第91話「ステルス・インザ・ミッション」
闇夜にも近しい暗がりの会議室の中で
一つのスポットライトが一人の人物に当てられた。ベレー帽を被り、深緑色の軍服を身に纏ってテーブルの上で手を組んでいる1人の青年こそ、イングラム・ハーウェイ大佐である。
「諸君、今回のミッションは動くラブリーなピンク色のダンボールの追跡、ついてはその正体を君たちの手で暴くことだ。いいか、決して相手側に悟られる様な行動はするな。その時点で、ミッション失敗だ」
「「「イエッサー」」」
隊員のリルル、レベッカ、クレイラの三名はそれぞれ敬礼を返した。
動きやすく、周囲の風景に同化するように
配備された追跡用のスニーキングスーツ。
上半身の右胸の鞘にはナイフ
ミニスカートと黒ニーソで包まれている下半身には、もしもの時のための手榴弾。
右手の腰元には専用のサプレッサー付き麻酔銃が付いている。彼女たちはこれを身につけると、再度イングラム大佐の元へ集まった。本日より、ダンボール追跡ミッションが下されるのである。
「イングラム大佐!リルル!頑張りますであります!」
「同じくレベッカ!リルル隊員にに続きます!」
「同じくクレイラ!リルル隊員、レベッカ隊員両名に続きます!」
三人の意思は固い。
これまで幾度となく戦火を潜り抜け、巨悪から世界を脅威から救ってきた彼女たち。今回も、無事にミッションを成し遂げてくれるだろう。イングラム大佐はにやりと口角を浮かべて机を叩き、立ち上がる。
「諸君の健闘を祈る!任務開始!」
「「「了解!」」」
狙うはダンボールの正体ただ一つ。
大佐の下された命令に、彼女たちは再度敬礼したのであった。
【ミッション内容】
動くダンボールの追跡、およびその正体の確認。本任務は暗殺ではないため、ナイフの使用は原則禁止である。
罠等の解除に役立て、対象を殺めることのないよう願う。
「———で、これでいいのか?」
例のファッションアプリで(全員分)購入した軍人用の衣装で、それっぽい雰囲気を出してみた四人。リルルは大喜びのようだ。
「うん!ばっちり!流石騎士様!
演技派だね!」
少女、笑顔のサムズアップ。
「いやまさか、イングラムさんがこんなに
迫力ある演技をされるとは……私、感激です!」
レベッカまさかの乗り気である。
したことがなかったのか、それともやりたかったのか、そんなことは知らないが、
いまの彼女、軍服を着て少しにやけている。着たかったのか?
「両名隊員!対象はいつ動くかもわからない!目を逸らすな!」
「「はっ!!」」
クレイラ隊員の冷徹な一言は、二人の気持ちを現実からミッションに一気に引き戻した。戦場に再び、緊張の渦が巻いてゆく。
彼女らは小さな木箱と同じ背丈になり、わずかに身を乗り出して様子を伺うのだ。
「おい、お前たち。遊びじゃないんだ。
いい加減にしろ、周りが見てるぞ」
周囲の亜人や獣人たちは、え?
何あの個性的な人たち的な目で視線を投げてくる。彼女たちは気にしていないだろうがイングラムの精神にはズバッと一太刀入れられたような言葉にならない痛みが胃に襲いかかるのだ。
「俺の胃が嵐になっているんだ。
この気持ちがわかるか?わかれよ!」
「しっ!大佐殿!やかましいであります!」
クレイラに人差し指を口元に突きつけられてビー・クワイエット!静かになれ、と言ってくる。静かになるなという方が無理である。
最初の映画のワンシーンぽい場面に乗ってあげただけでも感謝して欲しいぐらいなのだが
「はぁ、わかった、わかったから俺はもう脱いでいいだろ?こいつは動きにくくて仕方ない」
イングラム、実はこの為だけに数万円の軍人セット、大佐モデルを購入したのである。高い割に動きにくく、身体にストレスが溜まっていた。
腰元の銃もリアルだがレプリカだし、訳の分からない国家のワッペンまで右上腕部分に張り付いている。
ベリッと剥がして投げ捨ててやりたい。
「騎士様!脱ぐなんてダメ!
ミッション達成したらお祝いのジャパン開けるんだから!」
「シャンパンだよ!!ジャパンは日本の英名だよ!!誰だリルルにお酒なんて教えた奴は!またルークか!?」
はくしょん、と空の彼方でくしゃみが聞こえた気がしたが、今はそれどころではない。
ならばもうどうにでもなってしまえ。
彼女たちの気の済むままにやらせてやろう。
きっと何を言っても無駄に終わると、イングラムは溜息を吐いて悟ったのであった。
「むっ、対象の移動を確認、両名付いてくるべし!」
「「イエッサー」」
「はぁ———」
念のためイングラムも木箱に身を隠すのであった。
ダンボールはちょこちょこ動いては止まり、また動いては止まりを延々と繰り返している。ダンボールの向かう先を見てみても人だかりが多くて何が目当てなのかもわからない。
「うーん、あのダンボールは何が目当てなんでしょうか。大佐、何か情報は?」
「ない」
レベッカの問いに無慈悲な返答を返す。
しゅんとするレベッカに続いて、リルルが
問いを投げた。
「ねえねえ大佐、あの4本足の正体なんだけど、もし人が入っていたとして、男の人二人が仲良く入ってるわけじゃないと思うの」
末恐ろしいことを暴露しつつリルルは続け様に言った。
「男の人と女の人、もしくは女の人同士が
入ってると思うの。
男の人同士だとギチギチになっちゃうもんね」
「リルル、君は恐ろしい子だ。
あえて放棄していた答えに辿り着き、なんの躊躇いもなく言って見せるとは」
「お褒めに預かり恐悦至極です!」
天使の微笑みと小さな敬礼。
普段ならば笑顔を返すところなのだが
今は胃が痛い。早く帰りたいと思っている大佐にそんな余裕はなかった。
「むっ、動いた!」
意識を全てダンボールに向けていたクレイラは動いたダンボールをゆっくりと、しかし確実に足を進めて距離を詰めていく。
リルル、レベッカ両名もそれに続き、嫌々イングラムも付いていく。最早周囲の視線など気にならなくなってしまった。
「やるからには全力を尽くせよ。
俺も今回だけは付き合ってやる」
「大佐黙って」
「——————」
クレイラは集中すると口が悪くなるタイプなのだろうか。後でそれは咎めることにする。
追跡してはや30分、ようやく人だかりの
数が減り、ダンボールが何を目指しているのかが明確になってきた。
(あれは、人か……?
亜人でもなければ、獣人でもない。
真人間だ!)
その追跡対象は何かに追われているのを感じかけているのか、自身の周囲を異様なほど気にしている。ダンボールのことは気にも止めていないようだ。動いているのに。
「なるほど、リルル隊員。
ダンボールの狙いはあの人間とみました。
なぜ追っているのか、今こそ捕まえてみるべきでは?」
「ううん、まだその時ではないと思う。
心して待つべし」
「ラジャッ!」
「……うん?クレイラはどこ行った?」
そういえば黙れとか黙るなとかいう
隊員がいなくなっている。
イングラムの背筋に冷たい風が当たったような錯覚が襲ってきた。
そして、追跡対象の追いかけている人の目の前に現れたのはなんと——————
「ワン!」
1匹のチワワだった。
イングラムにはわかる、あれは野生個体ではなく、クレイラが変身した個体であると。
しばらく行動を共にしていたのだからわかる。なぜならこっちを向いてドヤ顔舌出し
しているからだ。野生のチワワはあんなことしない。あちゃーと顔に手を当てて心の中で声を漏らす。
「わぁっ、チワワさんd———」
ガバリとリルルの口元を押さえるレベッカ
背後をとって尋問をするような手慣れた手つきだった。
「ミッション失敗になるで候。
よろしいのか?」
ふりふりと首を縦に振るリルル
それは嫌らしい。
あとそれはサムライのセリフだ。
「よし、ミッション続行!」
「はぁ、全くお前たちは
依頼を受けたわけでもあるまいに」
イングラムは考えることをやめた。
思考を宇宙に放り投げて、ただただ
二人+1匹の様子を見守らなければならない。
胃液が逆流してきた。
騎士の、いや大佐の顔が徐々に青くなっていく。
「チワワワン!でぇい!」
(喋るなぁぁぁ!!!)
チワワらしからぬ軽快な跳躍、しなやかかつ小さな足を伸ばして、その対象の人間の顔面を蹴った。ちなみに、蹴りの威力は人と同じである。
「ぐええええ!!??ワンちゃんがなんでぇぇ!?」
後ろに倒れてくるダンボールの上にびっくりマークが表示されたような気がした。
それはそそくさと後退しながら向きを変えてこちらに向かってくる。
「あわわわ!こっちに来ますよ大佐!」
「このままやり過ごす。じっとしてろ」
ダンボールは凄い勢いでこちらまで後退してきた。ズザザと砂塵が巻き上がるほどに
砂埃が酷かったが、3人はダンボールが後退する前からガスマスクを装備していたため難を逃れた。
「コーホー、セーフ」
レベッカは両手を水平に伸ばしてそう言った。どこぞの審判か何かか?
と、伸ばした手がダンボールに直撃してしまった。例の動くダンボールはレベッカの真横にいたのである。
そして———
「痛っ!」
「!?」
可愛らしい声が漏れた。
イングラムの全身から冷や汗がドバドバと溢れてきた。よもや本当に人がいるとは思わなかったので、手をぶつけたレベッカを手刀で気絶させた。
倒れ込むレベッカを担ぎ上げて、リルルを抱き上げて肩に乗せ、謝罪の意を込めて頭を下げると、イングラムはクレイラを置いて脱兎の如く逃げ出した。
「ワンワン!チワワワン!ワンワン!」
チワワは気絶した人間を踏み台にして
駆ける。一人になってしまった今、ダンボールの正体を突き止めるのは自分しかいない。小さな犬歯を剥き出しにして飛びかかる。
(ふっ、正体見たり!お覚悟〜!)
しかし突如ダンボールが僅かに浮かんだかと思うと、謎の影が飛んで、クレイラを奪い拘束した。
「ワンワンワンワン!!!!」
日陰でもわかる紅蓮の双眸は
目を細めて、クレイラの変身したチワワを
睥睨する。
「ふん、テメェのせいで任務がおじゃんだ。こりゃ夜の舞踏会に顔を出さなきゃならねえな。テメェのせいだぞ犬っころ。
いや、人間さんよ?」
(ふぁ!?)
「騙せると思ったか?
ふん、まあいい、お前は任務の手前で
拾った仔犬ちゃんてことにしといてやる。
おい、帰るぞ」
「わかりました。では、こちらにお入り下さい。追跡任務が失敗した以上、今夜にかける他無くなりました。
急いで身支度を整えにいきましょう」
「おう、じゃあこいつも連れてくか。
いずれ主人様と御面会させてもらわんとな?」
(ひぃっ!赤目の男の人おっかない!!)
大柄の男の全貌は陽に照らされてよくわからなかったが、倒れた男を引きずって、片手でクレイラを持ち上げて、ダンボールの中に入り込んだ。
「はい、では出発します!」
若い女性の声は小さく、せーのと
男と息を合わせて、いっちに、いっちにと
掛け声をかけながらどこかへと歩いて消えていくのだった。