第166話 「炎の遣い」
「ルーク、手伝いは必要?」
優雅に着地したルークが首を横に振る。頬の傷から薄く血が滲んでいる。
「君はその子達を守ってあげてくれ。このデカブツには、きちんと物理で説明する」
「ふふ、オッケー。それなら剣士様のお手並みを拝見させてもらおうかな」
クレイラは鎌鼬を優しく抱き上げる。小動物たちの震えが手に伝わってきた。安全な場所まで跳躍し、そっと地面に下ろすと、細い毛並みを撫でながらルークの戦いを見守る。
「よぉし、向こうの世界で鍛えてもらった俺の剣技、お見せしようかぁっ!」
体長5メートルの巨体。赤いオーラが炎のように揺らめき、パチパチと音を立てる。周囲の空気が歪むほどの熱気。鎌鼬が飢えていたのは、この怪物のせいだろう。
「いくぞ!」
ルークは剣を鞘に戻し、腰を落とす。柄に添えた手が微かに震える——興奮からか。ジグザグに高速移動し、残像を残しながら接近する。
ゴーレムは見かけによらず俊敏だった。口から火炎弾を連射し、ルークの着地点を予測して焼き尽くそうとする。地面に黒い焦げ跡が次々と刻まれていく。
しかしルークはあえて予測しやすい軌道を選ぶ。避け、躱し、時に宙を舞い、攻撃をいなし続ける。岩壁を蹴り、重力を無視したような動きで翻弄する。
「そらそらどうしたぁっ!遅すぎるぞ!」
瞬きよりも速く距離を詰める。ゴーレムが大木のような脚を振り上げ、重戦車の衝突のような勢いで蹴りを放つ。
「ぬるいっ!」
紙一重で躱し、空中に作ったマナの足場を蹴って背後を取る。深緑の一太刀——風が唸り、無数の風刃が首元の装甲を切り刻む。
突風と共に煙が立ち上る。重心を失ったゴーレムが後方へ倒れ込む。地響きと共に砂塵が10メートル以上舞い上がった。
「おわぁっ!?」
ルークは剣を地面に突き刺し、必死に踏ん張る。対照的に、クレイラは微動だにしない。鎌鼬を抱えたまま、まるで地面に根が生えているかのように。
「大した揺れじゃないね」
ぽつりと呟く彼女の異様な安定感に、ルークは何度も瞬きをする。
(しかし、手応えがなかった。気配も残っている——)
違和感を感じた瞬間、砂塵から赤い熱線が走る。レーザーのような細い光がルークの頬を掠めた。
「ちっ、反応が遅れた!」
新たな傷から焦げた肉の匂いが立ち上る。砂塵が晴れると、そこには——
熊の二回りほどの大きさの、全身が炎に包まれた猫科の生物が立っていた。足元の地面がマグマのように溶け、泥濘を作り出している。
咆哮と共に、脳内に直接声が響く。
"行かせぬ、行かさぬ……紅獅子様は貴様をお認めにならぬ"
「待て、それってペーネウスが言ってた概念の内のひとつか!?」
"風の男に質問権は無い。【赤き炎の戦士】をこの山の頂に連れて来るのだ"
「……あれ、もしかして」
クレイラの瞳がその存在を捉える。溶岩のような皮膚、黄金の双眸。吐息が空気に触れるだけで小爆発が起きている。
彼女は鎌鼬を下ろし、立ち上がる。
"ッ———!?"
「やっほー、紅獅子の遣いさん。5年ぶりだね?ご主人様は元気?」
"光と闇を纏う戦士の側にいた女か。主人はお前達に散々痛めつけられた……"
「あの時はそっちが『獅子の名を持つとは何事だ!』って無理やりレオンに襲いかかって、返り討ちにされたんでしょ」
「……君、その猫?虎?と知り合いなの?」
"貴様に発言権は無い、黙っていろ!!"
「ルーク。アレはこの星が生み出した炎の概念、その遣いだよ。私とレオンは5年前に出会って、完膚なきまでに叩きのめしたの」
「そう聞くと弱そうだなぁ……」
"殺すぞ風の男!"
クレイラが氷の刃を遣いの眼前に突きつける。笑顔のまま。遣いは当時を思い出したのか、"すまない"と呟きながら後退した。
「住処を変えたの?前は活火山の火口にいたじゃない」
"……主人様は力を与える戦士を求め、長年多くの熱源地を渡り歩いたが、あの方に敵う火のマナ使いは現れなかった。貴様の仲間が、恐らく最後となる"
「なるほど。よし、戦力増強になるなら、ルシウスを呼んでこよう!」
「疑わないんだね、罠かもしれないのに」
「こんなに親しげに話してたら、罠って疑う方が馬鹿馬鹿しいよ」
"ファイア"
「あっつうっ!?」
ルークの頬の傷が急に燃え上がり、血管が焼ける匂いが漂う。
「こらっ!何するの!」
"飄々とした男は好かん"
「それ主観でしょう!?」
クレイラが冷気を纏った手で遣いを叩く。なんだかんだ言いながら、二人は山を下りていった。
◇◇◇
「え、僕についてきて欲しいんですか?」
「ルシウス、単刀直入に言おう。さっきの山で、紅獅子の遣いが君を待っている。最後の火のマナ使いとして、実力を確かめたいらしい」
ルークが羨ましそうにルシウスを見る。
「……君だってスサノオ様の力を授かってるじゃないか」
ルシウスも羨望を返す。日本の神の嵐の力——天候を豪雨に変え、弾丸のような雨を降らせる力。それだけあれば——
「わかった。僕の火の力を見極めたいというなら、喜んで同行しよう」
「助かるよ。これで山の先へ進める」
ルークが先導し始める。ルシウスは内心で計算する。
(マナを強化できるか、別の力を得られるか。どちらにせよ、願いに一歩近づける。あとは機を——)
「ルシウス」
肩に冷たい手が置かれる。クレイラの声が思考を中断させた。
「なんでしょうか?」
「前から聞きたかったんだけど、正直に答えてくれる?」
「答えられる範囲なら」
彼女は器用に回り込み、正面から向き合う。凄まじい怒気と鋭い視線が突き刺さる。
「もしお兄さんが人質に取られていたら、レオンを殺すことも視野に入れてる?」
「———!」
一瞬の動揺。背中に冷たい汗が流れる。それを隠すように首を横に振った。
「まさか。僕にそんな覚悟はありません。レオンさんも兄さんも、二人とも救い出してみせます。みんなの力を合わせて」
「そう。ならいいけれど」
クレイラは微笑んで踵を返す。三歩進んだところで、視線だけを向けた。
また冷たい感覚が襲う。全てを見透かすような、それでいて儚げな眼差し。
「もしその言葉が偽りなら、私は君の敵にならなきゃならない。それだけはお互い避けたいよね」
哀しげに呟き、足早にルークの隣へ戻る。
(クレイラ……ライル・ハイウインドを追い詰めた実力者。今の俺では勝てない。遣いの主人の力か、或いはルークのような神の力が必要だ。この旅で、それができれば——)
ルシウスは威圧的な視線を受け流し、眉を顰めながらルークの反対側に並んだ。三人の影が、沈む夕陽に長く伸びていく。