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天才魔導具師侯爵令嬢が婚約破棄されるのはn回目である。危機感はまだない。



「……貴女は婚約者である僕と魔道具研究、どちらが好きなんですか?」


「え? もちろん、魔道具研究だが」



 月に2回は会うように、できなければ研究費を打ち切り(カット)すると脅されたから時間を設けているだけで、婚約者どころか結婚にも一切興味はない。

 そんな当たり前のことを聞いてどうするんだろう、と背中でその声を聞きつつ、机の上の試験管を持ち上げる。


 うん、魔力がしっかり溶け込んでいるから成功だ。

 この原理を利用すれば、今開発中の『自動水質洗浄装置』の魔導源(エネルギー)として活用できるだろう。後は耐久実験と安定性を確立して、誰にでも使用できるように術式をできるだけ簡潔にして──



「……もういい」


「……? 話に脈絡がないな、何が“もういい”のか、順を追って説明を──」


「君とは! もう婚約を破棄させてもらう!!」



 珍しく声を張り上げたのを聞いて、一瞬だけ目線を送る。

 顔を真っ赤にさせている──()婚約者殿が何か言いたげにこちらを見ているが、グレーゼが思うことはひとつ。



「……またか」


「……は?」


「好きにしたらいいさ、私は一向に構わない。貴殿が望むなら必要な手続きはすぐに済ませられるし、もらった贈り物も全て返す。ああ、慰謝料が欲しければ言い値を払おう。どうせ精神的苦痛を受けたとか、無駄な時間を過ごした分の補償を寄越せ、とか言い出すんだろう? さあ、貴殿の希望を言いたまえ」


「……本当に、君は……」



 何かを口にしかけた元婚約者殿が、そのまま口を閉ざして研究室(ラボ)を出て行く。

 これでしばらくは研究に集中できる、と棚から薬瓶や魔石を取り出して広げる。


 つやつやで、高い魔力の籠った魔石を見てうっとりと目を細める。隣国の鉱山から掘り起こされた魔石で、それなりの大金を積んだものだ。

 今動かせる資金からはたったひとつしか買えなかったが、流石は最高級品。内包している魔力も輝きも段違いだ。


 これを使って研究が進めば、上下水道の整備されていない地域における井戸などの感染症を防ぐことができる。世界がまたひとつ革新的な進化を遂げる。

 ああ、なんて素晴らしいことだろうか!


 さて、仕上げ仕上げ、と魔石に魔力を込め始めたところへ、どすどすと廊下を走ってくる足音が近付いてきた。



「グレーゼ! また(・・)婚約破棄されたのかい!?」


「……父上、だから私に結婚は無理だと言っているだろう? どうしてそう聞き分けがないんだ」


「それは親であるこっちの台詞(セリフ)だよグレーゼ……! 一体何回目の婚約破棄だと思っているんだい!?」


「n回目かな。ああ、nには好きな自然数を入れるといい」


「そういう話じゃなくて!」


「もっと正確な情報をお求めか? 私の記憶が正しければ、打診の段階で断られたのが38回、顔合わせの時点で断られたのが22回、実際に婚約してから破談になったのが13回──いや、今日のを合わせれば14回だな」


「なんでそんな冷静に……!」


「そろそろ分かっただろう? 私に結婚は向いていないんだ」



 力なく崩れ落ちる父上。

 グレーゼとしては、どうしてそんなに結婚にこだわっているのか疑問なのだが。

 小さなため息とともに、分厚い眼鏡を押し上げる。


 グレーゼ・エイヴリングは学生の身でありながら、魔導具研究者として突出した才能と実力で評価を得ている学者である。

 8歳の頃には魔導機関車の新構造を一から図面に起こし、12歳の頃には独自の研究で特許を複数所持。貴族学院に入学する頃には、既に卒業要項を満たしているほどの天才児だった。


 研究・開発したものの利益で、一般的な子爵家の収益一年分程度の金額が毎月振り込まれるし、兄がいるからエイヴリング侯爵家の後継者問題も問題ない(クリア)

 グレーゼ本人も結婚に興味がない、とくればわざわざ婚約者を探してくる方が無駄だ、と常々思っているのだが。



「そうは言ってもね……やっぱり父親としては幸せな結婚をして欲しいんだよ。かつての僕たちのようにね……」


「…………」



 父上と亡くなった母上は、それはそれは仲のいい夫婦だった。

 政略結婚の多い貴族社会において珍しく、互いに一目惚れして恋愛結婚を果たしたのだ、というのは鼓膜に焼きつくほど聞いた。


 その経験からの言動だとは理解できるのだが、自分に合わない価値観を押しつけられても困る。



「ともあれ、これで婚約は白紙になった。私は研究に戻らせてもらう」


「待って! 最後、次が最後だから!」


「……父上、前回も前々回もそう言っていたのをお忘れか? 大体、もう婚約者のいない同世代の青年など残っていないだろう?」


「……グレーゼは、ハザック鉱山の魔石を欲しがっていたよね?」



 ぴくり、とグレーゼの眉が上がる。

 ハザック鉱山、とは隣国にある魔石発掘の最高峰。

 品質の高さは折り紙付き。各国の王家に献上されることも多く、出荷数そのものが制限されていて滅多に市場に出回らない。金額もそうだが、仕入れに強い商人を抱えていることや強いコネクションも必要になる。


 先程グレーゼが手に取っていた魔石も、このハザック鉱山から出土したものだ。



「……少し伝手(つて)があってね、まとまった数の魔石を譲って貰えることになった」


「……まとまった数って、どのくらいだ?」


「そうだね、木箱2つは期待していいよ」


「……!」



 高等な術式を稼働させるには、相応の魔力と術式に耐え得る魔石が必要になる。

 もちろん、毎回成功するとも限らないし、魔石との相性が合わないときもある。つまり、魔石はあればあるほどいい。

 

 ──グレーゼの資産を持ってしてもひとつが限界の、最高品質の魔石が、木箱2つ分。ごくり、とひとつ喉が鳴る。



「……それで? また婚約者と仲良くしろと?」


「いいや、流石に僕の縁者は当たり尽くしていてね……」


「だったらどうしろと?」


「だから考えたんだよね……きっとまだ、貴族学院には婚約者のいない、素敵なご子息がたくさんいるって!」



 しなしなと崩れ落ちていた父上が、こぶしを築き上げて天を仰いでいるのを見て、グレーゼは『また始まった』と小さく首を振る。


 父上は貴族としては優秀なのだが、恋愛や結婚といった事柄になると、途端に夢見がちになるのだ。

 そんなうまい話があるわけがないだろう、といつも諭しているのだが聞く耳を持ってくれたことはない。



「……父上、貴族学院にいる学生だって、幼年期に既に婚約してる人間が多いのはよく知っているだろう? それに私は、もう半年も学院に顔を出していない。婚約者どころか知り合いすら片手に収まってしまうんだよ。そんな状況で婚約者を探そうだなんて……」


「大丈夫! グレーゼはちゃんとすれば可愛いんだから、いつもの白衣を脱いで眼鏡を外せば、ご子息のひとりやふたりやさんにん……!」


「……ふたり以上いても困るだろ……」


「……わかった、これは最終手段に取っておきたかったんだけど……」



 断られるのが分かっていたのか、傍らに控えさせていた家令(スチュワード)が差し出した書類を目の前に差し出す父上。

 読め、ということらしく受け取って軽く目を通せば、だんだんとグレーゼの目が丸くなっていく。



「こ、これって……ハザック鉱山の権利書……!?」


「へへ、そうなんだ〜! お父様頑張っちゃった!」



 『頑張っちゃった』などと簡単に言ってのけるが、そんな単純な話ではない。

 周辺各国の中でも随一の採掘量と品質を誇る魔鉱山、となればどの国も手中に収めたいに決まっているし、隣国だって金を生む山をむざむざ手放すなど有り得ない。

 その所有者の座を譲り受けるには一体どんな手を使ったのか。


 念のため、紙を光に透かしてみるが、しっかりと契約紋が織り込まれている。本物の権利書だし、その所有者の欄にはエイヴリング侯爵家の文字が刻まれている。



「……本当に交渉術と人脈だけはこの国随一だな……」


「というわけで、グレーゼが結婚したら結婚記念にハザック鉱山をプレゼントしようと思うんだよね!」


「……く、それは……!」



 図ったな、と奥歯を噛み締めるグレーゼ。

 これは無視すればいい、などという簡単な問題ではない。


 周辺諸国で最大の魔石産出鉱山の所有者が父上になれば、『結婚してくれるまで、グレーゼには販売禁止!』といった横暴がまかり通るからだ。


 グレーゼの開発する魔導具には、高品質の魔石が必須。

 他の人脈や販売ルートを探している時間は惜しい。

 その時間があれば別の魔導具の開発も改良も可能だからだ。



「……仕方ない」


「グレーゼ……! やっとその気に……!」


「確認するが父上、『結婚』すればいいんだな?」


「そうだけど、できれば僕たちみたいに幸せな……」


「言質は取ったからな。その言葉、忘れないように」



 分厚い眼鏡を押し上げたグレーゼは、早足で廊下にいる侍女を捕まえる。



「明日は貴族学院に出席する。準備を頼む」




⬜︎◼️⬜︎◼️⬜︎




 ──その日、貴族学院に絶世の美少女が現れた。

 銀灰色の髪をふわりと肩口で揺らし、紫水晶(アメジスト)の瞳は聡明で思慮深く、小柄でスラリとした手足は雪のように白い。

 数多の視線集めながらも臆した様子はなく、目が合った生徒に向けた淡い微笑みで何人もが卒倒したという──



「──っていう触れ込みだったのに、正体はグレーゼだったのかよ」


「悪かったな、どうせ顔すら覚えられてない引きこもりだよ」



 とんとん、と教科書を揃えて鞄にしまう。

 その間も、じーっとこちらを見てくる変わり者が、グレーゼの数少ない知り合い、オレク=バイガル。

 隣国からの留学生で、肌は浅黒く、髪は黒、瞳は金。一般的な隣国民の特徴を有した人物で、誰にでも人当たりがよく、他者との交流を好まないグレーゼにもこうして話しかけてくる。

 というのも大商人の息子らしく、方々に弁が立つ。仕事の方でもその弁論を発揮し、一代限りの爵位を賜ったとは本人の談。


 何を面白いと思ったのかは知らないが、貴族学院に出席したときにはこうして律儀に隣に座ってくるのだが。



「あの偏屈グレーゼが他人に微笑みかけるなんて、どういう心境の変化なんだ?」


「……仕方ないだろう。眼鏡がないのだから、相手が見えないんだ」



 貴族だというのに、誰彼構わず不遜な物言いをするのはやめた方がいいとは常々思っている。まあ、グレーゼは歯に衣着せぬ言い方は嫌いではないが。

 グレーゼが失敗した魔導具に対しても的確な改善点を見出す──面白がって試したりする節はあるが──ところはあるし、意外と教養のレベルも高い。

 何より、言葉の裏の意図を汲み取る手間(コスト)のかかった物言いより直接ぶつけられた方が数段楽だ。


 へえ、眼鏡ねえ、と覗き込んでくるオレクの顔を押しのける。その顔はぼんやりと、金色の魔力に覆われていてよく見えない。

 グレーゼ愛用の分厚い眼鏡は、見えないからかけているのではなく、見え過ぎるから(・・・・・・・)かけているものだ。


 幼い頃から魔力の流れを視認できていたグレーゼ。

 魔石から流れる魔力を視認できるのは魔導具の開発には有用だが、他人の顔を判別できないのは多少不便ではあった。特に貴族は保有魔力量が多く、顔どころか存在そのものが魔力に覆われていて識別ができない。

 そのために開発したのが、普段使っている眼鏡だ。

 何度か改良を重ねているが、レンズの厚さは現状が限界。

 いずれ羊皮紙程度の厚さのレンズを開発しようとは考えているものの、それにもやはり高品質の魔石が必要になるだろう。



「それで? 俺からの手紙(ラブレター)に返事を送る暇もないほどお忙しいグレーゼ殿は、なんで今日学院に来たんだ?」


「……君の手紙を送る頻度が異常なんだ。私が返事を返す前に10も20も送られては、返答するのに時間がいるだろう」


「それはやっぱり、愛の大きさかな〜?」


「はいはい、君のその手(・・・)の冗談は聞き飽きたよ。それで、質問の回答がまだだったな。私が今日学院に来たのは──」


「あ、あの……!」



 声をかけられ、言葉を切る。

 後ろにいたのは青の魔力の塊だった。声色から察するに男性。魔力の大きさから、伯爵家クラスの人物だと推測できる。

 次は外で実習だからそろそろ移動した方がいいよ、とわざわざ──本日学院に来てからずっとクラスの人間にも敬遠されているグレーゼに──声をかけてくれるのだから、人がいいのだろう。


 立ち上がったグレーゼは青い魔力の塊へ接近し、柔らかく笑みを乗せる。



「すまない、おしゃべりに夢中になっていて時間を忘れていた。心遣い、痛み入る」


「え!? いえその、そんな大したことは……!」


「ところでご令息、私と結婚を前提に婚約しないか?」


「え!?」


「はぁ!?!?」



 何故か前と後ろから悲鳴が聞こえた気がするが無視。

 顔にあたるだろう場所へ手を伸ばし、顔の輪郭をなぞる。



「もしや、既に婚約者がいるのだろうか? そうであればこの提案は取り下げるが……」


「おいおいおいちょっと待て!!」



 後ろからぐんと腕を引かれ、青い塊から引き離される。

 オレクの腕の中にいることはわかるが、金の魔力で覆われていて表情はわからない。



「急に何やってんだよグレーゼ!!」


「何って、これが私が学院に来た理由だよ」


「これって……」


「父上にちゃんと『結婚』をしろとせがまれていてな」



 ハザック鉱山の所有権をちらつかされては致し方ない、とグレーゼは小さく首を振る。


 身支度は整えた。けれど人脈(コネ)はない。

 知り合いの少ないグレーゼが取れる行動は『とりあえず手当たり次第声をかける』、これだった。


 こんな適当な誘いに乗ってくるのは相当婚約に対して困窮している家だろう。だとすればつけ込む隙があるし、加えてこちらより下の家格に声をかければ、グレーゼに有利な『婚約』の条件を呑まざるを得ない。

 多少人格に難があったとしても、一回『結婚』してそのあと早々に離婚すれば条件は満たせるのだ。相手は適当でいい。



「だ、だったら俺! 俺でもいいだろ!? 婚約者はいないし金はあるし顔もいいし!!」


「君の家は一代貴族だろう? 流石にそれでは父上も納得しない」



 その気持ちは助かるがな、とオレクに掴まれている腕を払う。

 それにオレクは隣国の人間だ。

 国を跨ぐ婚姻は王家の承認が必要で手続きも煩雑。開発に費やす時間が減ることは、グレーゼが一番避けたい事態だった。



「そういうわけで、婚約者のいないご令息がいたら紹介して欲しいところだ」


「……わかった、俺が紹介する。するから、何かする前に一回相談してくれ……!」


「……? そうか、助かるよ」



 何故か眉間のあたりを押さえているように見えるが、やはり表情は窺えずにグレーゼは首を傾げる。

 顔の広いオレクに情報をもらえるなら、早々に『結婚』まで漕ぎつけるかもしれないな、と考えていたのだが。





「……オレクの奴、何を考えているんだ……?」



 ──あれから一週間。

 目についたご令息に声をかけようとすれば阻まれ、じゃあどの男ならいいんだと聞けば口を噤む。

 名簿を入手して婚約者の有無を記入してもらおうとすれば、紙ごと握り潰された。


 数日あればひとりくらいは釣り上げられるつもりでいたグレーゼは、小さく溜息を吐く。

 これでは貴重な時間が削られるばかりで成果が得られない。頼りきりではなく他の方法を考えるべきだな、と思案するグレーゼの足元に影がかかる。


 見上げれば、数人のご令息が立ち塞がっていた。

 ここは中庭の端にある小さなベンチ。

 滅多に人が通らないため、考えをまとめたい時などに立ち寄っている場所なのだが、どうも彼らの様子はきな臭い。



「……すまない、公共の場所を独占するのは良くなかったな。私は立ち去るので、好きに使うといい」


「いいえ、僕が用があるのは貴女ですよ……グレーゼ・エイヴリング侯爵令嬢」


「…………」



 にやりと持ち上げた口角に品がないように思えるのは、グレーゼの勘違いだろうか。

 無視して立ち去ろうにも、退路は塞がれている。

 面倒なことになったな、というのを隠さず顔に出してみたが、相手は特に気にした風もなく。



「婚約者候補をお探しと聞きましたが、お間違いないでしょうか?」


「……違いないが、それは私と父上の条件を満たした人間のことを指していて……」


「だとすれば、僕ほどの人間はいないと思いますよ! 是非、婚約者に立候補させてください」


「……貴殿には既にご婚約者がいたはずだが……シャントルイユ公爵次期当主殿?」



 世俗に疎いグレーゼでも、流石に国に七つの公爵家のことは把握していた。

 名前までは覚えていないが、一つ上の学年にシャントルイユ公爵次期当主がいること。そして、目をつけられたら厄介なことになる、ということは父上からもオレクからも口酸っぱく言われていた。


 実際に遭遇してみての感想は、なるほど評判通りの男だなと納得しかない。


 うっすらとしか顔は見えないが、公爵家の嫡男とは思えないほど魔力が薄い。

 そのために、魔力が豊富で同格の公爵令嬢と婚約したと聞いていたが、それを自ら覆す発言をするなど愚の骨頂。本人は自身の状況を自覚しているのだろうか?



「ああ、それなら問題ありません! 先程向こうが生意気なこと言ってきましたからね、こちらから婚約破棄して差し上げたところです」


「……なるほど、良い判断だ」


「そうでしょうとも、この僕に相応しいのはやはり……」


「ご令嬢は賢明だな、この調子では普段から随分と苦労があったと見える」


「…………行き遅れの侯爵家風情が、生意気ですね」


「はは、その侯爵家に婚約を申し入れようとしているのだから、貴殿の品位も高が知れているな」


「……教えて差し上げましょう、グレーゼ・エイヴリング侯爵令嬢。女は無口で従順なのが『美徳』であるとね!」


「……っ!?」



 囲むように控えていた他の令息たちがグレーゼの両腕を掴む。

 ここは由緒正しい国立貴族学院。

 当然ながら私闘は禁じられているし、身分の格差を利用しての横暴・弾圧は容認されていない。……容認されてはいないだけで、生まれながらに貴族の人間は息をするように身分を振りかざすものだ。目の前の彼のように。



「貴女から『良いお返事』をいただけるよう、こちらも努力しましょう」


「それが無駄な努力にならないことを祈っているよ」


「さて、それは貴女次第ですかね」



 磨き抜かれた革靴が、草を踏み分けて近づいてくる。

 まあ、腹の一発でも殴らせてからなら、何が起きても『自己防衛のため』で逃げ切れるか、とグレーゼは思案する。


 グレーゼとて、何の策もなく相手を煽ったりはしない。

 制服のポケットには対魔獣用の催眠弾が入っているし、太もものホルダーには『混ぜるな危険!』の薬品類。退屈な授業の際に隠れて実験しようと持ち込んだものだ。

 何が起こるかは混ぜてみないことにはわからないが、効果は期待していい。催眠弾に追撃効果を付与するための薬品だからだ。


 シャントルイユ公爵次期当主がするりと腰に帯びた剣を抜き、グレーゼの喉元に突きつける。

 剣を扱う者が罪のない無防備な人間に剣先を向けるなど、騎士の風上にも置けない行為なのだが、得意気に笑う彼にはわかっていないらしい。



「再度問いますが……僕の婚約者になるおつもりは?」


「はは、冗談なら全く面白くないな」


「良いでしょう、早めに心を決めて貰えるといいのですが」



 鋭い切先が、そのまま下に降りてくる。

 余程良い剣なのだろう、何の抵抗もなくグレーゼの身につけている制服が縦に裂け、白い素肌が顕になる。

 両脇から小さく口笛が聞こえたが、何がそんなに面白いのかグレーゼにはわからない。


 殴るか切るかしてくれれば実害のあった証拠が残るものを、服しか切らないのであれば証拠として弱い。……いや、器物損壊には当たるか?

 どこまで泳がせるべきか見計らっていると、グレーゼの顎が無理矢理上に向けさせられる。視界の先にはいやに楽しそうな男と、グレーゼの顎を持ち上げるために伸びた剣。刃先は僅かに喉の皮膚を裂き、赤い血が一筋流れる。



「いかがですか? お気持ちを聞きましょう」


「そうだな、貴殿と正反対の人間がタイプになったところだ」


「おや、それは困りましたね。早々に好みを変えていただかないことには終われませんが」



 薄っすら笑っているシャントルイユ公爵次期当主に、そろそろいいか、と魔法を行使する準備をする。多少とはいえ、傷を得たので理由としては言い訳ができるだろう。

 怪我をしないという保証はないが、先に手を出した方が悪い。相手が悪かったと思ってもらうしかないだろう。


 さて、実験の結果はどうなるかな、と催眠弾と薬品を遠隔魔法で投げつけようとしたとき。


 ぐえ、がは、という野太い悲鳴が両脇から。

 疑問に思う間もなく、目の前にいたシャントルイユ公爵次期当主が遠くに吹っ飛んでいた。



「グレーゼ……!!」


「……オレク、か……?」



 つい疑問符を付けてしまったのは、普段見ている彼の魔力量とは比べ物にならないくらいの膨大な魔力が溢れていたから。それでも澄んだ金色と声色はオレクのもので、そのまま駆け寄ってきたらしい彼に抱きしめられていた。


 いつもより薄い布地の服を着ているのか、鍛え上げられた筋肉が服越しに感じられる。荒い呼吸と共にしゃらりと繊細な金属音が鼓膜を揺らし、地響きのような早い心音が伝わってくる。



「怪我は!?」


「いや、大したことはない。それより君、その魔力量は一体……」


「それより!? グレーゼは俺が今どんな顔してるか見えてるのか!?」


「いや、その……」



 いつもと違う剣幕に、もごもごと言い淀む。

 確かに見えてはいないけど、そこまで詰められるようなことをしただろうか?


 はあ、と聞こえるように大きな溜息を吐いたオレクは、グレーゼの胸ポケットにある分厚い眼鏡を抜いて、グレーゼにかけさせる。

 そうしてやっと見えたオレクの表情は、今にも泣きそうにも怒りを押し込めているようにも見えた。

 ──これは、人の機微に疎いグレーゼにも流石に分かった。



「……すまない、心配をかけたな」


「本当にな! まったく、少し目を離したらこれ(・・)だもんな!」


「それにしても君、今日は随分と綺麗な服を着ているな」



 眼鏡越しに見たオレクの姿は学院の制服ではなく、品の良い銀を含んだ白を基調にした民族衣装に身を包んでいた。

 向こう側が透けるような薄さの布地もそうだが、要所に縫いつけられた金の装飾品や金糸は傍目に見ても最高級品。耳飾りや靴など、さりげない場所に誂えた宝石の全てが最高品質の魔石でできている。


 それを指摘したグレーゼは、そういえば自身の服が使い物にならなくなったのだった、と思い出す。



「……すまない、ついでに何か羽織るものを貸してくれないか? 流石にこれで人前に出るのはな……」



 ぺら、と一直線に切れた制服を捲り上げる。

 こちらに傷はないようだが、服としては機能していない。


 何故か返答のないオレクを見上げると、頬あたりの肌の色が濃くなっているように見えて首を傾げる。口元を押さえたまま動かないので目の前で手を振ってみるが反応はなし。



「……おい、大丈夫か? 具合が悪いなら医務室に……」


「……グレーゼ、一瞬でも『役得』だと思った俺を殴ってくれ……」


「……? 何を言っているのかわからないが、助けてくれたのは君だろう。感謝こそあれど、殴る道理はないが」



 オレクの肩越しに見える先では、教師陣と騎士らしい人間たちがシャントルイユ公爵次期当とその取り巻きたちを連行している。

 その結果を招いてくれたのは紛れもなく目の前の彼で、どうして殴るなどという話になるのか。


 それより何か布を、と言いかけたグレーゼの服が一瞬で別の服に置き換わる。

 魔力の流れからオレクが新しい服を手配してくれたらしいのはわかったが、これはグレーゼが所持している服ではない。どちらかというと、今オレクが着ている服と同じような作りをしており、揃いで仕立てたように美しい。



「何から何まですまないな、また後日改めて礼を……うわ……!?」



 急に視界が高くなり、思わずオレクに掴まる。

 抱き上げられている、と気付いて、流石に気恥ずかしくて顔が熱くなる。



「ま、待て! 大きな怪我はないんだ、自分で歩ける!」


「そうは言っても、怖い目に遭ったのは事実だろ? ああ、喉の傷もちゃんと治してあるから安心しろよ」


「ちが、そうじゃない、私が言いたいのは……!」


「任せとけって、全部俺が解決してやるからさ」



 いつになく自信ありげなオレクの言葉に、そろそろと顔を上げる。

 下から見上げる彼の顔は、煌びやかな装飾品のせいか輝いて見える。何故か胸の奥がそわそわするような心地になり、小さく首を傾げる。心臓に疾患は抱えていないはずだが、と考えているうちにグレーゼは馬車に運び込まれていた。


 オレクも隣に乗り込み、早々に出発したのを見て僅かに眉を寄せる。



「どこへ向かっている?」


「そう遠くはないところさ。それよりこれにサインを頼むぜ」


「……サイン?」



 おもむろに手渡されたのは質の良い魔法紙。

 上等な契約紋が刻まれているのは分かるが、そこに書かれていたのは。



「……婚姻届?」



 紛れもなく結婚を証明するための紙で、夫の欄には『オレクサンドル=バイガロヴァー』と書かれている。

 ……この名前に、グレーゼは覚えがあった。

 隣国── スヴィーターニーの王族は皆『バイガロヴァー』の姓を戴く、と。



「……まさかとは思うがオレク。君、王族だったのか?」


「ははっ! 今頃気付いたのか? 流石はグレーゼだな〜」



 いつもの軽口と思ったが、そのために身分を詐称するはずもない。

 そもそも王族の名を騙れば良くて投獄、悪くて死刑。ということは書かれている名前が事実なのは明白だが。

 とはいえ、あのように気軽に──王族とは程遠い立ち居振る舞いをしていながら、気づけという方が無理な話だ。



「いや待て、隣国の王族が気軽に身分を偽って他国の学院にいること自体おかしいじゃないか! 私のせいだけでは……」


「こんな名前を略しただけの偽名に気付かない貴族がいるか? ほぼ周知の事実だったし、他の生徒はそれを踏まえての対応だったぞ」


「…………悪かったな、そんな周知の噂も知らない引きこもりで」



 まあ、そういうところもいいんだけどな、などとグレーゼの髪に指を絡ませるのを手で払いつつ、できるだけ距離を取る。狭い馬車の中では意味がないとは分かっているが、少しでも抵抗の意思は見せておいた方がいい。

 このまま流されてしまうと面倒なことになるのは明白。

 グレーゼが求めているのは研究・開発に支障のない生活であって、格上の家に嫁ぐことではない。



「それより、なんだこれは! 確かに婚姻者は探していたが、私は王族の嫁などという面倒な身分になるつもりは……!」


「そう言うと思って、ほらここ。読んでみ?」


「……何を言われたところで、私がそう簡単に承諾する、はず、が……」



 指された箇所を目で追うごとに、グレーゼの目が丸くなる。そこに書かれていたのは結婚に際しての条件、結納金などの金銭について、土地の所有権についてなど。それら全てが、グレーゼの研究に支障がないよう配慮されているのが分かった。そして着目すべきはここ。


 ──新たにスヴィーターニーで発見された魔鉱山をグレーゼ=バイガロヴァーの所有物とする。


 ぱちぱちと頭の中で計算機を叩く。

 『結婚』するだけで父上からハザック鉱山を、ここにサインするだけで誰も手垢のついていない鉱山を手にできる、その可能性があると……!



「……オレク、ここに書いてあることは本当だろうな?」


「もちろん、グレーゼのお父様の署名だって揃ってるだろ?」



 いつの間に話を通したのか、確かにそこには父上の筆跡でサインが書かれていた。

 ……どんどん逃げ道が塞がれているのは気のせいだろうか。



「……自慢じゃないが、私はn回婚約破棄された令嬢だぞ? そんな不名誉な女を娶っていいのか?」


「俺は三番目だからな。王位に興味もないし、名誉を気にする必要もない」


「……淑女らしい行いを求められても困るがいいのか? 研究しか取り柄のない、世俗に興味のない女で」


「グレーゼがそういう人間じゃなければ、俺は興味を持たなかったさ」


「……しかし……」


「あーーもう、いいか!? 俺はグレーゼに『何不自由ない生活』を約束する! どれだけ研究しようと開発に打ち込もうと自由だしそれで俺は構わない! ……他に聞きたいことはあるか? グレーゼ殿?」



 次々とこれまで(・・・・)()()()()()()()()を言い募ったが全て肯定され、これ以上反論できる要素がない。

 ぐぬぬ、と絞り出すように、言葉を連ねる。



「……最後にひとつだけ。……君は、私のことが好き、なのか?」


「あれだけ手紙(ラブレター)を送っていたのに気付いてもらえなかったとは残念だな。……好きだよ、愛してる」


「…………そう、なの、か……」



 もういいか? と聞かれて曖昧にうなづく。

 知り合いの誼みでこんなことをしてくれているのなら否定もできた。

 けれど、面と向かって、率直に『好き』だと言われてしまったら、どうしたらいいのか。


 ──だとすれば、食事を疎かにしがちなグレーゼに毎回好物を差し入れてくれていたのは。

 毎日届く手紙に添えられていた花言葉が『恋』に関するものだったのは。

 面倒だからと欠席しようとしていた学年末パーティにドレスを送りつけ、当日朝に迎えまで寄越したのは。

 

 ──本当に、グレーゼのことが、好きだからだったのだろうか。


 じわじわと過去のことが頭を巡り、思い当たる節があるのを理解すると頭が沸騰しそうなくらいに熱くなる。

 うまく思考が働かなくて、じゃあサインしてくれるよな、と添えられた手に抗うこともできず、自身の名前を『妻』の欄に書き連ねた。



「……っは! ま、待て! 国を跨ぐ婚姻は国の許可が……!」


「はい、取得済み〜」



 ペラりと翳されたのは婚姻許可書。

 抜け目がなさすぎる、この男。



「しかし、それは署名が揃ってから国王から直接印をもらう必要が……」


「はいよ、そろそろ王宮に到着するぜ」


「……君、いつから仕込んでたんだ?」


「さて、いつからだったかな〜?」



 国王との面会など、簡単に面会の約束(アポイント)が取れるものではない。

 緩やかに馬車が止まったのは確かに王宮で、そのまま降りることになったグレーゼはオレクに抱き上げられたまま──逃げられないようにするためだろうが、頭の沸騰したグレーゼには有効だった──謁見の間に到着。口を挟む暇もなく祝福を受けて、婚姻届に印を押され。


 ──正式に、グレーゼは『結婚』を果たした。



「な? すぐだっただろ?」


「……騙し討ちというんだ、こういうのは」


「まあ、そういう言い方もあるか」


「……君、腹黒いって言われないか?」


「そこは『先を見据えた素敵な旦那様』でいいだろ。な、俺の花嫁さん?」



 蜂蜜のようにとろりと蕩けた金の瞳がグレーゼに向けられて、そわそわと胸の奥がくすぐったい心地になる。

 この感覚の正体を暴いてはいけない気がして背後に後ずさるが、馬車の中は狭い。あっという間に背中は行き止まり、目の前には獲物を捕らえたようなオレク。


 逃げる場所もなくて思わず目を閉じると、小さく押し殺したような笑い声。

 それから前髪をかき分けて、柔らかいものがそっと触れて離れていった。



「……!? き、君……!?」


「はは、グレーゼ、顔が真っ赤だぞ?」


「だ、誰のせいだと思って……!」



 髪に触れる手をいつものように振り払おうとして、これも彼の言う愛情表現だったのか、と思い至って体が固まる。

 顔を赤くするグレーゼを他所に、ふわふわの髪を少しだけ掬って口付けるオレク。


 ──これでグレーゼの目的は達成された。


 そのはずなのに、これまで以上の苦労が待っていそうだと感じるのは、気のせいだろうか。

 得意げに微笑むオレクを前にしてグレーゼは、小さく溜息をひとつ。

 

 ──まあ、それも悪くはないか、と思っている時点で、彼の掌の上なのかもしれなかった。





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