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TS無知ムチ使いの異世界ドカ食い気絶旅~脂肪と糖を添えて~  作者: Seabird(シエドリ)
4回目 牙えびパエリア~フォカッチャを添えて~
10/24

海辺の町と元盗賊

 私は海が好きだ。

 地平線の向こうまで続く青を眺めていると、悩みや焦りといったものが、どれも自分とは無関係の小さな泡みたいに思えてくる。


 潮風は心地よく、陽射しは背中をじんわりと温めてくれた。


「ずっとこのままでいいな……」


 思わず、独り言が口から漏れる。


 ここはシーフの町。海辺に広がる港町だ。

 私は今、海岸沿いに伸びた石造りの防波堤の上で、足をぶらりと下げ、寄せては返す波を眺めている。


 新鮮な魚介が食べたい。

 そう思って海を目指した。

 内陸では、魚といえば干物が当たり前だ。ならば、海の町で食べるしかない。


 ついでに休暇も兼ねて、しばらく滞在することにした。

 いや、正確に言うと、仕事と休暇の中間だ。


「ムチーノさん、ここにいたんですね」


 背後から若い男の声がかかった。


 振り返ると、眼鏡をかけた細身の青年が立っていた。


「出港か?」


 私が聞くと、青年は安堵したように頷く。


「出港は明日に決まりました。でも本当に助かりました。船泊まりになる依頼なんて、誰も受けてくれなくて……」


「気にするな。”えび”のためだ」


 私の今回の仕事――狩猟士としての任務は、危険区域での漁に同行すること。

 今まさに漁の解禁時期らしく、急ぎの依頼がキケ管の掲示板に張り出されていたのだ。


「本日はゆっくり休んでください。この町は小さいですけど、美味しい食べ物がたくさんありますよ」


 青年は丁寧に頭を下げると、そのまま港の方へ戻っていった。


 立派な態度だ。

 まだ若いというのに、この町の長を務めているだけのことはある。


 私はその背を見送りながら、ぐっと伸びをする。

 背骨が気持ちよく鳴った。


 両手を腰に当て、深く呼吸を吸い込む。

 潮の匂いが肺いっぱいに広がる。

 海辺特有の少し湿った磯の香りは、期待として胸を膨らませる。


「海の幸、楽しませてもらおう」


 そう呟いた瞬間、胃が小さく鳴った。




 私は宿への道すがら、ひとつの小さな店に足を止めた。

 木札には丁寧な文字で、こう書かれている。


 『海鮮丼』


 ……ちょうどいい。


 私は店内へ入り、席に座ると注文を済ませた。


 しばらくして目の前に置かれた丼を見て、ほんの少し息を飲む。


 切り身が艶やかだ。

 海の上でまだ跳ねていたかのような瑞々(みずみず)しさ。

 ライスの湯気と混ざり合って、ふわりと香る潮の甘さ。


 私は日々、食を学んでいる。

 ライスの上に具材を乗せる、この”丼もの”という料理は、どうやら種類も形も無数にあるらしい。


 知識は増えていくが、驚きや感動は薄れない。

 むしろ深まるほど、心は静かに満たされていく。


 それにしても、生の海鮮を食べるのは初めてだ。

 周りを見て真似しながら、卓上に置かれていた黒い液体の調味料を、控えめにひと回しかける。


 そして、一口。


 柔らかく、しかし確かな弾力がある。

 噛むほどに、潮風のように静かで清らかな旨味が広がっていく。


「……うまいな」


 思わず声が漏れた。

 それは衝撃というより、胸の奥からじんわり灯る温かさに近い。


 派手さはない。

 誇張もない。

 ただ素材が持つ自然の甘みだけが、柔らかい余韻となり舌に残った。


 私は黙って箸を動かし続けた。

 気づけば、器の底がしっかり見えている。


「もう一杯、頼む」


 気づけば口が勝手に言っていた。

 思考よりも欲求のほうが速かった。


 器の底との挨拶を繰り返す。


 結局、何杯食べただろう。

 腹は満ちているはずなのに、苦しさは一切ない。


 これが新鮮な海でしか味わえない料理というやつか。


 満足感を抱えたまま席を立ち、外の空気を吸う。

 海風は少し冷たくなっていた。


「……寝よう」


 宿に戻り、この幸せを持続させよう。




 目を覚ますと、窓の外はもう暗い。

 町は静かに落ち着き、海の匂いだけが夜を支配している。


 今日を無駄にしたとは思わない。

 それでも、身体の奥で、まだ何かが足りないと告げていた。


「ふむ……夜の散歩も悪くない」


 潮風は昼より冷たく、波音はやけに近く聞こえる。

 石畳を歩きながら、灯った酒場の明かりや少し遠くの港で打たれる鐘を横目に進む。


 そして——


「……おい、兄弟。魚代はあるのか?」


「ない! 欲しいものは奪うのみ!」


 路地裏から妙な声が響いた。

 覗くと、黒いフードをかぶった男が、漁師の籠に入った魚と向かい合っている。


 宝石の奪い合い……の雰囲気だけはある。

 だが対象が魚なせいで、迫力はまったくない。


「……何をしている」


 声をかけると、男は振り返り、勢いよく指を突きつけた。


「見たな!? 俺の盗みを!」


「声が大きい。盗むなら隠れてやれば良いだろう」


「いや、昔はそうだった! だが今は違う! この町は義賊精神! 魚は平等! 交渉制!」


「交渉していないだろう?」


「……今からする予定だった」


 それを盗みと言えるのだろうか……


 私が呆れていると、漁師が頭を掻きながら話し始めた。


「こいつ、昔盗賊でよ。今は盗むクセが抜けねぇのに、本気で悪いことはしねぇんだ。放っとけ」


「放っていいのか?」


「ああ。発作みたいなもんだ」


 妙に清々しく返され、私は納得してしまった。


 フードの男は謎の満足気な顔で叫ぶ。


「今日は引く! だが覚えてろよ!!」


 走り去っていく。

 ……なんなんだ。


 呆れていると、聞き覚えのある声が近づいた。


「ムチーノさん! 夜は変な人多いので危ないですよ!」


 町長の青年が息を切らしながら駆け寄ってくる。


「大丈夫だ。たぶん平和だ」


「はぁ……すみません。この町、昔は盗賊たちが作った町でして……今でも足洗った者を受け入れてるんです」


 漁師が腕を組んで補足する。


「だが安心しな。町長は魚と人間を見る目がいい。それに、漁師はつえーんだぜ」


 盛られた肩の筋肉は、確かに説得力があった。


「そうか。良い町だな」


 自然と笑みがこぼれる。


 私は海沿いに出た。

 波が一定のリズムで岸を叩き、月明かりが海面にやさしく揺れている。


「……面白い町だ」


 静かで、どこか懐かしくて、そして少し可笑しい。

 ここでは夜すら、退屈という言葉を知らないらしい。


 月を見上げる。


「あの形……えびに似てるな」


 三日月は、どうしてもあのぷりぷりの曲線に見えてしまう。


 なんてくだらない。

 だが、そんな他愛もない思考すら心地よく感じる。


 私はそっと笑った。

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