第216話「それぞれの役割」
「私の本来の名はレティシア・ファティマ……今は亡き皇国の皇女となるはずだった者、ですか。にわかには信じ難い話ですが……」
セリアは驚きながらも、兄リオウの容姿と自身の容姿を見比べて少しずつ納得して受け入れていく。
しかしどうにも引っかかるのは、セリアの幼少期の記憶がクレイラの能力を以てしても“視る”ことができなかったことである。
彼女は地球の概念であり、地球の意志そのもの、生まれた者達の事は触れてさえしまえ仔細に思い返すことができるのだが、セリアの記憶だけは、どうしてか視ることができなかった。
彼女がアデルバートに助け出されるより前の映像は、砂嵐のようになって遮られてしまう。
そしてそれは、クレイラ自身のダメージとなって脳へと還ってくるのだ。
セリアがリオウと邂逅したことで彼女は本来の名前と兄のこと、そして滅んでしまった国について知ることになった。
もしかすると、とクレイラは再びセリアの頭に手を乗せるのだが、結果は変わらない。
まるで視られることを拒否されているかのように、おそらくはファティマの特別な何かが今もクレイラの介入を阻んでいるのだ。
「ゔっ……」
痛みが脳を刺激して、立つことすらままならずに膝を折って呼吸を荒げる。
血液が逆流するような嫌な感覚が襲い、これまでにない不快感が彼女を襲った。
その場にいた面々が驚いて近づくも、クレイラはその必要ないと制した。
(ファティマ家は特別な秘術を会得しているとでも言うの……?)
あまりにも強烈すぎるダメージを受けてしまったクレイラは、次に触れようとしていたリオウの記憶を視ることを躊躇ってしまった。
もし視たとしても、セリアの時と同じように何かに拒絶されてしまうだろう。
わかりきったことをやっても、イタズラに力と命を擦り減らしてしまうだけだ。
不明瞭な記憶はまるで底の見えない深淵。どこまでも続く暗黒の穴。
永遠にも感じられる虚ろ。
そこへいつまでも手を伸ばしても、得られる物はないだろう。
「━━━━━━」
クレイラは不快感を少しずつ払いながらボヤける視界をクリアにして立ち上がる。
イングラム達が戻ってこない今、次に向かう目的地を決めることができるのはクレイラだけだ。
「っ……ふう」
ソルヴィアの新鮮な空気を取り込んで古い二酸化炭素を肺から排出する。
おかげで気持ちもクリアになり、激痛を伴った砂嵐の嫌な感じも少しずつ薄れていく。
クレイラはゆっくりと瞳を開いて、立ち上がった。
「ところで、リオウ。
イングラム達とは出会ってないの?」
クレイラの問いにリオウは首を縦に振った。
ソルヴィアへ侵攻し、玉座へと赴いて王と決闘を行い、そしてつい先ほど不完全な状態で召喚された悪魔サタンを打ち倒したことを説明する。
しかし、その過程でイングラムは愚かその仲間達の姿さえ見ることはなかったのである。深緑の剣士も、蒼髪も、騎士警察も、そして土の商人もいない。
彼らは確かに、紅蓮の騎士軍を止めるためにここへやって来たはずだ。
「……あの商人、ベルフェルクがルシウス達を巻き込んだんでしょう」
いつの間にか飛行船から出てきていたのだろう。エルフィーネがソフィアの背中からむくりと姿を現した。
「ベルフェルクのことで言いたいことがあるの?エルフィーネ」
「彼らが消えた理由は明白よ。
ベルフェルクが何かしらの力を用いてルシウス達ごと別の場所にワープさせた。
あの男には神の力があるらしいじゃない?
大方それを使ったんじゃないの?
自分勝手な復讐の為にね」
狐耳をぴょこぴょこ反応させながら
尻尾を緩やかに振っている。
しかしその表情は怒りに染まっていた。
「愛しのルシウスさんが消えたからご立腹というところ?」
ソフィアが腕を組みながら、片方の広角を上げてにやりと呟く。
エルフィーネは揶揄われた不快感を
鼻で笑い返す。
「それは貴女も同じことでしょうソフィア。
イングラムが消えてしまって、さぞ胸の内が締め付けられていると思うと、ねぇ?
要らないと思うけど、同情してあげる」
ソフィアとエルフィーネの二人が
目に見えない火花を散らしている。
あたふたするレベッカ、そして困惑しながらそれを見つめるセリア、何もわからないリルル。
「ねぇ、リオウ。聞きたいことがある。ファティマ王朝について──」
クレイラの問いに、リオウはうむ。
と力強く頷いた。
この状況でなら、上手く情報を得て
セリアの記憶を取り戻す一手になる
かもしれない。
二人は言葉にせずとも、そう理解し合った。
「いいだろう、我が一族ファティマとは──」
リオウが語ろうとしたその瞬間を遮ったのは、この場の誰の声でもなかった。
「リオウ様!シュラウド様!
大変です、我が軍が何者かの襲撃を受けています!」
慌てふためいた様子の兵士がリオウ達へ向かって叫んでいた。
彼はこちらへ腕を振りながら、傷口の異様過ぎる化膿部位を抑え込んで駆け寄ってきた。
「どうした、なにがあった!」
あと少しというところで、兵士はその場に倒れ込み傷から大量に血が吹き出してきた。
顔色は徐々に青白くなってきて、呼吸も短く、小さいものへと変わっていく。
それでも兵士は力を振り絞って、最も重要な事を伝える。
「はぁ、はぁ……戦死した者達の奇襲が……リオウ様、どうか、仲間を……」
腕を伸ばす兵士の手を強く握りしめる。
鎧越しでも伝わってくる冷たい体温の感覚がリオウの胸の内を締め付けていった。
そして、動かなくなった兵士を看取りながら絶望と恐怖に震えたその瞳を優しく閉じる。
「リオウ殿、よもや姿を消した呪術師達の仕業では?我らがこちらへ赴いた飛行船には、帰順した者達や、負傷者も居りまする」
「……あぁ、わかっている。
このまま何もしないわけにもいかん」
土へ還った兵士の両手を心臓の上に交差させると、リオウはゆっくりと立ち上がった。
「俺達の家族を傷つけるような愚行絶対に許さん!」
リオウから溢れんばかりの憤怒は全身を包み込み、鞘に収まっている剣にすら影響を与えていた。
「今は少しでも戦っている多くの仲間を救う。
急ぐぞシュラウド!」
「御意!」
二人は自分達がやってきた飛行船へと足を向けて一歩を踏み出した。
「あの、リオウ様……!」
次の一歩を、妹のセリアが止める。
いや、無意識に足が止まったと言うべきだろうか。本来の名で、兄と呼んでもらえなかった感覚が、リオウを止めた。
「私達も、戦わせてください」
「セリア殿……!?」
思わぬ言葉に、身体が振り返ってしまう。
戦場に身を置き続けてしまった結果なのか、リオウは妹が戦地で治療を行って来た事をクレイラから聞いている。
確かに彼女を連れていけば、多くの負傷者を助けることが出来るかもしれない。
だがそれは同時に、再会した妹の命を危険に晒すことにもなってしまうのだ。
「今の私には、貴方と共にいた記憶を思い出すことができません。ですが、このままここでじっとしていたら、また多くの人達が嘆き悲しんでしまう。そんな光景は、もう見たくないのです。私には刃を振るうことも、誰かをまとめ上げることもできません。
でも、傷ついた命を治すことはできます!」
「レティシア……」
「たとえダメだと言われてもついていきます。この手で一人でも多くを救うこと。
それが私の戦いなのです!」
セリアの瞳には強い意志が宿っていた。
普段の穏やかな彼女と違う。
医者としての本懐を成そうとしている。
「うん、そういうことなら私もついて行くよ。
セリアの護衛としてね。ルークなら
それくらい許してくれるでしょ」
レベッカが手を挙げて微笑む。
彼女の体調は既に完治し、状態も万全だ。
女剣士としての役割は充分に全うできるだろう。
「なら私も行く。死人を天へ還すなら、私以上に適任はいないしね。あとでイングラムに文句を言われてもつんけんして返せばいいだけだし」
得意な鎌を肩に担ぎながら、にやりと笑い灰色の髪を風に靡かせる。
念入りに尖れた得物は、容易く死者達の骸を切り裂くことができるだろう。
「クレイラはエルフィーネとリルルのことをお願い。貴女はあまり調子が良くないんだし船に戻ってて」
「……いや、私も行く。
戦えないほどじゃないし、絶対に足手纏いにはならないから」
呼吸を整えたクレイラがゆっくりと
立ち上がると、リルルの背中を優しくさする。
「リルル、いい?
私達は人を助けに行ってくるから
エルフィーネとお留守番しててね」
「お姉ちゃん、でもなんだか苦しそうだよ……?一緒に居ようよ」
リルルの頭を優しく撫で、言い聞かせるようにして目を見つめる。
「大丈夫、きっと戻ってくるよ。
そしたらまたたくさん遊ぼう」
クレイラに根負けしたのか、リルルは弱々しく首を縦に振る。
エルフィーネがリルルの手を取って
飛行船の入り口へと戻って行く。
「それじゃあ、せいぜい死なない程度にやりなさい。私はこの子の面倒、見ておいてあげるから」
エルフィーネがそう言うと、入り口のハッチは閉まり、ステルス迷彩が機能した。
万が一に敵が襲ってきても、見つかることのないように作動させたのだ。
「かたじけない……!
貴公らのお力添えがあれば、きっとより多くの仲間を救い出せよう!」
「クレイラ、今は我々紅蓮の騎士を信頼してくれていい。君の負担を最小限に抑えられるように尽力しよう。この戦いの後、ファティマの一族について君たちに語ることも約束する」
「……わかった、今は一緒に戦おう」
シュラウドとリオウの了承も得られた。
四人の女戦士達もそれぞれの武器を手にして真っ直ぐに、次なる戦地へと駆けていく。
◇◇◇
「ククク……面白い戦いになりそうだ。
奴らの驚愕する顔が思い浮かぶ」
遥か上空、身体の傷を癒した仮面の魔術師はおかしそうに呟く。
そして、呪術師于吉も、同胞の肩に手を乗せながら大いに笑う。
「それはあくまで余興……儂らの本来の目的は、“地球の概念”にあるのじゃからな。」
「例の銀髪の女か……しかし、あのお方のお言葉は本当だったとはな。あの女を捕らえ、力を抽出すれば我が天下も夢ではない」
「さよう、儂らがあのクレイラとやらの能力を自在に扱うことができれば、イングラム達など道端を這い回る蟻に過ぎぬ。存分に痛めつけてやろうぞ!
ははははははは!!!!」
二人の不気味な声は空へと消えていく。
そして、彼らの頭上からは数えるのも億劫になるほどの死者がソルヴィアへ降りていくのだった。




