第158話「英雄、集う」
耳を劈く絶叫が、巨大な天蓋の内側で反響し続ける。
血の色をした異形の群れが天から舞い降り、足がすくんで動けない人々の肉を裂き、骨を砕く音が生々しく響き渡る。
「畜生……ルーク!まだ動けるか!」
「なんとか……足だけは、まだ言うこと聞いてくれる!」
互いの体温を感じながら、二人は震える腕を絡め合い、重い体を引き起こす。耳の奥で、断末魔の叫びが木霊のように重なっていく。
「最悪だ……全力でぶつかり合った直後を狙い撃ちしてきやがる!まるで計算してたみてぇじゃねぇか!」
「生きた人間を貪るだと!?
胸糞悪い連中だ……!」
本来なら分散して一体ずつ仕留めるべきだが、激闘の疲労が骨の髄まで浸み込み、慣れぬ神の力と幻獣の姿が内臓を圧迫し、筋肉という筋肉が悲鳴を上げている。
今の彼らには、毒づくことしかできない。
「この国の王は何してやがる!
民が肉片になるのを高みの見物か!?」
「責めても始まらない、アデル……!
俺たちが代わりに護るしかない!」
最後の気力を振り絞り、よろめきながら独り立ちしたルークは、鞘から刃を引き抜くと、乾いた唇から言葉を絞り出す。
「上等じゃねぇか……!
玉砕上等、ここの連中は俺らが護る!」
左右の掌に握った双刃に、残り少ない力を込めて身構える。
だが肉体は命令に逆らい、意思とは裏腹に膝が地面を打った。
「動けよ、この体!
今動かなきゃいつ動くってんだ!」
罵声を吐くアデルバートの周囲に、血の色をした四つの影が舞い降りる。粘液質な咀嚼音を立て、透明な唾液を滴らせながら、獲物との距離を縮めてくる。胃の奥から酸っぱいものがこみ上げてくる。
「もう一度、スサノオの力を———!」
「その必要はない」
頭上から降り注ぐ、聞き慣れた声。
紫電が空を裂き、守護の壁となって大地を打つ。
「イングラム!」
「イングラムくん!」
稲妻の閃光が紫の甲冑を照らし出し、その声の主の輪郭を浮かび上がらせる。
槍を一閃すると、電流の唸りと共に異形たちの表皮が黒く焦げていく。
「ギィッ!」
「コンラの氷塔以来の再会か。
だがあの時の俺とは違うぞ!」
威圧の咆哮と共に掌を大地に叩きつける。紫の術式が地面に刻まれ、眩い光が鞭となって宙を這い、蛇のように異形を縛り上げ———
「迅雷牙!!」
四体それぞれの足元から巨大な獣の顎が出現し、大口を開けて首から下を食いちぎる。断末魔すら許されず、命が断たれる。
「……まだ湧いてくるか!」
イングラムが天を仰ぐ。
闇の渦は数を増やし、天蓋の内側へと降り注ぐ。
槍を構え直した瞬間———
「烈爆炎!」
掛け声と共に放たれた無数の火矢が異形に突き刺さり、花火のように火の粉を散らして消し飛ばす。
「待たせたねイングラム君、みんな!
到着が遅れた!」
「まさか、ルシウス君!?
久しぶりだな!!」
ルークの前に舞い降りたのは、炎を操るルシウス・オリヴェイラ。懐かしい仲間の姿に目を瞬かせる。
「……ルーク君だったか!こんな形での再会になるとはね!」
「本当だ!
なら俺も休んでられないな!」
ルークが残った力を振り絞り、ゆらりと立ち上がる。
「アデル、動けるか?」
「あぁ、助かる、イングラム」
差し出された掌を掴み、アデルバートが身を起こす。
四人は本能的に背中合わせの陣形を取り、迫り来る影の群れに備える。
万全のイングラムとルシウスに対し、限界寸前のルークとアデルバートは荒い呼吸を繰り返しながらも、武器を構えて鋭い眼光を放つ。その時、輝く人影にルークは瞳を見開き、イングラムを何度も見返して震える指を向ける。
「よっと……!
みんな大丈夫?」
「……ここは天国なのか……?」
頭の中で用意していた言葉が喉で凍りついた。蜜のような声、腰まで流れる銀の髪、雪原のような白い肌———この世のものとは思えぬ輝きを放つ女性に、心を奪われたのだ。
頬を抓ってみるが、痛みが現実を教えてくれる。
「初めまして、ルーク・アーノルド。
レオンから話は聞いてるよ」
背後の異形を透明な衝撃で薙ぎ払い、クレイラが手を差し出す。氷のように冷たい掌には、誰かを包み込む温もりが宿っている。
「光栄です、クレイラさん。
貴女の存在が俺に無限の力を与えてくれます」
風の刃で数体を切り裂き、騎士のように片膝をつく。
「必ず勝ち抜きましょう!
そして勝利の暁には!
デートを———邪魔するな!」
大切な誓いの最中に割り込む異形たち。
風の刃が豆腐のように切り刻んでいく。
クレイラを護るという一心で。
「おいイングラム、アイツ、さっきまで瀕死だったのに何であんなに元気なんだ」
「長年溜め込んだ感情が、今回の旅で爆発したか?」
「あー……」
納得しつつも引き気味に苦笑する。
不器用で微笑ましい光景を見ると、疲労が馬鹿らしくなる。
アデルバートは鼻を鳴らし、異形を蹴り飛ばしていく。
「アデル、ルーク。
セリアから預かった体力とマナの回復薬よ!」
クレイラが小さな錠剤を放り投げる。
「さすがセリア!」
錠剤を飲み込むと、重かった体が軽くなり、枯渇していたマナが血管を巡っていく。
「セリアさん、この恩はデートでお返しします!」
「殴るぞ」
異形の牙を双刃で受け止めながら怒鳴る。
星が瞬く中、ルークは祈るように錠剤を飲み、剣に全身の力を込める。
「俺の力は百億万倍!
貴様ら、この剣の錆にしてやる!」
「それだけ言えるなら大丈夫そうだ!」
「同期四人が揃った。
久々に血が滾るな!」
イングラムの言葉に全員が頷き、それぞれのマナが体を包み込む。
「ここは任せる!
私はセリアたちの所へ!」
「頼んだ、クレイラ!」
音速で病院へ飛び去るクレイラの背中を、ルークが寂しげに見送る。
「あれほどの美女に出会えたことがあっただろうか!いや、あるさ!
セリアさんって言うんだけど」
「惚気てないで戦え!散開して叩き潰すぞ!」
優雅に舞いながら敵を切り裂くルークに、アデルバートの怒声が飛ぶ。
「今の俺なら赤子同然の奴ら、何匹でも問題ない!」
「まともに喋れ!」
地面から這い出た異形を踏み砕き、水の檻に閉じ込めた別の個体を鎖で繋いで振り回す。
「くたばれ!」
ルークが跳躍し、瞳を閉じる。
「俺の風の波動を受けてみろ!」
爪先立ちで回転を始める。
旋風が巻き起こり、コロッセウムごと空へ巻き上げる。
「風我刃身!」
小規模な竜巻がルークを中心に発生する。イングラムたちは慌てて退避する。
「醜悪な穴と俺のマナを比べるな!
巻き上げられろ!」
規模を拡大した竜巻が異形を全て飲み込み、空高く吹き飛ばす。
5分後、廃墟と化したコロッセウムで、ルークが一人佇んでいた。
「……美女が俺を強くする」
空から降る肉片が、その威力を物語っていた。
「コロッセウムごと巻き込むとは派手だな、ルーク」
「緊急事態だから。
人もいなかったし」
仲間たちが集まってくる。
大穴が四色の光に包まれ、押し返されて青空が戻る。
「俺たちの勝利を祝福してるみたいだ。
ペテン師王も粋な計らいを」
「ペーネウス王だよ」
ルシウスが肩に手を置く。
「その人の妃は美人なんだろうな?」
「やめときなよ」
「褐色美人、楽しみだ!」
「どスケベめ」
アデルバートが呟き、空を見上げる。
「で、どうする。
王が何とかしてくれたようだが……」
「お礼を言いに行くべきだろう。案内するよ」
「お礼される側だろ。
傍観者気取りの王なんて気に入らねえ」
ルシウスがアデルバートを宥める。
ルークは空を見上げ続ける。
「あの青空より、美人の方が素晴らしい」
「何言ってんだお前」