第31話「小さな違和感」
あれから休息を取り終えたアデルバートは
戦闘の参加する者たちを募っていた。
敵の戦力は未知数、対してこちらは移動する国。そのために兵力はあまりにも乏しかった。
「……このままだと、多分滅な」
反応を募ってはや2時間が経ったが今のところ参加を希望する者たちはひとりとして現れない。かと言って何も手を打たないわけにもいかず、このまま滅ぶのを指を加えて見ているわけにもいかない。
(この国の男たちは妻子持ちが多い……
将来を捉えながら考えれば国よりも家を優先する……か)
それは間違いではない。むしろ、正しいのではとさえ思ってしまう。愛する妻のため、我が子のために剣を取らないことは、きっと悪いことではない。
「国が滅べば連鎖的に家も消えるってのに
個々を守ることしか考えてねえ」
「アデル様、昼食の用意ができました。少し休憩されてはいかがでしょう?」
セリアが駆け足でやってきた。作り立てのいい匂いが彼女から漂ってくる。
そういえば、朝食も満足に食べていなかったか。ちょうどお腹も空くし、いいタイミングだ。
「そうだな、呼んでくれてありがとう。
今行く」
「はい、ご一緒しますね」
白いテーブルに並べられているのはプロ顔負けの洋食だった。
白い生地にジャージークリームを注ぎ込んだホワイトクロワッサン。
新鮮な赤いトマトと良質な五面鳥のチキンサラダのホットスープ。
クロマグロのムニエルにデザートはブラッククリームで彩られ、イチゴが乗せてられているブラックショートケーキという豪華さだ。
「お、今日はいつも以上に豪華だな」
「奮発しました。皆様も来ておられますし、ちょうど良いかと思いまして」
「ふ……そうだな、ルークはともかく
イングラムたちには味わってもらうか」
彼だけ病院食、というのが非常にかわいそうでならない。セリアは料理上手で、どんなに舌の肥えた人でも、味音痴の人でも「美味しい」と言わしめるほどの腕前を持っているのだ。
(セリアの病院食……ある意味貴重なのかもしれんな、今度俺も風邪引こう)
「全員分を食卓に運び終えたのでおふたりを呼んで参りますね。アデル様、きちんと手洗いうがい、ですよ!」
「わかってるよ、子供じゃあるめえに」
クスクスと笑いながらセリアはふたりのいる部屋へと移動していく。そして行儀良く手洗いうがいを済ませて席に着く。
「エプロンか、子供じゃあるめえに」
呟きながらもきちんとエプロンを着用する。ナイフとフォークもきちんと用意し、欠伸をしていると、とことこと早歩きでリルルがやってきた。
「わぁっ!ご飯だぁ!」
「おう、ちゃんと手洗いうがいしてこいよ」
「はーい!」
手を大きくあげて、キッチンに向かって移動する。が、リルルには少し高すぎたようだ。爪先立ちしながら手を伸ばしてはいるが、とても届きそうにない。
「ん〜……!ん〜!!!」
いくらやっても届かない。
ならば————
「よいしょっと」
「うわぁっ!?」
リルルの体をひょいと持ち上げて蛇口近くまで寄せてやる。
「これで洗えるだろ?ほら、手出せよ、そこに泡泡あるから」
「……!うん!」
セリアは手を前に出して、泡を付けて手を洗う。きっちり30秒。
「よし、次はうがいだ。あーして、あー」
「あー」
蛇口が伸びてリルルの口元に優しく水が注がれる。ガラガラと喉の悪い菌をやっつけて一気に吐き出す。
「よし、いいぞ。締めはタオルで拭くからな」
「はーい」
ふわふわの真っ白なタオルで手を拭く。
おかげで手はピカピカだ。
「よっこらしょういちっと……」
リルルを下ろしてやる。ふぅ、と腰に両手を当てて見下ろす。
「ありがとう!蒼髪様!」
「礼を言われるほどのことじゃねえよ。
さあて、席に着け。お姉ちゃんたちが来る前に驚かせてやれよ」
「うん!」
とっととリルルは自分の席について
エプロンをして、手を膝に置いて待った。
(あー、もう一度洗わなきゃか?これ)
やれやれと思いながらもう一度手を洗うアデルバート。それをドアの隙間から眺めるイングラムとセリア。
「うまくいきましたね。イングラム様」
「ええ、これでリルルもアデルに慣れたでしょう」
セリアは小さい声でふふ、と笑いながら
扉を開けてさも今来たかのように振る舞いはじめる。
「お待たせしました。
イングラム様をお連れしましたよ」
「すまん、寝坊した」
「連れを待たせるなんて相変わらずだな?」
「騎士様!お姉ちゃん!早く早く!私お腹すいちゃった!」
笑顔で手招きをして、席に着くように施す。イングラムとセリアは頷き合ってそれぞれの席についた。
「じゃあ、食うか?」
「はい、では皆さま手を合わせて」
「「「「いただきます」」」」
美味しそうに食べる3人を眺めながら
フォークを使おうと試みるリルルだが
どうも使い加減がわからない。
「……難しいなぁ」
「リルル様、フォークの方がよろしいですか?」
「ううん!使えるようになりたいから頑張るよ!」
聞き手でナイフを持って、フォークを
パンに刺して、ぎこちなく切る。
「……うぅ、下手くそだぁ」
「なに、気にする必要はないリルル。
最初から出来る人などいない。少しずつ慣れていけばいいんだから」
イングラムにそう慰められるが、なんだか
納得いかない。みんなのように上手くならなければと、もう一度両手でパンを切る。
と————
「あ————」
新品のナイフ、その先が折れて
リルルの頬を僅かに切った。
「……!リルル!大丈夫か!?」
「リルル様!?」
慌てて駆け寄る。リルルは笑顔を向けた。ナイフといえど、凶器になることもある。それから生じる痛みは、この歳の少女には耐えがたいもののはずだ。なのに————
「うん、大丈夫。平気だよ」
ふたりは唖然として、少しの間立ち竦んでしまったが、はっとしたセリアは医務室の救急箱を取りに向かった。
イングラムはきれいなナプキンで
傷口を優しく拭いてやる。
「………」
それを、腕を組みながら眺めているアデルバートはむくりと立ち上がってリルルを見下ろした。
(この娘……なにか……)
何かが纏まりかけたその時、慌てふためいたセリアが駆け寄ってきた。小さな絆創膏と消毒液を患部に塗り応急処置を施す。
「リルル様、これで怪我の治りが早くなります。本当に大丈夫ですか?」
「うん」
いつもと変わらない笑顔。だが、何かが違う。
「……フォークに変えましょう。よろしいですか?イングラム様」
「ええ、もちろんです」
承諾を得て、セリアは食器棚から小さめのフォークを取り出してリルルに手渡しする。
「……えへへ、ありがとうお姉ちゃん」
「……リルル様?」
ただフォークを渡しただけなのに
彼女は感謝を述べた。セリアからしてみれば、そんな大したことではなく、まさかお礼を言われるなんて思ってもいなかったから、意外だった。
「さあ、リルル。食事を再開しよう」
「はーい」
イングラムがそう施して、リルルを席に座らせる。そして自身も食事を再開した。
「————」
「……………」
気付いていないのは、リルルと一番長くいたイングラムだけだろう。
共に過ごした時間が多い故に、気づけていないのかもしれないが。
セリアはアデルバートと目を合わせた。
彼もセリアが何を伝えたいのかを理解しているようだったが、とりあえず2人は席についた。
「セリアお姉ちゃん!とっても美味しいよ!」
「……それはよかったです。ゆっくり味わって下さいね」
リルルの賞賛を受け取りながらぎこちない、引き攣った笑顔で返すセリア。しかし、その違和感を察しているのはアデルバートだけだった。
食事を終えた後、アデルバートはセリアの自室へと足を運んでいた。食事の時の違和感を、彼女が伝えてきたから。
「アデル様、リルル様はどうされてしまったのでしょうか……?」
不安げな表情を浮かべて、セリアはそう呟いた。
「……わからん。何かよくない感じはするんだがな」
そう呟くと、アデルバートははっ、としたようにセリアに問いを投げた。
「セリア、確かメンタルケアとカウンセラーの資格も持ってたな?」
「はい……確かに所持していますが……
あっ、もしかして」
「そういうことだ。セリア、同じ女同士、悩みを聞いてやってくれ。あの子の心を縛っている鎖を優しく解いてやれば、多少はマシになる」
信頼している、と彼女の肩に手を置く。
セリアは微笑みながら
「承りました。アデル様」
と主人の依頼を承諾した。
ふたりがやりとりをしていたその頃、ルークの筋力はちょっとだけ力を取り戻り始めていた。ベッドの上でマッスルポーズをしても筋肉が固まらなくなってきている。
「よぉし、サイドチェストも完璧ですぞ!」
どやっ!と誰もみていない病室でただひとりドヤ顔をかますルーク。なんでこんなことをしているのか、それは————
(セリアさんを守るためもっと強くて逞しくならねばなりませんぞ!)
ふんっ!ふんっ!と鼻息を荒げながら、
マッチョビルダーさんたちの行うポーズをいくつかソロ披露する。
「近々戦闘が起こりそうな予感がするから早めに戦線復帰しないと……そのためには食事と筋トレと、あとは笑顔!これに限りますぞ!」
手鏡を手に取ってニカッ、綺麗な歯並びを見せ爽やかな微笑みを鏡の中の自分に見せつける。
このままいけば、ルークはリハビリに入るたびに少しずつ筋力量が増えて、想定より早い時間で退院できるかもしれない。
そう、扉の隙間から覗いていた看護師は思ったのだった。




