オレクの苦難
オレク視点です。
こちらでこの短編はおしまいとなります。
──はじめは、単なる虫避けのつもりだった。
グレーゼ・エイヴリングといえば、『氷の魔道具師』『無愛想の塊』『社交性皆無の欠陥令嬢』などと揶揄され、学院の生徒の多くが距離を置いていた。
偽名を単純にし過ぎたせいもあって、隣国の王族とお近付きになりたい人間に囲まれてうんざりしていたところだった。
そんな、他者を寄せ付けないご令嬢と一緒にいれば、自身の周りに来る人間も減るだろうと。
利用するつもりだったのだ、最初は。
「なんだ、君も魔道具に興味があるのか……!?」
世間話のひとつとして、彼女が精通しているという魔道具について話題に出せば、分厚い眼鏡の奥でも分かるくらい瞳を輝かせたのを見て、そんな思惑はすっ飛んでしまった。
無愛想で氷のような令嬢だと言ったのは誰だ? こんなにも表情豊かで、揶揄うと面白くて、他者を思いやれる人間もいない。
さして興味がある訳ではなかった魔道工学も、グレーゼに解説してもらって実践してみると達成感を得られたし、彼女の失敗作──失敗作とは言うが、目的と異なるものができたからそう呼んでいるだけで発明品としては優秀なものだ──を試させてもらうのも楽しかった。
彼女が開発する魔道具も、総じて人のためになるものだ。
利益を追求するのでも、他者を陥れるものでもない。
……そんなグレーゼの実力は、学院の生徒には理解されなかった。
貴族学院には飛び級制度がない。そのため、入学当初から卒業要件を満たしていたグレーゼも、他の生徒と同じように通学する必要がある。
けれど、それは優秀すぎるグレーゼには苦痛だっただろう。
初めは毎日学院にいたようだが、他の生徒とのレベルが違い過ぎてさまざまな噂も飛び交った。
曰く、『教師から不正に授業内容を教えてもらっている』『学院に出資して自分に有利な試験をやらせている』『学院上層部に体を売って思い通りにしている』『自信が優秀なのを鼻にかけて他の生徒を見下している』など。そのどれもが根も葉もない言いがかりだったが、そんな話を耳にしたグレーゼはこう言った。
──なるほど、人間は異質な物を敵とみなすからな。私の存在が勉学の意欲を妨げるというのなら、潔く身を引こう。
一年目を終えたグレーゼは、早々に教師陣に卒業試験を受験させてもらうよう依頼した。
もちろん、前例のないことだ。首を縦に振る教師は少なかったが、卒論試験どころかそれを上回る実力と知識を披露されて納得せざるを得ず。
半期に一度の試験だけは出席するという条件で、普段の授業を免責された。
それを聞いて安堵が半分、焦りが半分。
グレーゼと知り合ったのがちょうど一学年の半分くらいの時で、これから距離を詰めていこうと思っていたところだったのだ。
一緒に過ごしていくうちに、王族としてではなく気安い友人として会話できるこの関係を得難いものだと実感するようになり、それを恋だと自覚するのに時間はかからなかった。
──生涯を共にするなら、グレーゼがいい。
皮肉屋で、世俗から少しズレてて、魔道具研究に懸命な彼女の横顔を、ずっと見ていたい。
そう思って一学年末のパーティで無理矢理パートナーとして出席してもらったが、あの様子ではきっとその意味を分かっていない。
だとすれば、手っ取り早く求婚するくらいでないと、色恋沙汰に疎いグレーゼには伝わらないだろう。
それからは、求婚の準備と根回しに奔走した。
スヴィーターニーでは、求婚の前に100の愛の言葉と100の花を贈る習慣がある。最初はグレーゼから返事が来てから送り返していたのだが、研究に忙しいのか返事が返ってくることは滅多にない。このままでは永遠に時間を費やすことになる、と返事も待たずに送り始めた。
エイヴリング家の情勢にも気を配った。
父君は良い人脈を形成しており、婚約破棄された後でもすぐに次の人間を仲介できる人柄だった。
良いことではあるのだが、今回ばかりは苦いものを噛み締めたような気持ちを抱えていた。
オレクは100の花と言葉を贈るまでは求婚できない。
その前に成婚してしまったら終わりだ。
ハザック鉱山の利権を散らつかせることで上手く時間を稼ぐことに成功したのにはこぶしを振り上げたが、そのせいでグレーゼが無防備に誰彼構わず婚約者にしようと声をかけ始めたのには頭を抱えた。
何って、グレーゼは惚れた欲目を抜きにしても可愛いからだ。
普段は向こう側が透けないほど分厚い眼鏡に隠れているが、それを外せば一目見ただけでその輝きに魅了されてしまうだろう。
小柄な体型はすっぽりと腕に収まってしまうし、外に出ないためか肌は絹のように白い。
人との交流が少ないせいか、少し褒めたら顔が赤くなるし、自分の好きなものの話をしているときなんかは目をキラキラさせている。
こんな可愛い生き物を、他の男に渡すわけにはいかない。
グレーゼが久しぶりに学院に顔を見せたときから一週間、さまざまな伝手を行使して無理矢理全ての準備を整えた。
なかなか無茶をした自覚はあるが、そのおかげで無事にグレーゼと結婚できたのだ、後悔はない。
──今日中に片付ける予定だった書類を束ね終え、足早に階段を駆け降りる。
グレーゼのために作った研究用の部屋までたどり着くと、大きめに扉をノックする。
研究に夢中で返事がないのもいつものこと。
入るぞー、と声をかけてドアを引けば思った通り。
机に向かったままのグレーゼが、分厚い本の頁を捲っていた。
「グレーゼ、どうせまた夕飯食べてないんだろ? 一緒にどうだ?」
「……ああ、そうだな」
「……なあ、論文に夢中で聞いてないだろ」
「……ああ、そうだな」
「……じゃあ、論文読みながらでいいから、俺の膝の上で夕飯食べるか?」
「……ああ、そうだな」
「よし、言質は取ったからな」
どうせ耳に入った言葉をそのまま左に流しているだけだろうというのが分かっているので、こちらも好きにさせてもらう。
普段は恥ずかしいからとさせてくれない横抱きにして、本を抱えたままのグレーゼを大広間へと運ぶ。
料理人たちもグレーゼが片手で食べられるものを所望するのを分かっていて、テーブルには普通の料理と合わせて摘みやすい料理が並んでいる。
自分の椅子に腰掛け、その膝の上にグレーゼを乗せると、その小さな口にひとくちサイズのパンを運ぶ。
「ほれ、あーん」
「……あ、」
目線も頁を捲る手も止まらないのに、口だけはもぐもぐと咀嚼しているのが可愛い。
小さな動物に給餌しているような気分になりつつ、パンに小さく切った野菜や肉を乗せて口に運ぶ。
もきゅもきゅ、もきゅもきゅ。
今日はいつ気付くんだろうな、と膨らんだ頬を見つめていると、グレーゼの咀嚼がぴたりと止まる。
おそるおそるこちらを見上げるのが分かって、お、今回は早かったな、と少しだけ口角を持ち上げる。
「今日の夕飯は美味しいか? お姫様?」
「……ま、まて、君、いつから……!」
「あー、待て待て。ちゃんと君が『いい』と言ったから膝の上に乗せているし、君が論文を読むのを邪魔するつもりはない。好きなだけ読んだらいいさ。その分、俺が口に食事を運んでやるからな」
「ちが、ほんとに、君は……!」
さっきまで全く気にしていなかっただろうに、一瞬で顔から耳まで真っ赤に染まっていくのがなんとも愛らしい。
かといって正直に『可愛い』と告げれば、恥ずかしがって逃げてしまうので心の奥に秘めておく。
「さて、どうする? そろそろグレーゼにちゃんとした食事を取ってほしい俺の気持ちがわかったか?」
「わかった、わかったから! 下ろしてくれ……!」
「ん〜? ついでに可愛い妻に触れていたい旦那の気持ちも分かって欲しいんだけどな〜?」
「そ、それは……!」
あちこち視線を彷徨わせた後に、ぎゅっと目を閉じたグレーゼを見下ろして嬉しくなる。
学院時代は、どれだけ近付いても口説き文句を言っても信じてもらえず、適当にあしらわれてきたのだから、こうも意識してもらえるのは心も浮き立つというもの。
グレーゼが愛を囁かれていっぱいいっぱいになると目を閉じてしまうのも初めて知ったし、この先も自分以外に教えるつもりもない。
さて、今日はこの辺りで解放することにしようかな、と腕の力を弱めたところで、膝の上のグレーゼが身動ぎする。
──ちゅ、
柔らかい感覚が唇に触れ、思いがけない行動にオレクの体が驚きに固まる。
「きょ、今日はこのくらいで勘弁してくれ……!」
顔を真っ赤にさせたグレーゼが、それだけ言い置いて走り去る。
思わず口元を押さえて、先程の感触を思い返し、自然と熱くなる頬に笑ってしまう。
「……あんまりかわいいことしないで欲しいんだけどな」
今はまだ、グレーゼが慣れるまでゆっくりと触れているところだというのに。
「まあでも、自分からキスしてくれるようになったのは大きな進歩か」
いくつかの食事をワゴンに乗せ、再び彼女の研究室へと向かう。
きっと恥ずかしさで頭がいっぱいになっていて、今夜は論文どころではないだろう。
オレクの方も急ぎの仕事は片づけた。せっかくなので真っ赤な木の実のようになったかわいい妻を可愛がらせてもらおう。
いそいそと自らワゴンを押しながら、次はどれを口に運んであげようか思案する。
それもこれも、グレーゼがn回でもなんでも婚約破棄されてくれたおかげだ。
本人は不本意かもしれないが、そうでなければオレクに機会は巡ってこなかったかもしれない。
巡り合わせの神に何度目かの祈りを捧げながら、手にした最愛の妻のもとへと歩みを速めた。