第204話「彼にとっての光」
イングラムとアデルバートは、助けに来なかった。ベルフェルクは奴隷のように、キャンプに拘留され両手足を貴金属の拘束具で縛り上げられ、その上目隠しと猿轡をされ、そのまま地べたに這いつくばる形にされてしまう。
「さぁて、お前のその生意気な性格を貴族であるこの俺が正してやらないとな」
「お、流石フィレンツェ!
優しいねえ!」
この男の性格からして、優しく問いかけるようなことは絶対しないだろう。
ベルフェルクはこれまでの噂からそう判断した。
(クソッ、油断していた……!なんで俺ばかりこんな目に遭わなきゃならないんだ!どうしてあいつらは助けに来ないんだ!)
ベルフェルクは自身の不運さを呪う。
しかもこの連中はレオンを最も嫌っている連中として名高い面々だった。
秘密裏に会って交流していたことがどこからか漏れてしまったのだろうか。
そうでなければ個人の現在位置を把握出来ているはずがない。このボンボンがあらゆる方面で金をちらつかせて情報収集していたのだろう。
「なぁおい、なんでお前レオンに肩入れしてるんだぁ?あぁん?」
ベルフェルクは首を振り、ガルスの言葉を否定する。交流をしていたのであって、肩入れではない。
自分よりも、お前達の方が多く交流しているではないかと反論したかったが、口が塞がれているためにそれは不可能だった。
「なんだっていいじゃないか、とりあえずこいつはわからせる必要がある。
俺の成績を越え、おまけに秘密裏にレオンと会っていたとなれば、後々面倒なことになる」
(こいつら……どうしてそこまでレオンを!?)
ベルフェルクの唯一塞がれていない機能の聴覚が鋭い刃物が空を斬る音を捉える。
不敵に笑う連中、そして、頬に冷たい刃の側面が当たる感覚が襲う。
「さぁて、その小綺麗でなぁんの苦労もしてなさそうな顔を痛ぶらせてもらおうかなぁ!」
アンが思い出したように指を立てた。
「あぁ、待ちなって。
これあたいらの学年から持ち込んできた猛毒なんだけどさ、これ、使ってみない?」
振り上げられる音を止める言葉は救いのものではなかった。
やめろと身体で伝えても、くつくつと嘲笑うだけで、その液体を身体へ流していく。
想像することすら苦痛になるほどの激痛がベルフェルクの外側、内側から襲ってきた。
(がっ……ぁっ!
なんなんだよ、こいつらっ!!
なんでこんなっ!)
呼吸をすれば不愉快な酸っぱい匂いが鼻腔の機能を破壊し、心臓の鼓動は何倍も早く、大きく脈打ちながら、絶叫すらままならない。
痙攣が身体の自由を奪っていく。
足腰の感覚が失われ、それが徐々に昇ってくるような恐怖に、ベルフェルクは震えた。
下半身が濡れているかどうかすら、今はもうわからない。
「おい、汚いぞベルフェルク。
俺の前で汚物を漏らすとはいい度胸だな」
ガルスに鳩尾を蹴り上げられる。
胃の中に溜まっていた胃液がその衝撃で吐き出され、キャンプ内で酸性のような匂いが充満する。
(こんな、ところで……!)
4人の取り巻きたちは刃物でベルフェルクを斬りつけていく。
金属と流された液体が化学反応を起こし硫酸のような腐臭を撒き散らしながらベルフェルクを灼いていく
「がぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
「うわっ、うるっさ」
「はいはい、黙んなよっとぉっ!」
ガルスとガイが左右から蹴り上げて激痛に重なるように単調な痛みが襲いかかってくる。
メアリーはそれを見て、目を細めながら出ていった。
自分が一体なにをしたのだろう?
不快に思われるようなことをした覚えはないのに、レオンと関わったというだけでここまでされるのは明らかに異常だ。
ただ会うなと脅すだけなら、刃物で切りつけたりもしないし、毒など用いることもしない。それに、明らかに傷跡の残るやり方で痛ぶっている。
ベルフェルクは少し思考しただけで、その答えに辿り着いてしまった。
(こいつら、もしかしてこの攻撃すら……彼の仕業にしようとしているのか)
どうしてそこまで彼を恨むのだろう。
こいつらが一方的に敵視しているだけなのではないか。
それにしたって、これはやりすぎだ。明らかに度を越しているじゃないか。
「やめ……ろっ」
降りかかる痛みを振り払いながら絞り出すようにして声を上げる。
そんなことをしてもお前達の気は晴れない。
無意味なことだと、そう、言葉にしたのに
「まだ言葉にするだけの気力が残ってるらしい。死なない程度に薄めましたね、先輩」
「存外しぶといな、頭だけでなく、身体も鍛えていたか……?」
フィレンツェは目を細めながら呟いた。
こいつらは微塵も“自分達が悪い”とは思っていない。
レオンという名の捌け口があるから、自分達は正当化されていると、盲信しているのだ。
そして、大人達もこのバカな証言を信じて、ベルフェルクを可哀想な子として認定し二度とレオンに近づけさせないようにするだろう。
レオンと関わらなければまだマシだったのだろうか、いや違う。
こいつらから目の敵にされなければよかっただけの話だった。
彼のせいにするということは、こいつらと同じ土台に立ってしまうということだ。
それだけは、絶対にしたくない。
ここで簡単にくたばってやるものかと、ベルフェルクは強く決意する。
そして、その想いが届いたのだろうかぴしゃりと、キャンプの入り口が開かれる
音が聞こえた。
「おい、なんだよ、今楽しいところ━━!?」
ガルスとガイが苦しそうな声を上げて、どこかへ
放り出される。
アンとメアリーは汚らしい声を上げ、それ以上なにも喋らなかった。
そして━━━
「れ、レオンっ!?
お前どうしてここがわかった!?」
それだけ言って、フィレンツェはなにも喋らなかった。苦しそうなうめき声を上げながらドスっ、と鈍い音が響く。
「……待たせたな、ベルフェルク」
レオンは謝罪を述べながら、身体中に取り付けられていた拘束具を外してくれた。
そして、安心させるかのように、彼はベルフェルクの視界に移るように動いた。
「レ……オンくん」
「今は喋るな、俺の個人キャンプへ
連れて行く。
そこで解毒しよう、手遅れになる前に」
◇◇◇
陣営から遥か遠く離れた山脈のキャンプの中で、ベルフェルクは横たわり、意識のある彼は処置を施されて急死に一生を得た。
「ごめんな……まさかこんなことになるなんて」
聖水を染み込ませた包帯を患部に押し当てる。しかし、今の謝罪はそれに対してではないことはベルフェルクもわかっていた。
「すぐに駆けつけてやれなかった
本当に、ごめん」
「そんなこと、ない……
君は俺を助けてくれたじゃないか」
「俺と関わりさえしなければ
君が標的にされることはなかった」
レオンはベルフェルクに頭を下げた。
すぐに救い出せなかったことを悔やんでか、全身が小刻みに震えている。
「僕が、君と話したかったんだ……
だから気にしないでよ」
「ありがとうベルフェルク……そう言ってもらえると救われるよ」
レオンの優しく温かい手が、ベルフェルクの頭を撫でる。
彼の身体が仄かに白く光り、身体中の負担が少し和らいだような気がした。
「俺はもう時期魔帝都を脱退する」
「そんな、どうしてっ!?」
「俺がここにいては君が危険な目に遭うのは明白だ。それに、調べたいことは大方終わったからタイミング的にも良い」
レオンは儚げな表情を浮かべた後
身を乗り出してベルフェルクに琥珀色の球を差し出した。
それは、緩やかに彼の中に吸収されていく。
「なにも言わず受け取ってほしい。
謝罪も兼ねて俺の話し相手になってくれた君へのプレゼントだ」
「これは、土の匂い……?」
「大地の概念を持つ茶亀の力を物質化させたものだ。激痛は散々味わっただろうから……身体に負担がかからないよう調整した。
時間をかけてゆっくり馴染ませて行くといい」
“はじめまして、ベルフェルク。
紹介に与った茶亀じゃ!”
ベルフェルクの頭の中で、しがれた老人の声が響く。
「うわぁっ!?頭の中で声が!?」
“これ、声を出すものではないぞ!
周りに聞かれたらどうするっ!”
優しそうな自己紹介から一変、悪さをした若者を諭す厳格な老人に変わった。
自分のことをどうやら外に知られたくはないらしい。
「無理もないだろう茶亀、こんな状態では……」
そんな2人だけの会話の中にレオンが入る。
茶亀は穏やかに諭されると、ふうと溜息を吐いた。
「どうやって会話しているのか、という顔だな?
それは、俺もマナ使いだからさ。
君より事情が大分特殊だがね」
くすりと笑うレオン。
確か、イングラムの渾身で最強の一撃をまるで蝿を叩き落とす要領で弾いたのは記憶に新しい。素人でもわかる。
あれは、マナ同士でなければ相殺は不可能だった。
「ふふ、そっかぁ……」
ベルフェルクはくすりと笑いながら
レオンの方へ笑顔を向ける。
それを、穏やかに笑みで返すレオン。
不意に、ベルフェルクの視界が滲んで涙が溢れてきた。
「あれ、なんで泣いてるんだろ……
まだ生きてるのになぁ」
「改めて謝罪させてくれ……怖い思いをさせた、君の心の傷を少しでも癒せるなら、可能な限り協力する」
ベルフェルクはレオンのその申し出にピクリと耳を反応させると、片方の口角を上げた。
「それじゃあ━━━」
◇◇◇
遠征が終わり、全部隊が帰還したのちフィレンツェは申し訳なさそうに上層部へと報告した。
「レオンのやつがベルフェルクを毒殺しようとしているのを見かけ、止めようと入った矢先に我々5人とも気絶させられてしまいました。申し訳ありません。
友人を助けられませんでした」
内心ほくそ笑みながら、全てをレオンになすりつけるフィレンツェ。
他の4人もぼろぼろの肉体と擦り切れた衣服を晒しながら頭を下げる。
「むぅぅっ!レオンめっ!やはりあの男は他人を蹴落とす性格のようだな!
自分さえ良ければ他人はどうでも良いのか!
そのような外道、半年の謹慎とする!」
「はっ!」
その後、ベルフェルクは魔帝都を離れ、長期休養という名の修業の旅に出た。2年の歳月をかけて国を渡り歩き、人脈を広げながら土のマナの力を身体に順応させていった。
そして2年後──
その間、魔帝都では青蟹騒動が勃発。イングラムら同期はその対処に追われ、ベルフェルクを見舞う余裕はなかった。上層部はレオンの仕業と決めつけ、執拗にアサシンを送り込んだが、全てベルフェルクが返り討ちにしている。
「療養している間も、結局はレオンくんしか会いに来てくれなかった。
ルーク達は俺に対して友情の片鱗すら持ち合わせていないらしい。
やはり、俺の友はレオンくんただひとりか」
拳を強く握り締める。
家族も大人も、誰一人信用できなかったベルフェルクに、唯一心を開ける相手ができた。
「今のあいつらでは、俺には勝てんな」
度重なる修業と、茶亀による実践形式の特訓により、口調も一人称も、強者のものへと変わっていった。
「……彼の力となるべく、更に力をつけなければ。そして事が終わればイングラム達を始末する」
彼の胸の内に宿る憎悪と決意が、成長を促していく。いずれ報復を遂げるその時まで、力と素性を隠して生きていくと、彼は決めたのである。
◇◇◇
「と、そういう事があったらしい」
アデルバートはクレイラから教えてもらった記憶を元に、隔たりの事情を説明してくれた。
「なるほど、な……あの時、そんな事が起こっていたとはな。
ベルフェルクには申し訳ない事をした」
イングラムは荒れていた自身を情けなく思いながらも、過去を思い返しながら謝罪を述べる。
「ルークとルシウスも、計らずとはいえ……あいつと交流できずにいたらしい。
理由はわからんが、それが俺達に対する不信感や疑惑を植えたんだろうよ」
アデルバートは自嘲気味に笑い、そう答えた。
「いずれは、和解したいものだな」
「ああ……必ず」
イングラムとアデルバートは小さく頷き合いながら、隔たりを未だ解かないもう1人の友へ想いを強く抱くのだった。




