第61話「紅き炎は烈火の如く」
ジェヴォーダンの獣は立ち塞がる2人を
スルーしようと、遙か彼方を見据え
そこへ飛ぶ。
「逃がさないよ」
ルシウスが視線で追いかけながら指を鳴らすと50メートル級の炎の壁が出現して、獣の行く道を塞いだ。勢いよく飛んだために炎に弾かれて、屋根に叩きつけられる。
そして、周辺も同じように炎に取り囲まれた。さながらプロレスのリングのようだった。しかし、不思議とイングラムの体調に変化はない。平常時と同じように呼吸することができた。
「うん、これは自然的な産物ではなく
僕が作り出した人工的な物なんだ。
識別式のマナで編み上げたものさ。
だから、イングラムくんに悪い影響は一切ない。僕が敵と見定めた物にのみ。自然と同等の熱さが襲いかかるのさ」
イングラムが気にしていたことを
ルシウスは予測していたように話した。
なるほど、熱源を感じないのはこの影響によるものらしい。ならば、存分に実力を発揮できるというものだ。
「地道に追い詰めて燃やし尽くす。
ということも不可能ではないけれど、この子には聴きたいことが山ほどあるからね。
少し懲らしめる程度に留めよう」
穏やかな笑みを浮かべたまま、ルシウスは
ゆっくりと近づいて、弓を顕現させた。
ジェヴォーダンの獣は立ち上がって2人を唸り声をあげながら威嚇している。
「さて、鬼ごっこといこう」
ルシウスの目が刹那に赤く光ったと思うと
彼の姿は瞬きと同時に消えた。
そして、獣の激痛に苦しむ声が聞こえたのだ。
「なんだ、何が起きた!?」
よくよく見ると、獣の首筋には
導火線のついた矢のような物が深々と
突き刺さっていた。
それを、必死に取ろうとして動き回るが、
その先々をルシウスが先行している。
「よいしょっと」
弓兵としては異様な速さで矢を装填し
1本撃ち込む。
しかし、放たれた矢は1本から2本、2本から5本と徐々にその数を増やしていった。
ジェヴォーダンの怪物は唾を吐き出して
矢に付いている導火線を打ち消そうとしたのだろうが、それが甘かった。
ルシウスは一瞬目を見開いて
瞬きのうちにイングラムの隣へ移動していた。そして、彼は笑顔で手を強く握りしめて
「ぽん」
ルシウスが呟くと同時に、導火線の進行速度は刻々と速くなり続けて数秒後には大爆発を起こした。熱波と衝撃が二重に襲いかかり、ジェヴォーダンの獣はそれを防ぐことも出来ずに地面に叩きつけられた。
「……まだ抵抗は出来るらしい。
ならせめて、動きを止めたいな」
「よし、俺に任せろ」
イングラムは右腕を庇うようにして
駆け出した。
怪物は騎士を睥睨し、唾を吐き続ける。
それを見切りながら突貫し、左腕にマナで編み出した槍を顕現させる。
これ以上は近寄らせまいとさらに
吐き捨てる量を増やすが、イングラムは
槍を回転させて、それをバリアのように機能させたため全てが弾かれ、地面に付着する。
「スキだらけだ!」
イングラムは回り込んで
雷の槍を左後ろ脚に投擲した。
寸前のところで避けようとした獣の、その眼前付近には、大量の導火線が散らされていた。
「逃がさないと、最初に言ったはずだ」
指を鳴らす。そしてその上空からは何かが
降下してくる音が聞こえてきた。
それも、熱量のあるものだった。
「まるで火の雨だな————」
イングラムもその光景を見て思わず息を呑んだ。100を越える無数の導火線を纏った矢が怪物の距離が縮んでいくにつれてその数を徐々に増やしていくのだ。
戦慄するほかない。
「イングラムくん、もう片方の足も
お願い出来るかな」
「あぁ!」
イングラムはあの紅い怪物の時に使用した
アーチャーモードを展開した。
〈戦闘形態移行します。
ナウ・ローディング・アーチャー〉
全身の紫電が作り出した剛弓に注がれていく。獣に避ける隙など与えさせない。
天から降る紅蓮、地上から昇る滅紫。
それぞれの攻撃が重なって
怪物へと飛んでいくのだ。
「脚を止める!」
右腕に激痛が走るものの、イングラムは
奥歯を噛み締めてそれを堪え、矢を強く引き絞って、撃った。
毛皮が焼き焦がれるような音が聞こえて
天からは次々と矢が獣に突き刺さり
爆破していく。
小さな古戦場は大きな戦火に包まれた。
「……ふぅん、存外しぶといね。
四肢も無事とはいかないだろうけど。さて」
爆炎の中でもジェヴォーダンの獣は後ろ両脚を痛めながらも確かに立ち上がり、唸っている。ルシウスは弓を構えて再び矢を放とうとしたが、突如弓を下ろす。
彼は飼育小屋の屋根に立っている人間を遠巻きに眺めた。
「……お前が飼い主か?」
イングラムが問いをかけると
それに応えるように目の前に飛び降りてきた。
「酷いことしますねぇ……私の相棒なのに……健気で可愛い……ふふふ」
不気味な雰囲気のミステリアスな女性だった。青白い肌に黒く長い髪は、両眼を覆うように分けられている。そして彼女は口角をゆっくりとあげて、ルシウスを指差して息を荒げた。
「私の、私の可愛いこの子に酷いことをしたのを、見ていました!許さないっ!絶対に許さない!」
「あはは、恨まれるようなことはあなたに
した覚えはありませんよ。そこの飼い犬には酷いことをたくさんしましたけどね。でも、これは相応の報いというやつですから
しょうがないですよ」
ルシウスは終始笑顔で言葉をかける。
幽霊にも似た気配と殺意を受けながらも、彼は微動だにしていない。そして、イングラムは。
(ふむ……生霊の類か?あの獣を退治したあの狩人の子孫か?それともその霊がこの女性に乗り移っているのか……気になりすぎる)
「黙れ!この子は私の指示に従っただけよ!
憎き女子供を蹂躙するっていう大事な指示にね!こんなに利口な子なのに、なぜそんなことをするの?」
「ですから、それが報いだといっているんですよ。お姉さん。その命令が、僕がその犬を倒さなければならない理由になっているんです。あと、あなたが行ったことは充分犯罪ですので
例え飼っている動物を経由して起こしたこととしても裁かれることは覚悟しておいてください」
「口の減らない優男ね!
あと隣に立ってるそこの男!なにジロジロ見てるのよ!えぇっ!?」
イングラムは腕を組んで彼女から罵声を浴びるとはっとなって質問を投げた。
「率直に聞きますが、あなたは人間ですか?
幽霊ですか?」
「はぁ?あんたには関係ないでしょ!!!」
「いえ、関係ありますよ。
私は彼の友人ですから、あなたを知る義務がある。ところでその犬っころ、西暦史書で見られた伝説の怪物に類似しているんですが、それについては?」
「誰が教えるもんですか!馬鹿じゃないの!これだから男は嫌いなのよ!」
断固拒否されてしまった。
そんな大層な質問はしていないはずなのに
拒絶されたような感覚がイングラムに襲いかかる。
「女子供しか襲わない。というのは、彼の言った通り、14世紀のフランスで起きた獣害事件と類似している。厄介な事件を起こしてくれましたね」
ルシウスは手を払って女の近くへ歩き出す。
「何よ、来るんじゃないわよ!
痴漢て呼ぶわよ!変態!」
「ははは、僕、騎士警察の人間なので
現行犯逮捕できちゃうんですよね。
というわけで、はい。逮捕」
ルシウスは女が瞬きした瞬間
背後に回り込んで組み伏せ、手錠をかけた。
「むきぃ!離せ!離しなさいよ!痴漢!痴漢!」
「暴力を振るわれると公務執行妨害で
出所するまで長引くことになりますけど、
それでもします?
そこの犬くんも君が抵抗すれば飼い主さんが
キツいお仕置きに合うんだけど、いいの?」
グルルと、獣は唸り声を上げてゆっくりと後退する。自分はどうなっても構わないが
飼い主が傷つくことはプライドが許さないようだ。
「うん、賢いね」
にこりと笑みを浮かべて、厳重に手錠をはめ込もうと力を入れたその瞬間————
黒い頭巾の者たちが出現した。
ルシウスは咄嗟に跳躍してイングラムの隣へと立つ。
「何をやっているのだ全く」
聞き覚えのある声が地面から聴こえてきて
それは人の形を成して、あの仮面の魔術師となった。
「魔術師様、申し訳ありません。
この者たちに邪魔をされました……」
女は謝罪の言と共に頭を下げた。
彼はそんなことを気にもせずに鼻を鳴らす。
「ふん、誰かと思えばイングラムと騎士警察か」
「貴様ぁ……!コンラの人質を全員殺したな!」
「だからなんだ、お愉しみの最中外野の声は必要ないだろう?だから、掃除したまでだ。」
魔術師はさらに鼻を鳴らして続けた。
「まあ、あの国はルークとやらが際限なしにマナを放出して暴走したせいで海の藻屑となったがな」
「なに……!?」
「あの男は波に呑まれて死んだよ。
残念だったなあ?せっかくの再会が全て俺のおかげでパァだ!ははははは!!!!」
「貴様————」
激昂するイングラムを、ルシウスは手を差し伸べて制止する。
「落ち着いてイングラムくん。
魔術師の言葉を間に受けちゃいけない」
「————っ、それもそうか。助かった。」
友の制止により、気分を落ち着けたイングラムは、真っ直ぐに魔術師を見る。
「お前は許さんぞ、魔術師!」
「あなたは五体満足で捕まえさせて貰いますよ。無論、抵抗して貰っても構いませんがその場合、こちらも全力を以って仕留めにかかります」
ルシウスの笑顔の中には確かな情熱と
鬼気迫る何かがあった。
しかし、それにもたじろぐことはせず
魔術師は部下たちに女とジェヴォーダンの獣を避難させる。
「ふん、やれるものならやってみろ。
まあ、無理だろうけどな」
「僕たちに目をつけられた以上
簡単に逃げられるとは思わないことです。
地の果て底の果て、空の果てまで確実に追い詰めて捕まえますからね?」
「はははははは!おかしな男だ!
退くぞお前達!」
そう言うと、魔術師の周辺は黒い炎に包まれて彼らは地面に吸い込まれるように消えていった。