第160話「暴風と獄炎は宇宙へ舞う」
「クトゥグアよ、我が剣の錆にしてくれる!」
ルーク・アーノルドの容姿は先のものとは明らかに変わっていた。彼から溢れ出る膨大な風のエネルギー、そして見るものを圧倒させるほどの神秘性。腰まで伸びる白緑色の長髪が風に揺れ、筋骨隆々とした黒い肌は神話に描かれる神そのもの。彼の背中には無数の陣太鼓が浮かび上がり、その威風堂々とした風貌はクトゥグアの片鱗にも劣らないものだった。周囲の空気が震え、存在そのものが神格を帯びている。
「ぬ……!?」
宙に浮かぶ織田信長は眉を顰め、手にしている黒剣をルークに向けて振るった。空気中の酸素を掻き消し、周囲の遺体を黒い炎で灼きながら、黒い一閃は直線状に飛んでくる。炎が空気を焼く音、そして何もかもを消し去ろうとする圧力が迫る。
「ふっ———!」
存在そのものを消し炭にしかねない漆黒の一撃を、神気を纏ったルークは深緑の一撃にて迎え撃つ。
「ぬぉぉぉっ!!!!!」
ルークらしからぬ荒々しい咆哮とともに、鞘から剣を引き抜けば、暴力的なまでの風の一撃が地上と空中の狭間で衝突する。轟音が響き渡り、衝撃波が周囲を襲う。空気そのものが悲鳴を上げているかのようだ。
(ルークくん、なのか!?いや、それにしては声質が異なるような———)
ルシウスの胸に不安が渦巻く。
「先の俺の力、使いこなせぬとは不甲斐なし!故にこの剣士の身体、このスサノオが預かった!!!」
ルシウスの疑問をまるで読み取ったかのように、スサノオは剣を振るいながら答えた。それと同時に、ぼうっ、と地面が震えて空中全体が揺れたように風が吹いた。ルシウスの髪が激しく乱れ、肌に風圧が叩きつけられる。
「剣士に俺の力を預けたのは時期尚早であった。やはりもう少し念入りに仕込むべきだったな」
その声には、僅かな後悔と、戦士としての自省が滲んでいる。
「貴方は……!?」
「……貴様が火のマナ使いか。この男から話は聞いている。そこで見ているがいい。今は、久々に地上での戦いに滾っているゆえ、邪魔をするなよ!」
ルーク、いや、スサノオは口角を上げながら、彼の手にしていた剣を鞘にしまうと空へ掲げるようにして右手を伸ばす。その動作は優雅でありながら、圧倒的な力を秘めている。
「ヤマタノオロチを沈めし我が剣よ!今一度来るがいい!!!」
スサノオがそう叫ぶと、かの神の右手には視覚化できるほどの風のエネルギーが集約し、それは剣の形を成していった。緑色の光が渦を巻き、空気が唸りを上げる。
轟々と耳をつんざくほどの風の音が止むと、古き神剣、草薙剣が彼の手に握られていた。刀身は淡い光を放ち、千年の時を超えた神威が宿っている。
「久しいな、クサナギよ。今一度、あの忌々しき邪神の一派を斬る必要がある。力を貸してくれ」
神の言葉に応えるように、草薙剣は仄かな光を放ち始める。まるで生きているかのように、剣が意志を持っているかのように。
「ふ、それでこそ我が剣よ……!共に行くぞ!」
素戔嗚は凄まじい覇気を放出しながら織田信長に切っ先を向けた。その瞬間、周囲の空気が一変し、戦場の空気が張り詰める。
「クトゥグアの片鱗纏いし西暦の偉人よ!俺を灼く覚悟無くば、その身露と消えると知れっ!!」
「くっ、ふはははは!!よかろう!一騎討ちといこうではないか!私は第六天魔王、織田信長!貴公、名乗るがいい!」
信長の笑い声が広間に木霊する。狂気と自信に満ちた、戦国の覇者の声だ。
「俺はスサノオ!ヤマタノオロチを沈めし嵐の神なり!」
織田信長は空中から、スサノオは地上から、お互いに向かって跳ぶ。地球の神と宇宙の神の剣が空中にて激突する。金属音を超えた、神々の咆哮のような音が響き渡る。双方から発せられる神の波動は、周辺の建物を悉く灼き焦がし、削り飛ばすようにして舞い上がっていった。石が砕け、木材が燃え、世界そのものが悲鳴を上げている。
(くっ、これが神々の戦い……!?なんて凄まじいんだ……これじゃあ俺なんかが付け入る隙がないっ!)
ルシウスの心臓が激しく打っている。恐怖と、そして自分の無力さを痛感する苦しみが胸を締め付ける。
ルシウスは全ての力をレイピアに込め、灼かれぬように、吹き飛ばされぬようにして9割近くのマナの力で防護壁を盾として用いることで自身の身を守っていた。額に汗が滲み、全身の筋肉が悲鳴を上げている。しかし、ルシウスの全力に近しい放出で作り上げたものであっても、その盾には簡単に亀裂が入ってしまった。ガラスにひびが入るような、不吉な音が響く。
(そんなっ……!?)
双方の力に驚きに眉を顰めるルシウス。神の戦いはまだ始まったばかりだ。それに、お互いがまだ全力ではないことは第三者である彼自身がよく理解している。もし、本気でぶつかり合ってしまえばこのスフィリア諸共が爆心地となって広範囲にエネルギー波が広がっていくだろう。そして、それにより多くの生命が死に絶えることになるのだ。
「スサノオ様……!それ以上はっ!」
ルシウスの声は必死さで震えている。
「ここで此奴を仕留める!異存あるまいな!炎のマナ使い!」
空中で鍔迫り合いを続けながらスサノオは凄まじい剣幕で叫んだ。その声には、戦士としての誇りと、神としての使命が込められている。
「なりません!貴方が全力を出してしまえばこの国は跡形もなく消し飛んでしまう!」
「ふっ、案ずるな!策はある!」
ニヤリと笑みを浮かべながらそう答え、素戔嗚は暴風を足に纏わせ、身体を旋回させながら信長を蹴り落とした。
かの偉人は重力に引っ張られるように建物を破壊しながら吹き飛ぶ。轟音と共に石壁が崩れ、瓦礫が舞い散る。
「ぬ、ぅ……!」
「そらっ、まだ終わらせぬぞ!」
地に叩き落とされた織田信長に間髪入れず彼は剣を振り下ろす。
「隙を見せたなスサノオ!そこな火の小僧!死ねいっ!」
立ち上がる矢先に掌に込めた黒き球体をルシウスに放つ。野球ボールのように、螺旋を描きながら高速で飛んでいく。空気を裂く音が響き、ルシウスの瞳に黒い死が迫る。ルシウスは意識を全てそれに向け、己の身を守るために再び盾を作り上げる。手が震え、呼吸が荒くなる。
「ふ!生ぬるいわ!小手先のマナだけで邪神の力を防げると思うか!身の程を知れいっ!」
炎の盾と黒い炎が衝突する。しかし、力の差は歴然であった。神の軽い一撃と、それを全霊で防ぐ人の盾。どれほど力を絞り出そうとも、神からすれば人類は赤子の手をひねる存在に等しい。ルシウスの作り上げた炎の盾はガラスが割れるような甲高い音を辺りに響かせながら亀裂を作っていく。ルシウスの耳に、自分の防御が崩れる音が残酷なほど明瞭に聞こえる。
「く、そぉ……!!」
ルシウスの中にあった自信が、今この時、自ら作り出した炎の盾と共に崩れ去ろうとしていた。それは秒針が時を進めるたび、刻一刻と告げるかのようだった。膝が笑い、歯を食いしばる。
「ちっ……!」
スサノオがその光景を尻目に見る。しかし、彼は助けることをしなかった。相手は人の身とはいえど邪神の力を得た存在。かの大蛇を沈めた神にとっても決して楽観視できる状況ではなかったのである。スサノオの表情には、苦渋の決断が刻まれている。
「はははは!ここで露と散るのは私ではなくそこな小僧だったな!」
織田信長が大声を上げて笑う。剣士の身体の友を、目の前で散らせるのだ。その表情はさぞ愉快なものであろう。笑い声が、ルシウスの絶望を嘲笑うかのように響く。
「おのれ……!」
「貴様に破れはすれども、敵の手駒は減らす。戦法とは、こういうものだ!」
ルシウスを覆い、守る盾には既に数え切れないほどの亀裂が入っていた。その隙間から、黒い炎が赤い炎の戦士を焦がそうと侵食を続けている。肌が焼ける感覚、存在が消えていく恐怖。
「俺は……!俺はこのまま野垂れ死ぬわけには、いかないんだ!」
ルシウスの叫びは、魂の底から絞り出された咆哮だった。
そう、彼にも目的がある。願いがある。それを叶えるために、ここにいる。
それが、天の声に届いたのだろうか。ルシウスを蝕もうとしていた黒い炎は突如として降り掛かってきた"黒い風"により相殺された。
「うぉぉっ!?」
ルシウスはその衝撃に吹き飛ばされるも、壁に叩きつけられることはなく、その身は親友達に受け止められた。背中に温もりを感じ、ルシウスは生きている実感を取り戻す。
「ルシウス!」
「イングラムくん!アデルくん!」
ルシウスの声には、安堵と歓喜が滲んでいる。
「待たせたな、で、お前を助けた今の攻撃はいったいなんだ?」
アデルバート神と神の戦いを眺めながら聞く。しかし、ルシウス自身にも何が起こったのかわからず、友の問いに首を横に振るばかりだった。
「なにっ!?今の"風"は!?まさかっ!」
スサノオは驚愕している織田信長の隙を突いて草薙剣を振り下ろす。それは目にも止まらぬ速さで偉人の身体を斜めに両断する。
「ぬぉぁっ!?」
黒い鮮血を撒き散らしながら、急降下で地面に叩きつけられる。髪は乱れ、鎧ごと斬り伏せられたその身体からは、人らしからぬ禍々しい気配を感じさせた。血の臭いと、焦げた臭いが混ざり合い、戦場の残酷さを物語る。
「……ふん、まだ息があるか。流石は人の魔王と呼ばれた偉人。だがこれまでだ!」
素戔嗚は草薙剣を空高く掲げ、咆哮すると暗雲が快晴を覆い尽くし、そこからは大量の雨が瞬きの間に降り始めた。空が一瞬で暗転し、世界の色が変わる。
「う、なんだ、この雨は……!?"身体が痛む!?"」
アデルバートが水の異常性に気付き、即座にマナでドーム状のバリアを張る。雨粒が皮膚に触れた瞬間、針で刺されたような鋭い痛みが走ったのだ。
スサノオの降らせた雨。見た目や色合いは普通の雨と何ら変わりないが、触れると槍に突き刺されたような痛みが走る。それが当たっている間は全身満遍なく、それでいて攻撃性も高いうえマナ使いでなければ防ぐことは出来ない。酸性雨以上に危険な雨なのである。地面に当たる雨音が、まるで無数の刃が降り注いでいるかのように聞こえる。
「ぐ、ぬぉぉ……!クトゥグアの炎で燃やし尽くしてくれるわ!」
織田信長は、邪神の黒き炎を手に顕現させる。それを宙に浮かせ、空を覆う雲ごと払おうという算段なのだ、が———
「ぬるいっ!人の身を借りた神とただ邪神の力の破片を用いた人の子!力の差は天と地、貴様でも理解できよう!」
スサノオの赤い瞳が、雷鳴と共に煌めく。その間ですら、織田信長の手元には小さな炎しか現れない。先の言葉が、かの魔王の中で木霊している。信長の顔に、初めて焦燥の色が浮かぶ。
「我が手中に散れ!」
嵐の神はクサナギノツルギに暴風雨と雷を纏わせ、剣を振り下ろす姿勢のまま突貫し、地に伏せた織田信長を一刀両断する。青白い雷光が世界を照らし、その光の中で魔王の最期が刻まれる。
「ふ、夢幻の如くなり……。于吉よ、すまぬ」
血生臭い戦場に飛ぶ黒い鮮血。鎧を粉々に粉砕し、肉を斬り骨を断ち、身体中の臓器は嵐に揉まれて粉微塵となり、最期には落雷によってその姿は完全に潰えたのだった。雷鳴が轟き、その音が魔王への鎮魂歌のように響く。
「…………ふん、他愛無い」
愛剣を拭うように振るうと雲が裂け、その間から煌々とした光が差し込んできた。その陽を、曇った表情をした素戔嗚が見上げる。勝利の後の、何かを案じるような複雑な表情だ。
「あの風、クトゥグアと同じ邪悪な力だった。"あの時の衝撃"よもや奴の幽閉先にまで及んでいたと考えるべきか……?」
顎に手を置き、思考するが、後ろから身体の持ち主の友が声をかけてくる。
「……ふん、まあいい。どちらにせよ滾りは静まった。風のマナ使い、お前の身体、返すぞ」
スサノオは鼻で笑いながら、自身の神気を粒子状に変化させると、ルークの中に取り込まれるようにして消えていった。緑色の光が霧散し、空気が元の穏やかさを取り戻す。
「ルーク!」
「……はっ、俺はどこ!?ここは誰!?」
イングラムに肩を置かれたルークは驚き、目を見開きながらてんやわんやなことを抜かす。その瞳には困惑と、記憶の混濁が浮かんでいる。そんな彼の横に、アデルバートは腕を組みながら目線をルークに流す。
「ふん、どうやら無事のようだな。しかし、さっきの神気はお前らしからぬ気配を感じた。どういうことか説明してもらおうか」
アデルの声には、友への心配と、そして事態の重大さへの理解が滲んでいる。
「まあしてもいいけど、それはみんなが揃ってからにしない?それに、今はペーネウス王の元へ急がないと!だろう?ルシウスくん!」
「そうだね、まずはペーネウス王の元へ急ごう!」
ルシウスを先頭に、四人は眼前にそびえる城の中へと足を踏み入れるのだった。戦いの余韻が残る空気の中、彼らの足音が新たな運命へと響いていく。