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第222話「暗雲の中で」

「見れば見るほど美しい……」


黒の紳士服は、全身に暗器を忍ばせていた。


白髪混じりの黒髪、赤く滲んで汚れた手袋を締め直しながら、クレイラを淀んだ黒い双眸で見据える。


「貴方が、ロンドンの霧の殺人鬼……ジャック・ザ・リッパー」


クレイラが自分の名を呼んだことに、彼は表情が緩む。


いや、歪んだという方が正しいだろう。

彼はこれまでの生において、今以上に美しい声色を聞いた事がなかったのだから。


「えぇ……えぇっ!

私が皆様の知るジャック・ザ・リッパーその人です!

レディ・クレイラ、以後お見知り置きを」


もはや立つ事すら困難になっている

クレイラの顔を覗き込みながら、不気味で不敵な笑みをこぼして挨拶する。


それが実に不愉快で、寒気のするものだった。


「さあ、お互い自己紹介が済んだところですし、“我が主人”の元へと来てもらいますよ」


「断る、と言えばシュラウドを殺すのでしょう」


「ご名答、ただし貴女がついて来てくだされば、命を奪わないとお約束しますよ」


切り裂きジャックの目に嘘は映っていない。


その言動も、どうしてか信憑性を孕んでいる。

しかし、クレイラは即座に答えを下す事ができなかった。


「レディ・クレイラ、では5秒差し上げます。

その間に答えをお聞かせ下さい。

ああ、ですがそこな男の命が惜しく無いと言うのであれば、そのまま黙していただいて結構です」


思考を看過したのか、殺人鬼は不敵に笑ったまま、制限を突き付けた。


「……」


クレイラは思考を巡らせた。


このまま黙して、決定的な一撃を与えて討ち倒すか──?


素直に従い大人しく連れ去られるか?


それとも──


「2、1──」


ダメだ、これ以上の思考は無意味なものとなる。クレイラは割り切り、「わかった」と言葉を告げた。


「セーフです。レディクレイラ。

お約束通り、この男はそのままにしておいてあげましょう。

さあ、立ちなさい」


「うっ……ぐぅ」


切り裂きジャックは余計な手間をかけさせまいと、クレイラの手を引き、上体を無理やり起こす。


「今の貴女には少々苦しいでしょうが、この後のことに比べればだいぶマシな方です」


この男は知っている。

これからこの先、クレイラの身にどんなことが起こるのかを、起きてしまうのかを──


「本来であればかつてのロンドンの時のように、貴女をとことんまで切り刻み、臓器を摘出して鑑賞用に保管したいところではありますが……

今は私用に駆られるなとのご命令なので」


若き姿をした紳士は、胸の内に滾る興奮を必死に抑え込みながらそう呟いた。


「紳士のフリをして、欲望に素直なんだ。

だからこそ、彼女達はそれに騙されてしまったのかもしれないけれど」


「あの時私が殺戮を行った5日間の事ですか?

なるほどなるほど、それをご存知とは、私を認知していた理由が分かりましたよ」


彼が殺戮を犯した数世紀の後の歴史ではそれを『カノニカル・ファイブ』と呼び、当時のロンドンを恐怖のどん底に陥れた恐ろしい事件だった。


切り裂きジャックはクレイラの言葉に頬を綻ばせながらその知識を賞賛する。


「まあ、それがわかったところで今の人間達は西暦の歴史など取るに足らない、いえ、知った所でなんだ?というものでしょう。だからこそ、今こうして出てきたわけなのですがね」


切り裂きジャックはクレイラの身体を支える様にして腕を背中に回す。


微量の金属音が、彼女の耳には確かに聞こえた。抵抗をすればその手にしているナイフで刃を身体に差し込み、臓器を摘出するつもりだろう。


「く、ぅ……!」


支えられていた身体の力が緩やかに抜けていく。視界は揺らぎ、思考も曖昧になる中で切り裂きジャックは悪魔的微笑みを見せる。


「うふふ、素晴らしい。

その苦悶の表情、息遣い、声色……

致命傷を受けた草食動物の様に、弱々しくも懸命に生きようとしているその姿。

無惨に壊してやりたくなりますよ」


「そう、なら少しだけ深呼吸させて。

不快な気分を少しでもマシなものにしたいから」


「この暗雲のもとで深呼吸ですか?

変わった気分転換ですね、まあいいでしょう。

それくらいの慈悲は必要です」


切り裂きジャックは少しだけ距離を置き、深呼吸をするクレイラを見惚れるように眺める。


「やはり、美しい……」


そして10秒が過ぎた頃、クレイラが再び歩み始める。


「さ、参りましょうか」


再び背中に腕を回したその時、ジャックの頬を何かが掠めた。

彼は傷のついた方を視線で確認する。


赤い筋がぽたりと音を立てて地面に吸い込まれていく。


「……貴様ぁ」


その何かが飛んできた方向を、ジャックは恨めしそうな声を上げながら見据える。


そこに立っていたのは、右胸部を押さえて呼吸を乱しているシュラウドだった。


「シュラウド……!」


「貴様の、思い通りにはさせん……!」


シュラウドは垂れ流しにも等しい部位を腕で押さえつけ、電子媒体による簡易治療を行った。


空いた傷口は、ひとまずは塞がっていくものの苦しそうな表情は変わらない。


ジャックはクレイラを後方へ下がらせて一本の錆びついたナイフを取り出した。


まるで青銅器のような質感をしているそれを、クルクルと銃のように回しながら腰を低くする。


シュラウドは落ちていた鉤鎌刀を足で蹴り上げて手に持ち、迎撃態勢を取る。


しかし、無理に立ち上がった反動から彼は片膝をついてしまう。


「ぐぅっ……」


貫かれた右胸部を左腕で押さえつけながらも、並々ならぬ気迫でジャックを睥睨する。


「ヒャァァァァ!!!」


奇声を上げながら突貫する。

両手には錆びついたナイフをちらつかせ、ジャックは塞いだばかりの傷口目掛けてそのナイフを思い切り突き出した。


「シュラウドっ!!!」


クレイラの叫びと共に、霧の殺人鬼の繰り出す一撃が眼前にまで迫った。


「……ちぃっ!?」


紅き騎士の胸部スレスレで迫ったナイフは外部からの攻撃によって持ち手の腕ごと、クレイラより遥か後方に吹き飛ばされたのである。


「誰だぁ、俺の邪魔をする奴はよぉ!」


ジャックがその方向へ身体と視線を向ける。

彼の眼が捉えたのは、1人の小さな童女と蒼く光る鎧男の姿だった。


「おーい!待て待て〜!」


「ひぃぃぃ!来ないでぇぇぇ!」


片や蒼い鎧男の方は、夕陽傾く砂浜で、相手を想うカップルのように。

片や小さな童女は、人生で初めて得体の知れない「人間の形をした何か」に追われる恐怖に駆られ、声を上げて逃走していた!


「……あぁ?」


「しめた!」


ジャックの疑問の声とクレイラの機転が同時に響く。

彼女はユーゼフの最も好む子の

声帯に代え、今にも泣き出しそうな声色をユーゼフに向け、叫んだ。


「ユーゼフお兄ちゃん助けてぇ!」


「んっ!?

あそこにいるのは俺が見失ったロリの声!

そしてそこにいる変な奴!

お前が誘拐したのかぁ!」


そう、彼こそは史上最強の耐久性と

飽くなき欲望に忠実な人災、ユーゼフ・コルネリウスであった。


彼は鎧の奥の視線を怪しく光らせると、逃げ切った幼女には目もくれず

ジャックの眼前に跳躍してクレイラを守る壁のように地響きを鳴らしながら降り立った。


「うぉっ!?」


「わぁお、相変わらず凄い衝撃」


「……ぐ、ぬぅ」


予想だにしない加勢に思わず不調のクレイラは口角を上げた。


あの男は敵であるうちは最も恐ろしい人物だが、味方としてあるにはこの上ない心強い人物であることはクレイラもよく知っている。


だからこそ、彼女は彼の“欲”を煽る代わりに、この殺人鬼に対峙してもらおうと考えた。


クレイラはそっぽを向いて声色そのままに言葉を紡ぐ。


「お兄ちゃんお願い!

その怖い人をやっつけて赤い人を助けて!」


「要はその紅い人が君を守ってたけど、その人もやばいから俺を頼ったと!

ナイス判断!俺頑張っちゃうもんね!」


(よし、単純で助かった!)


要点を伝える必要もなく、野生の感性というか直感で全てを理解したユーゼフは自身の獲物である斧を引っ提げ、鋒を向けた。


「おうテメェ俺の幼女ちゃんになに手ぇ出そうとしてんだ?あぁん?」


「あ?なんだぁ?ギンギラギンと眩しいヤロウだぜ……テメェ視力低いのかよ?

幼女なんてどこにもいな━━」


単刀直入に述べようとした言葉は、腹部に走った衝撃によって全て掻き消された。


身体の臓器全てを重力で思い切りひっくり返されたような攻撃がジャックを襲う。


「ぐぉぉぉっ!?」


「いるじゃねえか後ろによぉ!

可愛い可愛い最高に俺好みのロリッ子ちゃんのギャンかわボイスがよぉ!

お前の耳は節穴かぁ!?」


シュラウドよりも後方に弾き飛ばされたジャックは、左手で細い糸を取り出して切り飛ばされた腕を回収し、くっ付ける。


「な、なんなんだこいつ……!

いきなり襲ってきやがって!」


鈍重な鎧を身にまとっているというのにルークに引けを取らぬ速度の突貫力はクレイラも開いた口が塞がらなかった。


「ふんぬぅ!」


「その上馬鹿力ときた、ナニモンだぁテメェ!」


重々しい鈍器である斧の一撃をどうにかして防ぎきる。


「ロリのロリによるロリのための最終防亭……ユーゼフ・コルネリウス様だっ!!」


しかしその圧倒的重量からジャックは次第に地面にのめり込むほど圧倒されていく。


「あぁ……!?

まさかテメェが“あのお方”が最も危険視しているあの人災だとぉ!?」


「人を人災扱いすんじゃねえ!

失礼この上ないでしょーっ!」


人扱いされないことに腹を立てたユーゼフは0.25倍の力で押していたその力を倍にした。


「ぐぉぉっ!?」


「授業で習わなかったかぁ!?

道徳心を持ちましょうってよぉ!!!」


「知るかぁぁぁ!!」


荒れ狂う数十匹の馬を同時に相手にしているような凶悪性、凶暴性。

ジャックの全力は、彼の全力には遠く及ばないらしい。


どれほど逃げるため術を考えようともあまりにも桁違いな火力によって手足がそう行動することを拒むのだ。


「道徳心を持つんなら加減しろクソ蟹がぁ!」


「お黙り!」


亜光速の右手で放たれた平手打ちが

ジャックの頬を直撃した。


顔を支えている右側の骨の全てに亀裂が入る音が脳に響く。


無数の棘にも等しくなってしまった骨は、反対側の頭蓋骨にも著しいダメージを叩き出すと同時に、軽々しく吹き飛ばされてしまった。


「はぁ〜、キレた。

今に生きる劉備玄徳と言われた最も優しい俺キレました。良く知らんけど。お前は天日干しにして地面に埋めて引き裂いてやる!」


ユーゼフ、怒る!

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