第159話「道を阻むもの」
怪物達の後始末を終えた後、コロッセウムを後にした4人は、ペーネウス王とその王妃のいる城へと足を進めていた。靴底が石畳を踏む音だけが、不穏な静寂の中に響いている。
「しかし、スフィリアが襲撃を受けたってのに、ペーネウスがだんまりってのはどういうことだ?」
イングラムの苛立ちを含んだ声に、ルシウスが眉をひそめた。
「……王のことだ、何か理由があったんじゃないかな。民たちに補助魔法をかけられないほどの何かが」
その声には、かすかな不安が滲んでいる。
「ふむ、ではさっさと移動したほうがいいだろう。ルシウス、お前の熱源探知でその城へすぐ移動できないか?」
「僕もそれを考えた、けどそれは無理だね」
ルシウスは首を横に振った。前髪が揺れ、その表情には諦めにも似た何かが浮かんでいる。
「あの方の城の中に入るにはいくつもの工程を済ませなければならない。それも毎回ね。それはこの国に長年在住している幹部クラスの人間でも変わらない」
「毎回やるのか、面倒だな。ならさっさとその工程とやらを済ませてしまおう」
ルシウスは頷きながら、ピラミッド状の城へと向かって駆け出していった。砂埃が舞い上がり、灼熱の太陽光を反射する。イングラム、ルーク、アデルバートも続く。
◇◇◇
「うん……?なんだ、この嫌な感覚は!」
ルシウスの足が止まった。空気が、まるで見えない粘液に変わったかのように重い。
「どこか赤い怪物共に近しいが、そのオーラは比ではない。ルシウス、急ぐぞ!」
イングラムの鋭い声に、四人は勢いよく駆け出した。しかし、城門を守る兵士たちが剣で道を塞ぐ。金属が擦れ合う冷たい音が響き、物見櫓では、ライフルを構えている兵士達の銃口がこちらを向いていた。
「どういうつもりです!? 兵士殿、私です!ルシウス・オリヴェイラです!」
ルシウスの声は必死さで震えている。だが、兵士の顔には何の感情も浮かんでいない。
「王命により、貴殿らを通すなと言われている。お引き取り、願う」
その声は機械的で、どこか虚ろだった。
「ふむ……王命とは?どのようなものでしょうか?」
ルシウスが苦虫を噛み潰すような表情を浮かべ、それを見かねたイングラムが前に出て問いを投げる。
「王命により———」
兵士が同様の言葉を紡ぎかけた矢先、深緑の風がその身を一刀両断した。切断面から血ではない、何か別のものが覗いている。
「ルークくん!? 一体何を!?」
「こいつらは人形だ。よく見て」
ルシウスが斬り伏せられた兵士を観察する。血のようなものは一滴も流れていないし、鉄を含んだ匂いもしない。代わりに、古い木材と油の混じったような奇妙な臭いが鼻をつく。
「撃てっ!」
兵士達が慌てたように声を荒げ、銃のトリガーを弾けば、甲高い銃声が一斉に轟いた。耳をつんざく音が空気を震わせる。
「はっ!アホ共が!」
アデルバートは地面に両手をつき、弾丸が着弾するよりも前に水のドームを作り上げた。弾丸が水の膜に吸い込まれ、その殺傷能力を消滅させる。水しぶきが光を反射してきらめいた。
「俺達を阻むつもりのようだな。ならば片付けるのみ!」
イングラムが槍を顕現させて切っ先を前に突き出すと同時に、アデルバートの水の膜は消滅する。交代するようにしてイングラムの槍から無数の電撃が兵士人形に向かって走っていく。空気が焦げる臭いが立ち込め、青白い光が視界を焼く。その一撃は、敵に直撃すると跡形もなく四散させた。
「ルシウス!ルークと一緒に先に行け!俺達は後で追いかける!」
「わかった!二人とも、気をつけて!」
ルシウスの隣に降り立ったルークは、後方にいるイングラム達に頷きながら城門のスイッチを押して開門する。重厚な金属の軋む音が響いた。
「よし!行くぞ!」
城門の中に侵入すると、内側にも同じようにスイッチがあった。ルシウスはそれを押して閉門する。ゴトンという音と共に、背後の光が遮断された。
「ルークくん、僕の後ろへついてきて!」
「あぁ、わかった!」
どうやらこの城の内部構造は複雑らしい。道は奥へ続くほど吹き荒れる冷たい空気が肌を刺し、門が閉じられた途端に一切の光源が遮断されてしまった。闇が濃密に、まるで実体があるかのように周囲を包む。だが、ルシウスの火は、こんな時に光源として活用できる。
赤い炎が揺らめき、石壁に不気味な影を作り出す。後々やってくるであろうイングラム達も雷のマナを光源にして城の内部へとたどり着くだろう。そう考えれば、この組み合わせも悪くない。
「よし」
ルシウスは赤く光る液体を自分の靴底に垂らして、それを跡として目印とするようだった。液体が石床に滴る音が、静寂の中で妙に大きく響く。彼はゆっくり立ち上がると、ルークに頷いて走っていく。
◇◇◇
そして、走り始めて10分近く経った頃。足音と荒い息遣いだけが闇に響いていたが、閉門している隙間から僅かな光が見えた。
「よし、ここを抜ければ王の間まですぐだ!」
ルシウスが近くのスイッチを押して開門する。それと同時に強烈な臭いが降りかかる。腐臭と人の肉が焼きこがれるような不快なもの。ルークが思わず口元を押さえ、ルシウスの顔が蒼白になる。そして、2人の目には惨劇が映った。
「なっ……!? ペーネウス王の親衛隊がやられている!?」
「これは……!」
まるでお互いが敵同士とでも言わんばかりに、兵士達は武器を持って心臓を貫いている者もいれば、剣で斬り伏せている者。銃で頭部を撃った者とその死に様は多様だった。辺り一面は血の海となって真っ赤に染まっている。粘ついた液体が靴底にまとわりつき、鉄錆の臭いが鼻腔を刺激する。
「しかし、なぜだ……!? みんな焼かれたような跡は見当たらない。なのにどうしてこんな———」
そう、おかしいのだ。兵士達の着ている鎧、そして死んでからまだ間もないであろう彼らから、なぜ焼死体のような不快な臭いがするのか。ルシウスの手が小刻みに震えている。
「待って、ルシウスくん。何か、いる……!」
ルークの声が緊張で硬くなっている。
「人……か?」
煌々と煌めく太陽、それを背にして宙に浮かぶ謎の影があった。逆光で表情は見えないが、その存在感だけで周囲の空気が歪んでいるのがわかる。
「ククク……衰えたな、人の世も」
低く、嘲るような声。
「何者だ!」
ルシウスが影を睥睨し、叫ぶと、それは笑みを浮かべながらゆっくりと降り立ってくる。足が地面に触れた瞬間、まるで空気そのものが震えたように感じられた。
「私は、第六天魔王……!」
「織田、信長……!? 馬鹿な!貴方は遥か過去に本能寺で亡くなったはずだ!」
彫りの深い顔に、僅かに生える無精髭。そして全身を包む赤い鎧。それはまるで、紅蓮の炎に焼かれている彼の最期を表しているかのようだった。鎧の表面は焦げ付いたような黒ずみがあり、熱を帯びているのか、空気が陽炎のように揺らめいている。
「そうか、この死臭は貴方自身のものか!」
「西暦からずっと燃やされ続けてりゃ、さぞ臭いもこびりつくだろうさ!で、なぜ現世に舞い戻った!」
「ククク……私は本能寺での死の淵に、この世界の理を知った。"邪神"が視せたものはこの星であり、この星が存在する宇宙であった。しかし、その宇宙ですらも、ちっぽけなものに過ぎんと、その者は言ったのだ」
アデルバートの問いに、織田信長は手で顔を覆い、高笑いした後に呟いた。その笑い声は広間に反響し、死者たちを嘲笑うかのように響く。
「欲しければ我が身を貸せ、とな」
「なにっ!?」
「我が身に宿し邪神の力……!火の神クトゥグアなり!」
織田信長が高らかに売り渡した神の名を叫べば、彼の全身からは地獄の業火より激しい炎が辺り一体を覆い尽くした。黒い炎が空気を焼き、熱波が顔を殴りつける。ルシウスとルークは思わず腕で顔を覆った。
「遥か未来の人の子よ……!遥か彼方に眠る炎の神の力、身を以て知るがいい!」
「邪神……だと!? なら、さっきの赤い連中も貴方が!?」
「答える必要、無し!」
彼の掌に灯るのは黒い炎。不気味で、歪で、何もかもを焼き尽くしかねないほどの熱量。それを、ルシウスとルークに向けて投擲する。空気が裂ける音が響いた。
「ちぃっ!?」
二人はマナをジェット噴射の要領で放出しながら、その場から後方に跳躍した。放たれた炎は、地面に着弾すればブラックホールのような球体に変貌しながら、周りの地面を削り、抉りを繰り返して消滅させた。石が砕ける音、地面が抉られる音、そして何もかもが吸い込まれていく不気味な音が響く。
「ふむ……この力、未だ使いこなせておらぬか。だが良きかな、ここには手練れの戦士が二人もいる。試し焼きにはちょうど良かろう」
織田信長は不敵な笑みを浮かべながら、腰に備えている鞘に手をかけて柄を握ると剣を引き抜いた。金属の擦れる音が、まるで死の宣告のように響く。
「……ふっ」
日食のように、剣身の縁が純白に煌めき、その内側は凄まじい熱を吐き出す漆黒の剣。見ているだけで目が焼けそうなほどの光を放っている。
「ここから先、通りたくば私を倒して見せよ!クトゥグアの力の片鱗を賜ったこの私をなぁっ!」
「ちっ、面倒だがやるしかないか……!行くよルシウス!」
「あぁ、気押されないようにね!」
ルシウスとルークは、それぞれ弓と剣を取り出して構える。武器を握る手に汗が滲む。ここで魔王を倒さなければペーネウス王の元へは辿り着くことはできない。
織田信長は余裕げのある表情を崩さないまま宙に身体を浮かばせて、クトゥグアの炎の球体を掌に出現させながら、剣を握っている。黒い炎が不気味に脈打ち、まるで生きているかのように蠢いている。
「近づけば灼かれる……けど、何もしないままにはいかない!」
ルークは刀身に風のマナを集約させながら跳躍する。風が唸りを上げ、緑色の光が剣を包む。剣士と魔王の剣がぶつかり合い、不気味な金属音が鳴り響く。火花が散り、その衝撃で周囲の空気が震えた。
「おおおぉっ!!!!!」
自慢の剣技、それを全身全霊にて繰り出す風の剣士。筋肉が軋み、汗が飛び散る。しかし、魔王は身体を僅かにも動かすことはせず、その刀身だけを使い、攻撃を防いでいた。まるで子供の遊びを見るかのような、退屈そうな表情で。
「ぬるいっ!」
魔王の左脚に、クトゥグアの炎が灯り、黒い物を撒き散らしながら足蹴りを繰り出してくる。
「そうはさせないっ!爆ぜろぉっ!!」
超千里眼を発動させながら、一気に集約した炎のマナを矢に乗せて放つ。矢が空気を切り裂き、赤い軌跡を描く。ルークに足蹴りが当たる時間、ルシウスが放った炎の矢が当たる時間。僅かにルシウスの方が速かった。
魔王の左脚、そのルートを予測した先に着弾した矢はマナによる炎と、黒い炎の鍔迫り合いによって、球体型に変化し、赤と黒の入り混じったそれは、爆発した。衝撃波が周囲を襲い、熱風が頬を焼く。
「ぐぉぉっ!?」
ルークは降下するように吹き飛ばされ、ルシウスが彼を受け止める。衝撃で二人とも地面を滑り、ルシウスの腕にルークの体重がのしかかる。
「ルークくん!大丈夫か!?」
「あぁ……!だがあの炎、触れたらヤバいような気がする。自分の存在諸共灼かれそうな嫌な感覚がしたんだっ……!」
ルークの切羽詰まったような表情は、これまで見てきたどの表情よりも恐怖を物語っていた。その瞳には、死を垣間見た者だけが知る、深い恐れが宿っている。
(俺の火のマナでは相性が悪すぎる。かと言って、ルークくんの風のマナに頼りきってしまえば彼にばかり負担をかけることになる。最悪、イングラムくんとアデルくんがここに来る前に殺されてしまう可能性だってある……!)
ルシウスは手にしている弓を、ぐっと血が滲むほどに強く握りしめた。爪が手のひらに食い込み、痛みが走る。
「どうした戦士達、私を倒すのを諦めたか?」
信長の嘲笑が耳に突き刺さる。
(せめて、せめて僕にもルークくんのように"神の力を借りることが出来れば、まだ可能性はある……!けど、僕にはそれが出来ない)
ルシウスは顔を上げるとルークの方へ視線を向けた。その目には、決意と、そして深い苦悩が混在している。
「ルークくん、スサノオの力を解放するんだ!奴を倒すにはそれしかないっ!」
「馬鹿言え、俺はまだ完全に使いこなせてないんだ!下手すりゃあ君を巻き込んでしまう!」
「それは織田信長だって同じのはず!上手くやれれば相殺出来るかもしれないんだ!」
ルシウスがルークの肩を揺さぶり、懇願する。その手には力が込められ、震えている。
「この国を救えるのは、神の力を使うことができる君だけだ……!頼むっ!僕は可能な限りサポートに回る、だからっ!」
「……しかしっ」
「レベッカさんが、危険な状態なんだ……!」
「な、なんだって!?」
ルークの顔色が一変する。
ルシウスは、躊躇っていた言葉を述べる。彼女が突如として昏睡状態に陥り、今も回復の見込みがないこと。彼女を助ける手がかりを得るために、ここにやってきたことを。一言一言が、ルークの心に突き刺さっていく。
「レベッカ、親父達の場所に帰ってろって連絡したのにっ!」
ルークの声が怒りと悲痛さで裏返る。
「ルークくん!迷ってる暇はない!頼むっ!このままでは彼女を助けることも、レオンさんを救い出すこともできなくなる!」
「くそっ……!」
ルークは顔を伏せ、地面を強く踏みつけた。石床にひびが入り、その音が広間に響く。そして、織田信長を睥睨する。その目には、怒りと決意が燃えている。
「……むっ?」
「やるよ、だからルシウス。もしあいつを倒せたら、君が俺を元に戻してくれ……!」
「必ず!」
ルークはにやりと口角を上げる。だが、その笑みには覚悟の重さが滲んでいる。
「よっしゃ、愛する人のためだ。人肌脱ぐぜ!」
ルークは剣を地面に突き刺して、両腕の拳を突き合わせた。金属と石がぶつかる音が響き、拳と拳が触れ合う鈍い音が続く。
「スサノオよ、我が身に御身の嵐の如き力と勇気を授けたまえ!」
突如として、周辺に燃え広がっていた黒い炎は、深緑の炎に掻き消されていった。緑の光が黒を飲み込み、空気そのものが浄化されていくのを感じる。
「おおおおおお!!!!」
剣士は咆哮すると、その身は眩い光に包まれていった。光は脈打ち、まるで生命そのもののように輝きを増していく。
「むぅっ!?」
それは、クトゥグアの力を持った信長ですら目を覆い隠すほど。光が広間の隅々まで満たし、闇を追い払う。そして———
「クトゥグアよ、我が剣の錆にしてくれる!」
ルークは雄々しい神の如きオーラを纏いながら、剣の切っ先を向けた。その姿は、もはや人ではなく、神そのものだった。緑の炎が全身を包み、風が唸りを上げている。床が震え、空気が震え、世界そのものが彼の力に応えるかのように震えていた。