第234話「人の道を外したヒト」
「この力は未だ不安定な要素が多くてね……改善点を洗い出さねばならんのだよ。
悪いが、それを見つけ出す協力をしてもらおうか、ルシウス・オリヴェイラ君、さあ私を倒しに来るがいい。」
「……!」
“気をつけろルシウス、この男、先の怪物の影響で並のマナ使いの力を越えているぞ!”
紅獅子の言葉に小さく頷きながら
ルシウスは弦に備えた矢を放つ。
グスタフは身体を左にずらして、わざとらしく左手を上げて矢を受けた。
「おっと、先手を譲ってしまったな……失礼、ここで戦ってしまうと他の水槽にも悪影響が出る。場所を変えようか」
まるで痛みすら感じさせないというような表情で、グスタフは電子媒体を使い、この研究室の空間を湾曲させていく。
そして、やがて空間が捩れて歪み
周りの風景は一瞬にして変わっていった。
「ふむ……マグマの火口か。
やはりランダムにしてしまうといかんな、君に優位に働いてしまう」
言葉を紡いでいるその隙を突き、ルシウスは空中へ向けて矢を射ると、腰にある細剣を引き抜き、グスタフへ一直線に飛び込んだ。
「はぁっ!!!」
細剣が左胸部の肉を突き、骨を穿つ音が聞こえた。普通の人間であるなら、苦悶の表情を浮かべるはずなのに。
この男は、平然としていた──
「ふむ……今のは、様子見かね?」
突如としてグスタフの背後に出現した黒き翼がルシウスを吹き飛ばす。
その際に生じた風は、ルシウスの頬を焼き、身体を真空波のような斬撃が襲った。
「それならば結構、本気でかからねば、君はここで命を落とすことになるぞ」
“癪だが、あの男の言う通りだ。
ルシウス、全力を尽くすぞ”
「わかりました……!
あなたを倒し、魔帝都の実態を吐いてもらいます!」
「ふ、今のこの私を倒せたのならばよかろう。
君の求める答えを教えてあげよう
勝てたならば、の話しだが……」
「いくぞ……!」
“総意を以て、狩るとしよう!”
ルシウスと紅獅子の意思が重なり合い、彼の身体から迸るような熱気が周囲の火口を巻き込んでいく。
小さな噴火口は、紅獅子の熱気に刺激され膨大な熱量を吐き出した。
周囲の酸素濃度は、徐々に薄まっていく。
「……ほう、素晴らしいぞルシウス君、成長したようだな」
「騎士警察として、自身を守る為の術も磨き上げねば、部下達に示しが尽きませんからね!」
ルシウスはその身に溢れる炎を放出しながら変異した弓を向け、その灼熱の一矢を放つ。
グスタフは身体を覆うように両翼を展開する。
「……ぬっ?」
着弾した瞬間、焼き焦がれるような激痛が両翼から背中にかけて走っていく。
表情こそ変えぬものの、その感覚に何かを感じたグスタフは視線を背に向けた。
「炎熱・烈火!」
地面が裂け、そこから無数の火柱が
グスタフに直線上に迫っていく。
彼は上空へと飛び立ち、口から黒紫色の火炎を吐き出して相殺する。
中間地点で衝突し、爆散した際に生じた煙の中を掻い潜りながら千里眼でグスタフを見上げ、左腕を真っ直ぐ上に突き出して叫ぶ。
「……っ!」
彼の周囲に漂っていた黒煙が意思を持ったかのようにうねりを上げ、渦を生み、大気中の酸素を巻き込みながら目にも止まらぬ速さで上昇し、その形を変えていく。
「黒煙獅子っ!」
全身が漆喰のような黒い獅子が出来上がりそれは巨大な口を開く。
ナイフのように鋭い歯、全てを引き裂く前脚の爪が、天を駆けるヒトへと飛びかかる。
「ふふ……」
未だ焼け落ちぬ両翼を羽ばたかせ
迫り来る獅子へ強風を叩き込む。
姿形を元の黒煙へと戻し、地上へいるルシウスへ怪物の一撃を叩き込む。
「陽炎・業火弓!」
だが、前線で活躍していたルシウスはその手の策も看過する。
あえてグスタフの真下に位置しながら、火口の熱エネルギーを全て弓と矢に集約させていく。
地上を照らす太陽の如く、それは眼下から眩い光を放ちながら打ち上げられた。
“……科学による進化か、あるいは
分岐か……どちらにせよ、愚考だな”
上空には二つの太陽が煌めき、ひとつは今もなお煌々とこの地球を照らしている。
そしてもうひとつは、小規模ながらも
真夏以上の熱を帯びた太陽。
それは緩やかに降下し、そして堕ちた。
「おかしい……あまりにもあっけないぞ。
嫌な予感がする!」
「その通り、勝ちを確信しないところは君の良いところだ。ルシウス君」
背後から聞こえてくるグスタフの声──
あれほどの莫大な熱量を浴びておきながら最初に出会った時となんら変わらぬその声は、火口にいると忘れさせてしまうほどの悪寒を感じさせた。
「……っ!!」
「ククク、まさか炎の概念とコンタクトをとっていたとは思わなんだ。
やはり首席のマナ使いは違うな?」
“ほう、存外しぶといな”
「先の攻撃で、もうひとつの声も聞こえるようになった。ご機嫌よう紅き炎の概念よ」
グスタフの異様なオーラは消え去っていた。
先程の一撃で全てが剥がされたのだろう。
そしてまた、普通のグスタフへと戻ったのだ。
“気安く話しかけるな。
マナ使いでもない貴様に答えてやる挨拶など持ち合わせていない”
「なぜだ、なぜ……生きていられるのです!?
あの一撃を受ければ最後、灰にすらならないはずなのに!」
「君にわかりやすく言えば、コンテニュー……とでも言おうか」
「コンテニュー……だって?」
「そう、魔帝都の最下層には、不用品として買い取った人間の命を消費することで、どのような攻撃を受けても死ぬことはない」
“……人を、己の残機としているのか”
非常な事実を告げられてしまった
のだろう。それが事実であるなら、ルシウスは罪のない人間の命を奪ってしまったことになる。
「そ、そんな……!
まさか……!」
「騎士警察としては、この星の人間全ての命を平等に扱う事を信条としているだろう。
だがな、君はたった今、罪のない命を一つ、殺したのだよ」
「バカな!そんなはずがあるか……!」
「先の剣の一撃、あれも、コンテニューさせてもらった。おかげで2つも残機が減ってしまったが……」
ルシウスの表情に憤りが募る。
しかし、その感情ごと首を振って否定する。
「なんだ、私の言うことが信じられないのかね?なら、見せてあげよう」
グスタフはまるで面白い物を見る目でルシウスを横目で見やると、電子媒体を開いて通る場所の画面を表示した。
人間1人、入るのがやっとなスペースの檻の中で、命が潰えていった。
“ルシウス……!
騙されるなよ、これはこの男がお前に都合よく見せているものに過ぎん!”
「し、しかし……!」
「そう、万が一にこの光景が真実だとするなら、君は取り返しのつかぬ大罪を犯してしまったのだよ。
騎士警察の面汚しとなってしまったな?」
ルシウスの心が、善性が、罪悪感という影も形もない感情に塗り潰されていく。
それは心臓を締め付け上げるほどの
凄まじい不快感だった。
「君の兄も、父も母も……こんな事実を知りたくはないだろうなぁ……小さな命でさえ穏やかに見ていた君が、同族たる人間を殺したのだ。
さぞ苦悶に浸る羽目になろうな」
“貴様……!”
「やめてください紅獅子様。
これ以上攻撃すれば、罪のない人々の身体や命が失われてしまう……!」
“ルシウス……!貴様腑抜けるなよ!
奴らに利用され続ける一生を、犠牲になった人間は望んだのか!?”
「……」
“お前もわかっているはずだ……!
そのような人生を送り続けるくらいなら、この手で解放するべきだと!”
「例えそうだとしても、罪のない人を殺したことに変わりはないだろう。ルシウス、君はそれもわかっているはずだ」
ルシウスは膝を突く。動悸が激しくなる。
その人が送るはずだった人生を、不意に思ってしまう。
それが、こんな形で終えることになるなんてグスタフと会うまで、考えてこともなかった。
「俺、は……」
“チッ……もういい、貴様の身体の主導権を奪い去り、俺がその男を殺してやる!”
ルシウスの意識が身体から引き剥がされる。
普段なら抵抗できた行動だった。
だが、あまりにも受け入れ難い非常な現実に彼の、ルシウス・オリヴェイラの意識はありのままを受けて、深層へと沈んでいく。
“……グスタフ、と言ったな。
貴様、あと幾つ命がある?”
「“その身体で”まだ命を殺め続けるというのか?炎の概念よ」
一度倒れたルシウスの身体に、赤い炎が纏う。
紅獅子が肉体の主導権を握ると、彼は立ち上がった。
真紅の髪を靡かせ、太陽のような双眸でグスタフを睨みつける。
“無論だ、貴様の残機とやらをこの手で全て焼き尽くしてやる。
ここにある全ての生命も、貴様ら魔帝都にむざむざと利用されるよりはマシだ!”
「ククク、流石の気迫だ。
だが、それだけでは私は倒せない。
全盛期でもないアナタが、無限に等しい命を持つ私を、果たして倒せるでしょうか?」
“ふん、ハッタリをかます余裕があるのか?”
「ありますとも、ここで本領発揮とさせていただきますよ」
グスタフは薄ら笑いの後、遙か上空を見上げた。彼はそのまま、指を鳴らす。
“この邪悪な気配は……!
よもや、貴様ら……!”
先の怪物よりも、邪悪な力が火口に満ち満ちていくのを紅獅子は感じた。
炎が、熱き戦意が、まるで濁流のように鎮火していく。そして、周囲の地面から這い出る無数の影。
それは、紅獅子にとって最も不愉快な存在だった。
「たった1人で……“我々”に勝てますかな?」
“ルシウスは使いものにならん。
ならば、今全ての力を吐き出し、貴様のその命、全てを狩り尽くしてやるまで!”
「その意気やよし、あなたを倒した暁にはその力、大いに活用させていただくとしましょう」
下等種族の人間が、黒い影に指示を出す。
不規則で乱雑な動きをするソレが、一斉に紅獅子に向かって飛びかかってきた。
彼は、奥歯を噛み締め、全身の炎を燃やして迎撃体制をとる。
が──
その直前、この世界が裂けた。
空間全体が溢れんばかりの光に包まれていく。
“……?”
「な、この力はまさか……!
レオン……だと!?」
グスタフの顔に、初めての憤りが募った。
紅獅子はニヤリと嗤いながら、瞬きの間に排除された影達を見送る。
「馬鹿な……!
そんなはずがない!
あの男はフィレンツェが始末したはずだ、そう聞いているぞ!?」
上空から迸る閃光が、両者を隔てる亀裂を産む。
「ぐわぁぁっ!?」
そのあまりの輝きに、グスタフは
腕で顔を覆い尽くす。
〈手を取れ、紅獅子……〉
光の影が、紅獅子の手を取る。
とても暖かい温もりが、全身の不安や嫌悪感を全て取り除いてくれた。
“ああ……”
光の影は優しく頷いて、共に空間の裂け目へと飛び込んでいくのだった。




