第223話「人災と殺人鬼」
「クソが、こればかりは使いたくなかったが仕方ねえ」
ジャックは倒れた身体を起こし、回復薬を全身に垂れ流していく。
そして、暗黒の紋章を地面に出現させた。
それは殺人鬼の全身に素早く浸透する薬のような液状の物に変化して身体の中に取り込まれていく。
「かはぁ……っ!
来たぜ、この感覚っ、あの女どもを八つ裂きにしたあの高揚感と同じだっ!」
「人殺しかお前、キッツぅ」
「テメェにゃわからねえさぁ……!
あの恐怖に怯える絶叫を、あの恐怖に満ちた顔を!俺はあの最盛期の
あの感性をもう一度……目覚めさせるんだよぉっ!!!」
黒紫色のオーラが全身から漂い始める。
野生の聴力を持つユーゼフは、彼の頭部から発せられる奇怪な音に気付き、手に持つ力を強めていく。
荒んだ口調と、もはや制御出来ないと言わんばかりの殺意が滲み出ている。
「は、ぁぁっ……!
ぐぁおおおおおお!!」
「頭の中の音がえげつねぇ、何が起きてるんだ?」
人の脳は、現在においても10%の機能しか使用されていない。
それがほんの1%、たったの1%機能が拡張されてしまったら、人間はどうなるのか。
その答えは、「未知」である。
どういう症状が発生して、どのように変化、あるいは進化していくのか、今の時代においても誰も解明
出来ていないのだ。
それが今、ユーゼフの目の前で起きようとしている。
「がぁぁぁぁっ……!
ふははははは!
懐かしいぜ、この感覚ぅ!
これで今すぐテメェを殺してやるよぉ!」
「へい電子媒体、あいつの状態詳しく」
【はい、ユーゼフ様。
彼の今の状態は脳のリミッターを一時的に解除されたものと思われます】
「というと?」
【簡潔に言えば、身体能力向上です。
視力の向上、脚力の加速化など、あらゆる全てのステータスが伸びたということになります】
「サンクス」
RPGのような分かりやすい説明で納得したところで、ユーゼフは迎撃態勢を取った。
高揚感を保ったまま突撃するジャックは先手必勝と言わんばかりに無数のナイフを扇形に投擲する。
「効かんな」
ユーゼフの身体を守るこの蒼い鎧は
城砕きの異名を持つ異形の蒼い蟹の重殻を素材に用いた物だ。
鉄やレンガなど、建築物に用いられる素材を数多く食い荒らし体内の中でより強固な未知の物質へと変質させていく特殊体質の個体であったが故に装着者に多大な食欲と戦闘力を発揮させるのである。
故にこそ、彼からすればナイフの投擲など蚊がピタッと肌に止まったような感覚なのだ。
「んふー、痛くも痒くもない〜♪」
(いや、違う。ユーゼフは余裕そうにしてるけど、アイツのあのナイフには何かカラクリ
が隠されてる)
クレイラは見ていた。
ジャック・ザ・リッパーは突如シュラウドの背後に音もなく現れ、強固な鎧に包まれた身体を容易く貫通し重傷を負わせた光景を。
今ユーゼフに投擲されたナイフにも、その効果が付与されていないとは思えなかった。
「おぐぅっ!?」
(やっぱり!)
クレイラの声と同時に、ユーゼフの胴体を無数のナイフが貫いた。
屈強で頑丈な鎧を“まるですり抜けたかのようにして鎧の下の肉体を刺した”のである。
「ひゃはははは!!!!
まだまだぁぁ!!!!」
投擲に次ぐ投擲、2本のナイフは連結した1本のナイフのように、ユーゼフの身体を貫こうと翔んでいく。
「そらそらそら!!!
避けられるもんなら避けてみろよ!
防げるもんなら防いでみろよ!
無理だろうけどなぁ!」
「なんのぉ!」
片足で地面を踏みつけ、相撲取りの様な姿勢で斧を振るう。
耳心地のいい金属音が響くと、最初の一本は地面に突き刺さり、もう一本はユーゼフの鎧を貫通した。
「ぐぬぬぅ……!」
「きひっ、きひひっ!
心臓周りの血管をぶち抜いてもまだ生きてやがるのかよぉ!
獣かてめえはぁ!きははははは!!!」
「笑い方キモっ」
声こそ余裕を保ってはいるものの、心臓付近を集中的に攻撃されてしまっては流石の彼も万全な状態で攻撃が出来なくなる。
(とは言うもののぉ、どうすっかなぁ……頭使うのはイングラム君のおはこだしなぁ。
俺は直感でどうにかするしかないんだよなぁ。うーん)
「きしゃぁっ!」
切り裂きジャックは軽々と上空へ飛び上がり、イチゴヤドクガエルの猛毒を滴らせたナイフを雨のように無数に投擲する。
「ちっ……リルルたそぉ!」
円形状のドームのように放たれたナイフがユーゼフの機動力を根こそぎ削いでいく。
自慢の剛腕も、俊足の脚も、闘うために必要なものが使い物にならなくなっていく。
突き刺さる音と、焼けるような、痺れるような感覚が襲ってくる。
心拍音だって、頭の中で警鐘みたいに響いてくる。
ユーゼフは自身の意識を飛ばさないようにすることに必死だった。
「まずい、あのユーゼフが追い詰められてる。何か方法は……」
「きしゃぁ!死ねぇ人災!」
「俺は死なない!ロリにチューされるその日までは!」
ユーゼフは凄まじい眼力で降下してくるジャック睨みつけ、掴み上げるとその硬い材質の兜で強烈な頭突きを繰り出した。
「うごぁっ!?」
「ふんぬっ!ふんぬっ!ふんぬぅっ!」
金属音と肉片が飛び散る音が交互に木霊する。偶に膝蹴りも鳩尾に繰り出してジャックの責める隙を与えない。
片手に持っていた斧を投げ捨て、肉弾戦に持ち込んでいく。
「どすこいどすこい!!!」
「ぐぎゃぁ!?ぐべらぁっ!?」
張り手に次ぐ張り手、ジャックの呼吸器官──
すなわち肺に的確なダメージを与えていく。
ユーゼフは直感で行動した。
「なんか接近戦に持っていけばコイツ倒せるんじゃね?」と!
そう、ジャックが遠距離でナイフを用いた攻撃をしてくるのならば、あえて調子に乗せて接近戦に持ち込めば良いのだと。
そうすればあの男は好きにナイフを振るえないし、もし振るえたとしても次の攻撃を繰り出すまでには確実にタイムラグが発生する。
ユーゼフ自身の体力も削られはするが敵を1人倒すまでに尽きなければいいだけの話である。
「おりやぁ!張り手の山ぁっ!
ごっつぁん!」
一糸乱れぬ怒涛の三連突き!
左右の肺に一撃を与え、ラストの1発は心臓に直接衝撃を与える!
「ぐがぁっ、く、くそっ!
クソガキがぁ!
ならコイツで仕留めてやるよ!」
「っ!」
全身ズタボロなジャックが取り出したのは導火線に火のついたナイフだった。
かの殺人鬼はそれをユーゼフの首筋に突き立てた!
「んぉぉ!?」
「きゃは!!自爆するとでも思ったか?
ざぁんねん!俺は腕を斬り落として逃げるんだなぁ!これがぁっ!」
接合したばかりの左腕を今度は自身で斬り落として、その場から跳躍して後退する。
ジャックが着地した途端、爆音と共にユーゼフの立っていた場所が爆発した。
「ユーゼフっ!!!」
クレイラが叫んだ。
ジャックの鎧をすり抜ける効果がもし、あの爆弾にも付与されていたのならば、それは素肌のまま爆撃に巻き込まれたに等しい。
「ぐっ……ぬぅ!」
しかしユーゼフは立っていた。
鎧のあらゆる隙間からありえない量の血液が噴出しているにも関わらず、立っていたのだ。
しかしその動きは、瀕死の人間のそれに等しかった。
呼吸を行うごとに、兜から吐血していく。
「きひ、きひひひ……!
面白え、面白えよテメェ!
これだけヤっても死なねえ人間は初めてだ!
もっと、もっと遊ばせろよぉ!」
「ユーゼフ、もういい!もういいから……逃げて!」
自分自身の嘘に苛まれたクレイラは
自責の念からユーゼフに逃げろと叫ぶ。
「女1人守れないで、男やってられるかぁ!」
右腕に飛んできた斧を掴み取り、荒い呼吸を刻みながらぎこちなくジャックに進んでいく。
「きゃはぁっ!テメェ殺した後で
その女はもらって行く!
けどよ、そう簡単に死ぬなよぉ!?
つまんねぇかんなぁ!」
全盛期の絶頂のままに、ジャックは吠える。
獲物を仕留めるためのナイフを手に
壊れた人形の様にユーゼフと歩幅をわざとらしく合わせて
「こんなことになるなら、最初から抵抗するべきだった……ううん、彼はまだ生きてる、なら、守らなくちゃ。レオンが私なら、きっとそうするよね……?」
クレイラは吐血しつつも、ゆっくりと立ち上がる。レオンの仲間を守るために。
「キヒヒ、最期は邪悪な力を味合わせてやるよ!ユーゼフぅ!」
ジャックはキキキ、と笑いながら
暗雲の空を見上げて叫ぶ。
「邪悪なる邪神クトゥルフ様ぁ!
我が身に最上にして最恐のお力をお与えくださいませぇ!」
不気味に蠢く雲から、妖しく光る赤の目が頷いたかの様にジャックに得体の知れない光を降り注いでいく。
そして、その影響はクレイラにも及んだ。
「がっ……!?」
邪悪な神の氣が、クレイラの身体を虫のように這い回る。
せっかくの思いで立ち上がったというのに、彼女はその場に倒れ込んでしまった。
「そ、そんな……!
こんな時に……!」
「キヒ、キヒヒ……!
目の前でお友達が死ぬのを見せてやるよ!
クレイラぁ!」
「やめて、やめてぇっ!」
人と怪物の中間の姿となったジャックは、クレイラの懇願に耳も貸さずに眼前に迫ったユーゼフに、最後のナイフを心臓に突き立てようとした。
しかし、その感触がジャックに届くことはなかった。
絶望が蠢く黒き暗雲の切れ間から放たれた光の一撃がジャックの視界を奪い、ユーゼフを救った。
「ふぅん、やるじゃない。
愚民にしては、よく頑張った方よ」
「えぇ、貴方はゆっくり休みなさい。ユーゼフ・コルネリウス」
「だぁぶ!」
「あ、目の前に天使が、俺死んだわ。アデュー」
ユーゼフはそんな言葉を吐きながら、仰向けに倒れる。
スクルドはそんな彼を優しく労わる様に受け止め、ゆっくりとその身体を地面に下ろした。
「テラ様、お会い出来て光栄です。
ここは我々ノルンに任せてください。」
小柄な女神のヴェルザンディはクレイラに一礼すると、その身体を変異したジャックへと向ける。
「長女、三女、行くわよ。
この愚民以下の存在には私達が粛正しなくちゃね?」
「えぇ、もちろんよ。
徹底的にやるわ」
「だぁ!」
ノルンの三女神は、凄まじい威圧感を放ちながら無数のルーンを背後に浮かべるのだった。




