第50話「救世主」
私的一番好きなキャラがついに登場
激戦を乗り越え、森深くまで来た頃には
既に陽が沈み始めていた。それでもイングラムは少女と女性を抱えて、コンラの領域を脱出していた。追っ手が現れることも、行く先々で怪物に出会すこともなかったのは、運が彼に味方してくれたのだろう。
「さっきのでかい音は一体……?あの怪物がやったのか?」
一瞬そう思ったが、そもそもあの怪物にそれだけの力があるとは思えなかった。
コンラの白い塔に登り対峙した時も、つい先程の時も、それらしい力は感じられなかった。ならば、あの音の正体は、ルークなのだろう。
「なるべく早く戻ってきてくれよ……
ルーク」
振り返らずに、絞り出すような声で
祈るように囁く。彼がいなくては、現れた敵を一掃することは出来ない。今のイングラムでは、リルルとセリアを危険に晒しかねかねない。
「騎士様……」
ふと、か細い声が聞こえてくる。
「……降りたくなったか?リルル」
「うん……」
既に数時間近く経ち休まず眠らずの行動を取ってきたのだ。幼い彼女にとっては、耐え難いものだろう。イングラムも小休憩と思いながらリルルが降りれるように、セリアを落とさぬように身体を低くしながら
「すまんな、そら、下ろしてあげよう」
「うん、ありがとう」
「……ふう、セリアさんも降ろしておくか。」
全身の緊張が一気に解けて、イングラムはセリアを横にした後、自身は木の幹に寄りかかって深呼吸した。木々が活動を徐々に緩やかになっていく傍ら、吐き出される空気は白く見えた。
「……騎士様、お腹空いたよ」
「うん、そうだな。今日はここでキャンプにしようか」
リルルはよほどお腹を空かせているのだろう。それもそうだ、シェルターの中では
飲むもの食べるものを全て他の子供達に取られていたという。
(……)
イングラムは電子媒体を起動して、ちょうどいい立地を探すが、画面が赤い文字エラー文字を吐き出した。どうやら周辺に更地のような場所はないらしい。
「くそ、仕方ない。もう少ししたら歩くか……」
年幼い少女と怪我人を野宿などさせたら
ルークやアデルバートに顔向けすることなんてできない。そう呟いて立ち上がろうとするが全身の筋肉が強張って、麻痺したみたいに動かない。手も同様だった。
「リルル、どうだ?歩けるか?」
少女は首を横に振る。彼女もどうやら足をやられているようだ。
「そうか、なら動けるようになるまで
少し待機しよう」
イングラムは感覚がない状態の身体を
必死に動かして、リルルを抱き寄せた。
何があっても大丈夫なように、優しく見守ってやる。
「騎士様————」
「大丈夫、二人とも絶対に護る」
手足がなくなろうとも、目が見えなくなろうとも、耳が聞こえなくなろうとも、目の前の守れる命は、必ず守り抜く。
イングラムは今まで以上に心に強く誓っていた。
「うん……ありがとう騎士様!私、頑張るね!」
リルルの微笑みに、思わず笑ってしまった。安心感から来る物だった。
こんな時でも、この子は強く生き抜こうとしている。言葉で自分を慰めながら、仕草で騎士を安心させている。
(君は本当に強い————)
その矢先、周辺の草木がざわざわと揺れ始めた。イングラムは一気に警戒態勢に入る。
「リルル、何があっても声を上げないおと。いいな?」
リルルは小声で話す騎士の声に頷くと
視線を真っ直ぐに揺れる草木へと向けた。
(さて、鬼が出るか蛇が出るか……)
イングラムは槍を顕現させて肢の部分を口元に加える。身体を動かすことができないので、今はこれしか方法がない。
「————!」
来た。緑色の巨大な蛇のようなシルエットが浮かび上がり、それは這うようにゆっく。とこちらへ向かってきた。
(緑色のモンゴリアン・デスワームか!)
比較的小型のようだが、同族の別個体と考えていいだろう。森に適応したモンゴリアン・デスワームの能力、行動パターン。
そして情景が黒くなりかけていること。
最初の時とは状況が違いすぎる。
例え動けてマナが全開だとしても、被害は大きくなるだろう。騎士は考察は無駄と考えて、それを放棄した。
とにかく、声を出さないようにリルルの口元を優しく手で覆う。
そしてイングラムは息を殺して、モンゴリアン・デスワームを睥睨した。
(去れ、ここから……!頼む!)
そんな願いが怪物に通じるはずもなく
程なくして、それは鼻のような器官をヒクヒクさせて、あの特徴的なヒルのような口を開き、セリアを狙った。
(くそっ、血の匂いを嗅ぎ分けたか!)
止血しているとはいえ、動物は人間以上の嗅覚を持っている種が多い。
UMAとて例外ではないのだろう。
現に退化した目を持っているにも関わらず
セリアのいる方向へ鼻らしきものをひくつかせて動いたのだから
(クソッ、動け……!動いてくれ!頼む!)
脳は懸命に身体を動かそうと指令を送っているが、未だに動きそうもない。
このままでは、セリアが捕食されてしまう。怪物は刻一刻と距離を縮めている。
そして、口を最大まで開口して覆い被さるように捕食を————
しなかった。否、することができなかったのである。森に適応したデスワームは
突如として出現した凍てつく氷柱に胴体を串刺しにされて絶命したのだ。そして、目の前にはその攻撃を行ったであろう少女がいつのまにか立っていた。
「……!?」
その姿に呆気にとられたイングラムは思わず槍を落とした。
「……皇女様、ではないな。何者だ」
よくよく見るとスクルドではなかった。
そう判断材料になったのは、その者の纏っている雰囲気だった。神の如き神性を醸し出しているわけでもなく
かといって狂気的な人間性を露わにしているわけでもない。
言葉にできないほど、凛としていたのだ。
「……生きてる?良かった、間に合ったかぁ」
白銀の女性は安堵しながら腰を下ろすとイングラムとリルルの身体に手を当てて
何やら治癒を施し始めた。
「あなたは一体?」
「私の名前はクレイラ、あなたたちを助けに来た。」
名を名乗る。頬に優しい風が吹いて、腰元にまで伸びている銀髪がふわりと揺れた。
「綺麗……」
リルルからそんな言葉が漏れるほど
彼女の外見は完璧だった。
透き通るような美しい声と、サファイアのような綺麗な瞳は僅かに光を宿し絹のような白い肌。彼女ほどの女性は見たことがなかった。
(片目を隠している……?怪我でもしたのだろうか)
片方の前髪の部分まるで覆うように隠しているようだった。聞くことは無粋だと、イングラムは口にせずに胸の中にしまい込んだ。
「ありがとうリルル。
きっとリルルも綺麗な女の子になる」
「本当!?」
元気な言葉に、クレイラは首を縦に振り優しく微笑んだ。その笑顔に、リルルは思わず頬を赤らめる。
「クレイラお姉ちゃんが言うなら……」
(リルルはやけに呑み込みが早いな。
しかし、この女性何者だ……??
あの一撃、アデルが使ったていたマナよりもさらに上位のものだった。マナの使用量も凄まじいはず……なぜこれほど平然としていられるんだ?)
イングラムは自分だけでなく、仲間の窮地を救ってもらった。その点は感謝している。しかし、彼女が彼らを助けるメリットがない。
「警戒するのは当然、だけど安心して?私は敵じゃない」
イングラムの思考を汲み取ったかのように
彼にだけ聞こえるような小さな声で囁く。
「そうだ、俺たちは貴女の前で名前も読んでいない、にも関わらずなぜ知っているんです?」
「それは、まだ言えない」
「……どういうこと————」
「騎士様!身体が軽くなったよ!
みてみて!」
リルルは勢いよく立ち上がり
飛ぶように跳ねた。よほど嬉しいのだろう、リルルはクレイラに抱きついた。
「ありがとう!クレイラお姉ちゃん!」
「………」
クレイラは慈母のように優しく微笑み
頭を撫でてやる。リルルはその瞬間、動きを止めてクレイラの顔を見上げた。
「お母……さん?」
「撫で方が似ていた?」
リルルは産まれた時、最初で最後の時に
母親から優しく頭を撫でてもらったことがあった。産まれた時など誰も覚えていないだろうが、リルルだけは、母親の温もりを覚えていたのである。
クレイラに撫でられた時、その記憶が
つい昨日のことのように蘇ったのだ。
「う、ううん……でも
なんだろ、あったかいね、お姉ちゃん」
クレイラはまたにっこりと微笑んで腰を落とし今度は抱擁してやった。
リルルは、あっ、と言葉を溢した後
涙を流す。抱かれた時の記憶を、思い出したのだろうかリルルは声を殺して泣き始めた。
リルルの最も古い記憶を呼び起こさせるほどの人物。記憶に干渉できる人間など聞いたことがない。加えて、氷のマナなど今日に至るまで名前すら聞いたことがない。
イングラムは快復した身体を起こして
様々な思考を巡らせて、憶測する。
「大丈夫、大丈夫、よく頑張ったね。
リルル。偉いよ」
抱き寄せながら、優しく頭を撫でてやる。
会うことの出来なかった母親の面影を見たのだろう。リルルは泣き止むまでずっと彼女の側を離れなかった。
夕陽は完全に沈んだ。
鳥は巣へ帰り、草木は眠る。
その代わりに、暗い空には満点の星がキラキラと輝いていた。
「リルルは良い顔で寝てるよ。可愛いね」
よしよし、と髪を指でとかしてやったり
撫でてやったりして、クレイラは
にっこりと笑う。
セリアはというと、イングラムの膝の上で横向きに眠っていた。彼女の容体はクレイラの力で侵攻を止めているようだった。
「なるほど、セリアのこの状態は……」
目を細め、手に触れて全身を観察する。
ひとり納得したように呟くと、くるりとその身体を翻した。
「ありがとうございました。俺たちを回復してくれただけじゃなく、リルルを寝かしつけてくれて」
イングラムは落ち着いた風にそう言った。
クレイラはそれを聞いて安心したらしく
また微笑んだ。
「……えぇ、どういたしまして。そうだ、伝えておきたいことがあったんだ」
「なんでしょうか?」
体の向きをクレイラの方へ向けて
じっと待つ。それと同時にクレイラは
人差し指を立てた。
「一つ、ゴリラックマを倒したのは私」
「……あの時の攻撃はあなただったんですか!」
うん、と首を振る。そして
「もう一つは、私はレオンにあなたたちのことを頼まれてここまでやってきた」
「なんですって?」
クレイラは笑顔でそう言った。しかし、イングラムは聞き逃さなかった。彼女の言葉の中に、彼が探し求めている人の名があったことを。