第220話「紅き騎士の刃」
紅蓮の騎士が鉤鎌刀を一薙振るう──
周囲に滞空していた死霊達はその衝撃に吹き飛ばされ、遥か彼方へと還る。
彼らの前に立ちはだかっていた敵は
もう存在しなかった。
「クレイラ殿、あらかた片付きましたな」
「うん、手伝ってくれてありがとうシュラウド」
クレイラは銀髪を靡かせながら深く深く深呼吸する。彼女はどこか痩せ我慢しているように見えた。
「……いえ、貴女の負担を減らすことが私の使命だと思っておりますゆえ」
その言葉に、クレイラは口角を緩めて、安堵の表情を浮かべた。
「……む、何かが来ます。
クレイラ殿、警戒を」
得物を持つ手を強く握り締めて、何かの気配のする方へと視線を向ける。
「……相変わらず堅苦しいなぁ。
シュラウド殿」
男性かも女性かもわからない機械的な声が緩やかに地面から姿を現す。
それはシュラウドの中にある嫌悪感を逆撫でするものだった。
「貴様……仮面の魔術師!
生きていたか!」
「ククク、私がそう簡単に倒れると思ったら大間違いだぞ?」
黒いロープに顔全体を覆う仮面を押さえつけながら、魔術師は小刻みに身体を震わせて滑稽だと嗤う。
「……仮面の魔術師か、アナタ、リルルに手も足も出ないまま打ちのめされたという話だけど」
「あぁ、あの小娘か。
確かに、スアーガでは国を滅ぼすには至らなかったが、プライド共々粉々に、押し潰されたのはかなり応えた。
だが、そんなことはもはやどうだっていい。私の望みはお前だよ“テラ”」
仮面の魔術師は舐め回すような指先でクレイラを指してそう言った。
訝しげな表情を浮かべる2人に、クククと仮面越しに不敵な笑みを溢す。
「お前を確保する前に……まずは、その力を拝見させてもらうとしようか」
魔術師は緩やかに上昇して、自身の後方へ凄まじい数の魔法陣を展開し、そこからあらゆる属性のマナを湯水のように放つ。
「貴様の思惑通りにはさせん!」
シュラウドはクレイラを守るように前に出て、鉤鎌刀に力を宿してその全てを裁いて相殺する。
「ほう、これだけのマナの力を捌けるとはな……やはりシュラウド、貴様のその武力をここで散らせるには惜しい。“あのお方”もお前であれば気に入るだろう」
魔術師はそう続けながら、攻撃の手を緩めずに数多くのマナを地上へ撃ち込んでいく。
「━━破っ!」
両手で鉤鎌刀を握り締め、集中力を
飛躍的に高めていく。
睥睨の先に迫る紅きエネルギーを
一歩後退した先で打ち返した。
弾かれた火のマナは、他の迫り来るマナと衝突して消え去る。
「ちっ……!」
面白くないと悪態を吐きながら、今度は指を鳴らして空間の裂け目を出現させる。
そこからは、歪な形状をした怪物が不気味な色合いの放電と共に顔を覗かせた。
「なんだ……あの怪物は!?」
「少なくとも、この星に現存する生命体じゃない。“アイツ”はあの穴から出したらダメ!」
驚きに動きが止まるシュラウドに対して、クレイラは至極冷静に、その怪物に向けて手を伸ばした。
力を使おうとしているのだ。
その掌に、仄かな五色の光が灯る。
「なりませぬクレイラ殿!
力を使ってしまっては、貴女に負担がかかってしまう!」
「ククク……そんなことを言っている場合か?
その女の力が無ければ、この国の人間どもは阿鼻叫喚しながら貪り食われる運命を辿ることになるぞ!」
「悔しいけど、あいつの言う通りだよ。
私が力を使わなければ、ここの人達は守り切れない」
クレイラは5本の指にそれぞれ異なるマナを纏わせ、それは渦を巻きながら手の平に吸収されていく。
「滅べ……!」
火、水、雷、風、土──
それぞれの複合された大自然の力が呼応し合って強大なエネルギーとして放出される。
その力は、首を出しかけていた怪物をいとも容易く、跡形もなく葬り去った。
隣で、その余波を直に浴びた仮面の魔術師はクククと声を漏らして嗤う。
「嗚呼、素晴らしい……!
全盛期の頃の力に比べればちっぽけなものなのだろうが、それでもこの力はあのお方に相応しいものに変わりはない。
瀕死にさせてでも、貴様を連れていくぞ!テラ!」
「……がはっ!」
クレイラは急激な身体の負担に耐えきれずに膝をつき、吐血した。
それと同時に、地球が僅かに震えたような気がしたが、シュラウドにはそれがただの気のせいには思えなかった。
「クレイラ殿っ!」
「へ、平気……血を吐いただけだよ。
だ、大丈夫……!」
「無理に立ち上がってはなりませぬ!ここは私が!」
クレイラは強くシュラウドに視線を向けるが、彼も負けじと微動だにせずに見つめる。
このままこうしても埒が開かないと
先に言葉を紡いだのはクレイラだった。
「なら、貴方にお願いがある。
今から、一時的に私の力を貴方の身に預ける。そして、可能な限り奴の思惑を潰して、出来る?」
人としての付き合いは無いに等しい。だが、クレイラはシュラウドの人となり、武人としての誇りを信じて、自分の力を貸し与えることに決めた。
「承知致した。
このシュラウド、如何様な力であれ溺れることなく正しき事に使いこなして見せよう!」
クレイラはよし、と呟くとシュラウドに目配せして手を差し出すように伝える。
彼もその意思を汲み取って互いの利き手を重ね合わせた。
シュラウドの記憶の中に、見たことも聞いたこともない景色や音色が飛び込んでくる。
身体の中に、これまでにない暖かい温もりと溢れんばかりの力が湧いてくるのを感じた。
「おのれぇ……余計な事を!」
そうはさせまいと、マナの暴風雨を
繰り出していく。
膨大な水圧の雨が天空から降り注ぎ、ありえない熱量の放電が狙いを定めたように、2人に集中して飛んでいく。
精錬された武勇と、この星の自然の力が一時的とはいえ一つとなってしまえば、計画に支障が生じてしまうのは容易に想像出来た。
だからこそ、魔術師は先手を打つ事にしたのだが━━
ひと足先に先手を打たれてしまったようだ。
地上から放たれた灼熱の業火にも比類しうる熱量が天空の雨を焼却し、暴風が放電の軌道を変え、全てを相殺した。
「ちいっ、マナ使いでもないくせに
私よりも使いこなしているだと!」
仮面の奥で奥歯を噛み締め、鉄の味を舌の上で転ばしながらシュラウドを見据える。
「シュラウド、今の貴方の状態なら負担はかからない。だから、存分に借りを返してやって!」
イングラムとルークが、かつてゴリラックマ戦でお互いの雷と風のマナを交換したように、クレイラは自身の持つ5つのマナを一時的に貸すという形で譲渡させた。
通常であれば痛みに苛まれ、戦闘どころではなくなるのだが、彼女の力でそれらの副次的な効果が無効化されているため、シュラウドはイングラム達と肩を並べられるほどのマナ使いとして立っていられるのだ。
「クソぉ……!
これまでに奪い、蓄えたマナがこうも容易く破られるとは……!
どいつもこいつも私を踏み台にしやがって!」
「いくぞ魔術師、その首、頂戴せん!」
怒りに打ち震える魔術師の眼前に跳んだシュラウドは、鉤鎌刀に炎を纏わせて勢いよく振り下ろす。
咄嗟に、左腕の籠手でガードをするものの、その熱量は高く、籠手をじわりじわりと焼き焦がしていく。
「クソぉ……たかがマナを使えるくらいで調子に乗るな!
私の方がマナについては知識が上なんだ!
誰も、誰にも私よりも上に立たせてなるものか!」
「くだらぬっ!」
その妄言を断罪するかのように
魔術師の身体は斬り伏せられて地に堕ちていった。
「がはぁっ!?」
「一個人が同じ土台に居続けることなど不可能。上には上がいるのだ。
貴様のその知恵も、マナを見つけ出した最初の人間からすれば、ちっぽけなものに過ぎぬ!」
「なに、をぉ……!
貴様とていつまでもその武勇を手にしていられると思っているつもりだろう!
貴様の武勇も、それこそちっぽけなものに過ぎん!」
「ふ、その通りだ。
至高の武勇を得た最初の人間からすれば私の武勇など三流以下よ」
シュラウドは魔術師の言葉を受け取り嫌味を含んだ言葉を肯定する。
しかし彼は、その上でその言葉を否定した。
「だが、それで歩みを止めてしまえば、その人間はそこまでのものだったということだ。貴様の知識は所詮
知っただけの仮初のもの!
ならば、マナが貴様に宿らないことは道理だ」
「貴様ぁぁぁぁ!!!」
「全力で来るがいい!
私も、全身全霊を以て貴様を打ち砕かん!」
シュラウドは、怒り突撃してくる仮面の魔術師を微動だにせぬまま見据えた。
「お借りする……!いざ!」
相手が第二第三の策を用いてこようと関係ない。全てのマナを以て、それを打ち砕き滅ぼすまで。
鉤鎌刀にこれまでにない強い力が宿り、その一撃は弧を描くように振るわれた。
仮面の魔術師の右肩から左半身に向かって、たった一つの太刀筋が刻まれ、そこから鮮血を撒き散らして倒れ込む。
「ぐぁっ……!
これが本来のマナの力……!
なるほど、今わかった。
イングラム達がいくら束になろうともレオンに敵わぬはずだ。
本来の力は、それほどまでに凄まじく、それでいて、素晴らしいっ!」
前方へ撒き散らされる鮮血はとどまることを知らず、それは物言わぬ人形となりその場に伏した。
「……油断は出来ぬな」
シュラウドは仮面の魔術師の心臓を穿ち首を刎ねる。
転がった首を掴み、その仮面を取り外し正体を見る。
「……むっ!?」
それは屍の顔だった。
何年も放置された死体のように腐敗したもの。ならばその声は、この仮面から発せられていたものなのか。
そう、思考を巡らせていると
「シュラウド、後ろっ!」
クレイラが叫んだのも束の間
シュラウドの視界は緩やかに下へと降下していく。
「……っが」
右胸部を、鋭利な刃物が貫いていた。
その身体は宙に浮き抵抗しようにも力が抜けて、手にしていた鉤鎌刀も落としてしまう。
「な、に…………!?」
「ククク、どうです?
私の贋作も、なかなかに良かったでしょう?」
(気配は微塵も感じられなかった……
この男、一体!?)
思考した言葉を口に出来ぬまま
シュラウドの身体は地面に叩きつけられた。
紅い鎧は、彼の身体から流れ出る血液に染まっていく。
「さて、邪魔な虫は排除しました。
ついてきてもらいましょうか。
レディ・クレイラ、さもなくば、この男の命はない」
人を弄ぶような言動で、手慣れた手つきで、ナイフをシュラウドの首元に向ける。
「……貴方は」
「ああ、これは失礼。
まだ名乗っておりませんでした。
お美しいレディ。私の名は
ジャック・ザ・リッパー。
しがない、殺人鬼ですよ♪」




