第96話「邪悪との戦い」
「神……北欧だと?
クトゥルフ共に退けられたのではなかったのか?」
「ふん、あの戦いで全ての神が参戦したとでも思っていたのか?思考が足らないようだ」
フェンリルは口角を上げて鼻で嗤い
ライルの精神を逆撫でする。
そして案の定、彼の顔は歪なまでに変化した。
「俺をそこらの奴らと一緒にしないでもらおうか」
「ほれ、どうした?
そこの餓鬼どもと群れて発言してもらっても構わんのだぞ?」
23年と数万年、生きた規模が違いすぎる。
北欧神の器は予想以上に大きかった。
獣のような男はキリキリと奥歯を擦り合わせながら奇怪な音色を奏でてフェンリルを睥睨する。
「貴様ぁ、調子に乗るなよ!
俺はいつでもレオンとそこの小娘を殺せるんだからな!」
「小物の発言だな。
すぐにやられる雑魚の台詞だ。貴様にはお似合いだな?」
クククとフェンリルは笑いを噛み締めて
再度煽る。
言葉選びも彼の方が巧みのようだ。
「よし、殺すか。今すぐ殺す!
行くぞお前ら、原型も留めないほどメチャクチャにしてやる!」
「原型を留めていないのは貴様のその顔だろうに。あぁ、そうか、鏡がないからわからないのか。ふ、これは失敬、神ともあろうものが準備を怠っていたようだ。ほら、見てみろ。」
フェンリルは手持ち鏡を持ち出して
その醜い貌を写し出してやる。
ヴァイスはそんなことを気にも留めずに
邪悪なマナを散弾のようにばら撒きながら突貫してきた。
「レオン、お前は俺の後ろにいろ。
その少女を庇うようにじっとしているんだ」
「……すまないフェンリル。
助かるよ」
「ふっ、何、ここで永年も食わず眠らずを耐え抜いて来たのだろう?少しくらい休んでもバチは当たらんさ。いや、当たらせないの間違いだな。神がここにいるのだから」
「己狼ぃ!」
フェンリルは激突間近のヴァイスの顔面を
掴み、地面に叩きつけた。
大地が変形してしまうほどの凄まじい威力、取り巻きの四人も、思わずフラついている。
「その汚い口で俺の名を呼ぶな。
その汚い眼で俺を見るな。
出来んなら死ぬがいい」
その手を離して、四人に向けてライルを蹴り飛ばした。
「ぐぉぉぉぁぁ!!」
「大丈夫!?ライル!?」
「あたいたちも手を貸すよ、あんな痩せイケメンスルーしてレオンたち殺すっきゃない!」
歪な少女たち二人はヴァイスを受け止め、
突貫していく。人のみならざる吐き気を催す邪悪を纏いながら薄ら笑いを浮かべて攻撃を加えんと———
「あぁ、そうだ。
貴様ら餓鬼に選ばせてやろう」
フェンリルは背を向けてパチンと指を鳴らして振り返る。その表情は実に愉快そうだった。
「熱いのと寒いの、どちらが好みかな?」
傷だらけの少女には地獄の如き業火が
小悪魔的少女には絶対零度の如き冷気が
その身に降りかかった。
肉体を焼き焦がすほどの超高温が、声にならぬ声を掻き消していく。
肉体を壊死させるほどの超低温が、細胞の一つ一つを容赦なく凍てつかせていく。
「あ———が、ぁぁ」
「——————」
「通常の人間の身であれば、即死するのが当然のことわりだ。が、今の貴様らからは未だに鼓動が聞き取れる。やれやれ、貴様ら邪神もヤキが回ったらしいな。こんな人生の何たるかも把握しきれていない餓鬼どもに、半端な力を与えるとは———」
フェンリルは怒気と殺意を孕んだ瞳で
後ろの邪神達を睥睨した。
「実に、不愉快だ———!」
右手には灼熱の業火を、左手には絶対零度の冷気を、それぞれを宿しながら、フェンリルは両手を交差させてそれを放出する。
後ろの男ども三人は一撃を避けてフェンリルの元へ駆け出していく。
「フェンリル!邪神達を攻撃すると、その女の子にダメージが入るようになってる!
どうにかして、奴らと彼女の繋がりを断ち切らない限り、最悪死ぬ!」
「ふ、そうか。だがもう関係ない。
その邪な楔は既に俺の力で葬った!
お前の光が、奴らの支配力を
弱体化させた、おかげで容易かったぞ!」
フェンリルはニヤリと笑みを浮かべて、
ゴリラの如き体躯の男と、見せかけの力自慢の男を叩き伏せる。
それと同時に、少女の身体がふっ、と軽くなって、全身の黒い鎧から邪気が抜け落ちていくのを感じる。
「ふん、半端者はやはり半端者。
踏ん反り返っているレオンにすら手出しできんとはな。愚か極まりない。そら、貴様のお友達だ。汚物は持ち主である貴様が処理しろ」
フェンリルは首根っこを掴みあげて
ライル共々のところへと放り投げた。
「ふっ、流石だフェンリル。あなた程の神が弟に付くのかわからないが……」
後ろへ交差させていた両腕から不気味なほどのマナを集約、手を前に出すと同時に放出した。フェンリルは鼻で嗤い足を僅かにずらしてそれを避けた。後方が大きく爆発する。
「悪趣味だな」
神は一歩も動こうとせず、ライルへ視線を向けてすらいない。彼は邪神達を睥睨しているのだ。目の前の餓鬼はまるで眼中にないとでも言っているかのようだ。
「無視してんじゃねえ!」
筋肉ダルマ男は苛立ち、フェンリルに突貫するが
「邪魔だダルマ」
捨て台詞と共に後ろ回し蹴りを繰り出されて撃沈する。
(しかし……このライルという男、本気でやってないな。殺気をまるで感じない。
レオンを殺す気はない、ということか)
「苦戦しているようだな、それでもハイウインド家の人間か?ライル」
フェンリルがライルの行動に違和感を感じつつも、視線を外さぬまま見据える。
そして、彼の上空に立つ男、仮面の魔術師。ソルヴィアを陥れ、コンラ崩壊の要因を作った張本人。
「貴様か、例のブツが足りんらしい。
俺の仲間に付与しろ、多少はマシに———」
「無駄だ、人の智謀と技術では神の領域に到達できんよ。それにしても、まぁよくものうのうと生きていられるものだな?
レオン・ハイウインド」
「……アイツらの力、思ったより大したことねえな?やはり、オーディンやシヴァたちの影響が大きいらしい」
むっ、とするフェンリルに気付かないまま
レオンは仮面の魔術師に向かって吐き捨てた。
「——————」
「おい、邪神教の教祖さんよ。
てめえの悪事は必ずぶち壊してやるから
愉しみに待ってろ!その薄ら笑い、仮面ごと叩き割ってやるよ!」
「ふ、ははははは!!!
なぁライル、お前の弟は愉快だな」
仮面の奥で嗤う魔術師に対して、
ライルは不愉快そうに鼻で嗤う。
「まあいい、貴様らがそこまで不愉快に思うのならば、レオンをここで仕留めるとしようか」
魔術師は指をパチンと鳴らすと
呪文を高速詠唱し始める。
すると、地面が激しく揺れ始めた。
かのフェンリルですら、まともに立っていられない。
「……フェンリル、その子を連れてここから離れてくれ。奴のあの詠唱から底知れぬ破壊の意を感じる」
「……お前はどうするつもりだ」
「俺はここに残る。多少はあんたのおかげで回復した、もう少しくらいなら戦える」
フェンリルは立ち上がるレオンを見据えた。彼の瞳には強い意志が宿っている。
「その子を頼む、出来ればイングラムの所へ連れて行ってくれ。その方がその子も気持ちもマシになるだろうよ」
「——————」
「さぁ、レオン!
貴様の最期、貴様の命運が断ち切られる時だ!ムー大陸の封印より解かれしガタノソアよ!今ここに出でよ!」
地面から現れる邪悪な触手は亀裂を広げ
アンモナイトのような巨大な攻殻を纏った怪物が姿を現した。
草木も生えなかった足場には燻んだ黒い水が溢れ、足首を飲み込むほどに水位が上昇した。
「ふっ、さて、我々は撤退だ。
レオン!他の邪神とその神。
果たして貴様がどれほど持つものか、見ものだな!生きていたならまた会うこともあるだろう!ははははは!!!」
魔術師はライルたちを回収して姿を消した。業火に包まれていた者、凍り付けになっていた者の二人もいつの間にか消えていた。
「ふん、そう簡単にくたばってたまるか。
さあ行けフェンリル!こいつらは絶対外には出さん!俺が保証する!」
「……わかった、俺はこの子を無事に送り届ける!」
フェンリルは振り返ることはせずに
出口へ真っ直ぐ走って行く、一人の青年が
仁王立ちしている中、自身は少女を送り届けるために走っていく。
力になれないわけではない。神性を全て解放すれば、ガタノソアと同等の質量になり
相打ちに持ち込むことも可能だろう。
だが、それでは他の邪神たちに隙を与えてしまうことになりかねない。
レオンはそうさせないために、独り残ったのだ。フェンリルは出入り口だった場所へ一撃加えると、そこへ飛び出した。
それと同時に、出入り口がぐらつき、中にいたレオンと邪神たちを閉じ込めてしまった。
「ふん……俺はこんなとこで死なねえよ」
レオンは真っ直ぐ立ち上がり、呼吸を整えて両腕を交差させると、全身が黒く光り始めた。
「俺の闇のマナの力でこの場所諸共封印する。俺も、お前らも、全部まとめてな!」
交差させたまま、淡く光り続けたまま
レオンは真っ直ぐガタノソアを見据える。
つま先の感覚が徐々に重くなっていくのを
気にも止めず、彼は目の前に立って
邪神の一柱を睥睨した。
「我が身に宿りしは黒き闇のマナ!
我が意、我が想いよ!邪なりし者達と共に我が身を封印しよう!邪悪よ、抗がうがいい!
我がマナこそ”純粋な暗黒であり闇である!”」
レオンが高らかに叫ぶと交差していた腕を一気に前に突き出した。淡く光る黒一色の波動が、全域に放射線状に広がっていく。
そして、下半身は既に石化し始めていた。
だらりと両腕を垂れ下げて
レオンは笑った。
聖光と闇夜のマナの両方を使うことによって光のマナはガタノソアの石化の瞳を鏡のように応用して反射させ、それを放射状へばら撒いたのだ。その影響で、邪神達の肉体も石化の現象に侵されてしまった。
ある者は抵抗し、ある者は受け入れ、ある者はレオンを睥睨した。
「ルーク、アデル、ルシウス……そして、イングラム、後は、任せた……」
レオンはゆっくりと瞳を閉じて、口角を上げたまま完全に石像と化したのだった。