第214話「不完全な悪魔」
リオウは剣に手を添え、波動を出現させながら突貫する。人の知るどの生命にも属さない。
その存在は、2メートルを優に超える身体を用いて、振りかぶられた一撃を防いだ。
「……ほう、やるな!」
人の作り出した金属質の剣と未知なる細胞で構成された腕とがぶつかり合う。
一撃、二撃、三撃……地上に存在する生物であれば傷をつけることも容易に可能だっただろう。しかし、目の前の悪魔は眼前を飛ぶ蠅を叩くようにその剛腕を突き出した。
「させんっ!」
リオウに振るわれた凶拳を、シュラウドの持つ鉤鎌刀がいなしながらその威力を受け流す。しならせた刃が軌道を逸らし、対象の存在しない地面へとそれをぶつけた。
「ほう、想像していた以上の破壊力だ。
下手をすればソルヴィアが地上へ落下してしまうな」
「ええ、悪魔サタン。
その名に違わぬ実力を持っているようです」
リオウとシュラウドは素早く後方へ跳躍し、共に並んで一呼吸し終えると再び得物を構える。サタンも破壊した地面からその拳を離し、両雄をその瞳に見据えると、咆哮した。
二人は腰を屈め、悪魔サタンの懐へと駆けていく。
地を蹴り上げ、到達する速度を高めながら左側に陣を取ったリオウは剣に波動を集約させていく。
腕から攻撃を繰り出そうとしているサタンの頭部へ向かってリオウは跳躍し、同時に剣を振り下ろす。
「波動の剣!」
黒い歪みの球体がサタンの身体へ緩やかに纏わりつき、衝撃がのしかかった。
「堕ちろっ!」
シュラウドは仰向けに倒れてくるその巨体の背後に移動し、鉤鎌刀に大気中のマナを集中させると、目視で弱点であろう箇所へ無数のエネルギー波の刃を放った。
光る刃はサタンの背中の肉を裂き、骨を削っていく。
声にならない苦悶を上げつつも、踏ん張り立ち直した。
「ふ、そうこなくては……!」
リオウは嗤う。伝説の悪魔がこの程度で倒れてしまっては拍子抜けだ。もっと恐怖と異様さを見せつけろ。心と脳を支配するほどの力を乗り越えてこそ人は悪魔を越え、神をも越えることが出来る。
「来い……サタン!
貴様を倒し、それを乗り越えてこそ
俺は更に上へと征ける!」
サタンは咆哮する。人々を惑わし、狂わせる程の声を上げてソルヴィアを震撼させる。
だが、それに最も近しい場にいる彼らは怯まない、むしろ━━━
「ふっ、滾らせてくれる!」
「あぁ、同感だ!」
巨大な岩石を思わせる拳が、悪魔の両の腕から繰り出される。戦士二人は得物を強く握りしめ、迫り来るその攻撃を受け止め、弾いて、弾いて、受け流して、反撃する。
直撃寸前の一撃を、紙一重で逸らしながら、サタンのスタミナを削り落としていく。
「ふんっ……!」
よろめく悪魔の隙を突き、リオウは大気に漂う目に見えない風を、熱を、水をマナとして剣に吸収していく。
シュラウドは攻撃を続ける度に、その速度が加速していく。拳を保護している強固な皮膚が、彼の練撃により削がれていく。
剣に宿るのは、修羅の炎。
視覚にも収まらないほどの微細な火のマナが超過熱の蒼に進化する。
周囲の酸素を取り込みながら火花のような音を立てて温度を上昇させていく。
「燃えろっ!」
サタンを越える丈の炎が弧を描いて
振るわれた。かの悪魔はそれを両手を用いて白羽取の要領で防いだ。
「風よ、吹き荒れろ!」
リオウの言葉に呼応する剣は蒼い炎に膜が張っていくように風が轟き、深緑の美しい水面が現れた。
轟々唸るとけたたましい風の音と身を焦がすような灼熱が一つの剣に現。サタンは掴んだ剣ごとリオウを建物へと投げ飛ばした。
空中で風のマナを少しずつ放出し、態勢を整えて屋上へと着地した。
「加速……!」
リオウは瞳を閉じて呼吸を行うと、腰を屈め、膝を折りながら駆ける。
瞬間、紅い身体が風のように軽やかになり、僅かに吹く風の恩恵を受けてその速度を驚異的なまでに上昇させる。
サタンが瞬きをする間も無く距離を詰め、炎と風の二重奏が奏でる刃が躊躇いなく振るわれる。
風が強靭な皮膚を引き裂き、炎が
肉を焼き、血管を流れる血液ごと蒸発させていく。
揺れる地面、僅かに後退する大木を思わせるサタンの脚がリオウ目掛けて飛んで来た。
「……ちぃっ!」
先の移動、そして攻めの一手で用いた風のマナが不足してしまったのだろう。
リオウは後退しようと風のマナを放出したのだが、いささか出力が不足していたようで、蹴りによる一撃を浴びてしまった。
リオウはシュラウドの遥か後方にある建物へと吹き飛ばされていく。
「リオウ殿……!」
サタンから視線は外さずに、主人が飛ばされた方向へと声を荒げる。
建物の倒壊する音だけが聞こえて、彼が返事をしたのかどうかは判断がつかなかった。
「おのれ……ただでは済まさぬぞ。
サタン!」
紅い騎士の怒りを感じ取ったのか
サタンは不敵で不気味な笑みを浮かべながら声を上げる。
人の精神を逆撫でするような、生肌を虫が這い回るような不快感がシュラウドを包んでいく。
「いざ参る……!」
しかし、その程度では決して屈しない。
彼はそれ以上の絶望と、抗い難い宿命を背負っているのだ。このような所で斃れる戦士ではない。
腰を落としながら、鉤鎌刀を強く握りしめ、風を掻き消して迫ってくる拳の一撃を受け流すようにして振るった。
鉤鎌刀の刃とサタンの拳が衝突する。
先のリオウのマナによる攻撃が続いたおかげだろうか、ところどころの皮膚は焦げ落ちていて、赤く血は滴っている。
シュラウドはその曝け出された傷跡に全霊を込めて一撃を見舞った。
「御免っ!」
鍛え抜かれた刃が、悪魔の拳へと炸裂する。
マナによって弱点と化したそれを切り刻んでいく。指と指との関節の繋ぎ目を断ち切りながら、特殊な波動を用いて内部から一気に爆発させていく。
手首から5本の指先目掛けて爆ぜ飛んだ右手は、くるくると宙を舞いながら地面に叩きつけられた。
「やはり、リオウ殿には及ばぬか……
しかし、手応えはある!」
左手で右手のあった部分を押さえつけると、サタンは痛みのあまりに絶叫する。
そして、この隙を逃す騎士ではなかった。
シュラウドは不慣れなマナの集約をもう一度行いながら左右へジグザグに駆け抜け、サタンの首筋へ目掛けて鉤鎌刀を勢いよく振り上げる。
しかし、直後に騎士の視界は反転した。
「なにっ!?」
背中全体に衝撃が走り、身体が急降下する。
シュラウドは鉤鎌刀を振るい、それによって発した衝撃波をクッション代わりとして用いる。
それにより落下によるダメージを回避するが、代わりに溜め込んだマナを消費してしまった。
「ふん、不釣り合いな翼よ……」
眉を細めながら、シュラウドは跳躍し、背を蹴り上げて再び前にサタンの前に降り立った
「烈水剣!」
背後から声が響くと、V字に出現した水の刃が大火傷を負ったサタンの身体を貫通していく。
シュラウドにより両断された右手首の内側に酸素を含んだ水が侵入すると、そこはまるで生き物のように不気味に蠢きはじめ、ゆっくりと膨張していった。
「リオウ殿、ご無事でしたか!」
「ああ、おかげでこの一撃を喰らわせることができた。助かったぞ」
リオウは仮面の奥で不敵に笑いながら左腕の手の平を突き出し、握り潰すように拳を握った。
「爆ぜろっ!」
空気を含んだ球体状の水が右腕を爆破させる毎に次なる球体を作り出して連鎖させていく。
もはや右腕は影も形もなく、その水のマナの猛威はサタンの上体にまで迫っていた。
「シュラウド、我が波動をお前に託す!
一撃を下すがいい!」
リオウは自身の吸魔剣をシュラウドの鉤鎌刀にぶつけ、波動を託す。
主人の願いを黙したまま頷き、駆ける。
最後の抵抗と言わんばかりに、サタンは地団駄を踏み、建物を左腕で投げ飛ばしたりと必死な様子を見せていたが、終始冷静なシュラウドからすれば、避けるのは容易だった。
それら全てを潜り抜け、空を蹴り、心臓部に波動を纏った鉤鎌刀を突き刺す。
「悪魔は地獄へと還るのだ!」
その言葉が引き金となり、波動はサタンの中で膨張、刃が振り下ろされると同時に生命活動を停止させた。
恐怖の表情を浮かべたサタンは、残った左腕を空へと突き出しながら絶命し、そして倒れた。
シュラウドはリオウの側へと着地すると腰を折ったまま跪いた。
「よくやってくれたシュラウド。
ソルヴィアを救う形となってしまったのはなんとも言えん思いだが、犠牲者を出さずに済んだのはお前のおかげだ。礼を言うぞ」
「はっ、過分なお言葉。
ありがとうございます」
リオウはビクリとも動かなくなった悪魔の残骸を見据えながら、今回の働きを褒め称える。
主人に仕える騎士として、それ以上嬉しい言葉はない。シュラウドは深く深く頭を下げたまま頷いた。
「ほう、サタンを倒すとは驚きじゃ」
「……呪術師、やはり生きていたか」
サタンのふくよかな腹部の上に、満身創痍の于吉が幻影となって現れた。
リオウは表情を変えぬまま、真っ直ぐに敵となったその存在を見据える。
「じゃがなあジーク殿。
このサタンはあくまでも不完全な召喚で出現させたもの。
完全な場合であれば、あのマナ使い達でさえ苦戦は免れぬじゃろう」
「抜かせ、自らの命欲しさにサタンを不完全のまま呼び出したのは貴様達だろう。
完全だろうと不完全だろうと、敗者の言葉に臆する俺達だと思うのか?」
リオウは凄まじい怒気を孕んだ視線を飛ばす。于吉はたじろぎながら後退し、杖の先を向けて吠えた。
「黙れ小僧!
貴様ら紅蓮の騎士は、やがてイングラム達とぶつかることとなろう!
無様に争いながら世界が闇に染まるのを見届けて、そして死ぬがいいわ!」
空まで届く高笑いを続けながら、于吉は風と共に掻き消えた。
そして、サタンの亡骸も砂の城が崩れるようにして消えていく。
「終わりましたな、リオウ殿。
しかし、于吉の言う言葉もあながち間違いではないかもしれません」
「あぁ、わかっている。イングラム達は我々にとっては強敵だ。
しかし、それも乗り越えねばならない。
我が悲願のために……」
リオウは拳を突き上げて、空を掴みながらそう零すのだった。




