第185話「阻むモノ」
「ふん、ようやく煩わしい格好とおさらばか。清々するな」
地導船プリンツ・オイゲンに乗り込んだルーデリアは、アデルバート・マクレインに戻った。
身体を締め付けていた服から解放され、肌が息を吹き返すような感覚。彼はやれやれと悪態を吐きながら、操縦機器に視線を落とした。
「アデル様、お疲れ様でした。ルーク様は既に待機されております」
青き戦士の相棒、医療のエキスパートであるセリアが礼儀正しく一礼する。その声は柔らかく、静かな安堵を帯びていた。
「あぁ、ありがとうセリア。いずれ、お前の記憶のことに関しても俺は力を向けるつもりだ、だが今は———」
「はい、理解しております。レオン様をお救いになるのですね。私の医療技術も、微力ではありますがアデル様のお側に置いていただければと」
セリアの瞳が、静かな決意を湛えている。
「ああ、頼りにしているぞ、セリア」
アデルバートは穏やかに微笑みながら、セリアの美しい表情を見つめた。その横顔には、揺るぎない信頼が宿っている。
「よし、出発だ。まずはルークをファクシーの入り口まで連れていくぞ」
セリアは小さく一礼しながら、主人の指示を承諾する。
プリンツ・オイゲンは彼の操縦の元、ゆっくりと浮かび上がった。エンジンの低い唸り音が船体を震わせ、機体が静かに旋回していく。風が船体を撫で、軍事国家ソルヴィアの景色が徐々に遠ざかっていった。
しばらくして——
「アデル、少しいいかい?あ、セリア様ご機嫌麗しうございます。本日も一段とお美しくあられますね?今度デートでもいかが———」
同期のルークが現れた瞬間、視線も身体の向きも、全てがセリアへと向けられる。騎士道めいた凛々しいナンパ術が、早口で繰り出され始めた。
「おいテメェ、俺に用があって来たんだろう?あぁ!?」
アデルバートの手が、ルークの柔らかな耳をつねり上げる。ぐいっと引っ張られ、痛みが走った。
マスク越しからでも、仄かな怒りが感じられる。
「いでででっ!あぁ、そうだ、だから離してお願いっ!」
伸ばしに伸ばした耳を、鼻で笑いながら離す。解放された瞬間、遅れてやってくる鋭い痛みに、ルークの顔が歪んだ。
それを誤魔化すように、うさぎみたいにぴょんぴょん跳ね回る。
「あっ、くぅ……!ところでどうして先にファクシーに向かってくれるんだい?魔の海域の方がここから近いのに」
ソルヴィアから魔の海域までは西へ150キロ。だが、ファクシーは——スクルドがソラリスへ帰還した為、その森自体は存在しているものの、神秘性が殆ど失われてしまった。
それ故に森自身が、堅牢な城の如き結界を張った。中へ入る事も、容易ではなくなってしまったのだ。
アデルバートは、ソルヴィアが移動要塞である事も視野に入れていた。次の移動先は魔の海域付近を移動する予定だと、クレイラから伝え聞いていた。
故にこそ、彼は難攻不落な森の城と化したファクシーへ、先に赴く事にしたのである。
「ファクシーが森の城みたいになったのは、お前もクレイラから通達が来ていたはずだ。それを踏まえた上で先に行く」
アデルバートの声は、冷静だった。
「クレイラの情報は間違いがないからね。まあ彼女の情報自体、聞くのが初めてだけどさ」
ルークが肩をすくめる。
「ふん、いい加減な奴だ」
「もう、アデルは気を張り過ぎなんだよ。だから怖いだの犯罪者っぽいだの、昔から言われてるんだよ!」
ルークの声が、軽やかに弾む。
「突き落とすぞテメェ」
低く、恐ろしいことを口にするアデルバート。その声に、ルークが怯えたフリをしてみせる。
セリアの小さな笑い声が、柔らかく響いた。
「2人はとても仲がよろしいのですね。とても羨ましいです」
その声には、温かさが滲んでいる。
「そう見えるのか?」
「俺は貴女とも仲をよろしくしたぁぁっ!?」
ハンサム顔を浮かべ、またもや口説こうとするルークの尻へ——
ドスッ。
アデルバートの蹴りが、割と強めに入った。
「なにをするだぁぁぁっ!!!」
「お前にセリアはやらんっ!」
「そんなぁ、お義父さ……ん?ということは君ぃ、惚れてるな?」
涙目からのにやけ顔のルークに、もう一度蹴りの一撃をぶち込む——その痛みは、割とくる。
しかし、そんな微笑ましいやりとりは——突如として終わりを告げた。
「おわぁっ!?」
「きゃっ!」
ガクンッ——!
地導船プリンツ・オイゲンが突然、大きく揺れた。船内全体が赤く明滅し始め、警報音が耳をつんざく。
アデルバートは咄嗟にセリアを抱き止めた。柔らかい身体が腕の中に収まり、心臓の鼓動が伝わってくる。
「自動運転モードへ移行する!」
アデルバートは範囲1000メートル以内を、モニターで映し出す。画面に映る映像を、鋭い目で凝視した。
しかし——震源となりそうな存在は、なかった。
(自動バリアをぶっ壊した……?いや違う、探知すらされなかったのか!なら内部に潜り込まれてる可能性が高いな)
「アデル!」
「わかってる!ぶちのめしにいくぞ!セリアは避難用エリアに!」
「はい、お2人とも、ご武運を!」
セリアの声が、祈るように響いた。
2人は頷きながら、揺れた方向へ向けて走り出す。靴音が床を叩き、息が荒くなっていく。
◇◇◇
2人が大甲板に出た矢先——
巨大な影が、プリンツ・オイゲンにぶつかるのが見えた。
ドンッ——!
衝撃が全身を揺さぶる。だが、その正体は——2人の目にも捉えることができなかった。
「うぉっ!?またぶつかってきた!!」
ルークの声が、風に掻き消されそうになる。
「振り落とされんなよルーク!姿は見えないが影は見える!感覚で対処しろ!」
「無茶言ってくれるね!」
ルークもアデルバートも、各々の獲物を取り出して迎撃体制に移る。
耳に聞こえてくるのは——巨大な翼が羽ばたく音と、甲高い鳥のような鳴き声。
バサッ、バサッ——。
空気が切り裂かれ、風圧が頬を叩く。コイツが、プリンツ・オイゲンに体当たりした犯人だろう。
「くそ、ちょこまか動きやがる!」
アデルバートは、影が現れるのを風を避け続けながら待つ。冷たい風が肌を刺し、髪が激しく揺れた。
甲板のどこかで影がちらつけば、マナを鎖のように生成して拘束することが出来る。だが、相手もそれを理解しているのだろう——なかなか距離を縮めてこない。
「感覚強化っ!」
ルークが叫ぶ。
すると、彼の双眸は深緑に煌めいた。剣を構え、逆風の影響を自身の風マナで相殺しながら突貫する。
「そぉらぁっ!」
脳が受け取った敵の輪郭を頼りに、ルークは勢いよく甲板から跳躍した——
そして、姿の見えない敵に飛び乗った。
側から見れば、宙に浮いているような感じだ。彼は手当たり次第に剣を振るう。
キィンッ——!
金属音が響くばかりで、有効打にはなっていない。硬い。
「よし、よくやった!そのままそいつの場所にいろ!」
アデルバートはほくそ笑みながら、双刀に水のマナを注ぎ込む。それを鎖状へと変化させ、柄部分を逆手持ちから順手持ちに切り替える。
そして——勢いよく振るった。
鎖が空を切り、片方が身体の一部に巻き付いた。手応えがある。
「このじゃじゃ馬が、大人しくしろっ!」
翼の音と鎖の音が交互に響く。ルークの身体が、大きく傾いているのがわかった。
「ふんっ!」
もう片方の鎖を、感覚で放つ。
両翼の機能を抑え込めば、多少はマシになるだろうと踏んだのだ。
キィィィィィ——ッ!
鳥の雄叫びと共に、もう片方の翼が巻き付いていく。空気が震え、鼓膜が痛む。
「ルークっ!今のうちに身体の柔らかい部分を抉ってやれ!」
「んなこと言ったって、こいつが暴れ回るから上手くいかないんだよっ!」
ルークの叫び声が、必死だ。
「俺もコイツを抑え込むだけで手一杯だ!どうにかして攻撃を———っ!?」
アデルバートは、驚愕した。
この鳥らしきモノの口から——紫色の光が集まっているのが見えたのだ。空気が歪み、熱気が伝わってくる。
この一撃を受けてしまえば、大破どころでは済まなくなる。
「クソっ!」
アデルバートは両手に持っていた鎖を消失させ、水のマナを短期集中で練り込む——巨大な盾を張った。
「うおぉっ!?」
見えない敵を抑え込んでいた鎖がなくなり、相手は縦横無尽に飛び回るようになった。
ルークは引き剥がされまいと、必死にしがみついている。指に力を込め、歯を食いしばった。
そして——そいつから紫色の光は、光線となって吐き出された。
ゴォォォォォォ——ッ!
「ちいっ!」
飛び回りながらの一点集中。そして最悪なことに——盾の最も脆いところを、野生の勘で当てられてしまった。
全身が思わず力み、ゆっくりと身体が後退していく。足が床を擦り、靴底が熱を持つ。
盾を破らんとする熱気が、展開している両腕から全身に——ヒリヒリと伝っていく。肌が焼けるような痛み。汗が滲み、呼吸が荒くなった。
このままでは、甲板ごと貫き操縦席を破壊されてしまいかねない。打開策を——練らねばならなかった。
「うおおお!大人しくしろこの鳥ぉ!」
ルークは手も足も出ないといったところ。アデルバートも防御に手一杯で、攻めの手に欠けてしまっている。
どうしたものかと思案していると——
プリンツ・オイゲンから、銃声が聞こえた。声が轟き、吐き出された光線が中断された。
まさか——とアデルバートが思った矢先、その本人から連絡が来た。
〈アデル様っ!〉
「セリア、お前避難しろと言ったろ!」
〈ここが堕とされれば、避難もなにもありません!援護いたします!〉
今回はなにやら、強気な姿勢を示すセリア。その声には、決意が宿っていた。
確かに彼女にも一通りの操作は教えたが、まさかこんなところで役に立つとは——当人も思いもしなかっただろう。
「ふっ、言うじゃねえか!ルークに当てたら承知しねえぞ!」
〈心得ております!〉
守るばかりだった彼女が、今回は加勢してくれる。内心、成長を喜ばしく思いながら——アデルバートは再び双刃を手に顕現させ、それを鎖に変化させた。
「セリア、時間稼ぎを頼む!危なかったら旋回しろ!」
〈かしこまりました!〉
不敵に笑えば、アデルバートは同時に鎖に変化させた双刃を、投げるように巻き付ける。
今度はルークが乗っている、首らしき場所を二重に締め付けた。
相手は苦しそうな声を出し、鎖から逃れようともがいている。
「ビンゴ!」
彼は両足裏に水のマナを纏い、鎖を片手で持つ。もう片方の手で、地面に水色の魔法陣を敷いた。
瞳を閉じて——決定打となりうる一撃を、放つ準備を始める。
マナが身体の中を巡り、力が集まっていくのを感じる。鼓動が速くなり、呼吸が深くなった。
中にいるセリアは、プリンツ・オイゲンの装甲を無数に展開させ——
バルカン砲を放つ。銃声が連続して響き、空気が震えた。
「セリアさんが頑張ってるんだ!俺だって、やりますぞぉぉぉぉ!!」
ルークはしがみつくのをやめて、風のマナを両足裏に纏わせる。剣を携えながら、頭部があるであろう箇所に向かって——飛んだ。
「うぉぉぉぉらぉぁぁぁ!!!!」
深々と突き刺さる剣。どうやら頭部は、柔らかかったらしい。
ルークは噴き出る血飛沫を風のマナで防ぎながらも、刺し込む手を緩めずに——ダメージを持続的に与えていく。
温かい血の感触が、手に伝わってくる。
プリンツ・オイゲンの無数のバルカン砲が火を噴き、数千発の弾丸が見えない敵に撃ち込まれていく。硝煙の匂いが、風に乗って漂ってきた。
「我が身体に秘められし大いなる水の力よ、かの眼前に現れぬ巨大な存在を穿つ一撃と化せ!」
アデルバートと魔法陣から、水が渦を巻くように出現した。身体の中に宿るマナを全身に行き渡らせて——彼は魔法陣から、両腕に余るほどの巨大な槍を顕現させた。
水の冷たい感触が、手のひらに伝わる。
「穿ち果てて溺死しろっ!水撃槍っ!」
感覚強化で右腕の筋力を限界まで増加させながら、アデルバートはその槍を——音速と共に投擲した。
それは風を切り、空を割いて——弱々しく飛んでいる怪物の頭部に、直撃した。
「よっ、と……!」
ルークは寸前に風の探知で、アデルバートの隣に避難する。身体が宙を舞い、着地の衝撃が足に響いた。
「溺れて堕ちろっ!」
巨大な水の槍は、身体の中間地点まで突き刺さる——そしてアデルバートは、それをただの水のマナへと変化させて、急速に膨張させて——
爆発させた。
その肉体は、水飛沫と血飛沫を撒き散らしながら空中へ四散した。重力に従って、ゆっくりと落下していく。
生温かい血の雨が、頬に降りかかった。
「結局、奴の姿を直視することは出来なかったな」
アデルバートが、静かに呟く。
「まあいいではないですかお義父さん!こうして勝てたのですし!セーリアさーん!俺、勝ちましたぞー!」
ルークの声が、嬉しそうに響く。
「おい待てこら」
ルークはルンルンとスキップしながら、甲板を後にする。軽やかな足音が遠ざかっていく。
どうせまた口説きに行くんだろうと——アデルバートは悪態を吐きながらも、その後ろ姿を追うのだった。




