第73話 「混沌、慈悲無き一撃」
森の中でせせらぎが聞こえてくる。
広大な緑が柔らかい絨毯のようになっている
その場所で、ベルフェルクは突如咆哮をあげた。
「うぼぁぁぁぁ!!舌噛んで死んだかとぉぉぉぉ!!!」
いきなりがばっと起き出して布団から上半身を露にし目を見開いて口を開き大声でそう叫ぶと、気を失うようにベッドに沈んだ。ちゃんと布団は手掴みで全身を覆う。
(騒がしいなぁ、この人)
口を溢しながら、レベッカは冷水でタオルを絞りながらベルフェルクの額に乗せる。今のはそう,寝言というやつだ。
随分異質な寝言だが。
(2日経とうとしてるけどこの人、全く変化がない)
そう、さっきのように大胆な寝言を言っては寝込む。という一端の流れを何度も繰り返しているのだ。早朝でも真夜中でも、お構いなしに、唐突にそれはやってくるものだから、おかげで睡眠不足である。
「腹減ったでござまさぁ!」
と言って起きてくるわけでもなく
「喉渇きましたでさぁ!」
と言って起きるわけでもない。
お手洗いですら、目を開けないのだ。
あんなに大胆な寝言を動作つきで言うにもかかわらず。だ
「はぁ……眠い、すこぶる眠い。
というか、私何も食べてないなぁ」
2日間ずっとこの男を看病しているのだから喉も乾くし腹も減る。
化粧水やメイクもつけなきゃいけないのだが、この男は一向に目を覚まさない。
ずっと飲まず食わずの状態が続いているから正常な思考が出来なくなり始めている。
とにかく、空腹をどうにかせねばならない。
「ベルフェルクさん、ごめんね。
でも、こうでもしないとあなたを守れなくなる。」
レベッカは悪いと思いながらも
ベルフェルクの鞄に手を入れて、小さなカプセルを取り出した。
親指サイズのその大きさで、ラベルには
大きく【食料調達用】と書かれていた。
(これだ……!)
レベッカはぽん、と地面に優しく置くと
それは煙を放出して中から動物が現れた。
その種類は、西暦のアメリカ大陸に存在していた固有種であるハイイロオオカミだった。その個体は真っ直ぐレベッカを見つめる。彼女たちの置かれている状況を理解したのだろう、すぐに背を向けて走り始めた。
「せめてグロテスクじゃない食べ物でお願いします……」
ハイイロオオカミはその言葉に振り返り
頷いたようなそぶりを見せると
晴天の森の中を駆けて行った。
そして、ベルフェルクは目を開いた。
彼は起きるや否やレベッカの肩を掴みながら
「喉が渇きましたぁぁぁぁ!!」
と雄叫びをあげる。
「ちょっ、静かにしてください!
お願いですから!」
ただでさえ知らぬ土地の森の中だ。
未知の怪物が腹を空かせたまま姿を現して
襲いかかってくる可能性も高い。
そんな危険な状況に陥ってしまうのは
大変よろしくない。
剣を抜けと言われても正常な判断が出来ずにまともに対抗できないだろう。
そうなる前に、食料と水を調達し、ありつかなければならなかった。
「お願いしますお願いします!
喉乾いて死にそうでさぁ!」
「ていっ!」
このままだとまずいと判断したレベッカは
ベルフェルクの背後に回り込んで
睡眠草を嗅がせて眠らせた。
少なくとも、これであのオオカミが戻ってくるまでは安全に過ごせるはずである。
しかし——————
ガサガサという音と共にその望みは
打ち砕かれた。
30センチくらいある背丈の草に浮かぶ
でかいトカゲのようなシルエットは
レベッカの脳裏の中に嫌な動物たちのビジョンを容易に想像させた。
「ま、まさか———!」
まともに食事と水分を取っていなかった彼女には、とても対抗できる大きさではない。それでもレベッカは、ベルフェルクを守るために鞘に手をかけ、その怪物が姿を見せるのを待った。
いざとなれば斬り伏せる覚悟だ。
そして、それは姿を現した。
レベッカは息を殺し、剣に力を込め
音の出ている場所を睥睨する。
「ぷはぁ!」
「???」
「んぁ!ベルフェルク!てめえ何寝てるんだよ!起きろよ!」
白いハット帽子を被り、杖を手にした青年が頭に子供サイズのコモドドラゴンを乗せて姿を現した。
男は突如激昂し、眠っているベルフェルクの首根っこを掴んだ。
「やめてください!離してあげてください!
ちょっと!」
「んぁ?」
男は引き剥がそうとする女性に振り返った。
容姿端麗で、そこそこ胸があり膨らみもある。緑を基調とした多少露出度の高い服を着ていて、目は綺麗な藍色、髪は首元まで伸びている茶色ロングヘアだ。
この男の好みである。
「トゥンク!」
「は?」
訳の分からない単語を発した白い男は
ベルフェルクを地面に叩きつけて
レベッカの真正面を向いた。
「初めましてお嬢さん。
俺,フィレンツェ・シーガル。
貴女の白馬の王子様です。」
歯をキラリと輝かせて、レベッカにウインクを投げるフィレンツェ。
それを巧みに斬り伏せて、彼女は言った。
「口臭い人、ちゃらんぽらんしてる人
大っ嫌いなんで」
「えぇ……」
フィレンツェは自分の口臭に気付いていない。ニンニクマシマシ餃子を食べたのに
ケアをしていなかったのだ。
それさえなければもしかして、いや、ないな。
「そ、れ、に。
そこに今寝てる人は大切な商人さんなんです。貴方、傷つけましたよね?
無抵抗なのに、眠っていたのにも関わらず」
「別にいいじゃないですかお嬢さん。
さあ、俺の手を取って、軽く外回りしてきましょう。」
ガブリ、とコモドドラゴンがフィレンツェの頭部に噛み付いた、脳に近い部分から赤紫色の液体が流血している彼は気にしない。目の前に美しい愛があるのならば
痛みなど超越するのだ。
「合意の上でなければセクハラで訴えることが可能なんですけど、法律ご存知ですか?頭の中のネジお母さんのお腹の中に置いてきてませんか?」
「ぐぬぬ……」
なんだか馬鹿にされたような気がして
フィレンツェははらわたが煮えくり返る思いだ。
「ところで、コモドドラゴンには血を固まらせないヘモトキシンっていう毒があるらしいんですけど血清打ちました?貴方死にますよそのうち」
「ふっ、愛の前では毒など不滅!
さあお嬢さん、キスをしましょう!
愛がたっぷりの濃厚なキスをし———」
レベッカは抜刀し、血剣でフィレンツェを
なます斬り(峰打ちも兼ねて)にした。
「ポトフゥ!?」
一撃を喰らい、踏ん反り返った途端に
激しい激痛がフィレンツェの全身を襲う。
レベッカの特殊な剣による内側から外部の血を駆逐せんと自分の中の血が反乱を起こしたのだ。ついでに毒も回ってきた。
「邪魔です。ベルフェルクさんは
大切な方なんです、そこをどいてください。」
レベッカは鬼気迫る表情でふんぞり返っているフィレンツェを見下した。
彼の後ろには地面に首を突っ込まれているベルフェルクがいる。早く助けなくてはならない。
(大切な方?ベルフェルクが?
ということはこの女はこいつの彼女か……?
許さねえ!寝取ってやる!)
痛みを堪えつつ立ち上がるフィレンツェを
レベッカは汚物を見るような目で見た。
反対にこのゲス男は下心満載の目で見ていた。
「くっ、突き刺さる容赦ない視線!
だがそれがいい!ベルフェルクの彼女!
大人しく貰われろ!」
「この人の彼女じゃないです。
一度死ねばいいと思います」
レベッカは持ち上げたコモドドラゴンの
口を開口させて、顔にかぶりつかせた。
「!!!!!」
フィレンツェは口の中で絶叫した。
コモドドラゴンを無理やり引き剥がすと
顔には円形状に無数の点が出来ていた。
噛まれた時に出来たものだろう。
「ごめんねコモドドラゴンくん。
汚物を噛ませてしまって」
レベッカはコモドドラゴンをおろして頭を撫でて、巣に帰るように施すと、その個体は犬のように尻尾をばたつかせて、森の茂みへと走って消えて行った。
「おぉ……まい……ける」
立ち上がろうと奮起するフィレンツェの
頭部を、レベッカは容赦なく踏みつける。
「ぐはぁ!ありがとうございます!」
「ドン引きですね……木の枝で縫い付けておきましょうか。」
思わず唾を吐き出しそうになってしまうのを堪え、レベッカはなるべく肉体に触れないように木の枝を解剖し、縫い付けた。
「こっちはお腹空いてるし喉も乾いてるし充分に寝てないんでイライラしてるんですよ!!!もう二度と現れないでください!
このゲス男!」
「ふぁびゅん!」
小石を蹴りつける要領でフィレンツェの頭部を蹴ると、レベッカはベルフェルクの首がもげないように力を調整しつつ、頭を取り出した。
それと同時に、狼の遠吠えが聞こえた。
「食事が取れたんだ!
早く、行かなきゃ」
レベッカはベルフェルクをおぶさり
駆け足で去ろうとしたその時
「待て、俺はイングラムたちの行方を知ってるぞ。教えてやってもいいがその代わり俺の顔にキス————」
フィレンツェが信用ならぬ言葉を吐いて来たので地面から出現させた大岩を叩きつけてやった。彼女は達筆ではあるが、あえて汚い字で ふぃれんとぇ。と書いてやった。
墓跡の代わりではあるが充分だろう。
むしろ犠牲になった大岩に彼女は謝罪して
その場を後にした。
ハイイロオオカミは優秀であった。
川のせせらぎの近くに己のテリトリーを敷き、レベッカとベルフェルクが来るのを待っていたのだ。
「————!」
レベッカは目の前の光景が天国のように見えた。適切に切り分けられた牛肉と思わしき肉が藁の上に置いてあった。
皿も別々にあって、箸もあった。
「ありがとう!ありがとうハイイロオオカミさん!」
レベッカはベルフェルクを優しくおろしてから抱きついた。
ハイイロオオカミは声を殺して泣くレベッカの涙を優しく舐めて慰めてやる。
この時、レベッカは2日ぶりに食事にありつけたのだった。