笑って皿を片づけながら言う。


「噂以上の食いっぷりだな。とりあえず、お疲れさん」


「労働後の飯は格別だ。感謝する」


 本当に、死ぬほど空腹だったのだ。


 カウンターの奥では、牙えびの殻が静かに光を反射していた。戦いの名残を思い出しながら、私は深く息をついた。


 満腹の夜は、久しぶりに優しかった。


 店主は満足げに笑い、私は席を立った。


 酒場を出ると、夜風は冷たく、静かだった。町の灯りが海に反射し、ゆらゆら揺れている。


 私は宿へ戻り、鍵を開け、薄暗い部屋へ入った。


 机の上にはまとめていた書類が残っている。依頼達成報告、遭遇記録、牙えびの分類。すべて片付けたはずなのに、まるでまだ仕事が残っているような気がした。


 ベッドに腰をおろした途端、身体の奥から疲れがどっと押し寄せる。


 まぶたが重い。


 私は横になり、天井をぼんやりと見つめた。


 波の音が耳の奥に残っている。


 あれは……ただの風の音だろうか。

 それとも、まだ海が私を呼んでいるのだろうか。


 考える前に、意識が沈んでいく。


 静かな夜に、潮の匂いがかすかに揺れた。



 ------



 【牙えびパエリア~フォカッチャを添えて~】

 海の味! 海そのものの味!


 ひと口めでまず圧倒されるのは、牙えび特有の濃密な甘みだ。火をしっかり通しているにもかかわらず身は硬くならず、むしろぷりっと弾む。噛むたびに凝縮された旨味がほとばしり、海の奥深い場所で生きてきた獣の力強さが舌の上でほどけていく。雑味が少ないのは、漁師と料理人の両方の腕が良い証拠だろう。

 ライスはさらりとしており、汁気はない。だが牙えびの旨味を吸い込んだ一粒一粒が、小さな宝石のように輝く。ライスが主張しすぎず、えびの味を背負うためだけに存在しているような、そんな潔さすら感じる一皿だ。

 具材は控えめに留められている。異国風の香草がほのかに香るが、決して派手ではない。店主が語った『昔、遠い土地で学んだ』という話にも納得がいく。酒場らしからぬ気取りがありながら、どこか土の匂いが残っているのが面白い。

 フォカッチャは食べ放題らしい。意味はよく分からないが、手に取ってみれば素朴な香りがあり、表面は軽く香ばしい。噛むほどに広がる小麦の甘みが、牙えびの強靭な旨味を優しく受け止めてくれる。

 食べ終えたあとに残るのは、海風と焚き火を同時に浴びたような、不思議な余韻だ。荒々しさと上品さが同居し、どちらにも偏らない“海そのものの調和”があった。

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