第156話「嵐の神と海の水龍」
大地の裂け目から這い出すそれを、ルークは本能で「敵」と悟った。 剣を構えた瞬間――
青光が地を満たす。 清浄な海をそのまま閉じ込めたかのような、澄んだ光。 だが自然ではない。そこに宿るのは膨大な水のマナ――生命を模した怪物の頭部だった。
「……っ!」
観客が総立ちになる。胸を揺らす重圧、耳を裂く轟き。 泣き出す子供、悲鳴をあげる女達。だが次の瞬間――
———戦いの邪魔だ
———水を差すな
声ではない。
脳を直接揺さぶるような圧。 その意志に触れた瞬間、観客全員が息を呑み、声を奪われた。 泣いていた子供でさえ、まるで口を縫われたかのように黙る。 彼らの視線はただ、二人の戦士を見つめるしかなかった。
「やるぞ、ルーク!!」
紅い双眸がギラリと煌めく。 地を割らずに浮かび上がったその巨影――
八つ首の龍。 背に七つの小首を携え、中央の大首が垂れ下がり、ルークを射抜く。 蒼の鱗は稲妻を浴びたかのように光を反射し、暗雲に覆われた空を青白く照らしていた。
使命感が胸を灼く。 「討ち滅ぼせ」――己の奥底から突き上げる声が、深緑のオーラをルークの全身に纏わせた。 スサノオと八岐大蛇。古き日本の神話が、今、目の前で再現されている。
「おおおぉぉぉ!!!」
ルークが跳躍、深緑の剣閃を振り下ろす。 だが龍は口を開き、青の炎を吐いた。 緑と蒼が激突し、光と熱が会場を焼いた。
「おぉぉぉ!!!」
観客が爆発する。 恐怖と興奮が入り混じった歓声が天井を突き破る。
七つの首が火球を連射。 ルークは居合の速さでそれを斬り裂き、光の雨を降らせる。 地面には隕石孔のようなクレーターが二つ、黒煙を上げて口を開けた。
巨尾が振り下ろされる。 剣で受け止めた瞬間、骨を軋ませる重圧が腕を砕かんと響く。 ルークの体は地に叩きつけられ、肺から息が漏れる。
間髪入れず火球の追撃。
「はぁぁっ!!!」
全てを斬り払い、立ち上がる――が。
その刹那。
「……っ!?」
龍の視界が、反転した。 紅い閃光、軽くなった身体。背の声が消える。 理解するより早く――中央の首が斬り飛ばされていた。
「ちっ!」
瓦解する龍。だが。
「おらぁっ!!」
爆ぜる龍頭から、アデルバートが飛び出した! 二刀の斬閃がルークを襲う。 間一髪で受け止めたルーク、だが――
「……なっ!?」
斬り裂いたアデルは、水だった。 水飛沫が宙に舞い、全身を濡らす。
「チェックメイトだッ!!」
本物は背後にいた。 渾身の一撃が、友の心臓を斬る。
「ぐっ……はぁっ!!」
緑のオーラが爆ぜ、神気が剥がれ落ちる。 ルークは膝をつき、剣を地に突き立てた。
「お前の敗因は、神の力に酔ったことだ。意識を奪われた……だから負けた」
「……あぁ。完敗だよ、アデル。力に呑まれ、理性を失った……」
アデルは手を差し伸べる。
「なら克服してみろ。また戦ってやる」
ルークは苦笑しながら、その手を強く握り返した。
歓声が割れる。
〈勝者!蒼き黒マスク!〉
拍手が嵐のように渦巻く。
二人はその場に倒れ込み、汗に濡れた顔で笑い合った。
「……もう立てねぇな」
「あぁ、同感だ」
仰ぎ見れば青空。燦々と照らす太陽。
だが次の瞬間――
空は、漆黒に塗り潰された。 そこから溢れ落ちる、無数の赤い影。
二人は並んで、震える視線を空へ向けた。