第52話「五大元素のマナ使い」
イングラムはゆっくりと目を開いた。
周囲を改めて確認するが、怪しい気配はない。
「終わったみたいだね。お疲れ様」
「ありがとうございます。クレイラさん」
「あぁ、呼び捨てタメ口でいいよ。その方が私も楽でいい」
「……では少しずつ、ということでよければ」
クレイラは親指と人差し指で丸を作った。
どうやら許可を貰えたらしい。
しかし彼女に出会ってまだ一日も経っていないというのに、この旧知の友に再会したかのような感覚があるのは、なぜだろう。
「イングラム、もう遅いから眠ったらどう?ここは私がうまいことしておくから」
彼女の言葉を聞くと、急に眠気と疲労がどっとあふれて襲ってきた。今まで湧いてこなかったのが不思議で仕方がない。
「そうしたいのですが……その、虫が嫌いでして、耳の中に入ったりすると不快感で目を覚まします」
「そういうことなら任せといて」
何か対策があるのだろう。クレイラは頷くと、指を鳴らした。ふわふわ浮かんでいる膜がイングラムを優しく包み込む。ほのかなシトラスの香りが漂った。シャボン玉の様に静かに上下している。
「こ、これは……」
「防虫除け熟睡用絹だよ。さっき作った」
よくよく見るといなくなったと感じていたリルルやセリアもそれに包まれていた。
顔色はとてもよく、寝顔はとても穏やかだった。というか、これが絹なのだろうか。
どうみてもシャボン玉の膜にしか見えないし閉じ込められているようにも思う。
が、不思議と呼吸は出来るし、外の音も聞き取れる。どういう仕様なのだろう。
「さぁ〜、眠って〜リラックスすれば、す〜っと眠れるようになるよ〜」
そんなことを考えているとクレイラは催眠術をしかけるように両手を動かしてイングラムを見つめ始めた。透き通るような声でそんな言葉を言われてしまったから、尚更瞼が重くなる。
「お……お休みなさい」
「うん、お休み」
優しくクレイラが微笑みを見たのが最後
イングラムは夢の世界へと誘われたのだった。
「意外と早寝さんだね……ねぇレオン。君はちゃんと休んでる?無理なのかもしれないけど、隙を見てきちんと休んでね?」
クレイラは独りになった途端に無数に輝いている星々を見上げて呟いた。
そして、長く伸ばしている方の髪に手を触れる。
「……これが、君と私を繋いでくれた証。
絶対傷つけないし、失くしたりしないからね」
彼女はずっと空を眺め続けた。
どこかで、レオンも同じ空を見上げているのだろうか。そう思うと、ぽっかりと空いた穴がちょっと埋まった気がした。
「……レオン、約束は守るよ。君のお友達は全員見つけ出して、そしていつかみんなと————」
言葉を思わず濁す。そして、彼女は草のベッドに寝そべった。深く深く深呼吸して、瞳を閉じた。
「お休みレオン」
クレイラは遠い果てにいる大切な人に、
優しく言葉を投げた。
スズメの囀りが、森の中で木霊し合う。イングラムはその声で目を覚ました。未だ、宙に浮いている絹の中で
「やあ、おはようイングラム。その様子だとよく眠れたみたいだね」
「クレイラさん、おはようございます。
おかげさまでよく眠れましたよ」
うんと伸びをして深く深呼吸する。
新鮮な森の空気が身体の中で循環して
頭を冴えさせる。まだ寝ぼけてはいるが、こんなに早く目を覚ましたのは久しぶりだった。
「リルルはまだ眠ってるよ。セリアは……」
「セリアさんがどうしたんです?」
クレイラは言葉を詰まらせて
中身のない絹玉を見つめる。
そして呟いた。
「うん……、みんなを見張ってたんだけど
彼女、絹の中で溶けちゃった」
「……なんですって?」
声を殺しながら、驚愕する。真偽を確かめるべく、イングラムはセリアの入っていた絹玉へ歩み寄る。確かに、彼女の姿は無かった。代わりに、真新しい水が中で揺らめいていたし、その中には1本の髪の毛が浮かんでいた。
「髪の毛?なぜこれだけ残ってるんだ?」
判断するには情報が少な過ぎる。イングラムは電子媒体を起動してセリアの髪の状態を調べた。毛根がついているもので、僅かな冷気を帯びていることからコンラで取れたものだろうと推測できた。
(……何だ、この引っかかる感じ
普通なら驚いてもいいはずだが……)
「ねぇ」
ズン、と大きな足音のあと、クレイラが
声をかけてきた。
思考を一旦終えて、声の方へと振り返る。
と————
「ご飯にしようか」
クレイラは片手で真っ赤な巨大な蛇のようなものを抱えて歩いてきたのだ。
「……食えるんですかそれ」
イングラムはドン引きと言わんばかりに顔を引きつらせる。
「これは昨日と同じUMA!皮剥いで毒抜き
したから食べられるよ。
リルルにはさすがに食べさせられないけどね。あの子には、そう————」
イングラムの真横を、小太りの野ウサギが
ぴょんと跳ねて通り過ぎようとしていた。
それを、クレイラは人差し指で指差して
そこから紫電を発射して動きを止め氷柱を串代わりに刺殺した。
「これこれ!ウサギのお肉にしよう!」
クレイラはまだひくついている野ウサギを
手に持って、リルルの絹玉の方へ向いた。
「皮剥いで、それから血抜きしなくちゃね。待ってて、生肉にしなきゃ」
(氷の属性だけでなく、俺の紫電まで使う……それに並みのサバイバル能力ではこうはいかない。あのモンゴリアン、1メートル近くあるのに、1人で皮を剥げるのか?)
様々な疑問が頭の中に浮かんでくる。
クレイラという女性、本当に謎だ。
「うぅん……」
リルルが欠伸をする声が聞こえた。
まずい、目の前では兎が皮を剥がされている。あの子が見たら二度寝程度では済まなくなる。兎がトラウマになる。イングラムは脱兎の如くクレイラの前に立ちはだかってリルルに笑顔を向けた。
「おはようリルル。
よく眠れたかい?」
「ん……?騎士様?
おはよう……お姉ちゃんたちは?」
「クレイラお姉ちゃんは、今ちょっと取り込み中だ。だから顔を洗いに行こう。
さ、おいで」
イングラムは絹玉に手を入れてリルルの視界に解剖作業が映らないように抱き寄せ、川方面に歩き始める。
「クレイラさん、帰ってくるまでにそれ終わらせてくださいね。」
「うん、任せて」
綺麗な川のほとりで
イングラムは両手で水を救い、顔を洗った。リルルもそれにならい、手を入れる。
「冷たい!」
「ははは、仕方ないさ。今は我慢してくれ」
「うん……」
リルルはもう一度手を入れて水を救い
一度イングラムの顔を見てから
顔を洗った。
「よし、綺麗になったな」
イングラムは頷いて、リルルの手を引いて立ち上がる。すると、元いた場所から
煙が上がっていた。それを見て、二人は歩き出す。
「やあお帰り。そしておはようリルル。
綺麗に洗えた?」
「クレイラお姉ちゃん!おはよう!
うん、騎士様の真似したら上手にできたよ!」
「良かった!さあ、ご飯の時間だよ!
座って座って」
半透明の皿とナイフとフォークを渡された。リルルには小さいサイズのフォークを渡す。二人は隣同士で木の椅子に座る。
目の前には焚き火で美味しそうにウサギ肉とワーム肉が肉汁を滴らせている。
ウサギはともかく、ワームは食えるのか。
「あの、これはどこから?」
「え?作ったよ?」
「何から作ったんです?」
「氷のマナだよ!」
「氷のマナですか」
クレイラは自分のマナで氷を顕現させ
そこからフォークとナイフ、皿に至るまでの全てを形にして掘り出したのだろう。
ものの15分程度でここまで出来るとは
やはりおそろしい。
「では、この焚き火は?」
「え?そこの木を1本だけ拝借して
急速乾燥させて焼いただけだけど」
「何で乾かして、何で焼いたんです?」
「風のマナで乾かして火のマナで焚いた」
「風の次は火のマナですか……あなた、万能では?」
クレイラは満更でもなさそうに顔を赤くして言葉を紡ぐ。
「レオンにも言われた。嬉しいよ、ありがとう」
顔を赤くして串を刺す傍、イングラムは一つの仮定に辿り着いた。
(この人は、五大元素のプロフェッショナルなのだろうか、それに、昨日の氷柱の一撃でアイツを絶命させたりしてるし、練度と精度も上級のマナ使いを遥かに上回っている……それに、高いサバイバル能力……
レオンさんに仕込まれたのか?)
イングラムの中でクレイラはレオンさん仕込みの凄い人、という認定を賜ったのだった。そして————
「「「いただきます!」」」
イングラムは串を取り出して、ワーム肉を食らった。苦味があり、クセもあるが
これがなかなかに美味しい。
質感は豚肉と鶏肉の中間で、噛みごたえは
そこそこだ。
(美味い……!)
「お姉ちゃん!このお肉美味しいよ!」
リルルは眩しい笑顔でウサギ肉を頬張っている。時間はたくさんあるから、ゆっくりと味わっているようだ。
「よかったよかった!私も頑張った甲斐があるよ!」
えへへ、と満更でもなさそうにクレイラは
笑顔を浮かべる。
「騎士様、今食べてるそのお肉はなあに?」
「あぁ、これか?これは————」
「モンゴリアン・デスワ————」
「モンゴルサン・デスミートというお肉だ!!」
真実を言おうとしたクレイラの言葉を遮るように、イングラムは大きい声でそう言った。
「もんごるさんですみーと?」
「そう、昔々モンゴルという国があってな
そこの動物のお肉なんだよ。だからモンゴルサン」
「ミートは?」
「お肉って意味だ」
「デスは?」
「ですよ、って意味だ。つまり、
【これはモンゴル産のお肉ですよ。】
という意味なんだ。わかったか?」
「うん!騎士様物知りだね!」
一つ知識を得たリルルはフォークとナイフでワーム肉を食べる。ウサギ肉より気に入ったらしい。次々と串に刺して頬張っていく
「なんで邪魔したの……」
「いやだって、色々と知るには早い年頃だし……」
クレイラは子供のように頬を膨らませて
イングラムを見る。
これではリルルとどちらが子供なのか
わからなくなってしまった。