第167話 「炎の概念!紅蓮に吠える鬣」
"遅いっ!!!!"
山から降りて、また登ってきた矢先。獅子の遣いの第一声がこれだった。
ルシウスは困ったように眉を下げ、ルークは頬を膨らませてぷんぷんと腕を振る。クレイラに至っては、にこやかな笑顔のまま氷の剣の切っ先を遣いの喉元に向け始める始末。
"やめろ、私は殺せない。女、お前もよく理解しているはずだ"
諭すような声音だが、微かに震えている。
「それにしても、よくルシウスが火のマナ使いだってわかりましたね?」
ルークが剣から手を離して問う。
"主人を侮ってもらっては困る。あのお方は全ての炎を司るお方。赤きマナの一部を持つ者なら、何者であれ探知できるのだ"
「ふむふむ。ということは、風や雷、水や土なんかも概念が存在しているってことか。いつか俺にも風の概念が来るといいんだけど」
"ふっ、それは不可能だ。紅獅子様と風の奴は犬猿の仲故な。紅獅子様でも居場所は知らぬ。知っていても言わぬと思うがな"
ルークの表情が見る見る沈んでいく。
「それじゃあ、せめて概念達の名前だけでも。いずれどこかで会えそうな気もするんです」
"ふむ、よかろう。移動しながら説明してやる。ついて来い"
三人は顔を見合わせ、踵を返す遣いの後を追う。足音だけが山道に響く。
"まずは【炎】を生み出した獄炎の紅獅子様。深き海の底に潜む【水】の撃水の蒼龍。神聖な森に座す【風】の斬風の碧虎。天空の果てから雷を降らす【雷】の滅雷の紫狐。大地の中心で眠る【土】の重土の茶亀。これらを合わせ、自然の概念と呼ぶ"
一息に語り終え、遣いはため息をつく。そんな中、ルークが首を傾げた。
「光と闇には概念はいるんですか?」
遣いが足を止める。空気が重くなる。
"……あの方々は宇宙誕生の時から存在する概念だ。彼ら無くして、全ての星は存在しない"
地球の概念と宇宙の概念。その間には、決して埋まらない実力差があるのだと。
(レオンの力は計り知れない。宇宙規模の光と闇の概念を持って生まれたなら、俺達が勝てないのも理解できる。しかし、その代償は——)
ルシウスは内心で思考を巡らせる。神殺しの一族が背負う宿命の重さを。
「宇宙の光が地球の概念を増幅させる」
クレイラが呟く。
「逆に言えば、闇は概念の力を瓦解させかねない」
ルシウスが付け加える。
"それは貴様の想像だ。闇が悪影響を与えるかは、使い手次第。安易に結論付けるな"
話し終えると同時に、山頂に到着した。巨大な洞窟から赤いオーラが揺らめいている。まるでルシウスを誘うように。
「クトゥグアとは違う熱気を感じる。でも、神の炎を経験した今、身を引くわけにはいかない」
「頑張って!俺達はここで待つ!」
ルークと拳を突き合わせる。互いに笑みを交わす。
「あぁ、行ってくる」
"ゆくぞ、ついてこい"
赤く煌めく洞窟へ足を踏み入れる。奥へ進むと、眩い光に包まれ——
◇◇◇
目を開けると、そこは地獄だった。
「これは……まるで星の終末のようだ」
火山の内部。いや、それ以上。エベレストの倍はあろう巨大な山脈が噴火し、溶岩を隕石のように降らせている。恐竜時代の終わりを再現したような光景。
"古代生物の大量絶滅は、宇宙から飛来した隕石が引き金となった。隕石に潜んでいた邪な存在を排除せんとしたが故に"
「———っ!?」
雄々しく厳格な声が頭に響く。山々が応えるように火を吹く。
そして現れた。
二メートル以上の全長。漆黒に煌く鋼の体躯。真紅の炎のような鬣。黄金の双眸。
「貴方が、獄炎の紅獅子──」
"さよう。お前が私の知る最後の使い手か。ルシウス・オリヴェイラ"
圧倒的な存在感。同じ高さにいるはずなのに、見上げずにはいられない。魂ごと燃やされる恐怖。
「当時の惨劇に邪神が関わっていたと?」
"宇宙からの色と呼ばれる邪神。実体を持たぬ光と色の存在。地球はそれを阻止するため、天災を起こし、恐竜達を滅ぼした"
「命を犠牲に!?」
"青い星を護るためには、他になかった。小さくとも、邪神は星を覆い尽くす外なる闇。放置すれば、この星は奴らの住処になっていた"
地球の概念が結集し、邪神を撃退。しかしその疲労は想像を絶し、数千年単位で天変地異が起きる不安定な状態に。
"安定し始めたのは、人類誕生と同時期。お前達は知恵を武器に文明を築き、そして——神と悪魔を生み出した"
「神と、悪魔を……?」
"スサノオ、ヴィシュヌ、オーディン、ゼウス——お前達は我々を、都合よく神と悪魔として祀った"
恵みの雨は神の情け。破壊の雷は悪魔の悪戯。自然はただ、呼吸するように存在しているだけなのに。
"神話など所詮おとぎ話。旧日本神話も、クトゥルフ神話も、人間が作り上げた誇張に過ぎん"
「しかし、大厄災は?」
"西暦末の最後の戦争か。時を見据える女神の言を、お前は嘘だと思うのか?"
「いえ……」
紅獅子が背を向ける。
"今の問いで理解した。お前には覚悟が足りない。兄を救うため、友を断つことを躊躇っている"
黄金の瞳に射抜かれる感覚。ルシウスは否定するように首を振り、赤い弓を取り出す。炎の矢を番える。
「違う……俺はもう迷ってない!俺の覚悟は、ここで決まったも同然だ!」
矢の炎が山々に負けじと燃え上がる。
「例え修羅の道に堕ちようと!友に卑下されようと構わない!俺は兄さんを救う!その為に、まずは貴方を倒す!」
"よかろう。その覚悟に見合う実力、私に見せるがいい!来い、ルシウス・オリヴェイラ!"
一人の戦士と紅蓮の獅子が、凄まじい熱気と共に激突した。炎が炎を呑み込み、世界が赤く染まっていく。