第155話「友に刃を向けて」
〈さあ!決勝戦、幕が切って落とされましたぁぁ!〉
実況の絶叫に応えるように、数万の喉が吠えた。 耳をつんざく歓声、割れるような太鼓、紙吹雪の舞い落ちる匂い――熱気が肌にまとわりつき、喉に砂の味が混じるほどだった。
アデルバートは鼻先に残る血の匂いを拭いもせず、氷刃の短剣を強く握りしめた。 対するルークは嵐の剣を掲げ、口元に爽やかな笑みを浮かべながらも、足元を覆う氷のきしみに眉を寄せる。
「行くぞアデル!」
「死ぬ気で来い!俺も殺す気で行く!」
跳躍――瞬間、空気が爆ぜた。 剣と短剣がぶつかり合い、耳の奥に刺さるような甲高い音が響き渡る。 衝撃で腕が痺れ、足裏から氷の冷気が這い上がって背骨を突き抜けた。
「くっ……!」 アデルバートは体を捻り、ルークのヒルトを蹴り上げる。
だが――
「風牙刃ッ!!」
ルークの剣から吐き出された突風が、皮膚を裂くほど鋭い。 砂混じりの風が頬を切り、目に焼ける痛みを走らせ、アデルの身体は無造作に地面へ叩きつけられた。
肺に溜まった空気が一気に押し出され、口から鉄の味が溢れる。 それでも、彼は吐き出した血を飲み下し、立ち上がった。
(わかってた……だが、ここまで出力が上がってるとは……! 神の恩恵、恐ろしいもんだな)
観客の大歓声が、遠い轟きのように頭蓋に反響する。 だがアデルの視線は揺るがない。
「ふん……期待に応えてやるさ!」
両手の短剣を叩き合わせると、水飛沫が立ち上がり、蒼い龍が唸り声をあげて咆哮した。 鱗の一枚一枚が観客席の光を反射し、氷の息が白く会場を染める。
「水流波……!」
ルークの瞳が細められる。 風と水がぶつかり、蒸気が視界を奪った。
――だが、その白煙の下でアデルは動いていた。
「氷河強身ッ!」
地に掌を突いた瞬間、床石は凍りつき、純白の銀盤へと変貌する。 観客たちが息を呑んだ。 氷の匂いが鼻腔を満たし、吐息さえ白く染める。
「氷の……マナだと!?」
ルークの足が滑り、体幹が狂う。 氷の軋む音が耳を劈き、呼吸のリズムが乱れる。
「おらぁっ!」
アデルバートが水面を滑るように突撃してくる。 その動きは氷原で鍛えられた狼の疾走。 刃が肩を掠め、ルークの肌に冷気が食い込んだ。
「くっ……!」
足が思うように動かない。氷上での戦いなど、彼には経験がない。 一歩踏み込めば滑り、体勢を崩す。 だが――
「舐めるなよ……!」
ルークは剣を地に突き立て、氷を砕く轟音を響かせた。 深緑の瞳が風を呼び込み、髪が逆立つ。
観客の頬を打つ風は、もはやただの空気ではない。嵐そのものだった。
「――本気でいくぞ、アデル!」
吹き荒れる突風が氷を粉砕し始める。 砕けた破片が宙に舞い、頬を切り裂く冷たい弾丸となる。
アデルは血の味を感じながら、短剣を構えた。 氷原の執念と嵐の神威。 二人の激突は、観客の心臓すら鷲掴みにして離さなかった。
「スサノオの力よ――我が身に顕現せよ!!」
ルークが叫んだ瞬間、空が裂けた。
さっきまで眩しかった陽光は押し潰されるように掻き消え、黒雲が怒涛の渦を巻いて会場を呑み込む。
「おおおおおおおおぉぉぉぉ!!!!!」
咆哮が轟いた。
その声と共に、ルークの全身は眩い緑の光に包まれ、空気が焼けるように震えた。
オゾンの匂い、髪を逆立てる静電気、肌を刺す冷たい風――誰もが息を飲んだ。
地に突き立てられていた剣が爆ぜ、銀盤と化していた大地を根こそぎ削り取っていく。
一瞬で会場は元の石畳に戻り、凍気は消え去った。
「ちっ……これが神の力か! 伊達じゃねえな……!」
アデルバートは唇を舐め、短剣に水のマナを送り込む。
氷刃が細長く伸び、日本刀のような輝きを放った。
冷気が刃から滴り、手首を刺すように冷たい。
「雰囲気が変わりやがった......? ほう、力を解放したか、だが――負ける気はねぇ」
鋒を突きつける。
荒れ狂う暴風が壁のように立ち塞がるが、アデルバートは歯を食いしばって踏み込み、渦の隙間を縫って突撃した。
「おらぁっ!!」
だが――
ルークはほとんど動かない。
上半身をわずかに傾け、首だけを僅かに振り、腕を一寸だけ退けて……すべての斬撃を回避していた。
その動きは人間味がなく、まるで神気に操られた機械のようだった。
「……はっ、面白ぇ!! それがテメェの新しい力かよ!」
嗤うアデルバート。だが頭の奥は冷えていた。
(今のルークは“神の力に頼り切ってる”。意志じゃなく、力が勝手に身体を動かしてる……なら、必ず綻びが出る!)
次の瞬間。
――ルークの姿が掻き消えた。
「な、にぃっ!?」
空気が裂ける音だけが残り、気配も、マナの痕跡も消えている。
背後か、上か、下か……思考を巡らす暇すら与えられず、足元で嵐が爆ぜた。
「ぐぅっ!」
風が刃となり、アデルバートの全身を無数に切り刻む。
血の匂いが鼻を突き、腕も脚も裂かれ、鳩尾に一撃がめり込む。
さらに四肢を抉るように雹が叩き込まれ、骨に響く鈍痛が走った。
(くそっ……腹の底が煮えくり返る……!)
自然災害の化身のような力。
だが――アデルは歯を食いしばり、血を吐きながら笑った。
「……お前は“ただ自動的に神の力を使ってる”だけだ」
己に言い聞かせるように呟く。
ソフィア戦では剣にだけ神力を注いでいた。だが今は肉体ごと神に呑まれている。
力は圧倒的。だが、だからこそ雑だ。人間だったルークなら、もっと確実に仕留めてきたはず――!
「綻びは見えてるぜ!!」
アデルバートは両手を地に叩きつけ、水の壁を隆起させる。
暴風がそれを打ち砕く寸前、彼は己の身体を――水へと溶かした。
「……っ!?」
ルークが気づいた時には、もうアデルの姿は地に吸い込まれていた。
嵐を止め、足元に剣を突き立てるルーク。
ズン――!
地面が裂け、そこから青い光が溢れた。
亀裂の中でサファイアのように輝き、赤く光る双眸が現れる。
――水龍だった。
巨体がうねりを上げ、会場を割る咆哮が響く。
熱狂する観客の声すら掻き消し、世界は轟音と震動に包まれた。