第144話「空からの来訪者」
見事な流星群が夜空を流れ去り、幻想の帳が静かに閉じていく。
空が群青から淡い橙へ、そして雲ひとつない蒼天へと染まり始めた。ひんやりとした夜気が薄れ、草葉の露が朝日に煌めく。
「……う、うぅん……?」
重い瞼をこすり、イングラム・ハーウェイが身を起こす。その横でソフィアも、かすかに吐息を漏らしながら目を開いた。
「おはよう、ふたりとも。もう身体は平気?」
クレイラが両手を膝に置いて、柔らかな声で問いかける。
「……俺は、森を抜けた直後に気を失って……」
「うん。ふたりとも疲労が酷かったからね。あのあと泥のように眠ってたんだよ」
「そうか……すまないな、クレイラ。何度も世話をかける」
「ありがとう、クレイラ」
感謝を告げるふたりに、クレイラは微笑みで応える。
その笑みに、イングラムもソフィアも胸の重石が外れたように息をついた。
ゆっくりと立ち上がり、イングラムは槍を呼び出すと素振りを始める。
風を裂く音が爽やかに響き、身体の調子が戻ったことを確かめた。
「うん……もう大丈夫そうだな。君の看病のおかげだ」
「私だけじゃないよ。大部分はセリアがしてくれたんだから」
泡に包まれて眠るセリアとリルルを指差すクレイラ。イングラムは一瞬目を細め、出会った時のことを思い出した。
「……そうか」
ソフィアも背伸びをして肺いっぱいに朝の空気を吸い込む。
草の匂い、湿った土の匂い、すべてが新鮮で、重かった体が軽くなるようだ。
「いい天気だね」
眠っている仲間たちを見やり、素直な言葉が漏れた。
「あぁ、旅の再会にはふさわしい日だ。……さて、みんなを起こすか」
「ええ、そうしましょう――」
その瞬間。
イングラムの目に影が差した。
空から落ちてくる人影。反射的にソフィアの手を掴み、身体をひねって回し蹴りを放つ。
「ほげぇぇぇ!」
「ぐぉっ!?」
蹴りを受けた人影は吹っ飛び……そのまま木陰で眠っていたアデルバートの方へ直撃。
悲鳴と怒声が重なり、アデルバートが腹を押さえながら跳ね起きた。
「よう……俺の上に落ちてくるとは上等じゃねぇか。誰だテメェは……?」
「ひぃぃん!僕ぁ何も悪くないですぅ!」
「……その声は……ベルフェルクか?」
赤い瞳が細められる。見覚えのある褐色の肌、黄土色の髪、特徴的な言い回し。間違いない、ベルフェルク本人だ。
「いやあ、突然シソンくんが消えちゃってぇ! たぶん朝ごはんを取りに行ったんだと思いますぅ!」
「ほぉう……なら詫びとして、俺たちをスフィリアに連れてけ。そして安全な街に降ろせ。それでチャラにしてやる」
低い声で告げ、首根っこを掴み上げる。怒気を含んだ眼光に、ベルフェルクは全身を震わせながら必死に頷いた。
「わ、わわわかりましたぁぁぁ!」
「よし。クレイラ、セリアとリルルを起こせ。……あと、あそこで大の字になって涎垂らしてるレベッカもだ」
ふんと鼻を鳴らし、クレイラに視線を送る。彼女は敬礼し、明るく答えた。
「がってんテン!」
草原を踏みしめ、まずはレベッカのもとへ。腰を下ろし、頬を軽くつつきながら声をかける。
「おーい、朝だよ〜。目を覚まさないとバンジージャンプの刑だよ〜」
……しかし、返ってくるのは涎を垂らしたままのにやけ顔だけだった。
「ふーむ……じゃあリルル達を先に起こすかな」
クレイラは泡の膜の中へと顔を覗かせ、小指でリルルの頬をちょんちょんと突いた。
もにょもにょと身をよじらせたリルルは、隣のセリアの腕を掴んで顔をうずめる。
セリアは小さく寝返りを打ち、リルルを抱きしめるようにぎゅっと抱き寄せた。
「……起きませんねぇ」
外ではアデルバートとイングラムが、レベッカの両手を引っ張ったり引きずったりしていたが、まるで起きる気配がない。
「くそが! 寝相の悪いやつめ!」
「どうどう、落ち着け」
イングラムがなだめる横で、ベルフェルクは指先に止まった雀とにこやかに会話していた。
「やぁ雀さぁん、ご機嫌いかがでしょうかぁ?」
「チュンチュン!」
「ほぇー、全然わからないっすわ〜」
鳥も人も会話は成り立っていない。首を傾げる姿に疑問符が浮かんでいた。
「おいっ! このっ! 起きろっ! レベッカてめぇ!」
「ぐへぇ〜、ルークぅ……そこはくすぐったいとこぉ〜にゃへ〜」
ジャイアントスイングをしても、木の上に運んでも、全く起きない。
「ぜぇ、ぜぇ……もうマナで沈めてやろうか……」
「やめとけやめとけ!」
普段冷静なアデルバートが、汗を噴き出して肩で息をしている。イングラムも手伝うが成果はなし。
一方クレイラは――
「おーい、リルル〜! おはよー! デザートはフクロウのゆで卵〜!」
鍋底をカンカン叩くが、リルルはぴくりとも動かない。セリアがうるさそうに顔をしかめるだけだった。
「んー……そうだな。あっ!」
クレイラはリルルの頭に手を当て、イングラムを思い浮かべる。体格、声、仕草……喉に手を添えると声色を変えた。
「リルル、起きる時間だ。……起きないと、ほっぺにチューするぞ」
「ほんと!?」
ガバッとリルルが跳ね起きた。勢い余って、セリアの腹に頭突きを食らわせる。
「うぐっ!?」
「……あれぇ? 騎士様は〜?」
クレイラはすぐに声を戻し、指差した。
「あっちだよ、いってらっしゃい」
「わーい! ほっぺにチュー!」
ぴゅーっと駆けていくリルル。
セリアは苦悶の声を漏らし、クレイラは彼女の頭に手を置いて目を閉じる。夢へ潜り込み、闇の中でアデルバートの姿に変わった。
「セリア!」
「アデル様!?」
「ここは夢だ、安心しろ。俺が連れ出してやる」
「……!」
普段は口にしない言葉に、セリアは息を呑む。差し伸べられた手をぎゅっと握った。
「俺の手を離すな。目を閉じて……俺の鼓動だけを聞け」
「はい……」
抱き寄せられ、心臓の鼓動に耳を澄ますセリア。暗闇に光が差し込み、やがて視界は白に包まれていった。
「……う、うぅん? アデル様……?」
「……起きたか」
夢から覚めたセリアは柔らかく微笑む。
「はい。おかげでいい目覚めになりました」
クレイラは満足げに頷き、変身を解いた。セリアは不思議そうに首を傾げつつも、胸の奥にあの温もりをそっと仕舞い込む。
――その頃。
「うぉぉぉらぁぁぁ! 時間の無駄だっつってんだろ! 目ぇ覚ましやがれぇ!」
「ぐでぇ」
アデルバートのジャイアントスイングが暴風のように渦を巻く。だがレベッカは涎を垂らして熟睡。
「イングラム! ルシウス! ぼさっとしてねえで助けろ!」
「いや……起こし方に問題があるのでは」
「その通りだ」
「黙らっしゃい! 武闘会に間に合わねえんだぞ!」
振り回しながら吠えるアデルバート。もはや台風の目と化していた。
そしてついに――レベッカは木に突き刺さった。
「「……いやそうはならんやろ」」
二人の突っ込みがむなしく響いた。
「おはようございます、アデル様。夢の中に出てきてくださったので……とても良い目覚めでした」
「……夢? まあいい、目覚めが良けりゃいいんだ」
クレイラが救ったことなど知らず、セリアは嬉しげに笑う。
だが――
「騎士様ぁぁぁ!」
イングラムの足元にリルルが駆け寄ってきた。
「ほっぺにチュー! 遅く起きたから約束!」
「……しない」
「なんで!? さっき言ったじゃん! ほら、証拠!」
セリアの端末から音声が響いた。
〈リルル、起きる時間だ。起きないとほっぺにチューするぞ〉
エコーまでかかっている。間違いなくイングラムの声。
だが彼はその時、レベッカと格闘していた。ならば――
「クレイラァァァァァ!!!」
イングラムの咆哮。
クレイラは小動物のように飛び退き、そのまま全力で逃げ出した。アデルバートも「待ちやがれ!」と後を追う。
ルシウスは黙々と木に突き刺さったレベッカを引き抜いている。
「こんなことしてる間に遅れるんですけど〜? ねぇ雀さぁん?」
「チュンチュン!」
ベルフェルクだけが、いつもの調子で雀と会話を続けていた。