第87話「ベルフェルク、影の暗躍者」
ベルフェルクはたった一人となった待ち合わせ場所で、風向きに合わせて紫煙を吐き出した。メンソールとリンゴの仄かな風味が口いっぱいに広がって幸せな気持ちになる。そんな心地いい時間を、巨大な影が奪い去ろうと大きな足音を立ててやってきた
「ふぅ———」
舌打ちすることはせず、まだ半分も吸っていない煙草をポイ捨てしようと手を軽くスナップしようとしたが、彼はそれをすぐにやめた。その正体を見上げての判断だった。
10メートル弱という伝説上の記載では少し小さいが、50センチほどの頭部、背中に無数のコブを生やしていて緑色の体表に茶色い斑点が無数にあった。
「オゴポゴか……ここが生息地だとは聞いてないが————」
オゴポゴと呼ばれた怪物はベルフェルクを
見下ろすと裂けるほど口を大きく開けて
威嚇する。その際に吹き出された涎と風が、運悪く彼の吸っていた煙草に付着してしまった。
そのせいで、せっかくのお愉しみが台無しになってしまったのである。
人差し指と中指で、それを半分にへし折るとベルフェルクは跳躍した。
そして———
「やり返ししないとだなぁ、こりゃあ」
オゴポゴの頭部を大きく開いた手で掴み
重力を利用して地面に叩きつけた。
20センチほどのクレーターと、僅かな振動を作り出して、ベルフェルクはその衝撃を利用して空中反転し、大地に降り立った。
オゴポゴはその一撃が効いたのか、従来より小型だったことが奏したのかはわからないが撃沈し、動くことは無くなった。
「ったく、邪魔しやがって」
ぱんぱんと手を叩いて埃を払う。
そして、倒された音を聞きつけたのか、
空からは10メートル程のカラスにもよく似たUMAのサンダーバードがやってきて、地面からは闇堕ちしたであろうビッグフットが穴を掘って出現した。
「はぁ、オフの期間くらい襲撃と仕事はおやめくださいって言わなくちゃあならんのか?こりゃあ手間だ」
ベルフェルクは地面に大きく開いた右手を
叩きつけて咆哮した。
「波ぁっ!」
焦茶色の地面の隙間から琥珀色に溢れ出る光。それはまるでオーロラのように淡く大地の切れ目から美しく輝き始めた。
そして、UMAたちが瞬きをしたその刹那、
彼らの視界は一気に急降下し、地面に叩きつけられ、意識と視界が朧げになっていく。
「はは、まあ緊急被害通告としておくか。
お金お金っ……と」
ベルフェルクはにやりと不敵な笑みを浮かべながら電子媒体を起動し、愛護団体上層部のらしき人物の顔が映るやいなや、ベルフェルクはあたふたし始めた。
「あ、どうも僕でさぁ!
あのあのえっと!スアーガでの開店前にUMAが襲ってきて気が気じゃなかったので、ちょっと護身用の獣を無許可で使わせてもらいましたぁぁ!!
ごめんなさいいいいい!
でもこれ獣災保険って降りますかねぇ?
僕が死んでしまったら色々と後が大変ですしぃ……」
画面の奥の人物はサムズアップしてくれた。
労災保険が降りるらしい。
ベルフェルクは内心ほくそ笑むと
「ありがとうございますぅ!
僕ぁここに勤められて本当幸せもんですぅ!突然お電話しまして申し訳ありませんでしたぁぁ!失礼いたしますですぅぅう!!!」
ベルフェルクは深々と頭を下げて、連絡画面を切った。
「ふん、アホらし」
ベルフェルクは土のマナを用いてベッドのように土を組み立てて、そこに横になった。
探知式機能を組み合わせたので、もしどちらのチームが先に帰ってきても、自然に還る様になっている。
「レオンくんは無事だろうか……」
ベルフェルクは両腕を首元に回して枕の代わりにする。青々としている空と、ゆったりと動いていく色々な形の雲は、ベルフェルクの心をゆっくりと解いていく。
「俺の研究室、あいつらに見つかってないといいが」
ベルフェルクがこの事業に手を出したのは
今から4年半前のこと。
魔帝都在学中の際に、1年上の先輩に当たる人物、魔帝都を卒業したレオンが帝都祭に顔を出していた。ベルフェルクはそれに気付いて手を振って反応すると、レオンは僅かに笑みを浮かべて手を振り返しながら近づいて来た。
「うぉっ!なんですかぁ!?
タカリですかぁ!?
後輩からたかるんですかぁ!?」
「んなことしにきだけじゃない、今日はお前に頼みことがあってここに来たんだ」
「頼みぃ?イングラムくん達ではなく、僕にですかぁ?」
「おう、お前だから頼みたいことがあるんだ。今あの教員どもから自由時間て言われてるだろ?ちょっとこっちおいで」
レオンはベルフェルクの手を強く握る。
しかし痛みを感じさせない程度には手加減してくれているようだった。
そして、魔帝都の校舎裏に、誰もきていないことを確認すると、レオンは腰元から書類を1枚取り出して渡した。
「これは……【動物愛護団体研修書】?」
「電子媒体、持ってるだろ?
それにこれをリードしてしまっとけ。
説明はそれからだ」
ベルフェルクは言われるがままに
電子媒体を起動して、その書類を中に取り込んだあと、電源を消してレオンに顔を向けた。
「それ、お前宛の特例勤務先だ。
お前、動物には慣れたか?
その関係の仕事に就きたいって言ってたろ?」
「え、言ってたけどぉ、でもどうしてあの超有名研究機関に僕が指名されてるのぉ?」
「“そのキャラクター”だよ。
ベルフェルク。以前にこちらにその関係者がお前が発表した復元蘇生の論文を聞いて衝撃を受けたそうだ。
お前のそのはっちゃけたキャラと
結論から語られる内容伝伝が気に入ったんだとさ」
「ほぇ〜、頑張った甲斐があったってもんですぅ……ん?」
ベルフェルクはレオンの言葉に疑問を持った。彼は、あの時の自身の表現の仕方を
キャラクターだと知っていたのである。
「俺に隠し事は通用しない。
本当のお前で話してくれよ。ベルフェルク」
「可笑しいなぁ、同級生全員騙されているのに————いつから気付いてたんだ?
“俺”のあれがキャラクターだってこと」
レオンは腕を組んでにやりと笑みを浮かべた。
「お前が毒で退院したあたりか?
まあ普通なら騙されるだろうが俺はそう簡単じゃない、舐めてもらっちゃ困る」
このレオンという男、魔帝都の中でも歴代の優秀生徒に匹敵する実力を持っている。
圧倒的な実力を持ち、歴史に通じて
人を惹きつける不思議な魅力を放っている。
五感も測定では通常の3倍という異常値を示していた。それは、全学年とクラスが確認できるよう張り出されてはいたが、彼を嫌う多くの者達が破り、傷をつけ、落書きをしていた。今では見る影もないが。
「流石だ、五感の異常性は噂以上だったわけか」
「お前もそう言うのか、ショックを隠せんな」
ベルフェルクはレオンを恨み、憎んでいる同期の一人に毒を盛らされて生死の境を彷徨ってしまう。
意識を取り戻すまでの間、その男はレオンが毒を仕掛けたことにしたのだが、ベルフェルクの退院によりそれは水の泡になってしまったものの、レオンの信用はさらに地に落ちることになったのだった。
「いや、ごめん。
俺も君も何も悪いことはしてないのに」
「はっはっは!
あいつを好きな奴なんぞいないさ。
いたらそれはただの金目的」
「言えてるな」
と、レオンは何か言おうとしたことを思い出してベルフェルクに声をかけた。
「おっ、と。なあベルフェルク。
お前、マナに興味ないか?」
「……あるけど、なんで?」
レオンはにこりと微笑んでベルフェルクの肩に手を当てた。すると、彼の全身を淡い琥珀色の光が包み込んでいく。
「はい、これでお前に土のマナをやった。
イングラムくんたち四人の先天性の物と違って、身体を破られる様な感触は起きないはずだ。上手く使いこなしてくれよ?」
「いやいやいや!?
質問の答えになってない!」
「なんで、か……そうだな。
土のマナをアイツらに渡さない為だ」
レオンは肩から手を下ろして蔑んだ様な目で空を睨みつける。
「アイツら?君の同期のこと?」
「そう、あの男女共はマナの在処を探ってる。何をするつもりなのかはまだ分かってないんだが、ユーゼフやフィレンツェに託すよりかは、お前に預けた方が安心する」
レオンは穏やかに微笑んだ。
何か深い事情があるのだろうと、ベルフェルクはなんとなく察して、それ以上は何も言わなかった。
「ベルフェルク、土の概念の茶亀に会え。マナを理解し、使いこなせるようになっていくんだ。これはいずれ、君の大きな財産になる。場所は後で連絡する。必ず会ってきてくれ」
「おぉーい!ベルフェルクぅー!
どこだぁー!午後の部が始まるぞぉー!」
後ろから複数人の教員たちの声が聞こえてきた。ベルフェルク視線を後ろに寄越すと呟く。
「レオンくん、俺にこんな力は———」
使いこなせない、と言い切ろうとして
振り返ると、レオンはもうそこにはいなかった。ただ風だけが、ベルフェルクを優しく撫でる様に吹いていた。
「いたいた!ベルフェルクくん!
午後の部が始まるよ!
君には期待してるんだから!
レオンのような奴に見られてなくてよかったよ!君の次の論文発表だろ!?
早く来て!」
「うわぁっ、ちょっとぉ〜!」
腕を強く引っ張られる感覚で視界が上に向いた、その時、屋根の上にレオンの姿が見えた様な気がした。
彼の顔はなぜか穏やかだったのである。
「レオンくん、俺は約束を守った。
おかげで、今はイングラムたちが束になっても対応できるレベルさ」
ベルフェルクは懐かしさに思わず笑みをこぼした。彼は魔帝都に来た当初、誰からも蔑まれていた。実技が不充分として、何度も落としかけられた。あのイングラムたちからですら最初は相手にされなかったのである。それを、レオンが救い出した。
「よう、初めましてだな。
俺はレオン。よろしくな、ベルフェルク。」
暗雲が周囲の自分を取り囲む人間だとしたら、その間に差し込む太陽こそが、レオンだろう。ベルフェルクは彼の優しさに触れ
彼を慕うと決めた。
イングラムたちとの仲を取り持ってくれたことも、今の今で交流が続いていることも
元を返せばレオンのおかげなのである。
「ベルフェルク、お前が卒業したら
うまい餃子屋に連れてってやる。約束だ」
小さな約束を小指に宿して
ベルフェルクは自分の手を見つめる。
「ふっ……いつか言っていた餃子屋
楽しみにしてるよ」
ぽつりと、そんなことを呟くと
後ろからイングラムとルシウスたちと声が聞こえて来た。
彼は涙を拭っておーい、と手を振った。