第224話「三位一体」
「キヒ、キヒヒ……!
ノルンの三女神様の登場かよ、どいつもこいつも……芸術品レベルじゃねえか!
提出してぇ、苦悶の表情を浮かべさせて絶叫を上げながら細部に至るまで傷つけずに五臓六腑を取り出して見せつけてやりてぇ!!」
「……下衆ね」
ヴェルザンディの地の底から響く音よりも低い声が、ジャックの芸術魂を刺激する。
あの様な無垢な少女の絶望する顔を見られたらどれだけ滾るだろう。
内なる欲望に駆られる彼は、邪気を纏ったナイフを投擲する。
中間地点にナイフが到達した瞬間、女神達の背後に浮かんでいたルーン石の一つが輝きそこからか細いレーザーがナイフを撃ち落とす。
「かぁっ!煩わしいぜ!
やっぱり直に切りつけて声を聞かねえと実感湧かねえよなぁ!」
「長女、三女、力を合わせるわよ。
手を貸しなさい」
中心に立っているスクルドは、両隣にいる姉2人の手を取り合う。
するとヴェルザンディとウルズの身体は淡い光を放って、スクルドの身体へと吸収されていった。
数多のルーンもその光に共鳴し、スクルドに力となって降り注いでいく。
「眩しいねぇ、流石芸術品だぁ!」
「「「神代回帰!」」」
3人の女神が心をひとつにして叫んだ──
すると突如としてソルヴィア全体を覆い尽くす純白の閃光が迸る。
その刹那に人間の五感を掻き消すほどの強烈な衝撃が走る。
静寂の中から現れたのは、ウルズでもヴェルザンディでも、スクルドでもない……美しい、1人の女神だった──
まるで天使を思わせる美しい両翼を羽ばたかせ、頭部には慈しみと癒しを与える穏やかな緑色の輪が浮かび、三人のそれぞれの力が一つと
なって顕現していた。
「私は、ノルンの女神……過去、現在、未来を司る北欧の神……」
「ヒャァッハァァ!」
ジャックは跳躍し、邪神の力の籠ったナイフをノルンの女神に突き刺す。
彼女は防ぐ様に左腕を突き出すと、刺し込んだはずのナイフの刃が弾き飛んで後方の地面に突き刺さった
「ヒョアア?」
「人間の攻撃が神に通じるとでも思っているの?」
腕を軽く突き出して手のひらをジャックの胸に向け、衝撃波を放出する。
「グギャァァァ!?」
ソルヴィアの建造物を巻き込んで吹き飛ばされる殺人鬼、しかし上空の暗雲が際限のない力を降り注ぐせいで、彼は瓦礫からすぐさま姿を現し、邪気の濃度を最大まで溜めたナイフをありえないほどの数と速度で投擲する。
しかしノルンの女神は表情ひとつ変えずに、空を優しくなぞると、背後に浮かぶルーンが無数の光弾を放った。
その光弾が全てのナイフを中間地点で衝突させ、消滅させる。
「ははは!面白え!ユーゼフ並みに面白えよテメェはぁ!」
邪気を放出しながらの高速移動、ジャックは、四方八方にナイフを投擲する。
あらゆる隙を突く、間隔のない攻撃は必ずどれかは命中させると自信を感じさせるほどのものだ。
「ぬるいわ」
だがそんな攻撃は、女神には通用しない。
時を司る女神は、指を軽く鳴らすだけで直撃寸前で停止する。
彼女の聴覚と視覚が把握している範囲、その全てが時の巻き戻しと停止、加速を可能とする。
「なにぃっ!?」
「あなたのナイフ、丁寧に磨かれていたようだけれど、私達からすれば芸術の足元にも及ばないわ」
親指と人差し指を軽く擦り合わせるとノルンの女神を突き刺そうとした無数のナイフの向きが一斉にジャックの方へ向き直る。
「……っ!?」
「時は動き出す」
彼女のその宣告とともに、ナイフはあらゆる方向から飛んでいく。
地上にいたジャックは飛んでくるそれを可能な限り迎撃するものの、その全てに対処する事は出来ず、約半数は身体に突き刺さった。
「ぐ、おぉぉぉ!!!
まだ、まだだ!クトゥルフ様ぁっ!」
両腕を空へ掲げ、仰ぐ様にして力を求める。
邪神はその思いに応え、渡せるだけの全ての力を注ぎ込んでいく。
「く、ふぅぅぅ……!
堪らねえ、頭の中がスッキリするこの感じ!
今なら神すら殺せそうだぁ!」
ジャックの全身が、これまでにないほど邪悪な神の神性に包まれる。
気分を良くした彼は自身のお気に入りのナイフを取り出すと、身体に刺さったナイフ全てを邪気で抜き捨てた。
受けた傷は全て回復して、彼はウサギの様に軽々と飛びながら不敵な笑みを浮かべる。
「さあ、いくぜ女神様よぉ!」
ノルンの女神は目を細めながら、ヴェルザンディが使っていた大剣を右手に顕現させると、特に構えることはせず、ただ真っ直ぐにジャックを見据えた。
迫る凶刃は直線上に突き出される。
彼女は上体を逸らして大剣を下から振り上げる。
最上かつ最凶の身体となった殺人鬼は神の一撃を下半身を浮かせながら後退し、上体を逸らす事で躱していく。
「キヒヒっ!」
人の身では決して繰り出すことの出来ない連続突き。
それは女神の心臓を、首筋を、脳を同時に、的確に狙って放たれたものだった。
一撃にして三度の攻撃、人間であれば声も上げることすら出来ずに絶命するであろうそれを、彼女は表情を変えないまま、左手の指先で弾きながら防いでいく。
秒間数百回にも及ぶ攻防は、ノルンの女神の行動により終わりを告げた。
その一撃を防いだ彼女は、一瞬の隙を捉えて斬撃を振るった。
地面を抉る程の波動をスレスレで避けて横転しながら後退する。
「時を弄らねえのかぁ?
面白くねえ……!」
巻き戻し、停止、加速を使ったところで邪神の神性を纏った人間にはその弱点を見破られる可能性がある。
だからこそ、彼女はルーンと大剣のみで覆そうと考えているのだ。
「下衆な貴方にはそう何度も見せる必要がないもの……当然よね?」
ヴェルザンディのような嫌味を吹かせながら、背後に無数のルーンを出現させると、そこから無数のレーザーが発射される。
ジャックは避け、躱し、防ぎながら
ダイナマイトの効果を付与したナイフを投擲する。
「ヒャッハァ!」
「スラッシュ……!」
大剣を異なる三方向に振るう。
斬撃波がまるで大海原を泳ぐサメのように、ダイナマイトを躱しながらジャックに迫っていく。
「ヒヒっ!意味ねえよ!」
「予言してあげるわ。
あなたの未来は──死よ!」
殺人鬼の言葉を遮るかのように、3つの異なる声がそう宣告する。
「んなわけあるかよぉっ!」
爆弾ナイフはルーンの重ねがけによる強固なシールドにより防がれ、斬撃波はジャックを目掛け追撃、辛うじて躱したものの左腕は肩に至るまで切断された。
患部から滲み出る純白の光が、彼の中に宿った邪神の力を中和しているらしい。
「な、なんだ……!?
か、身体がまともに動かない!」
地球の神の光の攻撃を受け続けたジャックの身体は邪神のエネルギーを緩和、中和という過程を繋ぎ、上書きされていく。
悪人の身体を包み込んでいたその力は、ノルンの女神の攻撃により完全に浄化されたのだ。
「……滅びなさい」
大気の魔力を集約させた大剣が振るわれる。
邪神の産み出した暗雲など霞んでしまうほどの極光、それが眩い閃光を放ちながら、西暦のロンドンを恐怖に陥れた霧の殺人鬼へと直進していく。
「が、はぁっ……!」
永遠にも感じられた静寂が明けると
ジャックは地面に倒れた。
言葉に出来ない激痛を叫びながら
彼は唯一動く感覚を用いて女神を見る。
「ぐぅぅぅあああああ!!
馬鹿な!!!馬鹿なああ!!!
俺が、俺様が時を司る神如きにぃ!」
朦朧とする意識、ぼやける視界は
歩み寄る女神の姿を確かに捉え離さなかった。
それは抵抗によるものか、その姿に見惚れた男の性によるものか。
「宣告する━━」
「や、やめろっ……!」
「汝は今日この時を以て、私達に粛正される」
再び強大な質量の光を宿した大剣が緩やかに空へ掲げられる。
その大剣が振り下ろされれば最後、ジャックの身体は塵芥となり消滅する事だろう。
「く、クトゥルフ様ぁ……!
力、力をぉ……お願いしますぅっ!」
クトゥルフは嘲笑い、その姿を消した。
まるで、自分より格下の神に負けるとは、とその無様さに卑下しているかのようだった。
「西暦に散るはずだったその命、私達が、今ここで……断つ!」
空を斬る音が響いた。
女神の断罪はジャックの身体を魂ごと斬り伏せた。
「……!」
しかし本来伝わる手応えは、やってくることはなかった。
代わりに、手にしている大剣が防がれる音が聞こえてきた。
「ノルンの神々、生キテイタカ?
……ククク」
「ナイアーラトテップ……!」
小さな黒い子供が、剣先を押さえ付けていた。
可笑しそうに首を傾げながら、顔のない表情でニタリと嗤う。
その不気味さに背筋が凍るような感覚を覚えた彼女は、先手が繰り出されるより先に後退していた。
「オイ、ジャック、オ前に二度目ノチャンスヲヤロウ。ソレデ本当ニ最後ダ」
「待ちなさい!
そうはさせないわ!」
数多の姿形を持つナイアーラトテップだが、彼女の目の前にいるそれは敵意に満ちている。
今ここで倒さなければ、ジャックも取り逃がすことになる。そう結論付けたノルンの女神は今ある総ての力を集約させ、この国全ての時を“停止”させた。
ここにあった多くのルーンは輝きを失ったが、代わりに停止の効果を最大限にまで上げた。奴を討つのならば、今しかない。
彼女は地を蹴り大剣を振るった。
しかし━━
「なっ!?」
「……ちっ!」
「ばぁ!?」
寸前のところで、“神代回帰”の効果が切れてしまい、三位一体が解かれてしまったのである。
それに伴い、停止していた時間も崩壊する。
「ククク、残〜念〜!バイバイ三女神。コノ殺人鬼は貰ッテ行クゾ」
ナイアーラトテップは満身創痍の切り裂きジャックを回収し、闇の霧に包まれて姿を消した。




