第148話「王の言、影の襲撃」
黄金のピラミッド最深部——
空気は灼けつく砂の熱を孕み、石壁からは鉄錆のような匂いが漂っていた。
広大な玉座の間の中央には、ただひとつ王を讃える椅子。
そこに鎮座する神帝ペーネウスの存在は、炎よりも眩しく、山よりも重く感じられた。
褐色の肉体は鍛え抜かれた鋼のように光を反射し、黄金の瞳は果てなき未来を射抜く。
マントが微かに揺れるたび、鎖のように響く黄金の装飾品が、低く耳を打った。
「————ふむ、スアーガは崩壊を免れたか。何故だ?」
低く響く声が石壁を震わせ、空気を圧縮する。
膝をついたルシウスの胸にも、その響きが重くのしかかった。
「はっ……ベルフェルク・ホワードがワクチンを所持していたが所以でしょう。
彼がいなければ……国は消えていたはずです」
返答する声は、緊張に喉が焼けるようだった。
ペーネウスは顎に手を添え、黄金の指輪をはめた指先で玉座をなぞる。
その何気ない仕草さえ、裁定を下す神の動作に見える。
「商人が……ワクチンを?」
瞳が細められ、冷たい閃光が走った。
「いえ、独自に作り上げた物でした。
まるで惨劇を予知していたかのように……唐突に現れ、また姿を消したのです」
ペーネウスは片眉を僅かに上げ、黄金の瞳を細める。
石の間に沈黙が落ち、ルシウスの心臓の鼓動がやけに大きく響いた。
「ルシウス。その眼で奴の素性を視抜けなかったか?」
「……お恥ずかしながら。
奴の身体には特殊な電子網が張り巡らされており……私の千里眼では記録を辿れませんでした。出会う以前も、卒業以降の記録も……空白のままです」
自らの無力を告げる時、胸が締め付けられる。
兄を探すために得た千里眼でさえ、彼を追えない悔しさが、喉に苦くこびりついた。
「……なるほど。余自らの神眼で確かめねばなるまいな」
ペーネウスは玉座に片肘をつき、愉悦と威圧が混じった声音で告げる。
そして、ふと声色を変えた。
「ルシウス。レオンとライルの兄弟……実はもうひとりいる」
「……!?」
息が止まる。胸の奥がざわめき、背筋に冷たい汗が落ちていく。
「レイ・ハイウインド。
双子以上に謎に包まれた存在。余の神眼が、警告を示した。
ベルフェルクよりも……危うい男かもしれん」
言葉と共に、玉座の空気がさらに重くなる。
息苦しさに喉が詰まり、それでもルシウスは必死に声を振り絞った。
「……もしや、ベルフェルクと繋がっている可能性も……」
「うむ。だからこそ監視せよ。……それと——余の前へ奴を連れてこい。
素性を……剥ぎ取ってやる」
その瞬間、声に宿る圧は雷鳴のように響き渡り、ルシウスの膝が石床に沈むほど震えた。
「……同期の彼を、どうか……」
口にした「お手柔らかに」という言葉は、己でも弱々しく聞こえた。
ペーネウスは高らかに笑った。
「ははは!弱ければ余の前に立つ前に死んでいるわ!
奴もまた戦士——強者であることは確かだ!」
その笑声がまだ壁に残響している時。
黄金の帳の奥から、柔らかな鈴のような声が響いた。
「あら、ルシウス。お久しぶり」
白金のヴェールを纏う女が歩み出る。
ヴェルーナ神妃——黄金に煌めく褐色の肌、宝石のような赤眼。
その微笑みは、砂漠を渡る清涼な風のように、張り詰めた空気を和らげる。
「……ヴェルーナ神妃様」
ルシウスは深く頭を垂れた。
心臓を握る圧が溶け、胸に温かな泉が広がる。
「相変わらず……兄君を探しているのかしら?」
「……はい。未だ行方は……私の力不足です」
声が震える。だが、その目を逸らすことはなかった。
「まぁ。責めることはありませんわ。
貴方の兄なのですもの。必ず無事でしょう」
その声音は、胸を撫でられるように穏やかで、涙が滲むほどだった。
——だが。
「……妻よ、出てきたということは、凶事か」
ペーネウスの声が再び重さを取り戻す。
「はい。我が神晶に……不吉な影が映りました」
二人の間で交わされる言葉に、空気は再び重苦しく沈む。
玉座の間の空気が、砂漠の夜の冷気のように鋭く張り詰めた。
「ルシウス、下がれ。任務を続けよ。ベルフェルクの監視も忘れるな」
「はっ……承知しました。」
胸に残るざわめきを抑え込み、ルシウスは深く頭を垂れた。
熱源と共にその姿が掻き消える瞬間、背後で神帝と神妃の声が交わるのを耳にした。
「……我が愛よ、部屋で詳しく話そう。ここでは声が響く」
「ふふ……今宵もまた愉しめそうですわ、あなた」
黄金の扉が重く閉ざされる。
残された空気はなお震えており、神々の囁きが石の壁に染み込んでいた。
◇◇◇
スフィリアの病院にレベッカを預けて
イングラムとソフィアは例の受付会場のところへやって来ていた。
セリアとリルルはレベッカの身を案じて
まだ病院にいる。
「アデルはここで登録をしたみたいだ。
ソフィア、君も出てみないか?」
「そうね、一緒になって以来まともに戦えてないからそうしてみようかな?
イングラムはどうするの?」
「うん……?いや、俺はやめておこう。
リルルとセリアさんを守らなきゃならないからな。」
「そう、相変わらず優しいんだ」
イングラムはくすりと笑いながら、ゆっくりと受け付け前に歩いていく。
ソフィアもそれに続く。
「あ、あの、い、いらっしゃいませ!
参加希望の方でしょうか?」
「はい、エントリーはまだ出来るでしょうか?」
ソフィアが穏やかな笑顔を浮かべながら聞くと受付嬢はこくりと首を縦に振り
A4サイズの用紙を差し出して来た。
「ここに記載されている必要事項を記入していただき、最後の名前の欄は個人情報漏洩防止の為頭に浮かんだ名前を記入してください」
「なんでもいいんですか?」
「はい、なんでも」
ソフィアは顎に手を当てながらイングラムの方を見やると
「エカチェリーナ3世とかどうかな」
「やめておけ」
「……適当に考えたんだけどなぁ」
彼女はそう呟きながら、再びデスクに置かれた用紙に視線を落とすと、ペンをくるりと回して名前を記入する。
「はい、ええと……。灰色の鎌使いですね!では、預からせていただきます!」
受付嬢は頭を下げて用紙を受け取ると
背を向けて歩き始める。
「あの、他にすることはないですか?
何かあれば教えていただけると嬉しいのですが」
「他になにか……?
あぁ!?いけないいけない!参加者パンフレットをインストールしなくてはなりませんでした!すみませんすみません!では、彼氏
さんの電子媒体にもインストールさせていただきますので!失礼しますね!」
受付嬢は手慣れた手つきで操作すると
2人の電子媒体に新しい項目が追加された。
「はい、これでパンフレットのインストールが完了しました!参加者が追って増える場合はそれぞれ通知が表示されますのでご確認下さいね!」
受付嬢は再び頭を下げると
今度こそ奥の方へと走っていった。
イングラムとソフィアは視線を送り合って
頷き合う。
「さて、これからどうする?
俺はリルルたちのところに戻るが。」
「そうだね……アデルが参加したのなら
私は彼に合流しようと思う。」
「そうか、わかった。
じゃあここで別行動だな。」
ソフィアはこくりと頷いて
ふたりはお互いに背を向けて歩き始めた。
イングラムは病院へ、ソフィアはアデル達のいる待合室へと進んでいく。
——————
「さっきの受付場と比べると静かだな。」
イングラムは自分の周囲を見渡す。
後方にはまだ人だかりがあるのに対して
ここは薄暗くて人の気配も感じられない。
路地裏のような雰囲気だ。
風だけが、静寂を突き破っている。
「———?」
なにか、聞こえたような気がした。
路地裏の奥の方から、鈴の音のような音が。
「……例の紅い怪物か?
ルークが仕留め損ねたとも思えんが……」
イングラムは物音のする方向へ身体を向けて
紫電を手の平に浮かび上がらせて灯りにし
行く道を照らしていく。
チリン、チリン
鈴の音は徐々に近づいている。
だが同時に、それが自分を誘っているのではないかという疑惑も生まれてきた。
単なる心霊現象ではないらしい。
「——————みーつけたっ!」
上空から響く若い女の声。
そして、青く開いた空を遮るひとつの影が
イングラムの頭上へと飛んできた。
撃鉄をしならせながら獲物を振り下ろす。
しかし、その一撃はイングラムを覆う紫電に
弾かれてその身ごと吹き飛ばされた。
「っ———!」
彼女は即座に体勢を立て直し、改めて構える。
「何者だ、ただの盗賊には思えんが」
迸る紫電を解除しながら、イングラムは槍を顕現させて問いを投げる。
「……イングラム・ハーウェイ。
お初にお目にかかれて嬉しいです。
でも、私は盗賊じゃないですよ」
こんななりですけどと笑う。
その声は、どこか親しげにも思えた。
「なぜ俺を知っているのか、教えてもらおうか」
「———それは、残念ですが無理です」
正体の見えないその者は、両手を背に伸ばして短剣を手に取った。
黒い狐の面に、白い外套を身に纏った彼女は、全身の至る所に暗記を備え付けていた。
上半身を覆う白が風に揺らめき、
綺麗な生足が露わになっている。
「その武装、その身なり、暗殺者か……?
だが失敗だな。一流の暗殺者は獲物を前にした時、声を出すことはない。音もなく忍び寄り、風のように首を切る。それが、俺の知っている暗殺者だ。」
「なるほど?……ありがとうございます。
ひとつ勉強になりました。
でも、違います、私は暗殺者じゃないんですよ」
「———?」
影は両手にマナを注ぎ始めた。青色の水面が美しく揺らめきながら、それは長剣へと変貌する。
「ふん、アデルの真似事か。
どこかの書類でも読んだか?」
「んー、読んだというか、聞いたというか……経験したというか、どれも正解というか……」
不思議と、この女の言うことに嘘は感じられなかった。
「まあいい、買って吐いてもらうだけだ!」
水のマナが宿った両刀背の後ろに回して
いつでも斬り伏せる姿勢を取る影。
そして、それを迎え撃つようにして
イングラムは堂々と槍の鋒を向ける。
「行きますよ?」
「来い!」
彼女は突貫しながら跳躍し、その剣を振り下ろす。イングラムは槍の真ん中で、その攻撃を受け止めるのだった。
スフィリアの病院にレベッカを預け、
イングラムとソフィアは人波を抜けて、再び武闘会の受付場へと足を運んでいた。
セリアとリルルは、まだ病室に残っている。
「……アデルはここで登録を済ませたらしいな。ソフィア、君も出てみないか?」
「そうね。ここまで一緒にいても、まともに戦えてないもの。私も挑んでみるわ。
イングラムは?」
「……いや、俺はやめておこう。リルルとセリアを守る役がいるだろうからな」
「ふふ……やっぱり優しいんだね」
ソフィアが小さく笑い、二人は並んで受付へ向かった。
——だが、笑顔で迎えた受付嬢の声は、わずかに上ずっていた。
「い、いらっしゃいませ!さ、参加希望の方でしょうか?」
ソフィアは柔らかな笑みを浮かべて頷く。
「はい、エントリーはまだできますか?」
安堵のようにこくりと頷いた受付嬢が、差し出したのは一枚のA4用紙。
インクの匂いがまだ残る紙に、細かい規定と空欄が並んでいた。
「必要事項を記入してください。最後のお名前は……個人情報保護のため、思いついた名前で構いません」
「……なんでも?」
「はい、なんでも」
ソフィアは顎に指を添え、隣のイングラムに視線を送る。
「じゃあ……“エカチェリーナ三世”なんてどう?」
「やめておけ」
「ちぇっ、適当に考えただけなのに」
肩をすくめ、くるりとペンを回して記入を終える。
受付嬢はその文字を確認し、ぱっと顔を明るくした。
「“灰色の鎌使い”ですね!はい、確かに!……こちらでお預かりします!」
頭を下げた彼女は、慌ただしく奥へ向かう。だが途中で立ち止まり、顔を青ざめさせた。
「あっ、すみません!パンフレットのインストールを忘れてました!い、今すぐ!」
慌てて端末を取り出し、二人の電子媒体にデータを転送する。
ピコン、と音が鳴り、画面には新しい項目が追加された。
「はいっ、これで完了です!今後参加者が増えた場合は通知が届きますので!」
息を切らしながら頭を下げると、彼女は奥へと消えていった。
視線を交わしたイングラムとソフィアは、静かに頷き合う。
「さて……俺は病院に戻るよ」
「私は……アデルに合流してみる」
「わかった。ここから別行動だな」
互いに背を向け、足を踏み出す。
イングラムはリルルとセリアの待つ病院へ、ソフィアはアデルの待つ待合室へと。
——だが。
受付場を離れると、賑やかな声は急速に遠ざかり、足音だけが響く。
通りの奥は、まるで路地裏のように薄暗く、人影すらなかった。
乾いた風が吹き抜け、布を揺らす音だけが耳を撫でる。
「……?」
チリン、と鈴の音がした。
高く澄んだ音色が、静寂にやけに鮮明に響く。
「紅い怪物……?いや、ルークが仕損じるとは思えんが……」
胸にざらつく予感を抱え、イングラムは槍を呼び出す代わりに紫電を灯し、掌の光で道を照らした。
紫の閃光に浮かぶ石畳が、冷たく濡れているように見える。
チリン、チリン——。
鈴の音は近づいてくる。
誘っているのか、それとも——狙っているのか。
「……ようやく一人になってくれた!」
女の声が空から落ちてきた。
影が青空を裂き、一直線に降下。
撃鉄のようにしなやかに振り下ろされた刃が、イングラムの紫電に弾かれて火花を散らす。
衝撃で地を転がりながらも、女はすぐさま立ち上がった。
白い外套を翻し、黒い狐面の奥から視線を向ける。
「……何者だ。ただの盗賊には見えん」
紫電を散らし、イングラムは槍を呼び出して構える。
女は、どこか親しげな声音で口を開いた。
「イングラム・ハーウェイ……。
会えて嬉しいです。でも盗賊じゃありませんよ」
笑みを含む声。しかし、狐面がその感情を遮っていた。
「なぜ俺を知っている?」
「……それは言えません」
女は背から抜いた短剣を指先で弄ぶように構える。
外套の隙間から伸びる足は雪のように白く、風に揺れて露わになった。
「暗殺者か……だが、失敗だな。
一流は声を出さずに忍び寄り、風のように首を落とすものだ」
「なるほど……勉強になりますね。
でも違うんです。私は暗殺者じゃない」
女の掌に水のマナが渦巻き、青い光を放つ。
それはやがて、揺れる水面のような長剣へと形を変えた。
「……ふん。アデルの真似事か?」
「本で読んで、話で聞いて、この身で経験した……言っちゃえばどれも正解です」
その声音に、嘘の響きはなかった。
イングラムは鼻で笑い、槍を構え直す。
「いいだろう。力で吐かせるまでだ」
「行きますよ」
「来い!」
水面を裂くように女が跳躍する。
光を孕んだ剣が振り下ろされ、イングラムの槍が鋭く受け止めた。
火花と水飛沫が、薄暗い路地を一瞬で蒼白に照らし出す——