第225話「静寂の訪れ」
「テラ様、私達が全員を治療します。
少々お時間をいただきますね」
スクルドはクレイラへ、ウルズはユーゼフへ、ヴェルザンディはシュラウドに、それぞれ治療するために駆け寄った。
「ありがとう……貴女達が駆けつけてくれなければ、今頃どうなっていたか」
「間に合って良かったです。
さあ、安静にしていてください。
目が覚める頃には終わっていますから」
スクルドは優しい声色と手つきでクレイラの瞳に手を当てる。すると、彼女の意識はゆっくりと深淵に落ちていった。
「かなりの重傷ね……」
それを見届けたスクルドは、ぽつりと呟く。
静かに心臓部に手を当て、神の目でその詳細を視る。
「西暦時代のダメージが残ったままだわ……この状態で戦い続けていたら
身体が悲鳴を上げるのも無理はない」
人間で言うところの心臓部の周囲に生々しい傷が残っていた。
紫色の跡が、怪しく光っている。
「その傷、産業革命以降の愚民共の愚行で出来た傷ね……それをあの邪神達が回復させないようにしている」
シュラウドの治療を終えたヴェルザンディは瞳を閉じながら、クレイラの核へと手を添えてその原因を看破した。
「……西暦の、先代のテラ様は、それほどの深傷を負っても全ての命を守る為に戦い、そして今のテラ様に記憶と力を授けて消えた、三女、私にはわからないわ」
「……え?」
「どうして自分を傷つけるような人間を今も昔もテラ様は守ろうとするの?
他の生命はこれまでも食物連鎖の域を越えてはこなかった。必要最低限の知能だけあれば、その場所で子孫を残して環境に適応していくだけでよかった。でも人間は違う。
この星に有害な物質を吐き出すだけ吐き出して、自分の住処のために他の生命を刈り取るような連中よ?」
ヴェルザンディの憎悪とも取れる圧力にスクルドは返すべき言葉を見失っていた。
今何かを言ったところで、凄みで返されるだけだとわかっているから。
「同じ星に生きる生命であるにも関わらず、食物連鎖に位置せず、異なる場所からまるで神にでもなったかのように振る舞う。
でもいざ自分達が危険に見舞われたら助けてほしいだのなんだの、本当に身勝手……人間は、地球にとって癌細胞なのよ」
「姉さん!」
「紛れもない事実でしょう?
西暦の愚民共が私利私欲にまみれてなければ、テラ様はこれほど追い詰められることもなかった。
だというのに、この方は……」
ヴェルザンディはクレイラを儚そうに見下ろして、その両手を小さな手で握りしめた。
「今も昔も、人間まで守ろうとする……その想いが、私にはわからない」
「ヴェルザンディ、貴女は今も人間が嫌い?」
「なに三女、私にそんな生意気な口を聞くなんて……ん?」
隣にスクルドがいる。先程からずっといる。
なら後方から声をかけてくるのはウルズしかあり得ない。
「え、ちょ……長女!?」
2人の姉妹は思わず振り返る。
赤ん坊の姿のままだったウルズの身体が、淡く白い光に包まれている。
それは、彼女の背丈を少しずつ伸ばしていく。
「な……な、なぁっ!?」
背丈は155センチほどまで伸びて、艶がかったブロンドを片手で鬱陶しそうに靡かせながらヴェルザンディを見下す。
その瞬間、彼女の表情が驚愕に染まった。
「ふぅ、やっと赤子の状態から脱却出来たわ。テレパシーで念話するのって意外と面倒なんだよね」
ヴェルザンディは颯爽と駆け寄り、胸ぐらを掴んで離さない。
身体を上下に激しく揺らしながらなぜ元に戻ったのか説明しろと声を荒げる。先程のシリアスな雰囲気から一変し、コミカルな空気が漂い始めた。
「どうして!?なんで!?」
「質問を質問で返さないでよ。
ヴェルザンディ、貴女は今も人間が嫌い?」
「嫌いな奴とそうでない奴の2種類がいるだけよ!好きとか守りたいとかそう言った感情は今までにもこれからもミジンコも湧いてないんだからね!はい質問終わり!次は私の番よ長女ぉぉぉ!!!」
その表情はもはや阿修羅だった。
インドの神々にも匹敵しうる高圧的な顔。
スクルドは少し引いているが、ウルズは余裕げに微笑んでいる。
「簡単なことよ、テラ様に使った光のマナの搾りカスを吸収しただけ。
光のマナが邪神の影響を緩和させる効果があるというのは事実だったわね」
「私の分は!?」
「この国に漂っていたものは全て使い切ったわ。あ……もしかして、あなたも欲しかった?」
ヴェルザンディ、阿修羅から見た目相応の涙ぐんだ瞳へと変わる。
しかし、胸ぐらを掴んでいる力は未だ衰えることはない。
むしろ、強まってしまったまである。
「当たり前でしょ!
こんなロリ体型不便で仕方ないわよ!」
「ええ、私もよくわかるわ。
赤ちゃん、辛いのよねぇ」
「乳児期と幼児期の中間だったアンタと幼女である私を比べるんじゃないわよ!!」
ウルズはフッ、と口角を緩めながら
バカにしたように笑った。
「しょうがないでしょ、あの頃は赤ちゃんだったんだもの」
「うわあああああ!
三女、長女が虐めるぅぅぅ!」
上下揺らしを加速させ、涙声でスクルドに助けを求めている。
その光景はまさに、2人の姉に縋るワガママな女の子そのものだった。
「貴女達の目を盗んで地上へ降り立って正解だったわ。そうでなければこのことにも気付けなかったし」
「姉さん、まさかそれが目的でソラリスから地上に降りて行ったの?」
ユーゼフの治療を終えたウルズは、ヴェルザンディの襟元をつまみ上げながらスクルドの元へ歩み寄る。
「そうよ、いつまでもあいつらの影響を受け続けているのも癪だし……
私の中の知恵をフルに回転させて、オーディン様に許可を得て降り立ったってわけ」
「テラ様やイングラムに回収されるまでずっと単独行動してたってわけ?
私達がどれほど心配したか……」
ウルズは地団駄を踏むように抵抗するヴェルザンディを摘み上げながら笑う。
「心配性ねぇ……でもそのおかげで、こうやって元に戻ることが出来た、地上サマサマってやつね」
「ということは、姉さんの口ぶりからして、地上には至る所に光のマナが残留している……ということ?」
聡明なスクルドの問いに、ウルズは嬉しそうに頷いて肯定する。
「その通りよ……だから上位存在の邪神達は滅多に降りて来ないのよ。
神殺しの一族であるハイウインド家が何かしらの対策手段でそうしたのかはわからないけど」
「なら私達の目的はもう済んだも同然よ!
行くわよ長女三女!本来の力を取り戻すの!」
「あぁ、残念だけどヴェルザンディ。
私にはもう一つ用事があるのよ」
そう息巻くヴェルザンディの上空が歪んで、やがて裂け始める。
そこからアデルバート達が雪崩れ込んできた。
「そんなことどうだっていひぐわぁっ!?」
「あら、戦士のご帰還ね」
彼らの下敷きとなり、気絶したヴェルザンディを放置して戦士達の傷跡を見つめる。
その視線にいち早く気付き、睨み返しながら身体を起こしたのはアデルバートだった。
「……この気配、三女神か。
見ねえ顔だが、知っている気がするぜ」
「大したものね、邪神の攻撃を受けた人間は目覚めるまで数年かかるはずなのだけど」
地上の生物では決して負わせることの出来ない怪我を負いながら、それが神由来のものであっても、彼は目を覚ました。
「ふん、そんなことはどうだっていい。クレイラやシュラウドが倒れているが、何が起こった?」
「私達が加勢する少し前に、切り裂き魔と仮面の魔術師が于吉と共にここを襲撃したのよ。
まあ、切り裂き魔の方は私たちが対処したのだけど、逃げられたわ」
アデルバートはウルズの返答を聞くや否や、舌打ちをしつつ、その場に座り込む。
ルーク達へ視線を向けるが、まだ目覚める様子はない。
「なるほど、それでクレイラ達が倒れたってわけか……なぁ、そこまで深刻なのか、あいつの傷は」
「えぇ、とても深い傷よ。
しばらくは療養しなければならないほどにはね」
「神であるアンタがそう言うんだ。
なら大人しく療養させてやってくれ」
アデルバートは渋る様子も見せずに即答する。
自分達の側で力を使いすぎるよりは、大人しく傷を癒した方が自分達にとってもプラスに働くと踏んで、そう判断したのだろう。
「即答ね、承ったわ。
テラ様は我々が最も安全な場所で療養していただくことにする」
「頼んだ、どうやら今頼れるのはアンタらしかいない」
「その代わり、と言ってはなんだけど貴方達にお願いがあるのよ」
「お願いだと?」
その言葉を何度も耳にしてきたアデルバートは当然訝しみながら聞き返す。
「そんなに難しくないわよ。
光のマナについての詳細の情報を入手してきて欲しいの」
「はっ、神様は総てを見通す目を持ってるはずだろう。
何故俺達に頼むんだ?」
「そのエリアは我々、神が関与できない場所なの。
無理やり押し通ろうとしても、ジリ貧と言うわけ、理解できるでしょう?」
「そういうことか」
「ファティマ皇族跡地の古い施設にその情報があると聞いたの。
取りにいってもらえる?」
「ファティマ皇族か、確かセリアの生まれた場所だったな。
なら、クレイラの治療完治を対価に持って行ってやる。それでどうだ」
ウルズはにこりと微笑みアデルバートの手をぎゅっと握手するように握る。
交渉成立だ。
「姉さん、動くなら早く動いた方がいいわ。
邪神達に見られてしまうかも」
「遮断の結界を張っているから、もう少しなら持つわ。
今は彼らの邪気を取り除かないと、それが後々足枷になっては困るもの」
スクルドはこくり、と頷いて気絶したヴェルザンディをそばに寝かせながら、戦士達の邪気を取り除き、身体に負った傷を完治させた。
「よし、これでいいわ。
それじゃあファティマ皇族の跡地での情報収集、頼んだわよ」
「待て、イングラムはどこだ。
あいつも俺達と一緒に巻き込まれたんだが」
アデルバート達に背を向けて歩き始めたウルズにそう問いを投げると、彼女はぴたりと足を止めた。
「彼なら、フェンリルに連れて行かれたわ。
無理矢理土足で入り込んできて場所を貸せだなんて、オーディン様への態度がなってないわ」
「なら……イングラムも取り返しにいずれそっちへ行く。首を洗って待っていろと、目が覚めていたら伝えておいてくれ」
「わかったわ。
それじゃあ、幸運を祈ってる」
ウルズはクレイラを抱き抱えて
その場から姿を消した。
「で、スクルド。
アンタは帰らないのか?」
「ルーク達が目覚めるまで治療を続けるわ。
姉さんは放置主義だけど、私は最後まで見届ける責任感あるタイプなの」
「そりゃどうも……」
「……ねえアデル。
これは私のお願いなのだけど、聞いてもらえる?」
「ああ、聞けるだけは聞いてやるさ」
スクルドはその言葉に少しの不安を抱きなから凛とした瞳でアデルバートを見つめると口を開いた。
「魔帝都に行ってきて欲しいの」
「……あぁ?」
魔帝都、その言葉を聞いた途端に
冷め切っていた身体に熱が籠るのがわかった。しかし彼はその熱を冷まして紡がれる言葉を待つ。
「オーディン様達の身体の維持が限界を迎えそうなの。
あそこには、神に関する重要な書物が多く保管されていると言われている。嫌だとは思うけれど、あなた達にしか頼めない」
アデルバートはふぅ、と呼吸を吐くと、彼女の中の疑問へ切り込む。
「書物だけで神を回復させられるのものなのか、はたはた疑問だな。
それほど重要な書類なのか?」
「えぇ……だってそれは、大魔女リディアが記した西暦時代の最高峰の書類なのだから」




