第97話「レディース・コーディネーター」
〈イングラムさま、起床の時刻になりました。ノンレム睡眠、程よい深さの中でお眠りになられていましたよ。ですが———〉
イングラムの電子媒体、思考と解析を得意とする女声型のボイスがスピーカー部位から聞こえてきた。
「あぁ、おはよう。アナウンスありがとう。で、どうした?」
〈いえ、夢を見ていらっしゃったもので〉
イングラムはその身を起こして
窓から差し込む夕陽を浴びると、大きく呼吸をした。
「夢?確かにレオンさんの夢を見たような気がするが……何かの予兆なのかもしれん」
〈普通ならば、ノンレム睡眠中に夢を見ることはまずないのです。よほど強いなにかが起こらない限りは〉
これはベッドタイムという機能を使うことで起動するものだ。持ち主が最もストレスを感じない人物の声を脳内の記憶から読み取って聴かせる。近年人気が出始めている機能だ。
「なら、結論は簡単だ。
その強いなにかが起こったのだろうさ」
イングラムは立ち上がって、再びシャワーを浴びて、速乾性のカプセルへ入り込む。
数秒間目を閉じるだけで全身の余計な水分が吹き飛ばされていく。
まるで全身ドライヤーを浴びているような感覚だ。おかげでバスタオルもヘアバンドも必要ない。
〈イングラム様、今宵の舞踏会にお出になられるのですね?予行演習などはどうされるのですか?〉
「まあ、なんとかなる。
ソルヴィアでしごかれたからな。
音を聴き、周りを視ればどう踊ればいいのかわかる」
〈承知いたしました。それでは、良き夕暮れをお過ごし下さいね。くれぐれもご無理をなさいませんよう、何かあればすぐにお知らせします〉
「いつもありがとう、頼んだよ」
〈はい〉
機械的でもあり、どこか人間味のある返答が返ってきた。まるで、人と対話をしているような感じだが、今の時代はこれが当たり前だ。
電子媒体は自動シャットダウンすると
イングラムはすぐに身支度を整えた。
全身を黒一色のスーツに身を包み
髪型も執事らしい物へ変えた。
「よし、違和感はゼロだな。
民衆に紛れ込んでもおかしくはなかろう。
さてと、出るか」
がちゃりとドアノブに手を掛けて
姿を見せる。
「イングラムさん、夕ご飯が出来まし———わぁ、素敵ですね!」
2階からお盆を手に持って降りてくるエレノアは、耳をぴこぴこさせて目を見開いて
そう零した。テーブルに用意されたディナーを置き、顎に手を当ててふむふむと
観察し始める。
「ふぅむ、見事な採寸でありながら
動きやすさと通気性を両立している。
必要なポケットは上に2つ、下に前後合わせ4つ、仄かな新品の香りが鼻に伝わってきますよ!私限定ですが!」
黒いスーツは、ぴっちりとしているように見えつつ、かつ動きやすい。アクションを行っても行動を遅延させるようなことはないだろう。
冬は暖かく、夏は涼しくを両立できる機能を兼ね備え、イングラムの元々の持つ騎士の素質が、より執事らしさを表している。
髪型もオーソドックスではあるが、静けさの中にある力強さを惜しげもなく醸し出している。
「いやしかし、見事というほかありませんね。優秀なコーディネーターでも居たんです?」
「いえ、これは電子媒体がチョイスした物です。俺はそれに従い整えたまでですよ。」
「あぁ、流石、イングラムさんの凛とした感じをしっかりと受け継がれていますね!」
「ははは、そのように設定しましたから!」
と、楽しく語らっていると
食事の匂いを嗅ぎつけた2名が奥の部屋からやってきた。
「わーい!ご飯……!
騎士様!?騎士様なの!?」
「わ、あぁ、かっこいいですぅ!」
驚きながらぴょんぴょん周りを跳ねるリルルと口元を両手で押さえて頬を赤らめておかしな声を出しているレベッカがそこにはいた。
イングラムは怪しげな笑みを浮かべてレベッカに近づき、紳士的お辞儀をしたあと
「レベッカ嬢、本日エスコートさせていただきます。イングラム・ハーウェイと申します。今宵のみという短いひとときではありますが、どうぞよろしくお願いしますね?」
「は、はひぃ……」
すっ、と近づいて
レベッカを抱き抱え吐息がかかるまで顔を近づけると、今度は爽やかな笑みを浮かべて
「ふふ、思わず口付けしてしまいたくなりますね?イケナイお方だ、レベッカ嬢」
「ふぇぇ……!!」
この騎士、いやこの執事、あれほど
嫌々とした様子だったのに、着てみると意外とスイッチが入る男なのである。
まあ本当にキスなどはしない、したらルークになます切りにされてしまう。
なので代わりに、薄くて白い手袋の人差し指でレベッカの柔らかい唇を優しく押し付ける。
「さあ、ディナータイムですよ。お嬢。
席へどうぞ」
そのままレベッカを抱き上げて、席までご案内。華麗に着席させると、ナプキン、フォーク、ナイフをディナー形式に配置する。
「お困りの際は何なりと……私は貴女の執事ですから」
紳士的お辞儀をしたあと、顔を上げてウィンクする。もうレベッカの顔は真っ赤だった。
頭から機関車のように湯気が排出される。
「ふぇ………かっこいい」
悶々とするレベッカ、爽やかな笑みを浮かべ続けるイングラムを他所に、リルルは握り拳を作って嫉妬していた。
「あれ?どうしたの?リルルちゃん」
「解せぬ」
「難しい言葉知ってるねぇ……」
よしよしとプルプル震えるリルルの背中を優しくさする。やはりエレノアは常識人だった。彼女がいなければこの場が修羅場になっていたかもしれない。
ここにクレイラがいれば、煽っていたのかもしれない。そう考えると恐ろしくなってきた。
「リルル嬢、今宵のみお許し下さい。
今宵だけは、レベッカお嬢様の執事なのです。」
「むむむむむむ……!」
リルルの表情が恐ろしいものになっている。
天使から堕天使に変わりかけている。
彼女の全身から凄まじいオーラが放出されている。なんか宿屋がこう、ガタガタと揺れ始めている。地震が出始めている、
「ステイ、ステイだリルル。
落ち着け、というか、これも騎士の役割だと言ったのはリルルだろう?」
「うっ……」
イングラムはゆっくり近づいてリルルの前に立つと、ゆっくり腰を下ろして両手で彼女の小さな手を握った。
「今日だけ、我慢してくれるな?」
「う、うう……」
「リルル、じゃあこうしよう。
明日は君だけの執事になる。約束するよ」
イングラムは小指を立てた、そして、それを見たリルルは目を大きく見開いて、ちょっとだけ頰を赤くした。
「本当?」
「あぁ、騎士に二言はない」
穏やかな笑みを浮かべたイングラムは
リルルの小指を立てて指切りゲンマンをする。
「あ、ありがとう、騎士様」
「いいよ、大丈夫だ。
さて、と———」
優しく頭を撫でて、レベッカへ方向転換する。首元のネクタイをギュッと締めて
真っ直ぐに歩いてくる
「さて、レベッカ嬢。コーディネートのお時間です。はい、行きますよ」
「ちょちょちょちょ!?」
彼女の手を引っ張って、ずこずこと着用するための部屋の一室まで直進していく。
「イングラムさん、大胆ですねぇ。」
「“そういうのに興味がない”から、騎士様は大丈夫だよ」
「?????」
数時間後———
白いと黄緑色の中間の美しいイブニングドレスを着込んだレベッカが赤い顔をしたまま出てきた。髪もイングラムの手で解かされて通常よりも僅かに伸びているような気もしている。化粧も施されている。舞踏会の中でも群を抜いて目を引くだろう。
「イングラムさん、プロでは?」
「いや、電子媒体の指示に従っただけですよ」
「ただ従っただけだそれですか!?
凄まじい巧さですね!」
「いえ、俺などまだまだですよ」
エレノアは目をキラキラさせて
イングラムの技術力を称賛する。
リルルはレベッカの周囲をクルクルと回ってまじまじと衣装を観察する。
「お姉ちゃん、顔赤いよ?
騎士さまに変なことされたの?えっちなことされた?」
レベッカは赤い顔をさらに真っ赤にさせて
両手であたふたして身振り手振りして返答する。
「さ、されてないもん!
紳士的にコーディネートしてくれただけで……
「えぇ〜?本当〜?騎士様の匂いがぷんぷんするよぉ?」
「だからっ!それはコーディネートされただけでっ!そういうんじゃないから!」
血のような真っ赤な顔、涙に目をためてそんな深い意味はないと断固拒否する。
それを見かねたイングラムはひょいっ、と
リルルを抱き上げて、小指で額をツンと押した。
「こらっ」
「痛っ」
「度が過ぎるぞ、リルル。
その調子がまだ続くようならさっきの約束は取り消しだ」
「え、それはいや!」
焦るリルルに対して凛とした表情を浮かべるイングラム
「ふむ、じゃあレベッカさんに謝るんだ。
出来るだろ?」
「う、うん!」
くるり、とリルルはレベッカのところへ振り返って、ぺこりと頭を下げる。
「お姉ちゃん!ごめんなさい!
ちょっとヤキモチ妬いちゃったの……」
「う、うん、私こそ、その……ごめんね?
仲直りしてくれる?」
「私も、仲直りする!握手しよ!
仲直りの握手!」
リルルは両手でレベッカの手を握り
激しく上下に揺らした。
レベッカは彼女に指導権を握られぶんぶんと
体を揺らされる。
「あー、リルル。ほどほどにな?
ドレス汚れちゃうから」
「あわわ……激しい仲直りですねぇ」
ぽりぽりと髪を掻くイングラム。
あわあわとあたふたするエレノア。
それを他所に仲直りするニ人。
「はい、仲直り!」
「うん、仲直りできた!えへへ!」
嬉しそうな笑顔を浮かべるリルルと
まだ赤い顔をしているレベッカは、夕食まで手を離さなかった。