第208話「負の刃」
破壊神セクメトの力が、ベルフェルク・ホワードという戦士から放出された。
「神の力を持たないお前にハンディキャップをやろう。先手は譲ってやる」
「そうか、ではいくぞ……!」
イングラムは槍に力を込めながら、腰を屈めて突貫する。乾燥して粒子状となった赤い砂を蹴り上げながら一気に槍の届く範囲内まで距離を詰める。
「紫電……っ!」
勢いよく右手に持っていた槍を後方に引き下げると同時に、マナを貯めていた左手を突き出す。滅雷の紫狐の力が身体の内部に秘められているおかげか、出力は微弱ながらも強力なものだった。
並のマナ使い相手なら、全力を持ってしてもその紫電を相殺することは不可能。
そしてそれ以上に、その一撃を喰らってしまえば、重傷は確実だ。
そんな一撃を、イングラムは小手調べと言わんばかりにベルフェルクに向けて放った。
「ふんっ……!」
不規則な軌道で迫る紫電を拳で受け止め、そして地面に叩き捨てる。
イングラムの初撃はまるで相手に通用することなく、土に還っていく。
そんなものかと嗤う。
様子見の一撃と判断したのだろう。
ベルフェルクは音もなく地を蹴って騎士の眼前に迫ると、身体を反転させながら右腕に作り出し、伸ばした剣を目視すら許さぬ速度でイングラムの首へと振るった。
「━━ック!」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながらイングラムは辛うじて不可視の刃を躱す。
瞬間、さらりと髪が地面に落ち、左の頬に赤い筋が走った。
じわりと、切られた痛みが滲んだ。
(なんという速さだ……!
これが、神の力だというのか……!
それとも、茶亀の同調がベルフェルクの身体能力を向上させているのか……?)
額からは汗が滲み、乾いた砂漠の上へと落ちていく。
灼熱の業火にも等しい陽の光は、イングラムの体力や集中力を悉く奪っていく。
「やる気があるのか、イングラム!」
怒号に等しい声を上げるベルフェルクは両腕を地面に突き刺すように付ける。
彼の左右から砂漠が盛り上がり、砂塵を巻き上げながら巨大なドリルのような形状へと変化、それがとてつもない速度で迫ってくる。
「チィッ……!」
イングラムは手にしている槍に紫狐のマナを注ぎ込み、薙ぎ払う。
紫の一閃が襲いくる砂のドリルと衝突。轟音と共に爆煙が巻き上がった。
後方へ跳躍しつつ、意識を立ち込めている黒煙へと向ける。
けたたましい音と共に、煙を掻き分けてそれはイングラムへと再度迫ってきた。
「クッ、仕方がない……!」
今度は両腕に紫狐のマナを宿す。
槍投げの要領で音速を越えた投擲を放ち、過剰なまでの火力を用いて砂のドリルを粉砕する。
イングラムはそれを確認すると、ベルフェルクの方へと身体を転換させて距離を詰めていく。
「ふんっ!」
イングラムの右手にはマナで作り上げられた紫色の水晶のように煌めく槍。
それを、射程距離内に飛び込んだ瞬間に突く。ベルフェルクは上体のみを動かしてそのひと突きを躱した。
「爆ぜろ!」
イングラムの言葉に槍が揺らめき、バチバチと電気特有の音を鳴らしながら、ベルフェルクの真横で爆発四散する。
いくら土のマナといえど、至近距離の爆発を完全に防ぐことは出来ないだろう。
そう、高を括っていた。
一撃で与えられる火力、そして敵の肉体に起こす麻痺という状態異常は、他のマナにはない特色がある。しかし、ベルフェルクはその特性をまるで知っているかのように、爆発の範囲、影響を即座に計算してマナによる防御を行っていた。
「次は俺の番だ」
手の空いた騎士の身体を片手で容易く持ち上げる。
左足を一歩だけ後方へ下げると「その手を離して土のマナを宿した右脚で上段回し蹴りをイングラムの上体へ叩き込んだ。
その衝撃は凄まじく、イングラムをルーク達よりも遥か後方へ吹き飛ばしていく。
イングラムはどうにか態勢を整え、臓器に受けたダメージを瞬間回復剤で治療する。
変形していた内部構造はそのおかげで、正常な位置へと戻り通常の機能を再開する。
「あれがベルフェルクの持つ土のマナの力か……!」
口元を赤く濡らす血を腕で拭いながら、呼吸を整えて立ち上がる。
「……っ!」
その背後に、ベルフェルクの気配を感じた。
背筋を凍らせるような冷たい視線が
イングラムの背後からヒシヒシと伝わってくる。
「休憩は終わりだ……!」
背中に巨大な岩石を叩きつけられたような衝撃と、骨が砕けるような鈍い音が脳内で鳴り響く。
「ぐぅっ……!」
これまで鍛え上げられてきた肉体を踏み躙るかのように、痛ぶるのを愉しんでいるかのように、ベルフェルクは攻撃してくる。
イングラムは、これまでの交流で、どうしてかそう感じてしまった。
◇◇◇
(俺の過去は悲惨なものだった)
ベルフェルクの脳裏に、忌まわしい記憶が蘇る。
実の兄弟に無能と罵られ、実の両親に“生まれてこなければよかった”という言葉の呪いを叩きつける。
希少価値とされる土のマナの才能を秘めていたらしい俺は魔帝都に拾われたものの、そこでもマナの才能を妬まれた貴族連中に毒殺されそうになった。
それを救ったのが、今も盲信的に信を置いているレオン・ハイウインドだった。彼は実力、知識共に群を抜いて優秀であったが、どういうわけか魔帝都の人間達に快く思われていなかった。
何故こんなに優しい男がこんなにも残酷な目に合わなければならないのか。
俺には理解出来なかった。
いや、理解したくなかった。無意識に、彼は同じなのだと同情してしまった。実力も知識も到底及ばない、そうだというのに、どうしてかそう思わずにはいられなかった。
「ベルフェルク、大丈夫だ。
必ず助ける」
そうだ。レオン君に命を救われた時からだ。
献身的に支えていこうと思ったのは。
どんな障害がこようとも構わない。
どんな困難が立ちはだかろうとも関係ない。俺の生きる意味が、その時ようやく生まれたんだ。
俺の為ではない、唯一の友の為に。
「ベルフェルクっ!!」
脳裏に浮かんだ友の声が、憎むべき、倒すべき敵の声で掻き消されていく。
馴れ馴れしく名を呼ぶこの騎士が目の前に立って睨みつけている。
この男に何が出来る?自分を命を救った国すら守れず、今も斃れそうな程の深い傷を負っているというのになぜ俺を見据えている?
「俺は、お前を信じているっ!」
「ふっ━━━━」
言っている言葉の意味がわからず、思わず笑ってしまう。
なにが信じるだ、あの時のお前は
俺を探そうとも、助けようともしなかったくせに。
実に、くだらない──
「俺はお前達を信じるつもりはない。
俺が信じるのは、俺の命を救ってくれたレオン君だけだっ!」
全身に怒りが巡る。
それに呼応するかのように、破壊神セクメトの力が内側から増幅していくのがわかった。
「お前を、お前達を──破壊する!」
ドス黒い憤怒の渦が渦を巻く。
それは龍にも見えるし、歪な悪魔のようにも見える。
ベルフェルクの中にある憎悪が、明確な殺意に変わったのは言うまでもなかった。
「ここでお前に殺されようとも俺は文句は言わん。だが、これだけは言わせろ」
「そんなもの、聞く必要はないっ!」
神の力を纏った戦士が慌てたようにその渦を差し向ける。
怒りや憎しみといった、同期や身内に対する感情が牙となってイングラムへと喰らい付いていく。
それでも、彼は苦悶を浮かべながらも言葉を紡ごうとしていた。
「聞け、ベルフェルク━━━━」
「なにも言うなぁっ!!!」
窮地に陥っているのは奴、イングラムだけのはずだ。
それなのに、不気味なほどの焦燥感がベルフェルクを包み込んでいる。
無意識に理解してしまっているのだろう。
彼が、イングラムがこれから発しようとしている言葉を。
それを聞いてしまったら、ベルフェルクは自分の中にあるものを粉々に打ち砕かれてしまうという予感があった。
「滅びの太陽よ、イングラムの全てを燃やせ!」
日食を思わせる輝きは、イングラムの四肢を業火で焼いていく。
人間には耐え切ることの出来ない灼熱。
魂すらも燃やし尽くし、ベルフェルクは己の望みを今一つ果たすのだ。
「ぉ、おおおおおおおおおおおお!!!」
「な、なにっ──!?」
だが、イングラムは倒れない。
鎧は熱によって赤くなり、もはや身を守ることも出来ないというのに、イングラムは一歩一歩確実に、ベルフェルクに向かって足を踏み締めていた。
「馬鹿な!何故だ!?何故死なない!?
その炎は人間が耐え切れるものじゃない!
それなのに何故っ!!」
破壊神セクメトの力は確かに強大だ。
しかし、ベルフェルクはまだこの力を完璧には使いこなせていないのだ。
一時期の感情に呑まれた戦士は、その本来の力を充分に発揮し切れていない。
「来るな……!やめろ、来るんじゃない!」
イングラムはベルフェルクの前に立ち、肩に手を添えた。
「ベルフェルク……すまなかった……
あの時、お前を助けてやれなくて」
イングラムから紡がれた言葉は、蔑むものでもなければ、罵るものでもない。
たった一言の謝罪の言葉だった。
「許してくれとは言わない。
だが、言えてよかった。
それが、心残り、だったん──だ」
たった一人の騎士の後悔は負の感情を遥かに凌いだ。イングラムは穏やかに微笑みながら、事切れたかのように膝を折り、その場に斃れこんだ。
「━━━━」
ベルフェルクを包み込んでいたセクメトの神気が空へ飛んでいく。
巻き上がっていた砂塵は止み、空を覆っていた砂も消えていった。
ベルフェルクは鼻で笑いながらイングラムに背を向けて歩き出す。
充分に感情をぶつけた。人のみの力では決して越えられない力で叩きのめした。
もう騎士は声を出すこともできないだろう。
肉体的にも精神的にも、徹底的に潰したのだから。
「“すまなかった”……だと」
望んでいなかったわけじゃない。
ただ、それを聞くべき時があまりにも遅過ぎたのだ。
「──お前ではレオン君の足枷になる。
そこで土に還れ」
“面白いジョークだな”
聞こえてはならない声が聞こえた。
天地を震わせ、魂を揺さぶり、恐怖を煽る絶対的支配者の声が。
”ククク……お前が私を目覚めさせてくれたのか、礼を言う”
それは、背後から聞こえてきた。
ベルフェルクの意思とは無関係に身体が勝手に振り返る。
「貴様、イングラムの中の神か!」
黒い波動を滲み出すように放出しながら、マリオネットのように不規則な動きで“それ”はむくりと立ち上がる。
全身は確かに業火に灼かれた。
しかしその肉体は、まるで何事もなかったかのよう平然としている。
“久しぶりの地球の空気だ……。
あそこ〈ルルイエ〉に比べると随分澄んでいるな”
腰元まで伸びる白と銀の長髪。
全身を覆う黒い衣服と、禍々しい波動は神の力を持つベルフェルクをも後退りさせる。
“おっと、すまないな。
自己紹介が遅れた……私はヨグ・ソトース……。外なる神の一柱だ”




