第88話「ランチタイム」
クレイラは大きな雷を纏った牛、ボルトホルスを背負いながら歩いて来て地面に引きずり下ろした。一瞬揺れたくらいの振動が起こった。ルシウスは立派な牙を片手に持ち上げてそれをゆっくりと置いた。
「やあ、これは雷牛と言って、かつての日本の和牛に匹敵する美味しさを秘めているらしいんだ。クレイラさんはいいのを発見したよ」
「そうなのか、俺たちは純度の高い水を汲んできた。電子媒体に取り込んでいるから
かなりの量を引き出せる。どれくらいにしようか?」
電子媒体には水を貯蓄するための機能がある。最大で10リットル。
アップデートをすればその倍は貯められるというが、今はその時ではない。
「まずはルシウスの火のマナで寄生虫を焼く。後お腹に来るのが怖いし、その後に細かく切り刻んで5センチ台のステーキにしちゃおうか」
クレイラは人差し指を立てて、笑顔で微笑んだ。確かに、いくら時代が進んだとはいえ、寄生虫も進化を遂げているに違いない。
胃にたどり着いた瞬間、空を昇る龍のように食道を貪りながら口から飛び出る。
想像を絶する痛みを感じさせる寄生虫も存在するのだ。そのどれもは、高温で焼滅させるか冷気で凍死させるかの二択で駆除できる。
それは人類が誕生した時から変わらない。
「薪なら持ってまさぁ!どうぞどうぞぉ!」
ベルフェルクは電子媒体から大きめの薪を
選択して取り出した。
電子媒体はサバイバルにも適している。
電池の消費はなし、天候の影響もよほど
強力なものでなければ砂嵐にならない。
薪やら水やらテントやらバッグやら
一通りのサバイバル装備品はボタンをタップすれば出し入れ可能なった。
科学は進歩したのである。
「あぁ、ありがとうベルフェルク。
やっぱり職業柄、野宿も多いのか?」
「まあねぇ、色んなところで動植物を売り歩いて経営させてもらってますぅ。
まだまだ新入りですがねぇ」
「その割には結構身体が鍛えられているような気がするけど」
ルシウスはじっ、とベルフェルクの
肉体を視てそう呟いた。
彼は無意識に目に力を入れると、否応なしに通常の千里眼が発動する。
その気になれば“覗けて”しまうのだ。
「いやんえっちぃ」
ベルフェルクは頬を赤らめて両腕で胸部を覆う。
「やめろ」
イングラムの冷徹な一言がベルフェルクに
突き刺さる。が、彼は表情を変えぬまま
じっとしている。
「お腹空いた!ご飯にしようよ!」
止まってしまった時のようなこんな空気を突き動かしたのは、リルルの一言だった。
その言葉のおかげで、全員の腹の音が鳴った。
「うん、そうだな。
とりあえず、食事にするか」
そのあとはとりあえず、リルルに見えないようにレベッカとベルフェルクが配慮し
ルシウスが一気に超火力で焼き、クレイラが黄金比率で皮と肉を剥ぎ分け、肉と骨を斬り、取り出した皿の上に盛りつけた。
寄生虫は焼死し、見事な見栄えのヒレステーキだけが乗せられた。
付け添えは玉ねぎとにんじん、ブロッコリーである。
「わーい!お肉食べるの初めて!」
きちんと手指を洗い、消毒し
クレイラは1人ずつの元へ皿を運んで、どうぞ
と差し出して来た。
電子媒体で召喚した円卓状のテーブルを中央に置き椅子がそれぞれの面々の近くに置かれる。
「よし、準備はできたな?
いただきます!」
「いただきまーす!」
濃厚な肉の香りが鼻腔を刺激し、即席で作られたタレは塩とレモンというありきたりなものだが、これが食欲をそそる。レモンの僅かな酸味と塩気が舌の上で引き立ち肉の旨みを限界にまで高める。
シンプル・イズ・ベスト。
塩こそが美味しいのである。
「美味しい!!!」
リルルは至福の笑顔を浮かべて落ちそうになるほっぺを押さえる。
今まで食べたことがないくらいの美味しさだったのだろう。今にも天に登りそうだ。
「うん!これは確かに美味しい!
お米が欲しくなるね!」
「日本がまだここにあればいくらか貰えただろうけど、うーむ」
「代用品ならあるぞ?」
イングラムの一言に皆が視線を送った。
思わず目をパチパチさせて、え?
という顔をする。皿を置いてズコズコと迫ってくるクレイラは笑顔で
「出してくれないかな?」
「構わんぞ」
イングラムは自分の電子媒体を起動して
お米の代理品を取り出した。
「「「!?」」」
全員が驚愕する。
「えっ、ちょっ、どこでそれを!?」
「うん?ソルヴィア国王からいただいたんだよ。「お前の働きは大変素晴らしい。
これは褒美である」とな」
テーブルの上にどっと置かれたのは
古代米と呼ばれる品種だった。
黒い稲から出てくる白い米は
栄養価が高く、西暦よりもはるか昔の人々はこれを食していたという記述もあるのだ。
「これを、こうして、こうだ」
イングラムは手慣れた手つきで稲から米を
取り出して、精米して、水で研ぎ始めた。
「ルシウス、火を頼めるか?」
「うん、もちろんさ」
釜に米をぶち込んで蓋をし
超高温で炊き上げる。
稲の取り出しからここまで、わずか5分程度であった。
「よし、頃合いだ!火を止めてくれ!」
イングラム以外の全員は顔を近づけて
今か今かと待ち侘びていた。
「待て待て、蒸気で火傷するかもしれん。
少し離れろ」
イングラムが制止する。
リルル以外は意味が理解できたのか、
クレイラはリルルを抱いてみんなと一緒に
後退した。
「はい、ではお米の披露会です。
本当は蒸らした方がいいんだが、待つ気はないらしいからな。蓋取るぞー」
蓋を取った瞬間に、むわっと広がる視界を覆うほどの湯気が一気に立ち込めて
ほんのり甘い香りを漂わせながらそれは
空へ昇って行く。
白い無数の粒がこれでもかという程に釜の中でびっしりと詰まっている。
「こ、これがお米か!
写真でしか見たことがないけど、何で美味しそうなんだろう!」
「古代米の他には、あきたこまちとかコシヒカリとかタイ米とか色々あるらしいが、
これはその中でも飛びきり栄養価が———」
「騎士様!よそって!
私、お米にお肉乗せたい!」
「あっ、いいねそれ!
私も!」
「リルル以外は自分でよそえるだろ?
自分でやれ」
レベッカに続いてクレイラまでもがはい!と勢いをよく手を上げてきた。
イングラムは給食のおばちゃんではないので無慈悲に突き放す。
「ケチ騎士!」
「ケチで結構、リルル、お椀を貸してくれ。盛りつけてあげよう」
クレイラの駄々も容易に受け流すイングラムは手慣れた手つきでお椀に米を盛りつけた。
「よし、じゃあ僕らも盛りましょうか。
ルシウス1番乗り」
「むむむっ!じゃ、じゃあ次は私です!」
「がぁん!最後……!?」
ルシウスが先頭に立ち、盛り始めた。
レベッカは彼の後ろに、クレイラは最後尾になってしまい、オーマイガーの表情を浮かべている。
「僕はイングラムくんの最後で
結構結構これホケキョ」
「ええい!子供がお前達!
お米はまだあるからそこに並べ!
火傷しないように気をつけて盛り付けるんだぞ!あとベルフェルク、そのホケキョは野生に返せ。間違っても鶏肉にするなよ?」
まるでお母さんである。
数分後、各々は席に着きご飯を頬張り
そして次に肉を口に運んだ。
「こ、これがお米!魔性の食べ物!」
レベッカは食べたことのないという表情で
落ちそうな頬を押さえていた。
皆箸が止まることをしらす
「皆気に入ったみたいだな。
よし、残りは冷凍して、っと」
「騎士様!おかわり!」
「僕もぉ!」
「私も!」
「残りは冷凍食にするからもうやめておけ。食べ過ぎは良くないぞ。移動中に気分が悪くなったらどうするんだ?」
ルシウスとクレイラ以外の一同は、むっと表情を変えたが、それで心が突き動かされるイングラムではない。心を鬼にして、リルルの健康管理をしなくてはならないのだから。
他の面々がバクバク食べ続ければ示しがつかなくなる。だから彼らも制止する必要があったのだ。
「———っ」
「ん?」
「騎士様のおケチ!」
涙目で顔を赤くし、リルルは大きな声で叫ぶ。それはそれはもう全員に聞こえるような音量でそう叫んだ。
イングラムは思考が止まり、時が止まったかのように硬直した。
そして
「騎士様なんて、お腹ピーピーになっちゃえばいいんだ!ぷん!」
(ええっ……)
流石に驚いた。
これまで嫌な顔せず付き添って来てくれた
彼女が、初めて言い出した我が儘。
それは、ご飯の魔力によるものだった。
今にも泣きそうな表情で、リルルは嗚咽を殺しながらソッポを向いている。
「あ〜……」
ベルフェルク、やっちまったなぁ。
みたいな顔をしてトボトボ歩き始める。
クレイラもちょっとあたふたしてはいるが
どうこうとするつもりはないらしい。
そしてレベッカはご飯粒を残らす平らげているし、ルシウスは涼しげな顔をしてご馳走様と手を合わせている。
(これは、詰んだな)
これからずっと旅を続けて行くというのに
このままの状態が続けばイングラムは気まずくなってしまう。
他の面々と仲良く会話をし、自分だけが無視されてしまうというボッチ体験はこりごりである。
イングラムは両腕を組んでうーむ、と悩む。子供の扱いは不得手である。
レオンのやり方を見ていたとはいえ、あれはもっと小さくて幼い、言うなればウルズのような子達が多かった。
親戚の子供達とは虫の一件で関わらなくなったため、知識が乏しい。
(くそ、こんなところで足を止めるわけにはいかん。常であれば俺が先に謝らなくてはならん、が。リルルの健康管理を考えればこれは仕方のない処置なのかもしれん、わかってくれるのかなぁ……)
第一次反抗期が来てしまったのかと
頭を抱えるイングラム。
そこに、ポンと手を置かれた。
「ど、どちら様で?」
手を下ろしてその人物を見やると、女性が1人立っていた。
「……君は!どうしてここにいるんだ!?」
そして、ルシウスは大きく声を荒げたのであった。