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第231話「情報屋の嗜好」

「──」


クルーラの全身が震える。

先程まで飄々と会話をしていた雰囲気が一変してしまっている。


一言で言うなればドス黒い殺意といえようか。その想いを現すかのようにルークという内面が露出してしまいかねないほどの風のマナが彼女の足元から滲むように込み上げて来ている。


「……抑えなさい、クルーラ」


まずいと判断し、耳打ちしたのはエルフィーネだった。


風の概念の力のみならず、スサノオの神の力もルークは内包している。


そんなものがエリア全体に広がってしまえば、マナを持たない人間であろうとも空気の変化に気付き、その根源である彼女へ視線を向けるだろう。


最悪の場合、彼女が風のマナ使いとしてこの魔帝都という組織に編入させられることも考えられるのだ。


そしてやがては、クルーラがルークであるという事も調べあげてしまうだろう。


「許さない……!」


しかしエルフィーネの声は当の本人に届いていないらしい。


怒りが臨界点に達しているのか、五感が全て視覚に集中してしまっているようだ。その視点の先にあるのはレオン“死亡“の二文字。彼を戦死に導いた存在がここにいるなら彼女は即座に全ての力を以ってソレを無に帰すだろう。


「クルーラ……お願い、冷静になって!」


幼馴染のレベッカは、クルーラを背後から抱きしめる。不安に飲まれそうな声色で想いを伝えると、足元から溢れていた風のマナはその勢いを弱め、静かに収束していった。


「ご……ごめんなさい」


冷静さを取り戻したクルーラの声は震えていた。


一時の黒い感情に呑まれた事を後悔しながら、彼女は電子媒体の画面を閉じる。


「これは、私が預かっておくわ。

あなたが見たらまた同じ事が起こるでしょうし」


エルフィーネは反乱分子の記事のデータを神がかり的なスピードでハックしながら自身の電子媒体に取り込み、クルーラの電子媒体には閲覧出来なくなるように設定する。


この間僅か10秒の出来事であった。


「よかった、落ち着いてくれて。

さあ、少しここを探検しよう?

リルルちゃんも一緒に、って、あれ?」


ふぅ、と安堵のため息を吐いた矢先だった。


手を繋いでいたはずのリルルがいないことに気が付く。

辺り一帯を見渡してみるものの、そこら辺は男女の群衆が間髪入れずに入れ替わっているせいで、見つけることは困難だった。


「大変……リルルちゃんがいない!」


「えっ……?」


クルーラもレベッカに続いて周りを見渡す。


いない、いない──


どこにも無邪気な姿の少女はなかった。

2人は顔を見合わせて、顔を真っ青にする。


「さっきの兵士達の騒動で巻き込まれたのかもしれないわね。二手に別れましょう」


エルフィーネは冷静に分析した後、提案する。だが彼女の関心はリルルではなくレオン死亡の記載がある反乱分子の記事だった。


情報を知り、それを売る生業である彼女の趣味は、人の生の過程に起きた喜劇と悲劇を知る事である。


他人から見れば、なんて趣味をしているんだと気味悪がられてしまうだろう。


しかし彼女からしてみればそんな言葉は痛くも痒くもない。

鼻で嗤い、適当にあしらいながら時間をかけてひとりの生の過程を知る。


(意味のない死を迎えた生命は存在しない。

この男は、どのような最期を迎えたのかしら……いえ、“あの”ハイウインド家の血筋だもの、そう簡単には死なないわよね)


エルフィーネは人混みに紛れ込み、人気のないところへと足を運び、支柱の裏に身を隠し、その身を屈めながら電子媒体を開く。


反乱分子、レオン死亡の記事を上段から読み進めていく。


「レオン……ルシウスやルークがこぞってその名を口にしていた……」


どれほどの人間なのだろう──


誠実に全てを注ぎ込んだ男が穏やかに口にする姿を、素直さが全面に出過ぎる男が誇ったように口にする姿を、先程の出来事のように思い返す。


ここにいないイングラムとアデルバート、そして盲信的なまでに彼を慕うベルフェルクも、英雄と呼ぶに相応しい者達がレオンの名を口にする時は何かしらの表情を浮かべていた。


「見せてもらおうじゃない。

あなたの進んだ道を……」


エルフィーネは電子媒体に表示された反乱分子と記されたページをめくる。


しかしそこには彼女の望んだ記事は存在しなかった。


“レオンの過程”を知りたいのに、記事の中は【レオンを殺めた奇跡の男】というタイトル詐欺にも等しい内容が記載されていた。


やれシーガル家の素晴らしさだの、魔帝都の偉大さだの、まさに詐欺。


「はぁ……?」


彼女は読んだ記事を覚え、寝る前に頭の中で暗唱しながら意識を手放すのだが、これほどまでに無駄な記事を読んだことはなかった。


表情には無意識に皺が出来て、ぴくりと怒りが湧いてきた。


「貴重な時間を、よくもこんなくだらない記事で潰してくれたわね」


エルフィーネの尻尾が、音速で左右にブンブンと振られている。


「なに、これ……」


ぽんぽん、と肩に手を置かれる。

苛立ちマックスな彼女はそのままの表情で振り返った。知らないメガネをかけた剛腕男がそこにいた。


「それ、俺書いたんだけど」


「誰よアンタ」


聞けばこの男、レオンの元同期の生徒だったらしい。当時から精密で緻密、繊細でありながら読者の手を離さない文才を讃えられたらしく、額縁に自画像まで張られている。


彼は自慢げにそう話し、わははははと胸を張って嬉しそうに笑う。


「俺はゴルドー・マックスロイ。

この本すごいだろ?まあ、後輩を題材に書いてくれなんて言われたら、先輩として?

書かなきゃならない気がしてたんだよ!はっはっは!」


全校生徒や教員達が買いに買い込み、その家族や親戚に知れ渡り、そのおかげで重版までするくらいだったそうだ。


彼は気前よくそう話すと紙に書かれた重版本を取り出し、そこへ気前よくサインした。


「へへ、欲しいだろ?

なんたって、なにこれ……すごすぎ。

って声に出てたもんな?」


「んなわきゃねぇわ!!!

こんなもん駄作よ!!!」


ピキリ、と音にならない亀裂が響いた。


2人の空気というか、この筋肉男の穏やかな笑みに凄みあるボディブローをぶち込んだような衝撃を言葉にする。


「今、なんて?」


「聞こえなかったの?

駄作、ダメダメの作品と言ったのよ」


「ど、どこが?」


「掻い摘んで最悪な部分を伝えてあげる。

タイトル詐欺、簡素で乱雑な文。

読み応えのない一人称視点。

句読点の誤った使い方、時々入るアンタの感想文みたいなもの、ここに載ってる文全部よ!!!!!!」


「全部じゃないか!!!!」


エルフィーネはキレた。

これほどまでに雑な文を書く人間がいるのかと、これならばいち兵士が記載した各時代の戦争記録の方が全くもって読み応えがある。


どうしてこんなものが重版扱いされるのか。


「あなたはコンビニ袋にパンパンにゴミを詰め込んでそれをいくつも乱雑に投げ捨てられた部屋に住みたいと思うの?」


「そ、それが俺の文だって言いたいのか!?」


「当たり前よ!こんな記事を載せられた電子媒体もこの用紙も勿体無くて可愛そうだって言ってるの!

地球が泣くわ!その前に私が泣くわ!うぷっ……!」


かなり前に済ませた食事が不快感と共に込み上げてくる。

それを押さえ込もうと口に手を当て、食道の位置をずらすためにその場にかがみ込む。


「だ、大丈夫か!」


慌てたように隣にしゃがみ込み、背中を摩ってあげようとするゴルドー。


しかしそれは直後に手で払われた。

ビンタしたような痛みがジンジンと熱のように出てきているが、吐き気に比べればどうということはない。


「やめて、私にそれ以上話しかけないで!

不愉快不快感極まりないわ!」


最後の気力を振り絞って咆哮する。

気が狂いそうになる不快感を振り払ってまで叫んだのだから、普通は無言で撤退するだろう。しかしこの男、亜人と接するのがはじめてであるがゆえ、この場に待機し続ける。


「う、ぐす……そこまで言わなくても」


涙声を上げるゴルドーにますます腹が立つ。

ザ・マッチョという見た目に反して内面は非常に女々しいらしい。


「声を出すなっ!!!!!」


込み上げてきたもの全て飲み込んで

エルフィーネは胸倉を掴み上げて

100キロは越えるであろうゴルドーの

身体を片手で持ち上げた。


「いい?その陳腐な耳でよく聞きなさい……私は文が好き。

文のみで構築される個性豊かな世界観が大好きなの。自分自身であれこれ考察して意味を見出すのが好き。それをっ!!!!」


ドス黒い殺意をその双眸に宿らせ、力の限り睨みつける。


「それを、貴様はあんな文で大賞を取ったと息巻いているのか?そいつらの目は節穴か?脳はウジが湧いてるのか?この魔帝都とかいうレベルはクッソ底辺だなぁおい!!!」


「お、おい……やめてくれよぉ」


「声を出すなっつったろ……エキノコックスにするぞテメェ……」


エキノコックスとは、条虫のことである。

それらが引き起こす症状は肝臓の腫大、腹痛、黄疸、貧血、発熱や腹水貯留などある。10年の時をかけてじっくりと発症させていく。


「ひ……!」


「私達キツネ科の亜人はなぁ、自己防衛機能として即発性のあるエキノコックスを体内から敵と認識した存在に目に見えない粒子レベルで散布して取り込ませる。テメェのあらゆる“穴”に無数に送り込んで今すぐ突然死させてやってもいいんだぞ」


ハッタリだが、今のゴルドーには

効いただろう。


エキノコックスにそんな即効性はないし、今は完治する薬も安価で手に入る。


しかし、この男はステータスを全て筋肉に費やしているような男だ。

その目は怯え、身体は震えている。


「さっさとこの記事を消せ……

この世から抹消しろ!未来永劫見せるな!」


こくこくと頷き、ゴルドーはどさりと重力に従って地面にへたり込んだ。


その眼力に気圧されながら、彼はそそくさと逃げ出していく。


「くだらねぇ……今晩は悪夢にうなされそうだ……」


エルフィーネは怒ると口調が凶変する。


彼女は質の悪い文を読むと必ず悪夢を見るのだ。


ゴルドーが触れた手を洗い終え

ゴルドーに囁かれた耳を洗い

ゴルドーを映した目を洗った。

不快なものを純粋な水で洗い流す。

しかし彼女の中の不快感は、深い深い根のように、トラウマとして残ってしまうのだった。

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