第163話 「銀色の救世主」
音速に等しい速度で、ライル・ハイウインドの体が地面に叩きつけられた。衝撃で土煙が舞い上がり、地響きが周囲の空気を震わせる。光のマナに導かれた四つの力が、彼を押し切ったのだ。
「……にわかにゃ信じがたいことだが、俺には全力に近いだけのマナを出しても手応えを感じなかったぜ」
四人がほぼ同時に着地すると、アデルバートが苦い表情で呟く。その言葉の重みが、皆の胸に沈んでいく。
「光のマナの扱い方を、石化してもなお熟知していたか……ふ、流石だ」
強風のように舞い上がる砂塵を、ライルが片手で払いのける。無傷。その姿に、全員の背筋に冷たいものが走った。まるで先ほどの攻撃など受けていないかのように、涼しい顔で立っている。
「流石はハイウインド家の一族だ。レオンさんと最初に戦った時よりも成長したと自負していたが、未だこれほどまでの差があるとは……ぐっ!?」
イングラムが片膝を突く。槍を地面に突き刺し、崩れ落ちそうな体を必死に支える。脇腹から流れる血が、地面に赤い染みを作っていく。アデルバートが慌てて肩を貸した。
「大したものだよ、光のマナの一撃を受けて五体満足の人間がいるなんてな」
ライルが微笑みながら、再び構えを取る。殺気はないが、圧倒的な威圧感が四人を包む。
ルークとルシウスは、満身創痍でありながらイングラムを守るように立ちはだかった。肩で荒く息をしながら、震える手で武器を構える。
「教えてくれ、そんなにボロボロになってまで……なぜまだ戦おうとする?」
ライルの問いかけは、純粋な疑問のようだった。
「……まだ、抗う気があるからですよ。ライルさん」
ルシウスの声は掠れているが、意志は揺らいでいない。
「たとえ剣がなくても、俺にはまだあんたを傷つける算段がある……」
ルークが折れた剣の柄を握りしめる。
ライルは苦笑を浮かべた。
「ふっ、そうか……ならば俺もやる気になるとしようか」
覇王のような戦意が溢れ出す。彼が一度地面を踏みしめると、足元にクレーターができ、突風が四人の体をよろめかせた。砂埃が舞い、呼吸すら苦しくなる。
「バケモノめ!今まで手を抜いてあの馬鹿力かよ!」
アデルバートが悪態をつきながら、イングラムの肩に手を置いた後、ルークとルシウスと並び立つ。双刃に纏うマナは、今にも消えそうなほど弱々しい。
「マナがなくても、俺はてめえを殺る……俺達の邪魔をするってんならな!」
「その覚悟受け取った。そして、先の無礼を詫びよう。一瞬のうちにカタをつけられるとタカを括っていたことを……!」
ライルが地面を蹴る。砂が爆発するように飛び散り、拳を構えながら突進してくる。
「くるぞおめえら!イングラムを守れ!」
「「あぁっ!」」
三人が防御の姿勢を取る。その背中を見て、イングラムは歯を食いしばった。
(くそ……!)
仲間が身を挺して守ろうとしているのに、自分の体は鉛のように重い。情けなくて、無様で、腹立たしい。
(動けっ、動けっ……!このままアイツらを死なせてたまるか!)
脳から走る激痛。血の気が引き、足に力が入らない。槍を支える両手が震えている。耳に届くのは、ぽたぽたと落ちる液体の音。視線を下に向ければ、自分の血溜まりがそこにあった。
(血がなんだ、傷がなんだ。俺はまだ生きている、まだ動ける!)
無理矢理にでも体を動かす。膝を起こすと、血の滴る音が増える。それでも構わない。仲間は命より大切な存在だ。目の前で失うわけにはいかない。
気力を振り絞り、三人を守るように前に出た。
「イングラム、いい心意気だが、ここまでだ──!」
「やらせないよ?」
氷のように冷たい声が響いた。
地面から突如として凍てついたクリスタルが隆起し、ライルの拳を受け止める。氷の破片がきらきらと舞い散る。
「──っ!」
上空から白銀の髪を靡かせた少女が舞い降りた。クレイラだった。異なる青い光を宿した双眸で、冷徹にライルを見据える。
「君は……!」
「クレ……イラっ」
イングラムが掠れた声で呼ぶ。
驚愕に染まるライルとは対照的に、クレイラは満身創痍の四人に優しい笑みを向けた。
「大丈夫、君達は私が守るから」
温かな声音に、張り詰めていた緊張が少し緩む。
「待て、俺は君と戦うつもりはない!」
ライルが後退する。その動きには明らかな躊躇いがあった。
「どういうつもり……?レオンの仲間は傷つけておいて、自分は無傷で逃げようって魂胆?」
クレイラの声が鋭くなる。
「俺はニトクリスの鏡さえあればいい。君とは、戦えない。戦うことは出来ない!」
「ふうん?なら、その真意を探らせてもらうね!」
クレイラが腰を落とし、全身から風のマナを放出する。髪が激しく舞い上がり、右腕に氷の刃が形成される。地面を蹴り、一瞬でライルとの間合いを詰めた。
「くそっ、やるしかないのか!」
ライルは苦虫を噛み潰したような表情で、左腕に光の刃を出現させる。
氷と光がぶつかり合い、甲高い音が響く。火花が散り、冷気と熱気が混ざり合う。
「なんだ、何が起きている……!?なぜあの人は守りの姿勢に入っているんだ!?」
イングラムが困惑する。疾風怒濤の如きクレイラの剣撃を、ライルは防戦一方で受け続けている。しかも、彼女に直接触れまいとしているかのような動きだった。
「ふっ———!」
「ちっ!」
クレイラの攻撃は休むことなく続く。振り上げ、薙ぎ払い、刺突。後ろ回し蹴りも織り交ぜ、ライルを圧倒していく。
「くっ、なんという練度……!
やはり、あいつの戦い方を模倣しているだけある!!」
ライルは光刃の長さを変えながら、氷の攻撃を躱し続ける。そして、クレイラが次の一手を繰り出そうとした瞬間——
ライルが地面に手をつき、眩い光が戦場を包んだ。
「っ———!?」
視覚と聴覚が一時的に麻痺する。目を瞑り、顔を横に振って感覚の回復を待つ。五秒と経たずに視界が戻った時、そこにライルの姿はなかった。
「しくった……!逃げられた!」
クレイラが舌打ちし、イングラム達の元へ駆け寄る。
「みんな、生きてる?」
「……なんとか、な」
アデルバートが疲れた声で答える。
「来てくれてありがとうございました。おかげで命はあります」
ルシウスも安堵の息を漏らし、その場にへたり込んだ。
「あぁ、強くも美しき白銀の天使……!見目麗しくありながらも精強かつ繊細な練撃の数々、いける芸術品と言って差し支えな————!」
ルークの賛美は、アデルバートの肘打ちで中断された。
「ほぐわぁ!?」
「おめえはだぁっとれぇ!!」
クレイラは苦笑しながら、最も重傷のイングラムに歩み寄った。
「イングラム、大丈夫?意識ある?」
血の匂いが鼻を突く。彼の顔は青白く、唇からも血の気が失せている。
「あぁ……、来てくれて助かった。クレイラ、ありがとう」
「ううん、どうってことないよ。私の手を取って、手伝うよ」
差し出された白い手を、イングラムは震える手で掴んだ。その手は冷たいはずなのに、不思議な温もりを感じる。ゆっくりと立ち上がり、彼女の肩を借りる。
「あっ、クレイラさんぜひ俺にも、その強くて美しい肩を貸してもらえると非常に嬉しいんですが」
「おめえは俺が手ぇ貸してやる。嬉しいだろ?あぁ?」
「ひぇ」
ルークは首を激しく横に振り、「歩けます走れます」と連呼した。
その様子を見ながら、ルシウスは顎に手を当てて考察する。
(ライル・ハイウインド……か。圧倒的な力と光のマナの力を用いる神殺しの一族、その次男か……)
前を歩く仲間たちの背中を見つめながら、ルシウスは思考を巡らせる。血の匂いと砂埃が混じった風が、彼の髪を揺らした。
(レオンの兄でありながら、その生涯の多くが謎に包まれている。なぜ共に魔帝都に来ず、邪神復活の阻止に赴かなかったのか。兄弟の間で何が起こったのか……)
ルークがイングラムの背中を叩き、イングラムが悲鳴を上げる。クレイラが氷のような笑みでルークを睨み、アデルバートが呵々と笑う。
(それに、先の俺達との戦闘。クレイラに対する反応……。瞬きの間に全員を殺すことも出来たはず。それをしなかったのは、やはり彼女にある、か……どちらにせよ、彼女とレオンの関係性を調べる必要があるな)
ルシウスは神殺しの一族に隠された秘密に危険を感じながらも、仄かな期待を胸に秘めて、仲間たちの後を追った。夕陽が地平線に沈みかけ、長い影が地面に伸びていく。