第71話「ルシウスとリルル」
スズメたちの囀り、ベッドの近くには
たくさんの小鳥たちが鳴き、朝を知らせてくれる。仄かなクスノキの匂いが、陽に照らされてたからか、鼻腔をくすぐった。
「弓兵様!おはよう!」
「うん、おはようリルルちゃん。
今日も元気いっぱいだね」
騎士警察副所長のルシウス・オリヴェイラは目を覚まし、優しく手を握ってくれていた少女リルルの手を握り返し、笑顔を見せた。
あの滝での事故の際。
ルシウスは炎の膜で自身の身に降りかかる衝撃を緩和し、最も近くにいたリルルの手を取って彼女を庇い続けながら激流に流されて消えていった。
そのあと、マナの過度な消費が彼を襲い
しばらく近隣の町で療養していたのだが、
ようやく動くことができるようになったのである。
「ルシウスの兄貴!
元気になったんですかい!?」
ドタドタと階段を降りてくる音と
軽快な男の声が上から響いて来た。
この宿の主人である。
「えぇ、皆さんのお料理と懸命な治療のおかげです。どうもありがとうございます」
「宿屋の兄貴さん!どうもありがとう!
女将さんは?」
「姉貴なら飯を作ってますよ?
ルシウス様に一日でも早く回復してもらおうってんで作ってるんでさぁ」
降りて来て、額当てをタオル代わりに
汗を拭きながらそう言った。
細身ではあるが、軽快な足取りで
配達をしたりしている心の広い男である。
「そうですか……では、朝食をいただいてからおいたまするとします」
ルシウスは身体を起こして、暖かなタオルで顔を拭くと、ゆっくりと立ち上がった。
「ええっ!?もう行かれるんですかい!?
まだニ日も経ってないじゃないですかい!」
「友人たちを探さなくてはならないので……これまでのご厚意は本当に感謝してもしきれません。ありがとうございました」
「何言ってるんです!?感謝するのは俺たちの方でさぁ!
あんた、動けないにもかかわらず俺たちの村を襲って来たオオヒグマを討伐してくれたじゃないですか!」
主人は涙ながらに語りだした。
「女の子が泣きながらあんたを揺すってた時は驚きました。この川で人が流れ着くなんて滅多になかったもんで……んで、いざ連れて治してやろうって時に、どわんと
10メートルくらいのオオヒグマがやって来た!あわや大惨事ってところをアンタが気力を振り絞って火を焚いて炙り殺してくれたんですよ!いやはや!たまげましたねぇ!」
「こら、ルシウス様が困ってるでしょ!
お目覚めのようで何よりですルシウス様」
綺麗な桃色の浴衣を着た女性がお盆を片手に持ちながら階段を降りて来た。
妖美な雰囲気と話しやすさで、巷では人気の女将さんらしい。
「女将さん、おはようございます。
弟さんはお元気ですね」
「てやんでぃ!元気だけが取り柄ですぜ!」
「うるっさい!」
「ねえねえお姉さん!今日のご飯はなあに?
昨日とおんなじ“わしょく”っていう定食かな?」
「ええ、今日は五目米と貝と海老と蟹の出汁を取った味噌汁。
ゼンマイと胡瓜の漬物にブロッコリーとカリフラワーの温野菜かしら」
「これはまた長生きできそうなメニューだ。早速いただきたいですね」
彼女のおぼんの上から立ち込める湯気には
食欲をそそるようないい香りが鼻腔を刺激する。
「あぁでも、その前に顔を洗って
手洗いうがいをして来てください。
歩いて右側に曲がると洗面所に着きますから」
ルシウスはベッドから身体を起こして
リルルをリードするように先へ歩き始めた。
「バイ菌とおさらばしてきてくだせぇ!」
「あーんーたーもーよー!!!!!」
主人である弟の襟元をつまみ上げて
顔を近づけ、脅迫する。
顔をひきつらせながら、ひぃ!と声を上げて
ルシウスたちの後へとついていった。
「ねえねえ、弓兵様!」
「うん?どうしたんだいリルルちゃん」
「弓兵様って、有名人なの?
なんでみんな名前を知ってるのかな?」
ルシウスはははは、と笑顔を浮かべて
少女の純粋無垢な質問に返答する。
「うん、それはきっと苗字の影響だと思う。オリヴェイラ家は代々騎士警察として色んな国の悪い人たちを逮捕して来たからね。それに、それを名乗ることができるのは僕らの家系だけなんだ。他人がそれを
偽りで使おうものなら、終身刑が下るね」
笑顔を絶やさないままさらっと恐ろしい言葉を溢す。
「しゅーしんけー?
ずーっと眠るの?」
「ははは!あながち間違ってないね!」
ルシウスはリルルを値踏みするように一瞬だけ彼女の目を見たあとそれを悟らせぬようにして笑った。
「兄貴!兄貴!
俺も手ぇ洗わせてくだせえ!」
「ええ、どうぞ、さあリルルちゃん。
今度はこの人の番だ、交代だよ」
「はーい!」
ルシウスはリルルを抱き上げて
洗面台から数歩退いて手を洗うのを待つ。
そして、宿主は手を払って水飛沫を
飛び散らせながら鼻歌を歌い
食卓へと向かっていく。
「おじさん!ハンカチ使わなきゃばっちいよ!」
「へ、へぇい……リルルちゃんも厳しいですぜ……」
仕方なく鉢巻で手を拭いて
口角をあげつつ食卓へホップステップジャンピングしていく、リルルもそれに続いて
ホップステップジャンピングして小鴨のように後を付いていく。
「ほっぷ、すてっぷ、じゃーんぷ!」
それを、後ろから眺めるルシウスは
両腕を組み目を細めて、リルルたちがスキップしていたところを眺めていた。
(リルル……か、まだ目覚めてはいない
みたいだけど、近いうちに必ず————)
「おーい!兄貴ぃー!支度ができたできましたぜ!早く来てくださいよぉ!」
「はい、今行きます」
四人全員が食卓を囲み、朝食を食べ終えるとルシウスは借りていた部屋から自身の荷物を電子媒体へと照射収容して、降りて来た。
「兄貴ぃ、もう行かれるんですかい?
まだここにいてくださいよ……」
「こら、わがまま言わないの。
すいません、ルシウス様。
でも、そのお友達も何処にいるのか
わからないのでしょう?」
「……いえ、目星はついていますよ。
だから、お気になさらず」
「そう、ですか……」
「兄貴ぃ……俺、兄貴のしてくれたこと忘れませんから!」
ルシウスは微笑みながらリルルの手を取って
宿屋の出入り口の扉へ手をかけ、開けた。
「ご馳走様でした。
またいずれお邪魔させてください。
それと————」
ルシウスは金貨2枚を2人に投げ渡した。
売れば50路金にもなる高価な物である。
「うひょあ!?なんでこんな!?
受け取れませんぜ!」
「いえ、治療費もそれには含まれてますから宿代と合わせれば妥当な額ですよ。
それでは、失礼します」
ルシウスは最後まで笑顔を崩さずに
手を取ったまま宿を後にした。
「かっこいいわ……ルシウス様……」
「姉貴、惚れてるんで?」
その刹那、バチィンと天にも轟くような
すごい音が聞こえたのだった。
緑生い茂る街の外には綺麗な緑と
小さな池があった。
薔薇やチューリップなどの花が色とりどりに咲いて、たくさんの蝶々が舞っている。
「さて、リルルちゃん。
街の外にまで来たけれど、もう1人で歩けるね?」
「うん!ありがとう弓兵様!」
「どういたしまして。
さあ、ちょっと休憩しよう。
そしたら、軽くラジオ体操をしようね」
「はーい!」
リルルは元気に手をあげて返事をした。
純粋無垢な笑顔は、太陽の光にも匹敵するだろう。イングラムたちはこの笑顔に支えられていたのかもしれない。
しかしルシウスには、それが本当のものではないのではないかと疑問に感じていた。
(……弓兵様、か。
僕が弓を顕現させたのはイングラムと共に対峙したジェヴォーダンの獣の時だった。もしかして遠くから見ていたのか?
いや、それなら僕が視線を感じとらないのはおかしい。あの時も、イングラムくんや他の視線を感じることは出来たけれど、この子では出来なかった。
観察こそすれ、答えは見つからず、か)
「あ!蝶々!この指とーまれ!!」
(どちらにせよ、アデルとセリアの情報通りなら、いずれはイングラムにも話さなければならないな)
リルルは駆け出してひらひらと舞いながら眼前を飛んでいくモンシロチョウを追いかけていく。ルシウスは後に続くようにゆっくりと付いていく。
「危ないから転ばないようにね」
「あはは、待て待てー!」
「聞こえちゃいないか……ふぅ」
と、駆け出そうとしたその矢先
地面が激しく揺れ、リルルの眼前で亀裂が発生した。
「おっ……と!」
ルシウスは熱源探知を使用して、リルルを
抱き上げながら跳躍して後方へ降り立った。それと同時に、全身に痛々しく生々しい怪我を負った顔面がクマ、身体がゴリラの怪物が地面の中から出現した。
食欲が抑えきれていないのか、涎を口元から垂れ流したままルシウスたちを睥睨する。
「やあ、今お目覚めかな?
でも、僕たちは朝食じゃないんだ。
悪いけど他を当たってくれないかな?」
両腕を広げ、雄々しく吠え猛る怪物は
移動する気配を見せずに、殺意を剥き出しにし始めた。
「やれやれ、どうやら聞く耳持たぬといった感じか。リルルちゃん、ここでじっとしてるんだよ?いいね?」
「うん!」
ルシウスはリルルを守るようにして前に立つと、腰に携えたフェンシング戦で使う細い剣のような物を取り出した。
これは、対人戦に用いられる護身用の剣で
ある。
(さて、お手並み拝見といこう。
僕は負ける気はないが、一応君の実力も見ておきたいからね)
ルシウスは後ろで待機しているリルルに
怪しげな視線を送ると、すぐに怪物に笑顔を向けた。
「さあ、ウォーミングアップといこうか」