水もしたたるいいオトコ
「わすれた……」
筆箱みたいな習字セットを抱えて下校する子たちを見送ったあと、ぼくは一人、教室にもどった。いつもいるはずの声や足音が消えて、学校じゅうがしんとしている。がらんとした教室。机がいつもより遠く感じる。
「はやく、はやく……」
ランドセルの中に入れっぱなしだった習字セットをつかんで、ぼくはくるりと背中を向けた。
そのときだった。
つるん。
「うわっ!」
足がもつれて、思いきり前にこけた。勢いのまま、教室のドアに頭をぶつけた。
ごんっ。
「いったぁ……」
しばらく目の前がぐるぐるして、でも立ちあがろうとしたそのときだった。
「……だいじょうぶ?」
耳のすぐそばで、ぬめっとした声がした。
びっくりして顔を上げると、目の前にびしょびしょの大男が立っていた。
ぼたぼたと床に水が落ちる。ふくらんだ体操服が肌に張りついて、皮膚が水ぶくれみたいにブヨブヨしてる。髪の毛はべったり額にはりついて、目は、笑っていない。
「……だいじょうぶ?」
また言った。
ぼくはこわくなって、よろけながら後ずさった。そしたらそのぬれおとこは、ぬるりと手をのばして、ぼくの肩に触れた。ぐちょ。ぬるっと冷たい。
「やめて……!」
声にならない叫び。気がつけば、目の前がぐにゃりとゆがんで──。
──目をさましたのは、見おぼえのある先生の怒鳴り声だった。
「こら! なにしてるんだ、もう夕方だぞ!」
気がついたら、ぼくは教室の床に寝ころんでいた。どうやら、こけて気絶していたらしい。
「だいじょうぶ? 立てるか?」
「…………………………、うん」
先生に手をひかれながら、職員室に行って、そこからお父さんとお母さんが来て、ひどく心配されて──
でも、なにもなかった。たぶん、夢だ。こわい夢を見てたんだ。
「ほんと、よかったなあ……」
お母さんがそう言って、ぼくの頭をなでてくれた。
でもそのとき。
肩が、ひやりと冷たかった。
さっきぬれおとこが触れたところだけが、ぐっしょりと濡れていた。
「ダイジョウブ?」