第74話「レベッカとベルフェルク」
タンやロース、ミスジやサーロインなど
牛のあらゆる部位を堪能した
レベッカの顔は幸福に満ち満ちていた。
「幸せ……幸せだよぉ……
オオカミさん、本当にありがとう!」
オオカミはまるで穏やかに微笑んでいるような表情でベルフェルクの横に座り
レベッカを見つめていた。
彼はベルフェルクの飼っている食糧調達用のハイイロオオカミで、遺伝子的に人間に従順なように細胞を改良されている。
悪質な気を感じた物に対してはその凄まじい犬歯と顎で敵を噛み砕くことができる。
見た目は普通のハイイロオオカミと変わらないが、攻撃性や俊敏性は通常個体の3倍はある。そして何より、人に対して従順なのだ。
特に、育ての親のベルフェルクには絶対的な信頼を置いている。
「ふがぁ!お腹空きましたぁ!
なにかぁ、何か食べ物ぉ!」
ハイイロオオカミは主人の目覚めを確認すると、グラスに水を汲んで溢さないように口に器用に持ってきて、ベルフェルクの手に渡した。
「おあ、オオカミくん、ありがとう。
っていうかレベッカさん、この子が外に出ているということはぁ、勝手に僕の持ち物使いましたねぇ?」
(ぎくっ)
レベッカの背中にじわりと冷たい汗が滴る。
もしかして機密情報のペットを触ってしまったのだろうか、いけないことをしてしまったのかと先程の行為を反省する。
レベッカは意を決して自分がしたことを
告げようとベルフェルクの前に出たが———
「いやぁでもぉ、緊急事態でしたし
レベッカさんが倒れてしまったら僕は
ぼっちになってしまいますぅ、だから
今回は見なかったこと、聞かなかったことにしますぅ!」
「ベルフェルクさん……」
言動はそこかしこにおかしなところがあるが、それを除けば人としては大した器の持ち主であることがわかった。
彼の元にいる動物たちも、そのことに気付いているからこそ、忠実なのだろう。
「ごめんなさい、お腹が空いて、喉も乾いて勝手に使っちゃって……そんなに大事なものだったらいくらでも償わせてください!」
そんな彼だからこそ、レベッカはより一層
謝罪しなくてはならないという強い思いに駆られた。彼女は頭を下げ言葉を溢した。
しかしベルフェルクは———
「この子は一般用にも普及している調達用のカプセルですし、大事と言えば大事ですがぁ……他人に見られて、使用されてまずい物ではないので大丈夫ですぅ。
まあ機密物を勝手に見たり触ったりしたなら償ってもらいますが、これ以外に何かみました?素直に、正直に答えてくださいませぇ」
その時のレベッカはそれどころではなかった。カバンの中身は見ないまま手探りで偶然調達用を見つけたのだ。
だから、彼女は首を横に振り、見ていない。と断言できた。
ベルフェルクはちらりと値踏みするように視線を泳がせ、レベッカの言うことが真実だと分かると、あははぁと笑った。
「なら大丈夫ですぅ。まあ勝手に使ってしまった対価は【僕を守る】ということでおあいこにしまさぁ!」
彼の放つ視線に一種の恐怖を感じ、身震いしたが、礼の言葉を向ける際に生じたものだと
思わせるために、声を大きくした。
「……ありがとうございます!」
「ほぇぇ、しかしどうしてかぁ、首がジワジワと痛みますがぁ、もしかしてフィレンツェくんですかねぇ?声がしたものでぇ」
首回りを優しく撫でるようにしながら
ベルフェルクはレベッカを見た。
彼女は嫌悪感が滲み出た表情で呟く
「あのクズは岩の下に置いておきました。
もし襲ってきても守りますので安心してください」
「どうもぉ!」
なら安心!とベルフェルクは横になった。
そして、ひょいひょいと手招きする。
「?」
レベッカが疑問に思って彼に近づくと
カバンの外側ポケットから小さなカプセルを一つ取り出して
「これ、ルシウスくんがずっと前にくれた
スイートホーム、旧式だけど休むには
充分すぎる機能持ってまさあ。どーぞ」
ひょいっ、と投げ渡して、大きく両腕を伸ばし、欠伸をした。
そして、ハイイロオオカミの身体にもたれかかる。
「あ、あの————」
「ゆっくり休んでくださいぃ。それじゃあ
僕も眠るのでまたあとでぇ!
ぐぉぉぉぉぉ」
「うわっ!うるさっ!」
レベッカはあまりのうるささに思わず耳を塞ぎ、即座にカプセルを置いて家の中に入り込んだ。パタリと扉をしめると、至近距離で聞く工事音並みにうるさかった音はピタリと止んだ。
「うわぁ……旧式にしてはかなり綺麗なのね。あ、お風呂入らないと!」
レベッカは手洗いうがいを済ませて
脱衣場へと駆け込んだ。
中の音ももちろん外には聞こえない。
完全な防音機能を持っているこの家だからこそできるのだろう。
色々済ませることを済ませた彼女は
着ていた服をオートクリーニングマシンに引き渡し、彼女自身は持っていたモフモフの寝巻きでベッドに横になった。
「ふわぁ、あったかい……
2日のサバイバルがまるで夢みたいだ……
このままスヤァ……」
レベッカはどっと溜まっていた疲れを少しずつ吐き出すように、瞼を閉じてゆっくりと
寝息を立て始めた。
「さてぇ……、覗き見とは宜しくないですよぉ、ねぇ?オオカミくん」
外にいたベルフェルクはオオカミに埋もれていた身を起こして立ち上がる。
オオカミも唸り声をあげ、犬歯を剥き出しにしたまま気配の方向を睨みつけていた。
ヒュンッ、と小さな針のような何かが
キラリと光ってベルフェルクの首筋に、届くことはなかった。
突き刺さる寸前、彼は人差し指と中指でその針を受け止めたのだ。
そして、怪しげな光を放つ先端を気配側に向けて指で弾き飛ばした。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「うわぁ、僕の寝相よりやかましいでさぁ!草草の草ぁ!大草原でさぁ!」
ベルフェルクはきゃっきゃきゃっきゃと煽り罵りながらぴょんぴょん跳ねつつよしよしとハイイロオオカミを撫でる。
「さぁて、君の出番はここまでだよオオカミくん。ゆっくり休んでねぇ。
戦うのは僕だけで充分でさぁ!」
ポチッとボタンを押すと、ハイイロオオカミは光となってカプセルの中に取り込まれた。
そして、改めて彼はうーんと伸びをする。
その隙を突いて、先程と同じ針の連続掃射が
襲ってくるが、ベルフェルクはそれを全て避けて躱して、一部を指で弾くなどして対抗した。
「貴様、ただの商人ではないな!
何者だ!!」
「えぇ?僕ぁただの商人でさぁ!
あー、もしかしてお買い上げに来たんですかぁ?でも今はあいにく開店前なのでお引き取りください〜」
ベルフェルクの背後に現れる黒い影は
右手に短刀を持ち、左手には手榴弾を持っていた。
(隙あり!)
「アチョー!」
ベキッ、と鈍い音が聞こえたあと、続いて何かが落ちる音がした。
ベルフェルクは身体を屈めて後脚を伸ばして
刺客の顎を粉砕し、撃沈させたのだ。
「痛えぇぇぇ!!!!!」
ベルフェルクは粉砕させた方の足を持ち上げてぴょんぴょんと片足で跳ね続けた。
「な、なにぃ!貴様ら囲め囲め!
こいつから品のありとあらゆるものを略奪しろ!」
「あー、泥棒はちょっと危険が危ないですねぇ。僕もちょっと護身術使う他ありませんねぇ」
足裏に吐息を吹きかけて痛みを抑えると
ベルフェルクは棒立ちする。
「あ……え?それがお前の構えか?」
「え?構え?なんですかそれぇ?」
ベルフェルクは首をコキコキと鳴らして
疑問を投げた。
だが刺客たちは躊躇いながらもその姿を現し彼を暗殺しようと武器を手に取った。
「えーとぉ、7、8〜あー、2桁くらいいますかねぇ?」
「ふん、数で圧倒するぞ!
手榴弾用意!全員ポイしろ!」
指で数を数えていたベルフェルクに向かって
隊長格の男は指示を下して連中は
全員が手にしていた手榴弾を投げた。
「うわ、爆死しまさぁ!!!
……普通なら、な」
ベルフェルクは似合わない不敵な笑みを浮かべ、地面に手を当てる。
「ふっ————!」
瞬間、川付近に無数にあった小石の隙間を縫うように、琥珀色の光が手から伝い
自分とレベッカの眠っている家を覆うように巨大なドーム状の何かが地面から出現した。
それは、手榴弾を弾き飛ばして、投げた当人達の元へと転がり落ちていき、それは360度に拡散するように鉄を吐き出して爆発した。
あまりにも突然だったため、逃げることも、声を出すこともできないまま、刺客たちは
その命を無残に終えたのだった。
そして、ドームは地面に吸い込まれるように崩れ去り、そこにはぽかんと棒立ちしているベルフェルクがいた。
包まれていた箇所以外は、無数の鮮血が
穏やかな場所を地獄のマグマのように真っ赤になっていた。
「あーあー、使っちゃったでさあ。
疲れるんだけどなぁ……コレ」
ベルフェルクは手を光らせ、宙に小さな岩を顕現させて、ぼけっとそれを見つめた後
ギュッと握りしめた。
「まあ、たまにはいいでさぁ。
守る為には必要事項ってことでぇ」
レベッカの眠る家に視線を飛ばして、
思わずクスリと笑いながら
ベルフェルクは再び横になって大欠伸をした。その場以外の風景はとても穏やかなものだった。空気は澄んでいるし、所々葉が脱色をし始めて紅葉の時期に近づいていると教えてくれている。
川のせせらぎは耳にとても心地よい安心感を与えてくれる。
ベルフェルクは両腕を後ろに回して枕の代わりにした。
「ほげぇぁぁぁ……」
独特な欠伸をして、新しい酸素を供給する。
大自然の生む空気はとても美味しいのだ。
青空を仰いでいると、ヒラヒラと赤い葉が
舞い散ってきた。
「あらあらぁ、綺麗でござますねぇ……
ま、血の匂いがするのが気に食わないけれど、ごめんな」
ぐしゃり、とその葉を握りつぶして
手を広げてみる。
ただただ褐色の手の平が見えただけだが
ベルフェルクは一瞬、それが真っ赤に染まっているように視てしまった。
「あー、眠いでさぁ、おやすみぃー」
潰された葉は彼のかかとで今度こそ跡形もなく潰された。
穏やかな風が、柔らかな眠気を誘う。
ベルフェルクは口角を上げて意識を手放した。




