第68話「逃避行、決意を固めて」
「イングラムゥゥゥゥ!どこだぁぁぁあ!
嘘つきやがってぇぇえ!
くそ、色々な動物がいすぎて探知できねえ!邪魔だなちくしょう!
野郎一発ぶん殴ってやるからなぁ!」
と、フィレンツェが雄叫びを上げながら
草木をかき分けてイングラムたちを探している。鬼の形相で見つけたら血祭りに上げるに違いないが、イングラムにはかなうまい。魔帝都在籍の時でさえ、実技と勉強は圧倒的な差で他の連中を完膚なきまでに叩きのめしていた。だから、かなうはずがないのだ。
「ふう、動物を抱くと安心するな。
ありがとうクレイラ、そのままでいてくれて」
〈ううん、いいのいいの。
君たちの心のケアも大切だから〉
クレイラは鼻をくんくんとさせてから
イングラムに甘えるような声を出して
彼に空きかけた胃の穴を塞いでいく。
(動物欲しいなぁ……)
〈聞こえてるよ〉
「……動物、君を見てると欲しくなるよ。
柴犬とか、ハイイロオオカミとか……
西暦種だけどさ」
〈殆ど姿を見せないんでしょ?
その種類って、今の時代の動物達じゃダメなの?〉
「うん、なんかなぁ。今の時代家畜化方面に進みすぎたりして、手懐けてる感じがしないんだよ」
この時代は動物の古い細胞に息を吹き込ませてそれが幼体に至るまで生育し、人間に忠実であるように遺伝子操作されている。
イングラムが望むのは、野生に存在する
生物達だ。獰猛かつ社会性を持つ動物達と触れ合い、お互いのテリトリーを理解し合うからこそ、価値がある。と、イングラムは言うのだ。
「何でもかんでも人間の監視下に置いて
家畜化して、いらなくなったら棄てる。
なんて、彼らの生きる権利を無視しすぎている。ベルフェルクの研究は確かに素晴らしい
衰退しているこの星を、過去の生物を復活させて昔に近い状態にしようとしている。
だが、それでは人間に利用されてるだけなんじゃないのか?
動物達の本来の役割を、俺たちが与えてしまっているのではないのか?」
〈哲学的だね、イングラム。
嫌いじゃないよ、そういうの〉
「ありがとう、俺は心の底から動物が大好きだからな、古代生物の再生とかは大賛成だが、全部を従順にさせるのはちょっと————」
言いかけた途端、イングラムはクレイラを
抱いて草むらの中に伏せた。
〈————!?〉
「しっ、静かに、誰かが来る」
耳をぺたりとしまい込んで不安げに
イングラムを見上げるクレイラに対して
彼は堂々としていた。
「大丈夫、君だけは何があっても守って
レオンさんと会わせる。だから心配するな」
小さく、わんと返事をした。よしよし、と撫でたまま気配のする方向を見据え
「俺たちも、レオンさんに会わないといけない。だからその為にも、離れるなよ?」
と、途端に音が大きくなり始めて
そこから無数の黒服の男達が現れた。
彼らは最新式の猟銃を手にして周囲を警戒しているようだ。
「おい、ハイイロオオカミがこの近くに現れたらしいぞ。気を引き締めろ」
「おう、だが西暦種如きに遅れをとる俺たちじゃない!だろ?」
「がはは、その通りだな!
さあ、あの魔術師の指示通りに仕留めて
見せつけてやろうぜ!あの変なネジの外れたやつにな!」
「俺あいつ嫌いなんだが……」
イングラムは草むらの中で彼らが話し終えるのを待ち、手のひらの上で小さな狼を紫電で作り出すと、それを後ろへと静かに放っていく。狼は小さく吠えると、すぐさま駆けて消えていった。
そして、その効果はすぐに現れた。
狼は大量の電気を放出し、草木に触れていた男達を高電圧を流して気絶させた。隠れていた者達はあれで全員だったらしい。気配は消えていた。
「よし、クレイラ。
今のうちに人の姿に戻るんだ」
抱っこしたままの柴犬状態のクレイラを
下ろして頭を撫でてやる。
もし気配を探知できず、元に戻ってしまったら彼女の放出する光が居場所を知らせてしまう。それだけは避けねばならなかった。
「ありがとう」
優しく微笑むと、クレイラもそれに応えるように尻尾を振りながら声を出す。
〈じゃあ、戻るね〉
優しい光が彼女の身体から流れてきて
それはやがて全身を包み込み、柴犬から人の姿へと戻っていく。
「今度はヘマするなよ?」
「む……大丈夫だよ!」
イングラムが瞬きをすると、既に元に戻っていた。今度は服もきちんと着ている。
着ていてもらわないと色々と困るので
助かった。
「……よし、クレイラ。みんなを探そう。ルシウスたちが心配だ」
「うん、行こう!」
イングラムはクレイラの手を取って
当てもなく駆け出していく。
森を抜けてしまうとまたテレポートでフィレンツェがこちらに勘づく可能性があるため、森の中をしばらく移動し続ける。
「なんだか楽しいな、レオンと旅を始めた時みたいだよ」
「レオンさんと旅……か。
俺は旅を共にしたことはないが、どんな感じだった?」
「それはとても楽しかったよ。
1分1秒が私にとっては宝物みたいなんだ。
喜怒哀楽だったり、西暦時代のことも教えてくれたりもしたよ。一緒に野宿したり、怪物を一緒に倒したりして……」
レオンのとの思いでを語る彼女は
まるで白馬の王子に憧れる少女そのものだった。それだけ、レオンは彼女に大きな影響を与えたのだろう。
離さないように握っていた手を、もう片方の手で握り返してきた。
その手はとても暖かくて、太陽の光を浴びている時のような安心感があった。
「クレイラ……レオンさんと別れたのはいつ頃だ?」
「……あの映像を撮ってすぐだよ。
【ここからは俺一人で行く、クレイラは俺の頼み事を聞いてくれればいい。必ず戻る】
そう言って、私が離れるまでレオンはそこにいたかな。きっと、尻尾を掴ませたくなかったんだろうね」
「———そうか」
「でも、大丈夫。私にはわかるよ。レオンはまだ生きてる。みんなが助けに来てくれるのを待ってるんだよ。それだけを頼りに彼は今も必死に厄災の根源を食い止めてる。この星を守る為に……」
いつからそうしているのかはわからない。
だが、クレイラの表情を見るに、最低でも
数年は戦っていることになる。
そんな話を聞かされては、一刻も早く手を差し伸べたいところではあるが
今のままではどうすることもできない。
「早く全員集まらなければレオンさんの身が持たない。クレイラ。頼む!
俺に協力してくれ!レオンさんを助ける為に!」
「もちろんだよ!そのために来たんだから!」
クレイラはゆっくりと手を離し、改めてイングラムの手を握り返し、握手をした。
「色々な障害と困難がこれからも多くあるだろうけど、でもきっと大丈夫。
みんなで力を合わせれば、きっとレオンを助けに行けるよ。だから、無理をしない範囲でやろう!」
「あぁ!」
二人は決意を新たにして
森の中を抜けて行った。
見晴らしのいい平原へ出ると
紅い夕焼けが地平線へと沈みかけていた。
夕食に差し掛かったらしい。
風下にいる彼らの鼻を、食欲をそそる香りが刺激する。
「さて、あいつの探知範囲外まで来れただろう。ここから先、どうする?
レベッカさんがいないから、例の能力も使えないだろう?」
「出来なくはないよ、動物と会話して道案内してもらう。何か彼らの匂いが付いてる物とか持ってない?」
動物会話能力まで備えているとは、
彼女は一体何者なのだろうか。
レオンさんとどういう関係なのだろうか…
イングラムの興味は尽きない。
「……いや、持ってないな。すまない」
「そっかぁ、仕方ないね。
なら行き当たりで行こう!ばったり鉢合わせるかもしれないしね!」
んー、と声を上げて伸びをすると
大きく深呼吸する。
「さっき言いかけた私とレオンの関係だけどみんなが揃ってから伝えようかなって思ったんだ。あなた一人だけ知りすぎるのも、つまらないでしょ?」
「ううむ……」
そんなことはない、という気持ちと
皆と共有したい、という気持ちが半々で
ぐるぐると渦を巻いている。
どれも自分の本心だから、答えにくい。
「ごめんね、でもその方がいいかなって」
楽しみが先に延びたということで我慢しよう。彼女の身にある多種多様な能力は
明らかに人類という枠を越えている。
それだけは、確信を持てた。
「そうだな……さて、夕餉にしよう。
腹減ったろ?」
「うん!お腹空いた!
さっきの森は生き物がたくさんいたけど、あまり肉は美味しくないみたい……どちらかというと皮とかそういう物に適してるみたいだね」
「……うん?なんでそんなことを?」
「森と会話したからね!
あ、あっちに川があるよ!行ってみようよ!」
「あぁ、いるといいな。美味しい魚」
そうして、ニ人は近くの川へとやって来た。太い1本線の穏やかな流れの川の中枢で道が二手に分かれ、さらにゆるやかになる川と、激しくなる川があった。
「……さてと」
イングラムは自身の槍を顕現させて
鋒を向ける。古い時代の狩猟の仕方だが
今でも多くの人々がこれを使っている。
「……待って、川に手を入れてみる。
ひゃっ、冷た……」
「おい、大丈夫か?
手が冷えて感覚がなくなって使い物にならなくなるほど悪くなるかもしれんぞ?」
「怖いこと言わないで!?」
クレイラは両手に手を入れて目を閉じた。集中しているらしい。イングラムは静止したままクレイラを見た。
「イングラム、ここの激流の方
カワマグロがいるよ」
「ほう、あの高級魚の?」
「うん、小ぶりだけど、赤身が張ってるから食べ応えはあるはず。
でも取りすぎないように気を付けてね?」
カワマグロとは、山の山頂に生息するとされるマグロの一種である。
生息数が限られており、滅多に市場に出回ることのない高級魚で、海に生息する本来のマグロと大差ない旨みを持っているが
天然物の殆どが30センチ未満と小ぶりなものが多い。
「ふむ、では30センチをメインに狙うか。
クレイラ、何か作戦は?」
「ええとね、じゃあ選別して呼んでみるね。」
「……うん?選別?呼ぶ?」
「こぉーいこいこいこいこい。
こぉーいこいこいこいこいこい。」
激流の方へ視線を投げて
川の中で手を鳴らすと、黒い軍勢が押し寄せて来た。あれは全部カワマグロである。
「うわ……大量だ。」
どれも30センチを越える大きなものが
我先にとクレイラの手の先まで集まって来ている。凄まじい光景だ。彼女の手を餌か何かだと勘違いしているのか、川の流れが堰き止められるほどぎゅうぎゅうになっている。
「ふふん!カワマグロの大好物の匂いを
ちょっとだけ手に染み込ませてみた!」
「あぁ、それはいいんだが、堰き止められた先の魚達が跳ねてるぞ」
「ほんとだ!頭に王冠乗せた鯉みたい!」
「……さて、5匹くらいいただくか」
イングラムは手際良く、大きめのカワマグロを槍でひと突き。見事に5つに並んだ。
それを確認したイングラムは、手を離すように指示する。
クレイラが手を離した瞬間に、マグロ達は
脱兎の如く去って行った。
「よし、食べるか!」
「うん!」
ニ人は薪をくべて火を焚いたのだった。