第89話「狐人」
「あら、ルシウスじゃない。
あなたがあまりにも遅いから迎えに来てあげたのよ。そしたらまあ修羅場になってるじゃない」
「お知り合いですか?」
女性はちらりとルシウスを見やり
にやりと笑みを浮かべたままイングラムの肩に再び手を置いた。
「あら?伝えてなかったの?
まあいいわ、私はエルフィーネ。ルシウスとは情報共有をしている間柄なの。よろしくね」
「亜人……?動物的身体能力と特徴を持つ
人に近しい存在……
確かに、あなたには尻尾がありますね」
「ふぅん、観察眼は大したものね。
でも、子供の扱いはド下手クソみたい」
「ぐっ……」
エルフィーネ、彼女は狐型の亜人である。
肩まで伸びるオレンジ色の髪と琥珀を思わせる橙色の瞳、髪から飛び出る狐の耳、尻部から生えている尻尾。
そして、人には纏うことのないであろう
妖艶な雰囲気を醸し出している。
彼女はそそくさとリルルの元へ歩いて行き
肩に手をやるとにっこりと微笑んだ。
「はじめまして、お姉さんはマジシャンなの。はい、私の手を見てみなさい?
なんにもないけど、指を鳴らすと、ほら」
エルフィーネは腰を屈めてリルルの眼前に両手を出し、指を鳴らす。
すると、何もなかった両手に飴と一輪の花が現れた。
「すごぉい!」
「でしょ?これをあげるから、騎士様と仲良くしてあげて?ね?」
落ち着くような声色でリルルを諭していく。
少女の表情は明るくなり、いつものように戻っていた。
「うん!わかった!仲直りするね!」
とぼとぼと申し訳なさそうに歩いてくるリルルを、佇んだまま待つイングラム。
そして、彼女が足元まで来ると、ぺこりと
頭を下げた。
「ごめんなさい、私、ご飯食べたの
はじめてだから、美味しくて、また食べたくて、あんな酷いこと言っちゃった……!
ごめんなさい騎士様!」
「いや、驚いたが気にしていないよ。
俺も悪いことをしてしまった。
ごめんなリルル」
「ううん!騎士様は何も悪くない!
私のことを考えてくれてたんでしょ?」
「それはそうだ、大切な仲間なんだからな。身を案じるのは当然のことだ」
その言葉を聞いて、ぱぁっ、と明かりがついたように表情を光らせるリルルは
騎士の腰元に顔を埋めて小さく
「ありがとう」
と言った。
そのあと、こそばゆくなったのか、リルルはクレイラたちの元へ駆けて行った。
「エルフィーネさん、助かりました。
子供の扱い、得意なんですね」
「これでも育児のプロって呼ばれてるんだから、当然ね」
と、会話を切り出していると
ルシウスが真面目な表情をしてやってきた。
「エルフィーネ、僕は一人で向かうと言ったはずだ。
君はレネアの王と話を繋ぐようにと頼んでおいたはずだけど?」
「その王様がしびれを切らしているから
王命を預かってあなたを迎えに来たのよ。
「用があるならさっさと顔を出せ。
待たせるとは何事か」
って、お怒り寸前なんだから」
「くっ……そうか。
すまないがエルフィーネ、僕を連れて行ってくれないか?君の移動装置なら10分と経たずに着くはずだ。」
「別に構わないわよ?さ、手を取りなさい。」
エルフィーネの手をルシウスが取ると、
彼女は他の面々に視線を送る。
「で、彼らはどうするの?」
「連れて行く、彼らも向こうに用事があるんだ」
ルシウスの言葉を聞きながら、彼女の瞳は
ベルフェルクを捉えた辺りで止まった。
「……!
ベルフェルク・ホワード。なるほどね。
あなたが噂の“デキる商人”か。イメージと違うわね。もっとちゃらんぽらんしてる感じだったけれど」
彼女は手招きしてベルフェルクが
こっちにくるように合図をする。
「失礼、エルフィーネさん。
俺たちも連れて行ってほしい。
ベルフェルクは俺たちを護衛として雇ってくれたんだ。彼を送り届けるのが俺たちの役割なんだ」
「それ、嘘くさいわね。
ならなんでこんな危険地帯に女子供を連れてるのかしら?」
彼女は疑いの目を向けた。
確かにこんな危険地帯に子供を連れていることはおかしいことかもしれない。
だが、彼女には他に頼るアテがない。
住んでいた国が滅ぼされたあの時から、
イングラムたちとずっと旅を続けてきたのである。今更、それを変更するつもりはない。
「それには理由がある。だが、今は話している暇はない。スアーガに着いたら
その問いに答えてもいい。
だから頼む。俺たちも連れて行ってくれ。」
「——————」
クレイラ、レベッカもリルルを連れてやってきた。エルフィーネは鼻をひくつかせて
言葉をかけた。
「剣のあなたと無装備のあなた。
かなり出来るみたいね?
いいわ、特別料金で連れてってあげる。
10000路金×人数分与よ。
払える?」
「エルフィーネ———!」
ルシウスが咎めようとした途端
イングラムは彼を制止した。
「ルシウス、構わない。
金は必ず払う。だから連れて行ってくれないか?この通りだ」
そして、土下座をする。
エルフィーネは軽蔑するような視線を落として、踵落としを喰らわせようとその美脚を振り下ろした。が———
「———っ!?」
イングラムの後頭部に直撃しかけた瞬間
凄まじい電圧が彼女の全身を伝った。
硬直し、そのまま制止する。
「今のは、電気……!
紫電のマナ!?」
「そうだ、俺の身体の中には電気を、雷を蓄えているマナ液が血液と共に流れている。最近は、自動防御をしてくれるようになってきたが……さて、どうしたものか。
俺の意思ではそろそろ制御が効かなくなってきたやもしれん。
下手をすればこの場にいる全員が落雷に直撃するようなものだ。
もちろん、あなたも無事では済まないだろう」
エルフィーネはイングラムの身体から滲み出る匂いで、一応の判別は出来る。
確かに、彼の実力は本物だ。
ソルヴィアで長い間インペリアルガードを
勤めてきた無双の騎士だけはある。
エルフィーネはにやりと笑みを浮かべて
妖しい色香を放ちながら言葉を吐く。
「ふぅん、さすがソルヴィアの元インペリアルガードね。合格よ、さぁ私の手を取って?連れさんも一緒にね?」
「感謝する、エルフィーネさん」
「わーい!狐のお姉さん!よろしくね!」
ぎゅっ、とリルルはエルフィーネの腕を掴んだ。頬を赤らめるが、平然を装っているフリをしている。子供は嫌いではないようだ。
「一触即発かと思いました。
存外、悪い人ではないんですね。お狐さん」
「ふふ、人の女ってこうも度胸があるのね。まあそれも、その剣とその技術あってこそなのだろうけれど」
レベッカとエルフィーネはなかなかに
仲が良いとは言い切れないような雰囲気である。お互いがお互いを警戒しているというか、まるで見える静電気に触りにいくみたいに立ち入りにくい感じがする。
そして———
エルフィーネ自身は1番興味を持っている人物の元へ、笑顔を振りまいて肩に手を置いた。
「ねぇ、銀髪トパーズブルーのお姉さん。
貴女“人間じゃないでしょ?”」
誰にも聞こえない、だがその一言はクレイラに見えない刃を心臓に突き刺したが如くの
衝撃を与えた。
「———」
クレイラは冷徹なる氷河のような視線を送りつける。エルフィーネは動じず、身体に鼻を近づけては、クレイラを嗅ぎ分ける。
突如として轟音が天地を駆け巡った。
亜人の少女は舌でたった今出来た赤い筋を舐める。
「“大海の匂い、大地の匂い、大空の匂い”
貴女の匂いは全くしないのね。ふふっ」
クレイラは両手から水のエネルギーを圧縮密集させた剣を出現させ、喉元寸前まで突き立てた。
「それ以上私に話しかけないで、私を知ろうとしないで。思わず斬ってしまうかもしれないよ?」
「構わないわよ?
あなたがなんなのかは、大体把握したし、ね?お愉しみは、私の中にだけ、じっくりとつまみにさせてもらうわ」
凄まじい圧力をかけているにも関わらず、エルフィーネは笑みをこぼしたまま、値踏みするようにクレイラを見つめる。
2人の異様な剣幕と雰囲気の中、クレイラの腕は小刻みに震え、エルフィーネは手の平の上で何かを出現させている。激突するかと思われた二人を制止したのは、イングラムとルシウスだった。
「落ち着け、これからスアーガに行くんだぞ。仲間割れしてどうする」
「エルフィーネ、よすんだ。
これから旅をする仲間になるというのに
君はまた余計に敵を増やすつもりなのか?」
ルシウスは冷静に論ずるが、聞く耳を持たず、余裕さと未だ余韻を残しているエルフィーネ。それに対してクレイラの表情は怒りに染まっていた。ひとまずは、こちらをどうにかせねばなるまい。
「クレイラ———」
両腕を組み、片方の目を細めるクレイラ。
まるで敵対者と相対したかのような
獅子も逃げ出すであろう鋭い視線を突きつけてくる。
「なに?」
「なにをされたのかは知らんが、冷静になれ。リルルが怯えている」
「———わかってるよ」
そう言って、クレイラは悲しげな表情を浮かべ、紡ぎ続けた。
「けど、これだけは言っておく。
あの“狐”を私に近づかせないで。
いつ反射的に首を刎ねるかわからないから」
「俺もあの女を信用しているわけじゃない。君の願いは聞くさ」
「うん、ありがとう」
「ごめんなさいクレイラさん。
どうやら失礼なことをしてしまったみたいで」
ルシウスがクレイラの前にやってきて、
頭を下げて謝罪した。
そんな状況の中で
「でも、おかげで楽しめたわよ?
ありがとう、銀髪のお嬢さん」
離れた距離からエルフィーネがそう呟く。
まるで挑発しているかのように、彼女は
クスクスと嗤った。
「不愉快、本当に」
そう吐き捨てるように呟いた。
クレイラとエルフィーネの溝は瞬く間に広がり、深くなっていくのだった。