第219話「陰陽道の鬼才」
衝撃を受けた感覚はいつぶりだっただろう──
蘆屋道満は自身の本体を安全な場所へ移動させ、式神を用いた分身を使って、2人の女戦士、ソフィアとレベッカ、おまけに喋る剣を余興ついでで相手にしていた。
しかし突然、ソフィアが本体を探そうと飛び上がった。女1人殺すには過剰過ぎるほどの波動を放ち、眼前の敵は自分の無力さと絶望に沈んでもらう、その予定だったというのに。
「んだよ、お前までこの時代にいるのかよ。それに、相変わらず腹の立つ顔だなぁ」
記憶の奥底に仕舞い込んでいた声が聞こえた途端、式神を依代にしているにも関わらず悪寒が走った。
手足が小刻みに震え、沸々と怒りの感情が湧き上がってくる。
それと同時に、身体に衝撃が走った。
勢いよく引き寄せられたような感覚に襲われ、建物が崩落の音と共に砂塵を巻き上げる。蘆屋道満は無傷の身でありながらも、その苛立ちを隠すことは出来なかった。
「探したぜ、蘆屋ぁ……!」
「安倍……晴明!」
顔を上げる──
まるで正義のヒーローが登場したみたいに安倍晴明は立っていた。
なんの関係もない人間を守るみたいに”あの時”と同じように──
「蘆屋ぁ……てめぇ自分がなにをしてんのか分かってんのか?」
「分かっているとも、君がでしゃばってくることも、薄々感じていた。
あそこから這い出る時からずっとね」
右腕を振るい、式神が変化した守護壁の中からソフィアがゆるやかに降下してきた。
彼女の身体には傷一つなく、呼吸も乱れていない。その様子を横目で見ていた安倍晴明は、片方の口角を上げて微笑んだ。
「てめぇほどの実力があれば
“そっち側”に付くなんてこともしなくて済んだろうに、馬鹿な真似しやがって」
「今はまだ様子見しているというだけさ……君のように単純では、今の時代を生き抜くことはできない」
蘆屋道満は右手を安倍晴明へと向けて式神達に命令を下す。
後方に待機していた灰色の紙の式神達は、伝達された命令に従い、飛んでいく。
「相変わらず死人みてえな色してやがるぜ……テメェの式神はぁ!」
晴明は指を鳴らして、後方にいるソフィア達を自らの式神で覆い尽くし、安全な場所へと移動させた。
「晴明、今日こそ、今日こそ僕は君を越える!」
道満の式神は、様々な物へとその性質を変貌させていく。
「晴明さん、私たちも戦います!」
獲物を構え直すソフィアとレベッカを安倍晴明は手で制する。
「気持ちは嬉しいが、ここは俺にやらせてくれ。アンタらは休んでな」
安倍晴明は視線を戻した。
毒を持つ蛇だったり、海に潜む危険な貝類だったり、比類なき足蹴りの威力を持つヒクイドリだったり、まさに多種多様だった。
「あぁ……?んだよ、ヒクイドリだぁ?日本産じゃねえじゃねえか!
テメェ陰陽師なら蛇とかにしろよ!」
西洋東洋の陸海空のあらゆる危険生物の姿に変貌した式神の群れが迫る中、安倍晴明は、実に堂々とした表情で構えていた。
両手足に宿っている光を緩やかに揺らめかせると、まず突貫してきたヒクイドリの嘴を二本指で制止させ、細長い足を足払いして、そのまま勢いよく後続の式神に投げ飛ばした。
安倍晴明は勢いそのまま単身で群れの中に突っ込み、正拳突きや脳天チョップ。えぐい角度の踵落としなど、毒の被弾なんぞお構いなしに繰り出していった。
純白の狩衣から絶え間なく攻撃は続いていきついには襲いかかってきた式神全てを駆逐してしまった。
「君は相変わらず力技で物事を解決しようとするな……!
全く、陰陽師なら陰陽師らしく式神を用いて、姿形を変えさせて戦わせるべきだろう!」
「それはテメェの価値観だろうが!
俺は俺の式神をやりたいように使ってるまでだ!」
「ラチが開かない!
こうなったら直々に相手をしてやる!」
蘆屋道満は苛立ちながら、懐から驚愕するほどの数の式神を自身を守るように前方へと展開する。
「…………」
上段、中段、下段に集まった式神を安倍晴明は見据えながら、迎撃態勢を取る。
空気が張り裂けるような威圧感と、背筋が凍るような感覚、耳を劈くような不協和音と共にこの場一体を支配する。
「ククク、君は知らないだろう。
現代の科学技術と古代の呪術が織りなす神にも等しい力の存在を!」
(復元蘇生か……?
いや、それにしてはあまりにも……)
無数の力が一つの力となって姿形を変貌させていく。人と非常に近しい存在でありながら全く異なる生命体。灰色の式神は魂の器となってかつての姿を取り戻す。
「君を倒すための器は完成した。
あとは、それを使いこなす為の知識だけ!」
現代に相応しくない悪鬼。
鋼をも通さぬ黒く強靭な肉体、頭部からは悪魔を思わせるような湾曲した金色の角。
地獄を彷彿とさせる唸り声。
それはかつて、日本を混沌に陥れようとした伝説の存在であった。
「酒呑童子だぁ……?
また面倒なやつを蘇らせやがって」
安倍晴明は自身の式神を身体へ憑依させ肉体を強化させた。
それと同時に、蘆屋道満は器の酒呑童子の中へ自らの肉体を融合させていく。
「恐れ慄け、晴明っ!」
「は、俺を瀕死にさせてから言え!」
悪鬼酒呑童子の身体を手にした蘆屋道満は、その拳を宿敵である安倍晴明へと奮った。
安倍晴明が立っていた地面が悉く破壊され、それは周囲の建造物にも甚大な被害を及ぼした。
「おーおー、全く馬鹿げた怪力だぜ」
寸前のところで空中に回避した安倍晴明は、その破壊力に思わず声を漏らした。
無防備なままであの一撃を喰らえば、臓器の半数が身体の内側から飛び出るだろう。
「まあ、テメェがその気なら、それに応えてやるのが筋ってもんだよな」
だが、そんなことは攻撃を受けたことで起こる結末の一つに過ぎない。
今ここにいる安倍晴明は五体満足な上に最上級の式神も手札に備えてある。
あらゆる可能性を考慮し、最善の手を打ち、敵の戦意を削ぎ落とす。
久しぶりの宿敵を相手に、胸が躍らないはずがない。
安倍晴明は久方ぶりの高揚を感じると口角を上げる。
「久々に手合わせといこうや、蘆屋ぁっ!」
空中に滞在していた安倍晴明は姿勢を変えて宙を蹴り、酒呑童子の殻に籠った蘆屋道満へと突貫する。
「晴明ぇぇぇっ!!!」
地上にいる黒き宿敵の剛腕が、音速を超えて突き出される。
人差し指と中指で挟んだ霊符を手前に突き出し、頭の中で詠唱する。
それは光出すと同時に、安倍晴明の身体を淡い光に包み込んでいく。
攻撃が直撃する。
人の額に巨大な拳が突きつけられれば頭蓋骨は粉々に打ち砕かれ、脳内は激しい衝撃に襲われ、その身体は地に叩き落とされることになるだろう。
だが、それは起こらなかった。
安倍晴明の取り出した霊符は2枚。
1枚は自身の肉体を強化することに使いもう1枚は━━
「陽術・封・裂光!」
殴られたその瞬間、その身体を
酒呑童子の死角となりうる足元へと瞬間移動させるために使った。
対象を捉え、霊符を足元へ散らばせると、陰陽の紋様が酒呑童子を囲んでいく。
「くそっ!足元かっ!?」
蘆屋道満がそれに気付き、踏み潰そうと脚を上げた瞬間に、強烈な閃光が迸り、視覚を奪っていく。
「おのれ、小癪なぁ!」
だが、他の感覚は活きている。
たかが視力を失っただけ。
それもたかが数分で回復するものだ。
生者の発する生気と、気配を感じ取り脚を踏み下ろす。
「ふっ……!」
安倍晴明は嗤い、すり抜けるようにして移動すると、式札を4枚取り出し、それぞれに氣を送り込む。
「俺も一応は陰陽師なんでな。
ここからはちぃと、痛い目見てもらうぜ!」
安倍晴明は指先を切って血を垂らすと、式札はそれを吸い上げて姿を変えていく。
「青龍、朱雀、白虎、玄武。
いくぜ!」
ひとつは蒼き木を纏い
ひとつは紅き炎を纏い
ひとつは白き金色を纏い
ひとつは黒き水を纏う。
安倍晴明は古代中国の四神を使い魔として召喚した。
「それは四神か!?
お前の使役する十二天将はどうした!?」
「あ?あいつらは今のお前如きに出す必要はねぇ!こいつらで充分っつうわけだ!」
嫌味を含んだ言葉。
しかしそれに嘘は感じ取れなかった。
胸の内に湧き上がる怒りの感情が、蘆屋道満の冷静さを欠かせていく。
「朱雀、熱いやつをかましてやれ!」
朱雀はその言葉を受け取り、遥か上空へと翼を羽ばたかせて舞い上がり、太陽を背にその炎の翼膜を風に乗せて振るう。
「なめるな!朱雀の炎など、僕が君から受けた屈辱に比べれば涼しいもの!」
酒呑童子は高く跳躍して朱雀の範囲外へと飛び出した。
そこへ、急激な重心がのしかかる。
「ぐっ、うぁぁっ!?」
まるで地面に引き寄せられたかのような感覚。彼はすぐにその重さの正体に気が付いた。
「ちぃっ、まさか玄武かっ!?」
亀と蛇の混ぜ合わさった神、玄武が
朱雀よりも遥か上空から、安倍晴明の念話による指示で急速に落下したのだ。
黒き蛇は先端の分かれた舌をちらつかせ毒液が滴る牙を酒呑童子の首筋へと突き立てる。
「青龍、追撃だ!
存分に突き付けてやんな!」
「くっ、そぉ……!」
安倍晴明の横に堂々と浮遊している青龍の口が開口し、周辺の空気を取り込んでいるのがわかった。
空気中に存在する微量の水素を空気圧と共に巻き込んで、真空波と水圧の一撃が今放たれようとしているのだ。
しかし酒呑童子の身体は動かない。
玄武の注入した激毒により、身体の神経の接続が全て絶たれてしまったのだ。
それゆえ、いくら脳が抵抗せよと司令を送っても、それを伝達するための組織が麻痺しているのだから意味がない。
(ならば、札を使い奴の隙を突いて
渾身の呪詛をぶつけてやる!)
蘆屋道満は酒呑童子の体内で式札と呪符を取り出して、今にも射抜かれてしまいそうな肉体を捨てて離脱する。
1枚の呪符を用いて、背中から逃げ出したかのように見せかけ、式札の瞬間移動で安倍晴明の背後を取る。
四神は、気付いていなかった。
(ふ、馬鹿め、もらった!)
これまでに培ってきた安倍晴明への
負の感情をあまりにも永い歳月をかけてひとつの呪符に込めた。
これを使えば、人を1人殺すどころか、国規模であらゆる生命活動を停止させられる。
それほどの呪詛を今、宿敵である安倍晴明にぶつけるのだ。
「勝った!死ねい晴明っ!」
「ふんっ!
だからテメェは甘ぇってんだよ、芦屋ぁッ!」
安倍晴明は振り返りもせずに、ただ左腕の肘だけを勢いよく引いた。
それは蘆屋道満の顔面に直撃した。
呪詛が宿敵に触れるよりも前に、鼻の骨が折れる音が頭に響く。
「ふごぁっ!?」
身体が宙に浮き、後方へと吹き飛んでいくのがわかった。
頭の中では止まりたいと願っても、現実は無慈悲に、蘆屋道満の身体を傷つけた。
「人生ってのはぁ、あらゆる可能性を頭ん中で練り込み、予測して行動するもんだ。テメェの背後の奇襲も、そのうちのひとつだぜ。蘆屋ぁ」
安倍晴明の言葉が耳に聞こえてくる。
それと同時に、呪符の重さが少しずつ軽くなっていくのに気が付いてしまった。
だらしなく地に伏し、ひらひらと地面に落ちた呪符を情けない顔で手に取る。
「あ……ああああ!!!!!」
目を凝らし、薄汚れた両手でそれを掴む。
黒紫色の呪詛の光が、空へと消えていくのが見えた。
張り裂けんばかりの絶叫が木霊する。
敗北したという目に見えない烙印が
蘆屋道満のプライドに深く焼きついたのだ。
「闇に堕ちた時点で、テメェは負けたんだよ。蘆屋……馬鹿野郎が」
儚く、悲しげな表情で宿敵を見つめる安倍晴明は、そう溢して蘆屋道満の握る呪符を消滅させる。
数万の時を経て邂逅した陰陽師の対決は安倍晴明の勝利に終わった。




