第151話「鈍重なる土塊操りし者」
(……ここで聞き出す。彼の本来の目的を)
ルシウスは細剣の柄を白くなるほど握り締め、一気に駆け出した。 数十メートルの距離など彼にとっては一息。靴底が大地を叩く音が稲妻のように鳴り響く。
「はっ———!」
鋭い突きが嵐のように繰り出される。 常人なら瞬きをした間に心臓を貫かれる速さ。だが、それでもルシウスは“加減”をしていた。命を奪わぬ一線だけは守る。
「…………」
ベルフェルクはその全てを、ただ上半身の僅かな傾きだけで避けていく。 足は一歩も動かさない。根を張った大樹のようにその場に立ち続ける。
「炎熱!」
ルシウスの細剣に炎の螺旋が巻き付き、大地へ突き刺さる。 瞬間、熱気が爆ぜ、地面が焦げ、空気が焼ける匂いが鼻を突いた。 炎のマナはベルフェルクを“敵”と認識し、灼熱が彼の皮膚を焼き焦がすはずだった。
「ふぁ〜……」
だが、返ってきたのは間の抜けた欠伸。 苦悶の影ひとつ見えない。
「……くっ、手加減は終わりだ! これでどうだ!」
細剣を掲げ、四方八方に炎の矢をばら撒く。 それらは追尾する獣のようにベルフェルクを狙い、逃げ場を与えない。
――かつてベルフェルクの“コピー”を焼き殺した必殺の炎。今度こそ、とルシウスは確信した。
しかし──
「ふむ……」
ベルフェルクは焦らない。迫る炎に向け、ゆっくりと手のひらを差し伸べる。
ドゴォッ──!
地面から土塊が無数に弾け飛び、炎と激突。轟音と熱風が交錯し、砂塵が視界を覆う。
「土のマナ……! やはり君は……!」
「あぁ。だが、それだけだ」
言い終わる前にベルフェルクの姿が掻き消えた。 次の瞬間、肩に重圧。
「なっ———!」
天地が反転し、視界がぐるりと回る。 背負い投げの衝撃と共に地面に叩きつけられ、肺の中の空気が強制的に吐き出された。
「ふん——」
ベルフェルクの腕に、土のマナが凝縮する。 何層にも泥を重ねた剣――鈍重にして禍々しい光を放つ“土の刃”が、ルシウスへと振り下ろされようとしていた。
「この剣を撃ち落とさなければ……お前の腕は飛ぶ」
(……目が本気だ! 峰打ちで済む相手じゃない!)
ルシウスは炎を矢に込め、全力で放った。
「爆ぜろ!」
矢は膨張を始める。 風船が破裂する直前のように、炎熱が内に溜まり――爆発するはずだった。
――だが。
「……遊んでるのか?」
耳に届いたのは、火が水に沈む鈍い音。 矢は爆ぜる直前で凍り付き、膨張した熱が泥の剣に吸い込まれていく。赤い光は飲み込まれ、矢は縮んで消えていった。
「くそっ!」
舌打ちの刹那、ベルフェルクの剣が迫る。 ルシウスは細剣で受け止めるも、ずしりとした重みに腕が痺れた。
(土のマナ……僕の炎を取り込み、耐性を増している! それだけじゃない……時間が経つほどに剣そのものが重くなっていく!)
刀身がギシギシと軋み、足元から力が抜けていく。
「おらぁっ!」
弾き飛ばされ、壁に叩きつけられる。 寸前に炎を爆ぜさせ衝撃を殺すが、体内のマナは急速に消耗していた。
(まずい……! 炎は取り込み先が限られている。無闇に連発すればマナ切れで倒れる……! 対して奴の土のマナは――大地に立つ限り無尽蔵!)
焦燥が胸を焼く。
(ならば……熱源探知! この灼熱の王国なら、炎の源は数多いはず!)
千里眼を発動し、視界に熱の揺らぎを探す。だがベルフェルクも見抜いていた。 泥の剣が鞭のようにしなり、ルシウスの首に絡みつく。
「ぐっ……!」
酸素が奪われ、視界が霞む。肺が悲鳴を上げる。
「おまけだ! 土の底で眠れ!」
ベルフェルクが拳を叩きつける。血が大地に滲み、瞬時にルシウスの足元が沼へと変わった。
ずぼり、ずぼり――。
泥が絡みつき、足を飲み込む。あっという間に半身が沈み込む。
「く……あぁぁ!」
「最強の火のマナ使いが聞いて呆れるな。相性か……いや、ただの運だな」
見下ろすベルフェルクの声が、嘲笑混じりに響く。 酸素が足りず、頭が白んでいく。思考が溶け、身体から力が抜けていく。
(まだだ……終わってない!)
ルシウスは最後の力で全身に炎を纏わせた。 轟音と共に周囲の沼を焼却し、解き放たれた熱でベルフェルクへ一撃を叩き込む。
「はぁぁぁッ!」
熱源探知が光を放ち、彼の身体は炎の揺らぎへと転移する。 煙と砂塵の中、ルシウスの姿は消え――戦場は再び灼熱に包まれた。
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「ふんふ〜ん♪」
クレイラは軽やかな鼻歌と共に、誇らしげに両手で抱えた。
そこにそびえるは五段の氷菓の塔。
チョコミント、スーパーチョコミント、ハイパーチョコミント、デラックスチョコミント、そして頂点に鎮座するギガントチョコミント。
目にも涼しいミントグリーンが層を描き、夏の陽光のようにきらめいている。
彼女はその戦利品をロングテーブルへ置くと、熱々に温めたミルクに少しずつ溶かし入れる。
爽やかなミントの香りと濃厚な甘みが立ち昇り、鼻腔を優しくくすぐった。
「ふふん……熱々のミルク、よし! 五つのチョコミント、よし!
さぁ、いっただっきまー———」
両手を合わせ、大地に感謝を捧げた――その瞬間。
ドォンッッッ!!!
轟音。
ロングテーブル中央に火花が散り、巨大な人影が叩きつけられるように降り立った。
「っ!?」
宙を舞うチョコミント。五層の氷菓はスローモーションのように空に舞い、砕け散った机が弾け飛ぶ。
ミントグリーンの飛沫が銀髪に降り注ぎ、爽快な香りが辺りに充満した。
「一番近かったのはここか! よぉし!」
現れたのはルシウス。
彼は気にも留めず、机に残っていたカップ三つの熱々ミルクを一気に飲み干した。
喉を焼く熱が全身に駆け巡り、血流が火柱のように迸る。
「これならいける!」
炎の力が蘇り、拳を握りしめた彼は再び戦場へと転移する。
――残されたのは、無惨に床に散らばるチョコミント。
ミルクの残滓すらなく、ただの虚ろなカップだけが転がっていた。
「…………」
クレイラの視界が滲む。
「お客様!? 今の轟音は!? なんてことですか! 器物損壊です! 訴えますからね!」
店員の声が飛ぶ。
「いやっ、私じゃなくて———」
「お黙りなさい! 器物損壊は重罪、終身刑です! さあ来なさい! 取り調べを受けてもらいます!」
「うわぁぁぁぁ、どうしてこうなるのぉぉぉ!!!」
クレイラの絶叫が響いた。
それは壊れたテーブル以上に彼女の心を抉っていた。
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「ルシウス……!」
ベルフェルクは振り返る。
炎に包まれたルシウスが立っていた。背に燃え盛る火柱は生き物のように脈動し、彼自身と一体化している。
その髪は真紅に燃え、黄金の瞳が夜明けの太陽のように光を放つ。
「遅れたね、ベルフェルク。これが僕の全力だ」
「ふん……いいだろう。それでこそ戦う価値がある!」
「僕が勝ったら、君の目的を教えてもらう」
「なら俺が勝てば……俺の力を他の奴らには黙ってもらう」
「いいだろう。約束だ」
「いくぞ!」
両雄が同時に咆哮する。
炎の剣と泥の剣がぶつかり合い、轟音と共に火花と土砂が飛び散る。
灼熱と湿り気が入り混じり、視界は白煙に閉ざされた。
「おおぉっ!」
「はぁぁぁ!」
鍔迫り合いの中で互いの呼吸がぶつかり合い、汗と血と土の匂いが充満する。
ルシウスの剣が弧を描き、赤熱で泥の剣を両断した。断面はまるで刀鍛冶の炉で焼かれた鉄のように赤々と輝く。
「くっ……!」
ベルフェルクは地を踏み鳴らし、舞い上がった砂塵に泥を纏わせ、無数の弾丸として打ち込む。
ルシウスは掌を広げ、火炎放射を解き放った。熱で泥は蒸発し、土へと還る。
「やるな!」
「だがまだまだだ!」
ベルフェルクの腕が槍のように尖り、突きが雨のように降り注ぐ。
飛び散る泥の粒がルシウスの瞳を狙うが、千里眼がそれを見抜き、指先で掴み蒸発させる。
「ふっ……」
「……勝ったな」
ベルフェルクが不意に口角を上げ、背を向けた。
「待て! まだ戦いは———」
銀色の流星が割って入った。
轟音と共に、水の奔流がレーザーのように地を抉り、両者の間を切り裂いた。
飛沫が冷気と共に頬を打ち、熱気を打ち消す。
「———!?」
「ルシウス……」
蜘蛛のようにしゃがみ込んだ姿勢から立ち上がったのは、クレイラ。
その頬には、砕け散ったチョコミントの残滓が付いている。彼女はそれをぺろりと舐め取り、薄く笑った。
「そうはいかない。私は怒っているよ、ルシウス」
「え……な、なんのこと——」
「ふふ、ふふふふふ……」
笑い声は震えていた。怒りと失望で。
「10000シード払って買った“期間限定チョコミントデイサンデー”……全部パァ。
熱々の“期間限定ハニーチャイミルク”も、あなたが全部飲んだ。ラスト3杯だったのに!」
「……そ、そういえば口の中が甘い……まさか!」
「それだけじゃない。突然現れたせいで私のテーブルは破壊、カップは割れ、辺り一面チョコミントまみれになった」
「いや、それは……」
「許さない! 絶対に許せない!
チョコミントとハニーチャイミルクの仇……ここで取らせてもらう!」
クレイラの背後では、ベルフェルクが遠ざかっていく。
追わねばならない――ルシウスは熱源探知を発動し、背後を取ろうとする。
だが、その腕を掴む影があった。
「どこへ行くの?」
見ると、クレイラが炎の剣を素手で掴んでいた。
その笑顔は優しく、それでいて背筋が凍るほど冷たい。
ルシウスの心臓が跳ねた。
――取り返しのつかないことをした、と。
「さあ……君の罪を償う時間だよ、ルシウス・オリヴェイラくん?」
炎と氷の狭間で、彼は戦慄した。