第60話「赤い獣」
ルシウスの手は大きく逞しかったが
そうは感じさせないほどの優しい力加減が
レベッカの手を包み込むように握った。
「えっ、ルシウス!?
あなた、ルシウス・オリヴェイラさんなんですか!?」
「……僕を知っているんですね?
ということは、あなたと一緒にいる人はやはり————」
ルシウスはわずかな残滓からその同行者が誰であるか薄々感づいていた。
彼は穏やかに微笑みながら
小屋の奥へ一緒に進もうと施す。
「レベッカさん、一緒に行きましょう。
奥で僕の友人がUMAたちと戦っているはずです。」
「はい!ぜひお力添えをお願いします!」
その頼みは彼にとっても願ってもいないことだった。断る理由がない。
ルシウスは笑顔で頷いてレベッカの手を引いた。
時を同じくして、イングラムとベルフェルクの上空には鋭い爪を立てながら降下してきたUMAの一種、チュパカブラの群れに襲われていた。
「ふぉあぁ!ここが僕の死地ぃ!」
「おい、口を閉じていろ。舌を噛むぞ」
イングラムは左手でベルフェルクを
無理やり屈ませると同時に右手で地面に突く。紫の波紋が十字状に放射するように広がると、光は一気に強くなった。
「雷電壁!」
波紋が雷電を帯びて上空に伸びるように
雷電が顕現し、チュパカブラたちの侵入を防いだ。群れは避けることもできずに
そのまま直撃し、丸こげになって
地に伏した。
「おい、ベルフェルク。周囲に敵の影は?」
「ナッシング」
「よし、解除するぞ」
周囲の気配を探り、自らに敵意を向けている存在がなくなったと感じたイングラムは
雷電壁を解除した。
「ふぁぁ!イングラムくんやっぱり強えですぅ!」
「……言ったろ?お前を守れるだけの力は
ある。とな」
ベルフェルクに向かって微笑む。
彼もうんうんと頷いた後、はっとしたように周囲を確認して、既に死んでしまっていた牛の亡骸へと走っていく。
「おい……!」
イングラムも後に続く。
モンゴリアン・デスワームのように体内で
寄生している可能性もある。
いつ襲ってきても大丈夫なように、彼は側に立った。
「あぁ……ごめんよぉ……僕達が1日でも早くここについてたら、死なせなくて済んだかもしれないのに……ごめんよぉ……本当にごめん……怖かったよねぇ」
牛の頭を優しく撫でる。ベルフェルクのその目には涙が伝っていた。
(昔はあれだけ動物が触れなかったのに
ここまで動物を愛せるようになるとは……
人とは変わるんだな)
「イングラム様!」
「騎士様!」
後ろからクレイラとレベッカの声が聞こえてくる。危ないからと降りた場所に待機させていたのに何故ついてきてしまったのか。
「なんでここに来たんだ。あそこで待っていろと言ったろ」
若干の焦りを孕みながら
彼は二人の身を案じた言葉をかけてやった。まあ、付いてきたものは仕方がない。
クレイラもいる。万が一の時は一緒に戦ってもらおう。
「ごめんなさい、でも蟹のおじさんが
怖かったから、あそこから逃げてきたの」
リルルの発言に嘘は感じられなかった。
真に迫るような表情で訴えられては
疑いようもない。
「なら仕方ない。というかあいつ、
こんなところでなにを……?」
「私を捕まえにきたって……言ってた」
「あれは最早蟹などという生優しいものじゃありません。スーパーロリータです」
とっくにご存知ではあったが、よもやそこまで症状が進んでいたのか。
今度とっ捕まえなければリルルのみならず
全ての世界の幼い女の子たちの将来が危険に晒されてしまう。
「ユーゼフは今どこに?」
「レベッカさんが押し留めてくれています。向かいますか?」
イングラムは首を縦に振ると
ベルフェルクに肩を置いた。
移動するということを伝えたのだ。
「うう……ここでせめて土として第二の生を送ってくださいぃ……」
ベルフェルクは腕で涙を拭って立ち上がる。そして、やってきた場所の方へと駆け出した。やれやれ、とイングラムは呟きながら三人のいる場所へと駆けようとしたその瞬間
謎の黒い影が突如出現し騎士の行手を阻んだ。
「みんな、声を出すなよ。
こいつ、見たことが————」
騎士の目の前に降り立ったそれは
体長5メートルほど、狼のような身体に
血のように染まった赤い毛。
口からはみ出た鋭い犬歯。鋭い鉤爪にライオンのような尾を持っている。
イングラムは、その正体にすぐ辿り着いた。
「ジェヴォーダンの獣!」
口からは涎を垂らして、イングラムを睨みつけた後に後ろにいるリルルたちを見据えた。そいつは、まるで大好物が目の前にあるかのようにうすら笑いを浮かべて吠えた。
「リルル様!下がって!」
「ぼぼぼぼ僕も下がりますぅぅぅ!」
ベルフェルクはリルルを守るように立ったまま、後ろへ行くように促した。
「リルルちゃん、大丈夫。君の騎士様とお姉ちゃんが守ってくれるからね……僕は、戦えないけど、君の盾くらいにはなれるから……!」
ベルフェルクの足は震えていた、しかし
彼の瞳には覚悟が宿っていた。
たとえ身を挺しても守るという強い意志を
持っている。
リルルも彼の意志を汲み、ベルフェルクの
手を強く握る。
「セリアさん!挟み撃ちにしましょう!
そいつは女子供しか喰らわない怪物です。
リルルやあなたを狙う可能性も充分にありえます!どうか守ることを優先してください!」
「わかりました!イングラム様!」
クレイラは右手から水の剣を、左手から大地の琥珀色の剣を出現させた。
イングラムを見向きもしないジェヴォーダンの獣を彼は紫電で足止めする。が
獣は目にも留まらぬ速さで縦横無尽に駆け回る。影を追うのがやっとだ。
「ちっ、素早いやつだ!」
イングラムは相手の移動地点を予測して
槍を突いた。
がん、と金属が弾かれる音にも似た音が聞こえた気がした。
獣は、突いた槍を犬歯で防いでいたのだ。
そして、巨大にも感じられる前足の鋭い爪を振り下ろしてくる。
「紫電!」
左手から放射状に放った紫電は
獣の身に巡り巡っていくものの、動きを完全に制止させるには至らず、イングラムは直前で槍を手放し、避けた。
「化け物か、こいつ……!」
青と琥珀の二刀の剣が獣の進撃を食い止めた。そいつは槍を咥えたままクレイラを見下すように見ると、口角を僅かに上げて
加えたままの槍を振り下ろしてきた。
「————っ!」
「させん!」
腰元の鞘から剣を取り出して、それを投擲する。槍と剣はぶつかり合い剣が弾かれてしまったものの、クレイラはその場から離脱できた。そのまま彼女はイングラムの横に立つ。
「助かった、ありがとう」
「どういたしまして……!
こいつ、なかなか賢い獣のようです。」
イングラムは叫び、槍が戻ってくるように命令を降す。すると、咥えられていた槍は放電し、ジェヴォーダンの獣の口の支配から逃れて持ち主の手元に戻ってきた。
「よし!ん……?」
手の感覚が、槍を手にした瞬間無くなった。
「……あいつの涎か、何かの毒素が混じっているらしいな」
手にしたのが右手だけだったのが幸いしたらしい。左手はまだ感覚が残っている。
「イングラム……!」
「いや、今は治している暇はない。
あいつを撃退することだけを考えるんだ!」
クレイラの心配を受け取りつつも、今できる最善の手段を口にする。
腕の麻痺など、あとで治せばいい。
ここで殺されてしまうのが1番最悪の展開なのだから。
獣は舌打ちをするように唸り
小屋付近に避難していたベルフェルクとリルルに視線を向ける。
そいつはリルルに視線を定めると、にやりと嗤い、飛びかかった。
「そうは、させない!」
クレイラは氷の鎖で四肢を拘束して動きを封じた。が、その力は尋常ではなく、獣は
身体をガムシャラに動かしでたらめな力で鎖をちぎり砕いた。そいつはそのまま直進し
ライオンのような尻尾で、両手でリルルを庇うように立っていたベルフェルクをはらう。
「ぐぇぇ!!!」
「動物のおじさん!」
小屋の中の壁に吸い込まれ叩きつけられるようにベルフェルクは飛ばされた。
リルルの不安が一気にのし上がってくる。
「……っ!」
「リルルッ!逃げろ!逃げるんだ!」
クレイラは再び鎖を放出しようとしたが
獣とリルルの距離があまりにも近い。
下手をすれば彼女すら巻き添えをくらってしまう可能性があった。そのため、クレイラは
苦悶の表情を浮かべ、鎖を出せずにいた。
「騎士様…助け————」
少女の願い虚しく、獣の鋭い牙は眼前に
迫っていた。もう助からないと、誰もが
確信したその時。
「熱波」
聴き慣れた声が、リルルよりも後ろから聞こえてきた。
獣は一瞬目を見開くと、全身を業火が
包み込む。
苦しそうに唸り声をあげながら、それを発現させた人物を睨みつける。
「やはり、賢いね。ジェヴォーダンの獣。
流石、飼い慣らされているだけはある。
西暦のフランスの時と同じ……かな?」
パチンと声の主が指を鳴らすと
炎はより一層勢いを増し、獣はリルルから距離を置き始めた。しかし、その目は未だ
炎のマナ使いを睥睨している。
「その声は、まさか————!」
ルシウスはリルルを抱えて屋根を突き破る勢いで天井へと飛び、クレイラの隣へ降り立った。
「“セリア”さん。リルルちゃんをお願いします。レベッカさんと一緒に守ってあげてください。そして、ベルフェルクくんのこともお願いできますか?」
「————!」
クレイラはルシウスの目を見る。
彼は変身した、ということを見抜いている。それを理解した上でその変身した女性の名を呼んだ。
「わかりました。よろしくお願いします!」
クレイラは震えるリルルを優しく抱き寄せ
て、飛んだ。彼女は突き破られた天井に向かって飛んでいく。
「ルシウス!どうしてここに!?」
「詳しくは後だ、イングラムくん。
今は害獣駆除といこうじゃないか!」
驚くイングラムをルシウスは優しく論じた。
彼は今優先すべきことを再確認させたあと
指を再び鳴らして、業火を消した。
「ジェヴォーダンの獣。
君は、僕たちの手でしつけ直してあげよう!」
ルシウスの笑顔から凄まじいほどの闘気が
放出されたのだった。