第76話「騎士は空を仰ぎて」
ルシウス・オリヴェイラは小さなペンダントを手に取って、その中の写真を見つめていた。幼いルシウスを抱き抱える兄ルキウスと
父と母がカメラに向かって微笑んでいた時の写真だった。ルシウスはこの時、まだ生まれて半年の時で、覚えているはずもなかった。
だが、この写真を見ると、なんだか胸が暖かくなる様な不思議な感覚に包まれる。
「僕は、覚えてはいないけれど
兄さんはよくこの時の話をしてくれたな」
ペンダントを電子媒体に仕舞い込んで
ベッドに横になっているリルルの側に椅子を置いてそこへ座った。
「今、兄さんはどこで何をしているのだろうか」
ルシウスは静かに揺れる電球を見つめて
兄と話した最後の日を思い浮かべる。
「ルシウス、俺は副隊長の座から降りようと思ってる」
「兄さん、何を言ってるんだ!
騎士警察は父さんと兄さんが長い間支えてきたものだ、兄さんがいなくなってしまえば、誰が父さんを支えると言うんだ!」
兄ルキウスは慌てる弟の肩に手を置いて
にんまりと微笑んだ。
「それは……お前だよ、ルシウス」
「何を————」
「お前には俺には持っていないマナの力がある。その力を使えば俺より多くの加害者を追い詰め、犯罪を減らすことができるだろう。それは、俺には出来ないことだ。
父親の跡を継ぐのも、俺はお前しかいないと思っている」
ルキウスは笑顔で、しかし淡々と言葉を紡ぎ続けた。自分の本当の気持ちを、そして
彼の未来を、理想として口にしたのだ。
「僕には、荷が重すぎる————!
僕は、兄さんの代わりになんて————!」
できるわけがないと、言葉を発しようとした時に、ルキウスはルシウスを抱擁した。
「ルシウス。俺には、やらなければいけない事が出来てしまったんだ。
わかってくれとは言わない、なんなら責めてくれてもいい、無責任だと言ってくれても良いんだぞ?」
「……そんなに、大切な事なのかい?
なら、僕にだって手伝える事があるはずだ!
兄さんの特訓のおかげで、僕は昔よりも
強くなった、だからもう立派に背中を預けられるはずだ!僕もついて行くよ!
連れて行ってくれ、兄さん!」
ルキウスは抱擁をやめて、穏やかに微笑みながら肩に手を優しく置いた。
兄の表情からは、考えられないくらいの
何かを感じ取ったルシウスはすぐにその発言を取り下げるかのように、兄からその身を引いた。
「すまない、お前だけは巻き込みたくないんだ。巻き込むわけにはいかないんだよ」
「兄さん……、なら、約束してくれないかな」
顔を伏せていたルシウスは
その顔を上げて、意を決した表情で兄を見た。
「なんだ?叶えられるなら叶えてやろう」
「兄さんがもし、僕達の元へ帰ってきたのなら、その時は真剣勝負をしよう!」
その言葉に、ルキウスは目を見開き
彼から離れて背を向けた。
ルシウスは幼い頃から、兄に師事しながら
実践形式で特訓を長年続けていた。
しかし、今日に至るまで、ついにルキウスに勝つことは出来なかった。
ルシウスは兄を越えるために、力と知恵を得るためにもっと強くなると、その目で訴えていた。
「フッ———」
ルキウスは聞こえない様に笑った。
その目は真剣そのものだ。
必ず兄に膝をつかせたいという強い思いが
弟の表情全てに現れていた。
「わかった……いいだろう!
それほど強くなりたいのならば、まずは
魔帝都へ行け、話は俺からつけておく」
「魔帝都……?入門内容が各国最難関の
あの場所?」
「そうだ、そこで強くなれ、知識を蓄えろ。
技術を学べ、人を知れ。そうすればもっと
お前は強くなれる、俺と同じくらいにはな」
「兄さん———!」
「そしてあそこを首席で卒業し
父の補佐をしながら世界を回れ!
良き友を得ろ!
そうしたら、その願いを叶えてやる!」
ルキウスは強く微笑みながら
手を差し出した。兄弟同士の誓いは
握手から生まれる。
ルシウスはそれを力強く握り返した。
「よし、お互い約束だ!
お前が成長したら、その時は———」
「“本気で戦おう”だね。兄さん」
カプセルホームの天井を見ながら
溢すように呟いた。
そして、その後の道はそれぞれ異なるものとなっていった。ルキウスはルシウスがレオンたちと知己になると行く先を知らせずに消息を絶った。父も母も、それを理解していたため居場所を知ろうとはしなかった。
それからは時が流れ、ルシウスは父の補佐をしつつあらゆる国を周って犯罪者を捕まえていった。そして、今に至る。
「僕は、正直に言って今でも兄さんに勝てる気がしないよ」
「うぅ……ん?」
ルシウスは僅かに聞こえた小さな声を
聞き逃さなかった。
ゆっくりと近づいて少女の手を優しく握る。
「リルルちゃん……?」
「ぁ……弓兵様……?
私、一体どうして、あっ———!」
リルルは目を開いて、何かに驚愕したように
布団を弾いて身体を起こした。
そしてルシウスの全身を観察すると
息を切らしながら言葉をこぼした。
「私、私、弓兵様に酷いことを————!」
(覚えているのか、これはまずいな……)
ルシウスの軽装にしがみ付いて顔を伏せ
そこからは涙が滴り落ちていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい———!」
これは幼い子がするような謝罪ではない。
どこか迫真じみたものを感じて、背中が凍てつくような感覚だった。
「リルルちゃん、君はどこまで覚えているんだい?僕に、教えてくれるかな?」
「うん———」
ひとしきり吐露したあと、リルルは
目に溜まった涙を腕で拭って真っ赤な目を細めて話し始めた。
「最初から、弓兵様があのクマみたいな怪物と戦っていた時だよ。
私、怖かったんだけど、でも、わからないけど、それを見て“愉しそう”って感じちゃったの。それから、私は私じゃ無くなって、それで———」
「……じゃあ、僕を傷つけたことをずっと覚えてたってことだね?
僕の後ろに、人は見えたかい?」
ルシウスがそう質問を投げると
リルルは首を激しく振りまた顔を伏せた。
そして———
「ククク、あぁ、視えたとも」
そう叫んだ。
リルルの声以外に、もう一つ別の声が
重なっていた。深淵の底から湧き上がるような低い声、身の毛をよだたせるような
畏怖を象徴したような他を圧倒するような
ものだった。
「貴様、まだ意識があったか———!」
ルシウスはたじろぐことも、身を引くこともなくまっすぐにその目を見据えた。
腰に携えた細剣に手をかけながら、いつでも刺し違えることができるように。
紫色の生気を感じさせない邪悪さを宿した
その目は愉悦に満ちていた。
「おやおや、私は君に手を出すつもりはない。安心したまえ」
瞬間、リルルの身体から光が溢れ出した。
邪悪な意志は途端に頭を抱えて苦しみ出し
顔全体に凄まじい量の汗を吹き出していた。
「ふむ、どうやら光は私を拒むようだ。
しかたない、今回は引くとしようか」
リルルの身体を媒体としたそれは
肉体に強い衝撃を与えて、意志を引っ込めた。そして、糸がぷつりと切れたように
リルルはルシウスの胸元に倒れ込んできた。
それをしっかりと受け止め、少女の顔を覗き込む。
「う〜ん?」
「リルルちゃん?おはよう。
朝の時間だよ」
その声はいつもの穏やかで元気な少女の声だった。目を何度か瞬きしたあと、ピンボケしたような視界に映る光景を頭を横に振るようにしてクリアにし、再び目を開けた。
「あれ?弓兵様?おはよう、私
寝ちゃってた?あの怪物はどうなったの?」
「あれなら僕が追い払ったよ。
もう大丈夫だ」
「本当!?弓兵様も騎士様みたいに強いんだね!すごいなぁー!」
リルルは絵本に出てくる王子を目の前に見ているかのようにして目をキラキラさせていた。邪な気配など、今のこの子には微塵も感じられない。
(“奴”がこの子を器にしていることは理解
できた。そして、それが顕現しないようにレオンさんが命をかけていることも。
だが、あまり長くは持たないだろう。
急がなくては———)
兄のことも気がかりだが、レオンのことも気にかかる。
長い間所在を知らせぬまま、今もずっと孤独に戦い続けているのだ。
そうであるなら、いつ命を落としてしまうともしれない。
ルシウスだけではない、イングラムたちだってそんな結末は認めないだろう。
「ふふ、さてリルルちゃん。
イングラムくんたちのところへ行こう」
「行けるの?どうやって?」
「簡単さ、君は僕に捕まっていてくれれば良い。それだけで、みんなともう一度会うことができるんだ。」
「本当!?うん、じゃあ弓兵様のそばにいるね!」
ルシウスは瞳を閉じて、瞼に手を当てて精神を集中した。
周囲の明かりや音は全部消え失せて、代わりに全身を巡り巡る血液が、川が降っていくような音を立てていた。
そしてそれは、勢いを増して、黒い双眸へと
集まっていく。
「超千里眼!」
ルシウスはそう叫ぶと、彼の黒い瞳は
黄金に変わっていた。
まるで鉱石のような輝きがそこにはあった。
そして、彼は周囲をゆっくり見渡すと、突如
制止した。
「見つけた、男女一組、どちらかは分からないが、やってみる価値はある!」
瞳に力を注いで、その観察している相手の体温を感知すると、ルシウスは家をカプセルに仕舞い込んで、そこへ瞬間移動した。
「「ご馳走様でした!!」」
ベルフェルクたちは皿を片付けて、手を合わせた後にお互いに大きな伸びをし、家をカプセルにしまい込んで外に満ちている新しい酸素を取り込んだ。
「よぉし!さて行きましょうぉぉぉ!
どこへ行くかは決まってませんけどもぉぉ!!」
シュン、と一つの影と小さな影が2人の間にに現れて、それは姿を見せた。
「———!
ベルフェルクくん、レベッカさん!
君達だったのか!」
「んぉぉ???あれれぇ???
どどどどどど!?!?」
ベルフェルクは何が起きたか分からないと言ったように指を指して1秒間に2回レベッカを
見た。
「ルシウスさん!リルルちゃんも!
いきなりすぎて何が何だかですが……
どうしてここに?」
「いや、まぁ……僕の千里眼で……
と、そんなことはいい。2人ともこの家をしまって僕に捕まってください。
今すぐイングラムくんたちのところへ向かいましょう!」
「えっ!?あっ、はい!」
「OK OK!肩に手をポン」
ルシウスはこの場に到着した瞬間、
すぐにイングラムたちの体温を感知していたのだ。これ以上超千里眼を酷使すれば目が壊死してしまう。そうなる前に移動しなければならなかった。
「よし、行くぞ!」
シュンッ、と4つの影は瞬きの間に消え失せた。